肆ノ草紙 京の都へのいざない

第三十綴  訪れしは京都からのつかい

 帰宅すると、すぐさま夜弥はソファへと身体を埋めた。なかば倒れこむような動作から、睡魔と格闘しつつ駆けつけてくれたのだと実感する。

 眠たそうに欠伸を繰りかえす夜弥の元へ、ほかほかと湯気を立てるカップを運んだ。


「む、いつもの茶とは違うようじゃな?」

「ああ、コーヒーっていうんだ、飲んでみろよ」


 両手で受け取った白いマグカップに唇をつけて夜弥は未知の飲み物を味わう。むっと眉が寄り、みているアヤカにも緊張が走る。夜弥にはまだすこし早かったかも知れない。


「どうだ?」


 一拍の間を置いて、夜弥はふっと相好を崩した。


「……美味じゃな、これが〈こうひい〉か。うぬが申したとおり、香りを味わう飲み物じゃの」

「そっか。気に入ってくれたんだったら、今度はもっと本格的なのをいれてやるよ」


 最も苦みの少ないインスタントだから、夜弥にも飲めたのかもしれないが。まあ、この味にある程度慣れてから、ちょっとずつ本格的にしたらいいだろう。


「茶は葉だけど、これは豆だからな。豆の種類とか煎り具合で味が違うんだ。エスプレッソとかもうまいんだよ。委員長達と喫茶店にいくときは、だいたい俺はエスプレッソだな」

「ほお。では、きっさてんとやらにいくのも楽しみにしておるぞ」


 ソファは陣取られている為、床に腰をおろし、キサラギとトリイにメールを打つ。とりあえず、帰宅報告を送信し終えた。

 インスタント珈琲で喉を潤してから、夜弥の手に握られている竹筒について尋ねる。


「で、それなんだよ?」


 路地で合流した時には、夜弥は既にそれを持っていた。決してぞんざいには扱わず、ひとつの生命であるかの如く、小袖で温めている様子を見た時から、気にはなっていたのだ。


「これか……。そうじゃな、ここなら良いじゃろう」


 意外なほどあっさりと、夜弥は竹筒をアヤカへと差しだす。

 思わず夜弥の顔を窺いみると、夜弥は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。鋭い牙が下唇に引っ掛かり、どことなくいろっぽくて困ってしまう。


「裏弁財が落としたものじゃが、元は物の怪のものじゃ。開けてみよ」


 夜弥がこういう表情をする時、良い事があったためしがないのだが、まあ、来るなら来いとアヤカはいっきに蓋を引っ張る。


「!?」


 すぽんと竹筒が開けはなたれるのと、なにかが額に激突するはほぼ同時だった。痛みが弾け、目から火花が飛び散る。

 後ろに倒れるほどではないが、地味に痛い。


「つうぅぅっっ――ッ!」

「いたた……!」


 額を押さえてうずくまりながら、みればフローリングの上になにかが落ちていた。

 アヤカの視線が釘づけになる。

 それは、笠をかぶってたこどもの姿をしていたのである。時代劇に登場する旅がらすの格好だ。しかしながら、こどもとはいえども、身長二十センチほどの人間がいるはずもない。

 あきらかにだ。


「今度はなんでございまするか……?」


 物の怪は顔をあげ、真っ赤な髪をしたアヤカをみて、目をまんまるにする。数秒の後、ソレは鳴いた。いや、叫んだといってもいいのだが、鳴いたというのが一番あっている。

「ぴきょうぅうぅぅぅぅぅ~~!」とか、「ぴしゅぅぅぅぅぅ~~!」とか、活字にするならばそんな感じだろう。どちらにしても地球上の生き物の鳴き声とは思えないものだった。


 慌てたふうに姿勢を正し、物の怪はその場にひれ伏す。


「その赤き髪、透きとおった眼差し……鬼一族の生き残りとお見受けいたします」

「鬼? 俺がぁ?」


 なんか、とんでもないことを言いだした。


「いや、違うって、ほら、角ないだろ、俺はにんげ……」


夜弥よみみやのご解封かいふう祝いと、それにともない、お伝えせねばならぬことがあり、暗部くらぶさとより参りましたが、途中仏魔に捕らえられ……いやはや、実に不甲斐なきところをお見せ致しました」


