第二十八綴 決着と新たに立ちこめる暗雲

「最後の手段が人質とは、醜いな……っ」


 呻きつつも下駄を鳴らして、夜弥がその場に降り立つ。


「扇子、捨テロ」


 屈辱に奥歯を噛み締めながら、夜弥が指示に従い、鉄扇から手を離す。カランと耳障りな金属音を鳴らして、鉄扇が無造作にアスファルトに落ちる。


 素直に従う夜弥に歓喜し、裏弁財は勝ち誇ったように赤い舌を出した。


「物の怪ハ、愚カ。ソウシテ人間ニ裏切ラレタクセニ」

「愚かか、そうかもしれぬ……」


 自分が護る人間は、自分を裏切った人間だ。

 だが、それでも夜弥にとって、トリイは特別な人間だ。夜弥の正体を知らないとは言え、友達だと言ってくれた。友達になりたいと、鬼たる自分に笑いかけてくれたのだから。


「親ト同ジヨウニ、人間ノ為ニ殺サレロ」


 ぎゅっと夜弥が身をこわばらせる。

 笛の音が甲高く、夜弥を貫こうとしたその瞬間だった。


 高音を撃ち落とすが如く、拳銃が咆えた。鋭利な耳鳴りが聴覚を奪い、裏弁財の悲鳴をもみ消す。雑踏の合間で白煙が細くたなびいた。


「間に、合った……っ」


 銃を握っているのは、アヤカだった。

 キサラギはアヤカの肩を支え、アヤカにかかる負担を少しでも減らそうとしている。


 人間でも役に立てる事はあるんだ、と。

 アヤカの目は、酷く生意気に笑っていた。


 何も見えず、聞こえないトリイは、自分の身体を抱きかかえ、くたりと地面に膝を折った。

 銃撃を受けて、手指を粉砕された裏弁財はもはや、トリイを拘束することが出来ない。拘束し直すことも出来なかった。

 裏弁財のいびつに丸まった背から鉄扇が生えていた。扇の半分以上は肉に埋まり、まさしく生えるという形容こそが正しい。


「嫌、嫌嫌、嫌嫌嫌嫌、嫌嫌――――ッ」


 無機質な刃が突き立った背から腐蝕が始まり、黒ずんだ身体はやがて影へと帰化する。地面に落ちた片影は街灯に焼かれ、一片の染みも残さず溶明ようめいした。


 途端にアヤカへと迫っていた人の群れがちからなく、地に伏していく。

 ドミノ倒しを彷彿とさせる淀みのない動きで、次々に群衆が卒倒してゆく様は、悪しきものから解放され、眠りにつくようであった。


 戦闘が終わったのを見届け、夜弥は身を翻して、路地へと身を隠す。


 解呪した状態で人に認識されるとは思いづらいが、誰にも見られないのに駆け寄ったり、突っ立っているのもみっともないだろう。

 その場一同の顔には、色濃い疲労が浮かんでいた。トリイに至っては友達に撃たれ、あたらなかったとはいえど、完全に放心している。それが誤解であることを説明するのは、骨が折れそうだ。

 取りあえず、キサラギの肩を借りつつ、アヤカはトリイへと駆け寄る。


「えー、と。大丈夫か?」

「大丈夫……だけど、びっくりしたわよ」


 立ちあがってスカートの裾を払い、トリイは怪訝な目つきでアヤカとキサラギを見比べた。


「委員長を撃とうとしたわけじゃないんです。むしろ、先輩は委員長を護るために……」

「分かってる、疑ってないわよ……でも、怖かった」


 キサラギが射撃したのならまず外れることはないが、実質照準を合わせて引き金をひいたのはアヤカだ。トリイに怪我がなかったのは、奇跡と言えるだろう。

 周囲で倒れている人々を見回し、トリイが片眉を持ち上げる。


「何があったの?」

「説明は後です、ここを早く離れた方が賢明でしょう。このままじゃ、言われのない罪をなすりつけられそうです」


ここで、アヤカがキサラギの肩にまわしていた腕を解いた。蹈鞴を踏みながらもなんとか踏みとどまる。トリイが人質に取られた時、この呪われた身体を引き摺り、キサラギのところまで人波を交わして赴いたのだ。普通に立つくらいならば何ら問題ない。


「お前ら、帰る方向逆だろ?」

「そうですけど……、先輩を送って行きますよ」

「いや、いい」


 キサラギには言えないが、刺傷はもう自然縫合してしまった。傷痕は残っているだろうが、後は呪いを回収してもらえば、それで体調は整う。

 大人夜弥と接触するのに、二人の面前では良くないだろう。


「でも……」

「お前は委員長を送って行ってくれ」

「え、私は……」

「その方がいい、な?」


 アヤカに対するキサラギの熱情を既知しているトリイは、キサラギに視線を送る。


「……いいですよ。その代わり、帰宅次第、それぞれメールを送りましょう」

「確認を取り合うのね」

「分かった、じゃ委員長は頼んだぞ」


 網の目状に広がる歓楽街の路地を分かれてゆく。



 アヤカの足取りは未だ重くひきずるようで、キサラギは心配げに一度振り返ったが、真っ赤な髪は立ちどまることなく小路へと消えていった。


 今宵だけは、眠らない歓楽街が安眠している。

 音楽だけが垂れ流され、人の気配が皆無になった路地を歩きつつ、トリイが口を開いた。


「ねえ、あの時人混みに紛れてた赤い着物のヒトって……夜弥ちゃんじゃないわよね……?

 ううん、分かってる。夜弥ちゃんはあんな大きくないし、別人だって。――でも」


 きゅっと、トリイがキサラギの袖を握る。滑らかな生地の洋服は、くしゅりとおうとつを刻む。勝気なトリイが不安を隠しもせず、友に縋るのは、……見てしまったからだ。

 夜弥とよく似た女性の額に生えた、角らしき二つの突起を。


「違いますよ」


 あくまでにこやかに、キサラギが返答を返す。

 それなのに、夜風ごと空気が凍りついたのは、その眼差しが凍りつくような凄みを帯びていたせいだ。


 夜間高校に入学して以来、親しく交流して来た友に言い知れぬ恐怖を感じた。恐怖、畏怖、どちらでも表せるが、どちらとも適当ではない。

 しいて言うならば、人間の本能へ直接働きかける威圧感のようなものだ。


「今日、見たものについては、先輩や姫ちゃんには言わない方がいい。誰にも言わずに忘れてください。それが、君の為です」

「どういうこと……?」

「そのままの意味ですよ」


 キサラギは苛立ったふうに目を細め、次に目を開く時にはいつもと変わらない温良な光を取り戻していた。何事もなかったように手を差しだし、歩き出す。


「今日は疲れたでしょう? メールをしたら、ゆっくり眠って下さいね」

「え、ええ……」


 目の前を歩くのは、柔和な気配を纏った普段どおりのキサラギだ。されど、どれだけ穏やかであっても、優しさを装ったあの冷淡な眼差しを忘れることは、トリイには当分の間難しかった。

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