第二十六綴 そなたは、わらわが、守護る

「ぐはっ……」


 相手が刃物から手を離した瞬間に身体をひねり、アヤカは背後にいた中年サラリーマンの頬を張り飛ばした。力いっぱい人間を殴ることなど滅多にない。じんじんと痛む拳をさすりつつ、脇腹に刺さったフルーツナイフを一息に引き抜く。


「ちくしょ……っ、油断した」


 傷口から溢れだす血はコンクリに無数の赤い花を咲かす。夜弥の纏っている着物を思いだしてしまったのは、紛れもなくこのなかに夜弥の血が混じっているせいだろうか。

 這いつくばるサラリーマンに追撃を加えようとして、アヤカは自身を呼ぶ声にはっと顔を上げる。


「鬼童クン! 大丈夫かい!」

「店長。はい、なんとか……」


 でっぷりと肥った巨漢が腹の肉を揺らしながら、店内から駆けてきた。店長だ。人のよさそうな顔に心配げに曇らせて、傷ついたアヤカをいたわってくれた。


「いま、救急車を呼んだからね。後はボクに任せておきなさい」

「すんません……」

「ほら、店のなかにはいって」


 店長が肩を貸してくれる。


「それにしても」


 ぼそりと背後で店長がつぶやいた。


「鬼童クンはいいよね。若いし、イケメンだし、さぞかしモテるんだろうなぁ。ボクと違って……」

「え?」

  

 急になにを言いだすのか。なにかがおかしいとおもったのがはやいか。

 パァァンッとやけに乾いた音が鼓膜を打った。


「あぁあぁぁ!」


 野太い絶叫とともに、店長のからだが崩れ落ちる。銃に撃たれ、血まみれになった手から転がり落ちたのは包丁だった。


「ボクだってもっと、モテたかった……悔しい、悔しい……」

「私には仕事がないのに、こんな小僧に……仕事があるなんて……」


 呪詛のような言葉を吐きながらのた打ちまる店長と、いまだにうわごとを繰りかえす見知らぬサラリーマン。店長を撃ち抜いた銃弾。理解が追いつかない。ただ、なにものかに狙われているという事実だけが、焦燥感と死にかけの危機感を煽る。


「なんだよ、どーなってんだよ」

「先輩! 無事ですか!」

 

 雑踏から聴き慣れた声が上がった。

 いつの間にか通りを埋めつくすほどになっていた野次馬を掻き分け、見慣れた金髪の男が駆け寄ってくる。


「ラギ……? なんでここに……」


 店長のことあり思わず身構えたが、キサラギの手に握られている拳銃をみて、彼が助けてくれたのだと知った。銃口からはまだ硝煙が立ちのぼっている。


「銃刀法違反だろ、それ……」


 黒びかりするオートマチックの銃は、おおよそ私服の学生が所持していいものではない。というか、日本国民全員だめだろとアヤカは苦笑する。


「先輩のためなら手錠くらい、いくらでも頂戴しますよ」

「冗談に聴こえないからヤメロ」

「あれ? 本気だったんですが……それより怪我、大丈夫ですか?」

「大丈夫に見えるか?」

「……見えませんね……」

「大丈夫だよ。これくらいどーってことねーし」


 何より、へばっている余裕などなさそうだ。何故ならば……。


「観客全員が飛び入り参加みたいだしな」


 ひしめく群衆は一様に瞬きをやめ、殺気だち血走った目でこちらを睨んでいた。嫉視と言うものをここまで露骨にむけられたのははじめての経験だ。誰も彼もがぶつぶつと恨み言を言いながら涎を垂らしている。すくなくとも、理性あるいきものの顔つきではない。