「って、聞いてもないんですけど?」


「貴方様は夜弥ノ宮の御守護役ごしゅごやくを務めしおにと存じますが……」


「だから違うって、俺は人間! 人間だって!」


「して、夜弥ノ宮はどちらに……」


「夜弥を探す前に人の話を聞け!」


 夜弥と出会ってから、あらゆる非常事態に備えてきたつもりだが、まさか自分が人間であることを、ここまで必死に訴える日が来るとは思わなかった。


 もしかして、耳が聞こえていないのだろうか。いい加減心配になってきた頃、ひとしきりアヤカの慌てふためくさまを観賞し終わった夜弥が口を挟んだ。


「風間 小参次ふうま こさんじか、久しいのう」

「夜弥ノ宮っ!」


 今度は夜弥にむかって小参次は深々と頭を垂れる。どうやらアヤカとの会話が成立しなかったのは、彼に聞く気がなかっただけらしい。


「夜弥ノ宮、この度は産霊むすびを果たしましたること、謹んでお祝い申しあげます」


 産霊むすび――。

 夜弥とアヤカの契約を〈顕人産霊あらひとむすび〉と呼ぶと、夜弥が説明してくれたのを思いだす。この場合は夜弥が顕人の血によって、現世に降り立ったことを示しているのだろう。


暗部くらぶおさたる由岐杉ゆきすぎ様やしゅうも風の噂を聞きつけて、遥か暗部にて祝宴いわいのうたげを取りおこなっておりまする。しかしながらいまだ現世うつつよは荒れており、人心とてではなくに魅入られておるのが現状にて、夜弥ノ宮がこのような時世に降りたたれたことが真に喜ばしきかどうか、臆断おくだんしかねておりまする」


 二十センチのこどもが物憂いげな表情をするさまは、どこか滑稽だ。

 しかしながら応じる夜弥の真剣みを帯びた眼差しから、事態は想像以上に深刻なのだとアヤカは感じ取った。


 おんノ宮にこもっていれば、夜弥は何者なにものの干渉も受けなかった。戦って、傷つくこともなかったのだ。


「俺が隠ノ宮に侵入したせいで……結界が破れたんだろ?」


 ほんとうは知っていた。

 自分の存在はあの夢のような世界では異質だった。異質なものは存在するだけで、正常を壊す。うつつを浸食するのが幻で、幻を凋落ちょうらくさせるのはうつつだ。


「いいや。母様の施したる守護にも綻びが生じつつあった……時が満ちただけじゃ。そうじゃろう? 小参次こさんじよ」

「……波長の合う顕人が存在していたことが、或いはその証明とも成りましょう。夜弥ノ宮ほどの御方となれば、同調できる顕人とても、千年に一人程。しかしながら、現代において、それは仏魔側とておなじでございまする」


 ぴくりと、夜弥の柳眉が震えた。

 瞬間、針の飛んだレコードの如く、場の空気が乱れる。

 いまにも崩れてしまいそうなあやうさと、なにもかもを打ち砕くほどの激しさが綯いまぜになって、アヤカの胸を圧迫した。無風であるはずの室内に停滞する空気が、あたかも旋風の如き鋭さで、肌を切り裂くような錯覚に陥る。


