第三十三綴 修学旅行は仏の誘い

 ぐわぁんぐわぁんと頭痛がする。

 アスファルトを蹴りあげる振動が睡眠不足の脳細胞を破壊する。確実に死滅していく細胞に黙祷を捧げながら、必死に走っている理由は簡単で、学校の授業に遅刻しそうなのである。


「つーか、既に遅刻してるんですけどね?」


 携帯で時間を確認するよゆうがないので、どれくらいの遅刻かは分からないが、もう授業が始まっているかもしれない。

 

 ビルの角を曲がり、眼前に現れた校門は完全に閉まっていた。

 遅刻者を拒絶する厳格な鉄門を睨みながらも彼は足取りを緩めることはない。勢いよく跳びあがり、門のてっぺんに指をかける。もちまえの運動神経で門を乗り越え、アヤカは学校の敷地に着地する。


「っと、あいかわらず不用心な門だよな」


 軽く不法侵入できるのはアヤカだからであって、普通のものがたやすく侵入できるとはおもえない。教室へとむかう途中、廊下で見慣れた人物に出くわした。


「先輩」


 遅刻しているということもあり、軽く挨拶だけして通過しようとしたが、呼びとめられては無視できなかった。


「なんだよ、ラギ」

「昨夜の傷はだいじょうぶなんですか?」

「かすっただけだったみたいで、もう塞がったよ」


 すっかりわすれていた。

 実際はかすっただけどころか、ぐっさり貫通していたが、それほどの怪我が一日でも完治するのはおかしい。怪しまれることは言わないべきだとお茶を濁す。


「そう……ですか。無事で何よりです」


 キサラギは相変わらず、無味無臭の笑顔をアヤカにむける。


「先輩。すみませんが、今日の放課後、ふたりきりでお話したいことがあるので、屋上にきていただけますか? 屋上のカギは開けておきますので……」

「いいけど……何の用だよ?」


 訝しむアヤカには答えず、「後ほどお話しますよ」と笑って、キサラギがすれ違っていく。アヤカは首をかしげつつも、遅刻していることを思いだし、目の前の教室へと飛びこんだ。


「すんません、遅刻しました!」

「ん、わかっとるよ。いいから、席に着きなさい」


 荒い呼吸を繰りかえし、席にむかう。

 それにしても、クラスのふんいきがなごやかだ。みな黒板をみては、にやけている。確か、今日は修学旅行の目的地が決定する日だったはずだ。

 つられて黒板をみると、国語教師である茂木が黒板に書かれた文字を消している最中だった。

 最後に残った二文字をみて、アヤカは自分の頬が引きつるのを感じた。


 京都――。


 やけに文字がおおきかったけど、あれはただの候補だよな? 青ざめつつ席につき、隣の席でノートを広げていたトリイに耳打ちする。


「なあ、修学旅行の目的地、結局どこに決まったんだ?」

「北海道と京都でそうとう揉めたけど、結局……」


「北海道だよな?」

「え? 鬼童君は北海道が良かったの? 前は「絶対に京都」って言ってなかったっけ」


 この段階でも充分に憶測できるが、明確な結果を聞かねば、やすらかに仮眠を貪れない。


「ええ、京都に決まったわよ。うちの夜間はいいわよね。修学旅行がある上、費用は学校が全額免除してくれるんだもの。ここに入った甲斐があるわ」


 ご機嫌で微笑んでいるトリイに対し、アヤカは乾いた笑みを返す他なかった。


「マジかよ……」


 机につっぷして呻いたが、頭のなかではまったく別の甲高い声がこだましていた。


 アヤカの近くに陰陽師のスパイがいると、小参次は忠告した。それもあの歓楽街にいた人物となれば、トリイとラギのどちらかということになる。


「……委員長……は、ありえねーよな」

「ん? なにか言ったかしら?」


「いいや、何でもねーし? あ、ノート、後で借りるからしっかりつけといてくれよな」

「っていうか、今日も授業を受けないつもり?」


 嘆息するトリイからは悪意のひとかけらも感じない。確かに京都いきを推していたのは彼女だが、年頃の娘ならば田舎より都会へ旅行にいきたいと思うのが普通だろう。


「と……なると」

 ラギか――。

 

 彼は別のクラスで一つ下の学年だが、修学旅行は一緒になる。二年と三年での修学旅行は特殊だが、人数が少ない夜間高校なりの節約術らしい。 つまりラギにも選択権があるし、彼には女子の取りまきも多いので、彼が京都といえば京都に票をいれるものは多いだろう。


(そーいえば、ラギの奴……。昨日歓楽街に夜弥が駆けつけた時、妙にいぶかしげな表情をしてたよな。それに裏弁財を撃つとき、俺の手を握って照準をあわせてくれた気が……つーことはあいつ、仏魔と鬼化した状態の夜弥が見えてたってことか?)


 疑いたくない。だが甘いことは言っていられない現状だと理解もしている。

 裏弁財に操られていただけとは言え、赤の他人から知りあいまでが敵になると言う状況は経験済みだ。 おそらく、今度はもうそんなに意表を突かれずに済むだろう。

 特化した順応力が笑えるほどに哀しい。

 一時的な逃避を企て、アヤカは目蓋を閉じた。そのまま落ちてゆく眠りの淵はきっと、悪夢に繋がっている。


          ―――――――― ・ ――――――――


 がらんどうの教室で、ぼそぼそと喋り声がする。


『やっぱし、裏弁財ではあかんかったみたいやねェ』


 随分長い間使われていないのか、床は埃にまみれ、所々破れたカーテンは閉め切られている。

 蜘蛛の巣が張った教卓に腰掛けて、誰かが携帯で電話をしている。

 恐縮した面持ちで、人影は虚空に頭を垂れた。


「無駄に騒ぎを大きくしてしまい、申し訳ございません……」

『ええよええよ。夜弥姫の戦闘データが手にはいっただけでも上々や。仏魔が派手にやられてくれたほうが、ぼくも動きやすくなるしなァ』

「……それでも、顕人あらひとくらいは仕留めるべきでした」

『ええって。鬼童妖きどうあやかかて、ぼくが直接対峙して戦いたいんや。せっかく千年振りにおもろいことになってきたんやから、すこしでも長ァく渦中にいたいやろ』

「はい、清狂せいきょう様の御意向のままに」


 通話が切れた。だが、すぐに華奢な指先が画面をすべり、再び画面には通話中の文字が表示された。

 携帯を耳に押し当て、普段どおりの明るい口調で話しかける。


「もしもし――、先輩?」

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