第十七綴  斯くて物の怪がたり

 時を遡ること千五百年――


 かつて、倭にはが棲んでいた。

 怪は万象を護り、穏やかに巡る四季をもたらして人々の暮らしを支えた。人間は怪の助力あっての恵みと心得て、物ノ怪に畏敬の念を捧げ、同時に親しき友朋ゆうほうとして良好な関係を築いていた。

 人は田畑を耕し、は優しい緑雨りょくうで種の芽吹きを促す。人が笑えば怪も笑い、怪が泣けば人も悼み悲しんだ。

 人と怪はそうして共存していたのだった。

 

 だが、ある時、海のむこうより数多の船が倭へと渡来した。

 異国ノ怪を乗せたその船を最初に発見したのは海に暮らす物ノ怪。温厚な倭ノ怪は、異国よりの訪れた客人まれびとを快く迎え入れるつもりであった。


 ――しかし


暗鬼殿あんきどの! たったいま、日向灘ひゅうがなだより使者が参りました!』

『あぁ、暗鬼さ、ま……』


 当時、最も多くのが暮らしていたのは、京の北東にそびえる鞍馬の山郷だった。よって物ノ怪でも高位のものはみな、鞍馬山――古名〈暗部くらぶ〉より下界を守護していた。 暗部へと訪れた日向の使者は瀕死の身体を引きずり、暗部の長たる暗鬼へとこう訴えた。


『……昨夜、我が日向の郷が壊滅……致しました……!』

『何? 一体、如何なる者の仕業じゃ!?』


『渡来した異国ノ怪が突如として牙を剥き、日向ひゅうがの長を切り捨てし後、郷を焼き討ちに……! 女子供も全員焼き殺され……郷で生き残りし怪は、我のみでございまする』

『な、んという……』


『暗鬼殿に御伝えすべく、ここまで踏ん張りて参りましたが……。遁走の最中、背に呪針しゅしんを打たれましてございます。呪は心の臓まで至りましょう。明日の朝は迎えられますまい……』

『弱気になってはならぬ! そなたは生きるのじゃ、はよう手当てを』


 施術を行おうとする者達をとめ、日向ノ怪はなおも暗鬼の黒い着物の袖に縋りついた。

 声を振り絞る度、目下めもとに色濃く浮かび上がる死相が痛ましい。彼は自分がもう生きられないことを悟っているのだ。それならば、無理に座敷へ移動させるべきではないと思えた。


『暗鬼様、どうか……異国の魔の手より我らが友朋ゆうほうを、倭の人々を御護りください……』

 

 そこまで言って、日向よりの使者は意識を手放し、二度と目蓋をあげることはなかった。


 異国ノ怪は敵であるとの報せは、風ノにより瞬きのうちに倭全土へ広がったが、その時にはすでに五つの郷が侵略され、実に一千と五百二十の物ノ怪が無残な屍を曝していた。

 倭ノ怪は争いを好まなかったが、この時ばかりは異国ノ怪と激しい紛争を繰り広げた。異国ノ怪は呪力をもちいて多くの物ノ怪を葬ったが、倭ノ怪が倭で敗北するはずはない。優勢だったのは暗鬼率いる倭ノ怪だった。

 あと少しで倭を凌辱した渡来人を追いかえし、倭を奪還できるとおもわれた矢先、急激に異国ノ怪のちからが増した。

 あるいは倭ノ怪の神力が弱まったのか。

 どちらにしても戦況は一転し、最終的には異国ノ怪が倭を圧倒したのだった。


 鞍馬の生き残りと甲斐国より加勢に参上した山ノ怪、あわせて百余名を残して、倭に息衝いていた物ノ怪は絶えた。それでもなお、物ノ怪達は異国の軍門にくだることはなかった。倭に生きる人々を護る為、暗鬼を筆頭として最後まで戦い続けた。

 戦い続ける、つもりだった。


 しかしながら、怪の前に立ち塞がったのは他でもない倭の人間であった。

 暗鬼が、物ノ怪が、なにに変えても護ろうとしたものは、されど怪をみるなりこう叫んだ。


『バケモノじゃ、鬼じゃ!』


 怪を睨む視線は冷たく、怪を蔑む言霊は尽きず。

 人間は物ノ怪をことごとく、しいたげ、迫害した。


『何故――――ッ!』


 暗鬼の悲痛なる叫びに、返答がなされることはついになかった。だが、人間の持つ札に描きだされた仏の姿をみたとき、聡明なる暗鬼はすべてを理解した。


 倭の人間は異国ノ怪に迎合したのだ。


 倭ノ怪は森羅万象を育み、人の心に生の歓びを与えてきた。だが時が経つにつれて、人間は天恵に感謝の念をいだくことがなくなり、すべてを当たり前だと感じるようになった。


 次に人間が欲するのは目に見える財や権力だ。

 異国ノ怪は、そうした人間の欲求を満たすことに長けていた。間接的ではなく、目に見えて分かる変化を与えてくれる。なにより、仏にたいする信仰は逃れられない死の恐怖を忘れさせてくれた。

 人間は財や権力という見える喜びを欲し、さらには死後の安息を確約する存在を求めたのだ。護るべきものに裏切られたは戦意を喪失し、せめて人を傷つける前に刀を捨てた。戦を放棄した怪はその身に呪いの杭を打たれ、倭の地深くに封じられる。


 斯くして怪は異端とされ、後世には恐ろしき妖怪の伝承だけが語り継がれたのだった。

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