「……陰陽師が?」

「いかにも、その通りでございます」


 緊迫する空気を破綻させたのは、アヤカであった。


「はあ? 陰陽師? それって、あの陰陽師かよ」

「あの、では分からん。物事は正確に申せ」


「平安京で妖怪退治に一役買った術師だろ? 紙人形に念力を乗せる式神使徒が得意で、笹の葉一枚でカエルを潰したとか聞いたことがあるぞ」


 饒舌に語るアヤカに対し、夜弥が目を見張る。


「ん? 違ったか?」

「いや、意外に博学じゃと思うただけじゃ」

「全然。表面をなぞるくらいの知識しかねーよ。ってか、お前、どんだけ俺がバカだと思ってたんだっーつの」


 父親が妖怪について調べる神学者だったことは、アヤカの教養にはいっさい影響しなかった。

 アヤカがまだ幼かったせいか、両親はアヤカが妖怪に興味を持つことを嫌がったし、叔父叔母は毛嫌いしていた。なので、知識は一般人並みでしかない。


「そうか、確かにそれくらいならば誰でも知っておろうな」

「ま、そうあっさり返されると、それはそれで傷つくんですけどね?」


 そもそも知識があったなら、夜弥との関係だってもっと上手くいっているはずだ。もう少しくらいは、夜弥の役にも立てただろう。


「陰陽師が渡来したのは、六世紀頃じゃ」

「ん? ちょっと待て、平安じゃないのか?」


「安倍清明か、確かに有名なのは其の者じゃろう。かろうじて、生き残った物の怪も清明によって封じられた。しかし、我らにとって因縁の陰陽師は、仏魔と同船して渡来せしめた恵慈弥勒えじみろくたる者よ。安倍清明とて恵慈の霊脈を受け継ぐものじゃからのう」

「霊脈?」


 疑問ばかりのアヤカを心底呆れたふうに横目で一瞥し、夜弥はあからさまにため息をついた。

 面倒そうにしながらも答えてくれるのは、今後アヤカにも関わってくる事柄だからだろうか。


「血ではなく魂の縁者えんじゃ……。生まれ変わりといえば、分かりやすいか」

「ふーん、で、その陰陽師がどうしたんだよ」


「急くな。うぬは陰陽師が何たるかもしらぬのじゃろう?」


 肯定するのは悔しいが、否定するだけの自信もない。

 けっきょく曖昧に頷く。

 夜弥はアヤカを馬鹿にするでもなく、呆れるでもなく、隠された歴史のひとつだと続けた。


「六世紀に倭へ渡った陰陽師は仏魔が物の怪との全面戦争を開始したのにあわせて、人間がいだく信仰心を仏魔に向けるために、策謀を巡らせた。権力者に取り入れば、やがては民の心をも掴むに至る……。

 そうすれば、もはや、怪に勝ち目はない。

 陰陽師がそれを知っておったのは、怪が顕人あらひととの結約けつやくによって存在を留めるように、仏魔もまた力を発揮するためには人間との契約を必要としたからじゃ。

 陰陽師とは、仏魔にとっての顕人と考えればかいし易かろう。

 人々は恵慈えじを中心とした陰陽師の策中に見事はまり、陰陽師は中務省なかつかさしょう陰陽寮おんみょうりょうに所属することとなった。つまりは官職のひとつを得たのだ――」


 ひととおり語り終えて、夜弥が珈琲を一口啜る。珈琲はずいぶんとぬるくなっていたが、喉の渇きを潤すには事欠かない。喉をしめらせ、夜弥がさきほどまでとは全く違った口調で言葉を繋げた。


「陰陽師は仏魔以上にものの仇じゃ。暗鬼あんきさまも母さまも……みな、陰陽師に殺されたようなものじゃ。直接手を汚しておらぬのがいっそうに腹立たしい」


 それは理性的な憤りではあったが、夜弥がうちに秘め、滅多に見せない感情の吐露だったのではないかと思う。怒りとも悲しみとも取れる激情で夜弥の手が震え、ちゃぷりと、残った珈琲が波うった。

