第十九綴  鬼の姫子の禅問答

「次はわらわの質問に答えてもらうぞ。よいな?」


 そううながされて、夜弥が千五百年振りに人間社会に降りたった事を思いだす。これまで自分のことばかりで、夜弥を気遣う余裕がなかったが、一番困惑しているのは夜弥だろう。 難しい事を訊かれてもこまるが、精一杯応じようとアヤカは気負う。

 夜弥の顔がすっと真剣さを増し、閉じた鉄扇の先で天井を示した。


「アヤカ、あれはなんじゃ?」


 つられて見あげたさきには、蛍光灯しか見当たらない。


「あれ……って、どれだ?」

「ほれ、あれじゃ。あの日輪が如く輝きを放つ、円板じゃ」

「…………はあ?」


 目に映るとおり、蛍光灯のことだと気づいたとき、思わず間抜けた声が漏れた。


「何を阿呆のような声を出しておる。昨今では、人間は小まき太陽までも創造せしむるのかえ?  眼を貫く鋭き光じゃな。だいぶんと慣れたが、げに恐ろしや」


 確かに行燈と比較すれば眩しく、太陽に見えなくもないが、真剣に不思議がる夜弥の様子は笑えてしまう。が、あからさまに揶揄すると機嫌が悪くなるのは目にみえているため、真面目に答えてやることにした。


「あれは《蛍光灯》つってだな、電気で光ってるんだよ」

「でんきとな?」

「えーっと古風な言葉でいうと、かみなり? いかずち?」

「雷鳴など鳴っておらぬではないか。それに……これは、雷神の力をぎょすだけの器なのかえ?」

「うあ、なんかカミサマ出てきたんですけど?」


 一気に、説明する気が萎える。蛍光灯を示された時点で、すでに萎えていたが。

 開いたままのカーテンを指差し、簡単に電気の説明から始める。


「電気ってのは雷のもっと弱いやつだよ。ちなみに雲じゃなくて、発電所つーとこで人間が作ってる。窓の外に紐が張られてる柱があるだろ? あれを伝って発電所からうちまできてんだ」

「ほう……?」


 アヤカの説明では分かりづらいらしく、夜弥は片眉をあげて窓の外と蛍光灯を見比べている。

 やがて、腑に落ちたのか諦めたのか、夜弥があらためて質問をぶつけてきた。


「して、〈でんき〉がどのように作用して灯りが燈っておるのじゃ」

「……あー、やっぱそう来たか」


 実に、面倒な事態になった。

 目を泳がせ、科学の授業あたりを思い出してみるが、正式な仕組みなど覚えていない。目と鼻の間を揉みほぐしつつ、数十秒のシンキングタイムを頂戴する。確か、硝子球にガスを封入して抵抗線フィラメントを入れ、それに電気を通すのだったか。

 されど、これを言うと今度は抵抗線とは何かという話になるに決まっている。そうなったら、もはや答える術はない。「抵抗する線だよ」と答えた日には、どんなさげすみの目を向けられるか。


「……エジソンに聞いてみろ」


 結局、アヤカが選んだのは故人への丸投げだった。


「えじ、そん……? 江地えじそん殿か?」

「あーそんなカンジ?」

の者は誰じゃ、うぬの知り合いか?」

「俺は会った事はねーけど、蛍光灯を発明した奴だよ。遠いとこにいるから、もし会えたら直接訊いてみろよ」


 地上を彷徨っていなければ、霊界にいるだろう。普通は死んだ人間には会えないが、夜弥ならば霊界でも自由に行き来できそうだ。と、勝手に過大評価してみる。


 アヤカはさらに追及される前に「これで話しは終わり」とばかりに席を立った。

 夜弥はあれだけ熱心に話してくれたのに、いい加減な対応をして申し訳ないとは思うのだが、このままではキリがない。その上、夜弥の質問に答えるのには恐るべき精神力を要する。

 正確には詰問を受け流して誤魔化すのには、だが。

 どちらにしても疲れ切った身体にこれ以上の議論は致命的だ。


「っ――」


 しかし鬼の姫がそう容易く解放してくれるはずもなかった。ひしりとアヤカの袖を掴み、引き寄せる。蛍光灯を浴びて、夜弥の唇が妖しげな色彩で艶めいた。


「今日は眠らせてやらぬぞ?」


 アヤカの声なき悲鳴が扇風機の羽に巻き取られてゆく。

 言葉だけ色っぽいのが、なおさら酷だった。

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