第二十一綴 鬼の姫子は ぱふぇなるものを所望

「おま……っ!?」

「探したぞ、アヤカ」


 ぱたりと扇子で口元を隠し、夜弥は妖しく微笑む。

 誰もが見惚れる嬌笑だったが、いまのアヤカに心を奪われている余裕はなかった。アヤカは乱暴に夜弥の袖をつかむと、とりあえず廊下へと連れだす。


「なんじゃ、無礼は許さぬぞ」

「お前こそ何のつもりだよ。部屋から出るなってあれほど言っておいただろ!?」


 しゃがみこみ、誰にも聞こえないよう声をひそめつつ、怒鳴る。

 かろうじて角は、前髪で隠れているが……。


「うぬの部屋など慣れれば座敷と変らぬ。退屈じゃ」

「あそこで何百年も過ごしたんだろ。だったら、一日くらい我慢してくれよ」

「座敷から解き放たれたいま、何故わらわが我慢などせねばならぬ」


 つんと澄ました顔でそういわれ、アヤカは頭痛がしてくる。


「ワガママ姫さんが、素直に言う事を聞いてくれると思ってた俺が馬鹿だったよ……。で、どうやってここまで来たんだよ」


 マンションから学校まで距離的にはそれほど遠くないが、ごみごみとした繁華街を通らなくてはならない。バイトから一度家に戻った際に「学校へ言ってくる」と言い残したが、場所も教えなかったし、夜弥は《がっこう》という言葉自体知らないようだった。

 人間の暮らしについては書物で勉強をした、と夜弥は自慢げに語っていたが、源氏物語や御伽草子などが主な資料だったらしい。現代の文化をいっさい知らなかったのも頷ける。


「よく車にはねられたりしなかったな」

「周りの人間に倣って歩いたからな。しかし、光る目をした鉄の獣……あれには度肝を抜かれた。あれが〈くるま〉というものか? 仕組みは……」

「あー、それはあと。それより俺の質問にまだ答えてないぞ」


 慌てて廊下に連れ出したが、扉越しにトリイとラギが不審げに騒いでいるのが聞こえる。このままでは、よけいに変な誤解をされかねない。


「最も新しきうぬの気配を追ってきただけじゃ」

「よく入れてもらえたな……」

「ほほ……っ、わらわは鬼の姫ぞ? 進んで道を開けおったわ」


 なにかの術を使ったとしか思えないが、夜弥が人間に危害を加えることはしないだろう。

 ちょうどその時、引き戸が開かれ、トリイが顔をだした。


「その子が親戚の子なの? ちゃんとわたしに紹介しなさい」

「えっ、あ、ああ! 俺の従妹なんだ。こんなとこまで来て、困ったものだよな」


 夜弥をかばうように立ちながら、アヤカはこそっと夜弥へ目配せする。夜弥はそれを受け取ったようで、トリイにたいして芝居打ってくれた。


「夜弥じゃ。しばし、アヤカと寝食をともにする……お見知り置きを」


 いっさい改善されていない古風な口調に、アヤカは内心慌てる。着物姿も当然異質だが、夜弥の場合、最も不審なのは人称を含む喋りかただ。現代でこんな喋り口調をする人間はアニメや漫画のなかにしかいない。

 当然、トリイは夜弥の異様な風体と言動に硬直した。

 目を見張り、夜弥を凝視する。夜弥が鬼であることに気づいたかのごとき挙動だった。艶やかな髪から着物のしたからのぞく下駄まで眺めまわし、トリイは絶叫した。


「萌え――――――――――――――ッ!」


「…………はぁ!?」


 トリイがなにを叫んだのか、その場にいる全員、理解が追いつかなかった。 アップロードの間にもトリイは矢継ぎ早にまくしたてる。


「ねえ、誰!? この子にこんな素晴らしいコスプレをさせたのは!? 一片の暖色も混じらない日本髪、少女でありながら妖艶さも兼ね備えた日本独特の美貌……! これこそ、究極のヤマトナデシコだわ! その上、キャラづくりも完璧だなんて……彼方とその服を着せた人はコスプレのなんたるかをちゃんと理解してる! そうなのよ、コスプレっていうのはね、心まで別の人物になってこそなのよ! 外見だけ飾ってるだけじゃそれはただの仮装! あー、お持ち帰りしたいくらいだわ……っ」


 うっとりと眼を細め、身体をくねらせるトリイは、完全にスイッチが入ってしまっていた。 トリイの変貌を見慣れているクラスメートは「またか」と呆れ、各々の日常に戻ってゆく。

 たいし、アヤカの隣で夜弥は怯えきっていた。


「あ、あれはなんじゃ……狐憑きか? もしや、狗神憑きかえ?」

「憑きもんじゃねーから」


 そんな悪質なものではない。


「あいつは普段は真面目なんだけど、一度スイッチが入ると……仮想現実って分かるか? 現実に存在しない創作の人物とか物語にのめりこんで、現実と混同するつーか、そーゆー性癖があるんだよ。同性愛もしかり」

