参ノ草紙 鬼儺が響きわたる

第二十四綴 丑三ツ時に笛は響く

 深夜二時、即ち丑ノ刻。

 かつては草木も眠る丑三つ時と呼ばれ、幽霊や悪鬼羅刹が横行するとして恐れられた。丑三つ時に野外を闊歩する人間など、旅人や見まわりを除き存在するはずもなかったが、現代ではさほど珍しいものではない。

 歓楽街に面した通りは深夜二時を過ぎても人通り盛んで、ともすれば昼以上に賑やかだ。


「そこのお兄さん、ちょっとちょっと、うちの店に寄っていきませんか? 可愛い子たくさんいますよ!」


 眠らない街の片隅で、アヤカは通行人へむけて声を張りあげていた。


 コスチュームプレイ専門店である〈CHARM〉の客引きは、アヤカの生活費の三分の二を担う深夜バイトだ。本来ならば高校生は雇ってもらえないのだが、年齢詐称して働いている。


〈メイド・くのいち・制服 コスチュームいろいろ選べて 五千円!〉の標識を掲げ、アヤカはかれこれ三時間立ち続けていた。普段ならば、二時に仕事が終わり帰宅するのだが、今日は次のアルバイターが遅刻しているようでなかなか替われずにいる。


「朝までコースもありますよ!」


 他店の客引きも励んでいるので、それに負けじと腹から声をだす。

 ふと。笛の音が聞こえた気がして、アヤカは客引きの手を休める。


「……気のせいか」


 都会で音は絶えないが、深夜の歓楽街で笛など鳴らしているはずがない。そろそろ、疲労が出始めているのかもしれなかった。しかし残業分の給料をだしてくれるらしいし、三時頃までなら明日にも響かないだろう。


「最近は夜弥も、ちゃんと家で待っててくれるようになったしな」


 夜弥はもう寝ているだろうかと想像する。夜弥は意外と早く就寝してしまう。最初の頃は起きていてくれたが、風呂の入れかたを教えて、さきに眠るように言いきかせたらはさきに寝ていることが多くなった。


「家で誰かが待ってるなんて、なんか変な感じだな……」


 実質一人暮らしを始めたのは、夜間高校に入学した二年前の事だ。それ以前は叔父叔母の家で暮らしていたが、叔父らとは仲が悪く、家族とはおもえなかった。彼らはアヤカの両親のことを疎んでいたし、彼の赤い髪もまともじゃないといって気味悪がっていたからだ。


「案外、嬉しいもんなんだな……。お、そこの旦那どうです? 今なら酒類なんでも十パーセント……」


 客を呼びこもうと一歩通りに踏みだした瞬間、燃えるような痛みが脇腹に走った。腰のやや上部からわき腹にかけて、灼熱感が広がってゆく。いったい、なにが起こったのか。

 ぼたぼたと歩道へ滴り落ちる血に目を落とし、アヤカはようやく、自分が刺されたことを知った。


「こんなちゃらちゃらした若いやつよりも、私のほうがずっと役に立つのに……なんで俺がリストラされないといけないんだ……」

 

 背後から荒い息遣いとわけのわからないうわごとが聞こえる。

 身体に刺さった凶器はまだ、犯人の手を離れていない。


「く、そ……ッ」


 耳を澄ませていれば、足音が聞こえたかもしれない。気配だって感じ取れたかもしれない。どちらも察知できなかったアヤカは気の弛みを悔いたが、今となっては後の祭りだ。


 無数の悲鳴が、遥か遠くに聞こえた。

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