第三十六綴 夜行バスで出陣

「鬼童くん、なんか……荷物が多いわね」

「ん、あ、ああ……俺ほら、汗掻きだからさ」


 不審がるトリイに答えつつ、アヤカは完全に目が泳いでいた。


 学校全額負担での京都旅行は、あれから七日後の夜十時に開始した。


 バス停に集合した二年生と三年生の数は七十人弱、参加権を持つ生徒の、三分の二程度が集まったことになる。参加しなかったのは生活が苦しく、たった一日の休みが取れなかったひとか、ハードすぎるスケジュールに不満を持ったものだろう。


 一泊二日と言えば聞こえはいいが、夜行バスで七時間半かかって京都へとむかい、朝から夕方までの自由行動を経て、ふたたび京都駅からバスに乗りこみ、そこで一泊する。コスト削減の結果、心休まる暇もないスケジュールとなっているが、全額免除とあっては文句ひとつこぼせない。


 そんな短い修学旅行でキャリーバックを持ってきては怪しまれるのも当然だろう。事実、先生を含めてもう三回も尋ねられている。しかも落下や揺れをふせぐため、座席の足下に横倒しにされていたら嫌でも目につく。というか隣の席で仮眠を取ろうとしているトリイにとって、邪魔以外のなにものでもない。

 普通男子と女子は左右に分けられるが、あまったひとりずつは必然的にこの配置になるのだ。


「とか言いつつ、なんか変なモノ持って来てるんじゃないでしょうね?」

「な、なんだよ、変なものって! ハハハハ……」


 ここは絶対に笑うところではない。暑くもないのに、だらだらと汗が噴きだしてくる。

 変なもの――。鬼は変なモノに入るのだろうか。……確実に入る。


 キャリーバックのなかに入っているのもちろん、夜弥だ。

 学校の生徒ではない夜弥には、参加権等あるはずもない。そんな夜弥を夜行バスに乗りこませるのは至難の業であり、見つかれば厳重注意どころではないだろう。 だから、アヤカはキャリーバックに身を隠しての潜入を提案した。

 夜弥は嫌がったが、「なら歩いてくるか?」というと、不承ながらもおとなしくなった。不満げな夜弥を鞄に押しこめ、バスに乗車するまではできたが、やはり無理があったかもしれない。


「変なもの……そうねぇ。例えば、女の子……」

「!?」


「の、等身大フィギアとか」

「ディープなオタクと一緒にするなっつーの!」


 思わず、キレた。紛らわしいことをいって人の寿命を縮ませないで欲しい。


「私だって等身大フィギアまでは持ってないわよ。……もっとお金があったらなぁ……」

「欲しがってるよな!? ほんとは欲しいんだよな!?」

「ああいうのって、高いのよね。技師さんの汗と涙の結晶だから、しょうがないけど……」


 悶々と悩みはじめるトリイ。アヤカはこのまま話題を逸らそうと目論む。

 トリイが乗ってきそうな話題を選定し終え、アヤカが口を開いたそのときだ。


「くちゅんっ」


 …………。心臓が停まりかけた。

 会話をしていれば、さほど気にはならなかっただろう。されど意図せずつくってしまった沈黙が、その小さなくしゃみを嫌というほど強調していた。


「今の声……?」

「あ、ああっ、ラギだよな! 今の。なんだ、そんなに寒かったのか!?」


 狭い車内での睡眠を諦めて、後ろの座席で読書にふけっているキサラギに呼びかける。

 半ば縋るような気持ちだった。ゆっくりと顔をあげたキサラギは話をまるで聞いていなかったようだが、アヤカの視線にこもった懇願の意に気づく。


「あ、はい。冷房が利き過ぎですよね」

「そうだよな、エコにもっと気を遣えってんだよな、ハハハ」


 キサラギの機転に拝みたくなる衝動を抑え、ごまかしを重ねた。トリイは首をかしげるばかりである。おもむろにキャリーバックへと視線を落とす。


「なんか、その中から聞こえた気がするんだけど?」

「き、気のせいだよ!」


 声が裏がえった。緊張には強いほうだとは思っていたが、これはさすがに挙動がおかしくなるのを禁じえない。夜弥が絡むことはすべからく、取りかえしがつかないのだ。本能は平常でも理性が軋む。

 それからも何度かトリイはキャリーバックを窺っていたが、やがて睡魔に負けたのか寝息を立てはじめた。ほっと息をつき、アヤカは楽な体勢に座りなおす。車内はぎゅうぎゅうに詰まっていて、横になることもできやしない。空気も酸素より二酸化炭素が、大半を占めている気がする。

 しかしさすがは机でうつ伏して安眠するアヤカだ。

 違和感は最初だけで、すぐに眠りの淵へと吸い込まれていった。


 生徒達が寝静まる深夜の車内は消灯し、ぽつりとアヤカの背後に当たる列だけが暗闇に浮かびあがる。スマホを手にキサラギだけが読書を続けていた。狭い車内では眠れないのか、本から目を離しては色素の薄い双眸を見開き、正面の列を睨む。


「……君とは……仲間でいたかったんですよ」


 彼の眼差しはどこまでも暗く、鬱屈と闇に閃いている。或いはその一閃が闘いの幕を切って落とすのかもしれなかった。

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