「ま、待て! 一気にややこしき事を申すでない」


 が、一気に言わなければ、目前までトリイが迫っていた。


「出来れば、なんのキャラのコスプレか教えて欲しいわ! ア、アタシが当ててもいいんだけどねっ! ヒントくらいは欲しい、かな! 声優とか」

「こ、こすぷれ……? きゃら……?」


 いまにも目がぐるぐると回り出しそうだ。

 いつもしてやられているアヤカとしては、夜弥が混乱している様は貴重で見物みものだが、放置しておくと後が怖い。それにそろそろ、本気で泣いてしまいそうな怯えっぷりだった。


「それは、夜弥の母親が考えた自作のキャラクターのコスプレなんだ。ブログで自作小説をアップするのが好きな母親でさ、だからさすがのお前もしらねーのは無理ない」

「そうなの。お母様が書いてる小説、読んでみたいわ……」

「ま、機会があったら聞いてみとくよ」


 この場を切り抜けられれば、後はどうとでも誤魔化せる。人の話を聞く程度には冷静さを取り戻したトリイの射程距離から夜弥を取り戻し、アヤカは焦りを堪えて、作り笑いを浮かべる。


「ともかく、俺、こいつを送らないといけねーからさ」


 主にキサラギにたいして、アヤカが言う。

 しかし、ここで夜弥が思い出したように口を挟んだ。事実、今の騒ぎで忘れていたのだろう。


「おぉ、そうじゃ。アヤカ、わらわはうぬに頼みがあって参ったのじゃ」

「ん? なんだよ?」


 また事件に巻き込まれるのではないだろうかと身構え、ここで話しても良いことなのかと懸念するアヤカだったが、夜弥は無邪気にこう告げた。


「わらわは〈ぱふぇ〉なるものが食したい。即刻、用意せよ」

「ぱふぇ?」


 舌足らずの単語に、アヤカが訝しげな顔をする。

 すかさずアヤカを押しのけ、トリイが身を乗りだした。


「パフェ! パフェね! いいわよー、お姉ちゃんがおごってあげる」


 知り合いでなければ「知らない人に着いて行ったらいけません」と言って、連れ帰っただろう。不審者オーラ全開のトリイをみて、夜弥は珍しくアヤカに判断をゆだねる。


「いいでしょ、鬼童君。一緒にお茶しに行くくらい」

「……レンタル料次第だな」

「むぅー、分かったわよ。鬼童君にも何かおごってあげる」

「ご自由にどうぞ」


 見事に金で売られた夜弥は、芝居がかった仕草でお辞儀するアヤカを睨む。「後で祟るぞえ」と呟く声は、されどレストランで注文するものを思案しているアヤカには聞こえなかった。


「僕もご一緒して良いですか?」

「いいけど……、さすがにキサラギ君の分は自腹で払ってもらうけどいい?」

「もちろんですよ。あ、なんなら僕がみんなの分も払いましょうか?」


 夜間部に通いながら、さらりとそんな事を行ってのけるのはキサラギくらいだ。首にかけられたシルバーアクセサリーとて、千円単位のものではないのだろう。 それでも誰もやっかまないのは、彼の人格の賜物……ではない。


「いいわよ。私が言いだしたんだもの、それくらいは出せる」


 他のクラスメートと話しながらも、トリイは夜弥の傍を離れない。妹を可愛がる姉を思わせる構図だ。実際にはコスプレ少女を愛でるオタクの図だが。


「じゃ、行きましょうか。場所は〈セバスチャンカフェ〉で……」

「明らかにお前の趣味の店だろ、却下」

「えー、しょうがないわね……。なら、駅前の〈どっきり! マリオ〉でどうかしら?」

「ああ、あそこなら深夜でもやってるしな」

 

 今日はじめて会った人間に食べ物を奢られることに抵抗があるのか、夜弥は遠慮がちに大人しくしている。伏しめがちにトリイを見あげ、ぼそぼそと礼を述べた。


「も、申し訳ない……その、お礼もできず……」

「んもう、夜弥ちゃんはそんなに恐縮しなくてもいいのよ?」


 いま思えば、夜弥がアヤカ以外の《人間》を見るのは千年以上ぶりなのだ。千五百年前の裏切りを知る夜弥にとって、人間は愛しくも恐ろしい存在である。怯えるのも当然だろう。 しかしながらトリイやキサラギが夜弥のトラウマを喚起させるとは思えなかった。なにせ、こんな髪をしているアヤカとも偏見なく、親しくなってくれたふたりだ。これも社会見学の一種として放置しておく。


「早く行かね? 俺ハラ減ったし」

彼方あなたはもうちょっと礼儀というものをわきまえなさい!」


 談笑しつつ廊下を歩いてゆく。

 夜間部の生徒ばかりが行き交う廊下は、昼ほど賑やかではなかった。みなバイトがあるせいか、みな急ぎ足で廊下を過ぎ去る。普段ならアヤカやトリイもその一人だ。

 等間隔に配置された窓からは、満月から僅かに欠けた月が垣間見える。けばけばしい繁華街のネオンにかき消されそうになりながらも、穏やかな月光を投げるその様は静謐で美しい。


 月さえもが鬼の姫の解放を喜び、見守っているようだった。

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