第二十二綴 千五百年分の孤独

 どん、と!!

 目の前に置かれた、人間の甘味にたいする欲望の権化。パフェという名のバベルの塔が眼前がんぜんにそびえていた。


「おお、これじゃこれじゃ」


 一同の沈黙を打ち破り、夜弥が歓喜の声をあげる。

 夜弥が選んだマロンクリームパフェはそうとうに甘そうだったが、確かに美味しそうだ。マロンアイスが乗せられた上にクリームがたっぷりしぼられ、さらにマロングラッセが頂に乗っている。下はババロアとクリームの二重構造になっており、最下層はお決まりのコーンフレークだ。亜麻色のクリームがフリルのごとくグラスの縁を飾り、カロリーとは裏腹に可愛らしい。しかしながらそれもふつうの大きさをしていればのことである。

 七十センチを超える硝子の器に盛られたマロンクリームが迫りくる様は、食欲をさしおいて早くも胃もたれを呼び起こした。


「これ、誰が食うんだよ?」

「私達に決まってるでしょ。さ、みんな、どんどん食べて」

「先輩とおなじものを食べられるなんて、感激です」


 こういった大食いむけの食べ物は、頼んだ時は異様にテンションがあがるのだ。だが、いざ前にすると……スプーンを片手にたじろぐアヤカだったが、隣では夜弥が目を輝かせていた。


「ほんに下界には珍妙なものが溢れておる……!」


 甘いものを前にして興奮する姿は外見年齢以上に子供っぽくみえる。はじめて夜弥を見た時はただただ美しいと想ったが、甘い物を前にして騒ぎ立てる様は可愛い。


「で、お前、なんでパフェなんか知ってんだよ」

「決まっておろう。てびれ……? てれび? とか申す、窓のなかで紹介しておった」

「あぁ、なるほどグルメ番組で見たのか」


 夜弥が退屈して勝手に外出することを恐れたアヤカは、テレビの操作方法を教えておいたのだった。夜弥はたちまちテレビを気に入り、テレビにむかって返事をしながら、くぎづけになっていた。結局、半日で飽きたようだが。


「では、頂くぞ……」


 小さな口を開けて、夜弥は恐る恐るマロンクリームを舌の上に乗せる。唇と一緒に目蓋も閉じ、ゆっくりとクリームを口内で溶かしてゆく。 やがてこくんと喉が上下し、瞳を見開いた夜弥は驚嘆した。


「ん……美味じゃ! なんと濃厚な味。甘い香り……。舌が溶けてしまいそうじゃ……! これほどまで美味な食べ物がこの世に存在していようとは……」


 ふるふるとスプーンを握った右手を震わせ、夜弥は夢見心地で目を細める。鬼の姫がたかがパフェに心を奪われ、うっとりと陶酔した笑みを浮かべていた。


「人間界に降りてからは鬼の姫も形無しだな」

「や、喧しい……ッ!」


 こそっと耳打ちすると、さすがに我に返ったが、もう一口クリームを含むとまた頬が弛緩する。いまさらながら、夜弥は人間なのだと思えた。いや、実際は人間ではなく物の怪……それも鬼の類なのだが、人間と近しい存在なのだと再確認できた。美味しいものを食べれば幸福だし、はじめて見るものには興奮を隠せない。

 裏切られた時、胸が痛むのも。ひととおなじだ。

 

 昨晩聴いた物の怪の歴史を思いだして、アヤカはチクリと心が痛む。


 しかしながら、いまは目を開ければ夜弥が笑っている。

 いまにもとろけそうな夜弥の笑顔をみていると、こちらまで幸福感に満たされた。威厳のかけらもない姿であっても、これはこれで魅力的だからズルイ。

 一口二口と食べているうちに平静さを取り戻した夜弥は、ふと思いだしたように首を傾げた。


「なあ、がっこうとはなんじゃ?」


 これにはアヤカとて、一瞬ぎょっとすることを禁じ得なかった。

 現代の日本に暮らしながら学校を知らないなど、異常だ。キャラづくりとして受け入れるのにも無理があるだろう。案の定、同級生ふたりとも絶句し、パフェを崩す手をとめて夜弥に注目する。


「同じ衣を身にまとった人間で数列にならび、あたかも監獄のごとき光景じゃったが、そなたらが重罪を犯したとは思い難い。何をしておったのじゃ?」

「夜弥……」


 暑くもないのに、頬から顎へかけて汗が流れた。夜弥をとめようとするが、どうしたらいいのかわからない。トリイもキサラギも変人ではあるが、愚かではなかった。誤魔化す術がない。


