第二十三綴 平穏に差す影

 夕刻の街は茜色に染まり、眩い斜陽をビルの谷間に拡散していた。

 電光によって夜を封じこめ、朝焼けを喧騒でかき消したとて、夕映えだけは完全に排除することはできない。むしろ高層建築の硝子窓が光を撥ね、増長させているようにもみえた。

 いつもとなにひとつ変わらない都会の夕方……否、ひとつだけ、普段とは違うものがある。

 赤に染まる建築物のはざまを飛ぶ影があった。


「はっ、はっ……」


 体長二十センチにも満たないソレは甚兵衛羽織じんべいばおりを着た齢五つほどの子どもの姿をしていた。

 足もとにも、ビルの窓際にも、多くの人々がいきかっているが、ぬいぐるみ大の身長ゆえか、誰の目にも触れない。もし誰かがその姿を見たならば、こう叫ぶだろうか。


「妖怪だ」「妖怪が現れた」と――。


 小さなは両手に持ったうちわを羽ばたかせて、都会の空を滑空する。


「撒いたか……。ここから、夜弥よみ様の宮までさほど距離はない、一刻も早くむかわねば」


 僅かに飛ぶ速度を落とし、荒い呼吸を整える。

 ふと見おろせば、ビルの膝もとに小さな朱の鳥居が奉られていた。唐紅は倭の血の色だった。だからあの朱は同胞の血そのものである。

 仏閣に赤い色が使われるのは、領土征服の証なのだ。


「まさか、ここまで仏魔の手が伸びているとは……。いや、倭の何処へ行こうと仏魔の支配から逃れられぬのはおなじか」


 人は気にもとめないが、物の怪は鳥居を睨み、歯痒さに目蓋をぎゅっと絞った。

 しかしながら嘆いていてもどうにもならない。うちわを握る手を振い、ふたたび全速力で前進する。ビルの角を曲がろうとした瞬間、彼の顔面を不自然な影が覆った。


「き、貴様は濡れ……」


 驚愕と恐怖に塗り潰された呟きを残して。

 物の怪が、消えた。

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