 それでも彼らは一般人だ。

 なにものかに操られていると考えるのが妥当だろう。


「殺さず、重傷は避けて……やれるか?」

「アヤカ先輩こそ、やりすぎないように気をつけてくださいね」


 どう考えても銃のほうが殺傷力は高そうだが、手慣れた銃撃と慣れない打撃では、危険度はさして変わらないかもしれない。ふたたび甲高い笛の音が、アヤカの耳朶を掠めた。今度こそはっきりと聞こえたが、場所は特定できない。ただしくはあたりを見まわす前に、群衆に動きがあった。


「来ますよ」


 笛が合図だったのか、群衆が一斉に押し寄せてきた。

 包丁を握る女がいる、酒瓶を抱えた男がいる、半裸のまま鞭を片手に立つ風俗嬢がいる。誰も彼もがアヤカとキサラギにむかって、それぞれの武器を振りまわし、突進してくる。

 おそろしい光景だ。

 しかしながらアヤカはなにひとつ、こわいとは感じなかった。

 Tシャツを切り裂いて腹を止血すると、物おじひとつせずに群衆へと立ちむかった。

 突進してくる若い男の腹を蹴り、横から包丁を突きだしてきた主婦の腕をつかんで投げとばす。すかさず、三人がアヤカを取りかこみ、日用品を振りまわして襲いかかってきた。眼前に迫る酒瓶をふせて避けると、背後から傘を手に迫っていた中年男性の頭を直撃した。


「がっ?」


 男は悶絶する間もなく、気絶する。

 泡を吹き、白目を剥いた様子はとても無事とは言いづらい。


「とりあえず……生きている事を祈る」

 死んでいたらどうしよう。


 どう言い訳しようかと思案する暇もなく、アヤカの頭部を花瓶がかすめていった。花瓶を投げて手軽になった少女にたいし、他の武器を見つけられる前に足払いを掛ける。

 思いきり転倒した少女は膝から血を流しながらも立ちあがった。


「成績が10点以上の人間はみんな死ね、死ね死ね死ねえええぇぇ……」

「ちょっとまって、うらやむ範囲がでかすぎねぇ!? つか、あんた10点以下なのかよ」


 諦めず、今度は爪を武器に飛びかかってくる。仕方がないので腕を抑えこみ、肩関節を外させてもらう。アスファルトに倒れこんだ少女にはもう起きあがるちからは残っていないようだった。理性が壊れても人間は人間。他の生き物よりも自分の痛みに敏感だ。


「根性ないな……って言いたいが、根性なく良かった。現代ッ子バンザイ!」


 切腹が余裕でこなせた武士だったら、これくらいで戦意喪失してくれなかっただろう。

 路地に銃声が響く。そのあいまにはやはり不気味な笛の音が絶えず、聴こえていた。あれは確か、尺八とかいう笛の音だ。なかなか場所が特定できないのは、相手が移動しているせいだろう。

 たんと踵を鳴らして、キサラギがアヤカの背後につく。


「キリがありませんね、逃げますか?」

「いや、都内に行けばもっと敵が増えるだけだ」

「正直まだ現状の把握が出来ていませんが、僕は先輩の判断に従います。先輩は絶対ですし。間違ったことは決していいませんので」

「俺はお前にどんなあくどい洗脳をしたんでしょうか」


 将来、キサラギは〈鬼堂教〉か〈アヤカ教〉を立ち上げそうだ。マジで。


 会話しながらも、キサラギの指先は器用に動いている。見事な手際で銃弾を装填し、肉薄していた人間の腕と足を射撃する。


「でも、このままじゃこっちの体力が持ちませんよ」


 言いつつも、キサラギは呼吸ひとつ乱していない。恐らく、すでに傷を負っているアヤカのことを指しているのだろう。確かに、傷は浅いとはいえない。血は止まったが、拳を振るっただけでズキリと胴まわりに痛みが走る。