「ねえ、鬼童君……。もしかして、夜弥ちゃんってなにか、事情がある子なの?」


 昨今、家庭になにらかの問題を抱える青少年が増加している。

 トリイは紛れもなくそのひとりであるし、本人に自覚は薄いもののアヤカだってそうしたものと無関係ではない。 人の痛みが分かるトリイだからこそ、夜弥と真っ直ぐにむきあいたいと望んでいる。それがわかっていながら、アヤカは答えることができずにいた。


「……夜弥ちゃん、あのね」


 重い沈黙を破り、言葉を発したのは答えるべきアヤカではなく、トリイだった。


「学校は勉強をするための場所だから、確かに勉強がキライな子にとっては牢屋みたいかもしれないけれど……、夜間高校にかよっている子の半分以上は学校が好きで通っているのよ。もちろん学歴がないと就職できないから嫌々来てる子も少なくはないけど、でも、すくなくとも私は学校が好きだから通ってる。如月君や鬼童君もきっとそう……」


 真面目な面差しながら、声色は優しく諭すようだ。


「友達ができるから、通ってる。友達に会いたいから、通ってる。だからあそこは監獄なんかじゃなくて、私にとっては大切な居場所のひとつなの」


 晴れやかにトリイは笑った。

 たいし、夜弥はどこか羨望のこもった眼差しでトリイを仰視し、弱弱しく呟く。


「……わらわはがっこうになど、行ったことはない。友達などできたことがない。必要だとも思わなかった……じゃが、ひとりは、寒いのう……」


 独白の響きを宿した言葉のひとつひとつが、哀しい色をしていた。

 陸を知ってしまった乙姫は、はじめてに海の冷たさを知る。友を知ってしまった鬼の姫も同様だ。憧れ、求め、それでも手は伸ばさない。

 それは聡さなのか、それとも臆病なだけなのか。


 小さな手を取ったのは、アヤカだった。

 長い黒髪をかきあげ、耳元に顔を近づける。


「必要なんだよ、お前にも。必要として、いいんだ」


 夜弥の玉盤を想わせる双眸が満月とおなじくらいに丸くなった。彼女は自分の正面に座るトリイとキサラギを見まわす。


「私達じゃ駄目かな? 私は夜弥ちゃんの友達になりたいよ」


 アヤカがなんと囁いたのか聞こえたらしく、トリイはそっと夜弥へ手を差し伸べた。続けて、キサラギも柔和に微笑んで女性的な手指を伸ばす。


「わらわ、わらわは……」


 ゆっくりと、夜弥がテーブルに指を這わす。

 トリイとキサラギの指先に触れようとした瞬間、彼女は動きをとめた。怖気づいたのか、夜弥は自分の指さきに視線を落とし、やがて手をひいた。

 次に顔をあげた時にはもう、夜弥ははじめて逢った時となにひとつ変わらない鬼の姫としての威厳を宿していたから、アヤカには夜弥がどう答えるか、わかってしまった。


「そなたらの厚意は嬉しい。されど、わらわはまだ、そなたらと友にはなれぬよ」


 裏切りを恐れているわけではなく、人間を憎んでいるのでもなく。

 ただそういう事なのだと、夜弥は空疎に笑う。

 そこに何かを感じ取ったのか、キサラギが頷いた。


「そう、分かったよ。でもいつかその時が来たら、委員長と僕を姫ちゃんのはじめて友達にしてね。先輩以外で、最初の友達は僕と委員長……いいよね?」

「私、待ってるから。約束よ? 夜弥ちゃん」

「ありがとう、そして……すまない」


 それでも、夜弥は嬉しそうだった。

 へだたりはあるだろう。それはきっと千五百年分の確執で、かんたんに取り払えるものではない。おそらく、夜弥が暗鬼との約束を果たすまで、物の怪と人間は再びにはまじわれない。

 だが、夜弥はいま、童のように笑っている。


「それだけで、いまはじゅうぶんだよな」


 テーブルの真下で、アヤカは誰にも知られず拳を握りしめた。片手だけのそれは所詮、不完全な祈りだ。神様とやらに届くとは思いづらいが、それでもには伝わるかもしれない。


 十五世紀もの間、孤独と闘い続けた鬼に平穏を――。

 千年五百年の痛みを癒すちからなど持たない人間風情は、ただひたすらに、祈るしかなかった。

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