 悲痛な面持ちでそれを見守りつつ、口を開いたのは小参次だった。


「仏魔にも陰陽師が必要。仏魔の領域たる仏閣ではまた別でしょうが……そうなりますると、さきほどの場所にも陰陽師の系列の者がおったやも知れませぬ」


「俺が夜弥の傍にいたように……か」


 その時、あらためてアヤカの存在に気づいたかのように、小参次がまじまじとアヤカを振り仰いできた。


「……して、貴殿は……?」


「まだ理解出来てなかったのかよ! 俺はアヤカ、いちおー夜弥の顕人だよ」

「おぉ……。ならば、仰るとおりにてございます」


 ようやくアヤカを認識したらしい小参次は、さらに続けた。

 そのはなしはアヤカに少なからず、疑懼ぎくの念をいだかせる事となる。


「あの場で正気でおられたのは、アヤカ殿と夜弥ノ宮を除き、アヤカ殿の学友の御二人だけであったと推察致します。なればこそ、お気をつけくださいませ」


「はぁ? 何がだよ」

「アヤカ殿のちかくに陰陽師の影あり、やも知れませぬ」


 断言していないからこそ、小参次が発した忠告はやけに真実味を帯びていた。

 だからだろう。気がつくと無意識の反発が、笑いのあぶくとして喉もとで弾けていた。


「はっ、んなわけねーだろ、あいつらが陰陽師だなんてありえねーよ。むしろ妖怪の類に入りそう奴ばっかだし」


 鋭利な指摘を笑いとばす。

 笑いながらも隠しきれない不快感が伝わったのだろう。小参次は「左様ですか」と言ったきり、それ以上は何も口にしなかった。


 再度、小参次は夜弥へと真向かう。


「夜弥ノ宮……、先刻の続きですが。天御門あまみかど家第二十九代目第一候補たる天御門あまみ清狂せいきょうは、恵慈えじ清明せいめい双方の霊脈を受け継ぐものであると推察されまする。現代となり、陰陽師とても弱体化の一途を辿たどっておりましたが、清狂の出現により過去の力を取り戻したと考えるべきでしょう」


「そうか……」


 なにげなく夜弥の顔を見たアヤカは思わず、目を剥いた。

 酸素を吸ったまま、肺が吐きだすことを忘失する。狂って跳ねまわる心臓の音が、鼓膜の真裏を何度も殴りつけた。恐怖にも似た驚愕に総毛立つ。

 眉を逆立て、唇を戦慄かせて瞳に鋭利な戦意を宿した夜弥は、まさしく鬼の面相だった。

 この一瞬前まで忘れてかけていた事実をあらためて、脳に刻みつける。


 夜弥は、鬼なのだ――。


 人間であるアヤカには、夜弥の妖気……あるいは鬼気とも言うべき気迫を感じ取ることはできないが、小参次は気圧されたのか、床に膝をついたまま数歩後ずさった。


「どうか、夜弥ノ宮はご自分の身だけをご案じくだされ」

「わらわは鬼一族の姫ぞ……!?」


「だからこそ、いま、しばらく身をお隠しください」

「……心得た」


 納得はできていないのか、口には出さずとも「むを得ない」と顔に書いてある。

 目蓋を絞り、激情を胸に押し戻した夜弥は、普段どおりの愛らしい笑みを取り戻す。ふっと場の空気が緩むのをみて、小参次が安堵の息をついた。

 気持ちを転換するためか、夜弥がみずから別の話題を持ちだす。


「して、暗部の怪はみな、達者に暮らしておるのかえ?」

「はい。由岐杉のじじ様に見守られて、隠れながらではございますが、いにしえと変わらず、日々の営みを続けております。都の仏閣に封印されし友のことを思うと、胸が痛みますが……」


 この小参次と言う怪は、実に軽忽だ。ほんとうなら、それを夜弥に言うべきではなかった。

 夜弥が目の鞘を外す。


「そうか、わらわも訪ね参りたいものよ」

「交通費は実費でな」


 横からアヤカがこっそりとつけ足す。

 この時はまだ、別段ほんきでいったわけではなかった。小参次の失言にすら気づいていなかったのだから、当然だ。むしろ夜弥の一言に慌てる素振りをみせたのは小参次のほうだった。


「いや、いけませぬ! これは暗部ノ怪より承った伝言の一つなのですが……」


 一瞬にして真顔になった小参次は言い利かすような声音で告げた。


「京の都に足を踏み入れてはなりませぬ――!」

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