「いいや、大丈夫だ。このままでも勝てる」


 アヤカは笑った。唇の右端だけを持ちあげて不敵に。

 味方はキサラギのみ。たいし敵は、現段階でも三十人を超えている。さらに増えるだろう。普通に考えれば、圧倒的に不利だ。勝てるはずがない。

 それでも、「勝てる」という確信がアヤカにはあった。


 ――夜弥が言ったのだ。


『有事の際は心の中でわらわを呼べ。何処にいても、何をしていても、必ずや参る』と。


 夜弥は眠っているかもしれない。だとしても、後すこし待ち堪えれば、必ず夜弥は加勢に来る。夢を打ち破り、睡魔を蹴散らしてでも……信頼を護ってくれるだろう。

 裏切られることの辛さを、誰よりわかっている夜弥だから。友や恋人ではなくとも。人間と鬼の隔たりがあったとしても。ひとつ屋根の下暮らすものに、おなじ痛みを与えはしないだろう。

 この事態が仏魔がらみであることは間違いない。夜弥でなければ、仏魔を滅することはできない。これだけの異常事態……、仏魔が関係しているとしか思えなかった。


「あいつは来る」

「あいつ……ですか」


 スッと、キサラギが目を細める。

 その時だった。月を両断するが如く、白銀の閃光が夜空を奔った。


 ――夜弥!


 その他の可能性は、脳裏をよぎらなかった。見間違えるはずがないのだ。鉄扇は三日月を描くように旋廻しながら、右端の路地へと消える。


 暗闇の中で、朱い小袖が揺れたのが見て取れた。


「悪い、ラギ。ちょっとだけ、ここを頼む」

「……分かりました。終わったら、珈琲を奢ってくださいね」

「おけー。俺、いつもはエスプレッソだけど、実はモカも好きなんだよな。うまい店、探しておくよ」

「はい、楽しみにしています」


 キサラギは「何故」とは訊かなかった。理由を訊かないままで、無数の敵を一手に引き受ける。繊細な見た目に隠された度胸と凶暴さは、彼本来の姿なのだろうか。


「退路、開きます」


 銃を構えた腕を真っ直ぐに伸ばし、キサラギは呼吸を整えてから、連続して撃った。

 くるくるとシリンダーが右へ回転する度に、アヤカの行く手を阻む者が転倒する。筋を切らず、されど痛感の敏感な部分を狙い、銃弾が飛ぶ。銃声に護られて雑踏を駆けると、自らも弾丸になったかのような気分になる。

 緋髪ひはつが風を切る。

 アヤカの接近を見計らって、前方の路地から白い手が差しだされた。小さなてのひらから滴るのは朱い鬼の血だ。


「遅かったじゃねえか」

「油断しおって、文句を言えるなりか?」


 言葉ではきつくいいながらも、夜弥は労わるふうにして傷口に手を触れ、呪いを送る。

 呪われた血が流れ入る感覚は快楽すら呼び覚ます違和感と激痛で、おそらく一生慣れることはないだろう。それでも夜弥が入ってくる感覚を、嫌悪することはできない。

 身体が、頭が熱い。

 熱に浮かされ、思考が纏まらなくなってゆく。ともすれば自分が立っているのか、横たわっているのかすら曖昧だ。

 世界がぐらりと揺らぎ、重力が牙を剥いた。


「案ずるな。そなたは、わらわが守護る」


 いつか夜弥へと言った言葉を、そっくりそのまま返される。

 夜弥の姿は硝煙よりも鮮やかに流れ、アヤカの脇を擦り抜けてゆく。

 間延びした赤は残像と言うよりも残照のようで、どこまでも艶美だ。すらりと伸びた四肢が、全身は見えずとも子供から大人への変容を示す。


「ら、ラギのこ、と……たの、む」

「……しかと承った」


 カランと下駄が鳴り、夜弥が離れていく。


 戦場へとむかうのだ。

 固い地面に膝をつき、排気ガスで灰色になった壁へと背中を預ける。自然と口元に浮かぶ笑みは、安堵と自嘲が入り混じったものだった。


「俺が……守護ってやれれば、いいのに、な」


 またひとつ、耳を劈く尺八の音が響いた。

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