第十二綴 鬼の姫子と血の約定を
「うぬがその媒体と成れ」
やっぱりかよとアヤカがのけぞる。
「はぁ? 俺、ただの人間だぞ? 呪いなんか受けたら死ぬんじゃね?」
「なあに、全てを移流するわけではなきゆえ、最悪の場合でも死にはせん」
夜弥は月盤の双眸でアヤカを見据える。アヤカが渋れば死ぬのは夜弥も同様だ。自分がそうであるように、夜弥もまたアヤカに命を賭けている。
「わらわと血の約定を交わせ、
「……くっそ……」
見通しが利かないせいか、順番に床を踏みつけながら、土蜘蛛が接近してくる。着実に縮められてゆく距離がアヤカに決断を促す。
女である夜弥に戦わせたくないという意地も、アヤカのなかにはあった。しかし土蜘蛛と比較すれば弱小だった女郎蜘蛛にさえ苦戦を強いられたアヤカに勝てるわけがない。
「しゃーねー、勝手にしろっ」
やけくそぎみに叫んで、アヤカは差しだされた小さな掌に自分の手を重ねる。
夜弥が髪に挿していた椿の花簪をひき抜いた。アヤカが「ちょっ、まっ」というあいだに、夜弥はアヤカと自分の掌を簪で串刺しにしていた。
「ぐぁっ……」
「男なら声を出すな、これはわらわとて痛い……っ」
ひとつに繋ぎあわされた掌からは鮮血が溢れ、ふたりの血が混ざりあう。
瞬間、どくりと。心臓が跳ねた。
掌から腕、腕から胸に夜弥が拡がり、満ちていく。激痛と、異物が血管のなかを流れる違和感にもだえながらも、けっして不快ではない。むしろ夜弥が流れこんでくるような感覚は痛みを孕んだ歓喜だった。
真っ赤な雫が手の甲に伝い、紅玉のごとき粒がぽろぽろと床板を転がる。畳とは違い、板は血をなかなか吸いこまない。アヤカはいつまでもそれを眺めていた。
たいし、夜弥は契約の間中、ずっと愛しげにアヤカだけを見ていた。
「誓いの言葉などいらぬ。ただこの呪いを受けよ」
熱に浮かされた目でアヤカは夜弥へと視線を流す。すると夜弥のすぐ背後まで、土蜘蛛の爪がせまっていた。
「! ……夜弥……ッ」
荒い呼吸のあいまで苦痛にひしゃげた声をあげた。夜弥は気づかない。あるいは気づいて、なお動けないのか。
その時だ。
アヤカが着ていた着物の裾からなにかが飛びだした。
ザンッと。
風音をあげて振りおろされた凶刃を、紙一枚の薄さで阻む。
「マイヅル……さ、ん?」
びりびりと空気が震え、千代紙が
衝撃で
背中越しでも何かを感じ取ったのか、重ねた夜弥の手指から震えが伝わる。
「……最期まですまぬ。だが、おかげで約定は結ばれた」
掌が離れた瞬間、夜弥の姿が墨絵のごとく流れた。
輪郭がぼやけ、煙に雑ざりつつも、
「夜、弥か?」
だが、アヤカの口をついたのはそんな問い掛けだった。
厳かな空気を身に纏い、佇む姿は夜弥に違いない。あれほどまでに美しい女性が他にいるだろうか。
……そう、女性。
目の前に凛とたたずんでいたのは幼い少女ではなく、アヤカとおなじ、或いはひとつかふたつほど年上とも思える女性だったのだ。
身に纏った着物は袖もたけも足りておらず、太股まで露わとなっている。蝋をぬったようなきめ細かい素肌はどこか人形じみているが、透けてみえる血管がかろうじて血の通った生き物であることを表していた。はだけた着物の衿もとからは豊満な胸がいまにもこぼれそうになっている。
呼吸さえ忘れるほどに妖艶だった。
彼女は髪をなびかせアヤカを振りむくと、ぽったりと紅を乗せた唇で微笑む。
「そこで待っておれ」
古風な命令口調は紛うことなき夜弥のものだ。なにより額から伸びたふたつの角は、鬼の姫たる彼女のみが持ちうるもの。
ならば。
「怪我すんなよ、鬼の姫さん」
ずきずきとした激痛を押しのけて、アヤカは答える。
鬼と呼ばれて笑う女は毅然とした足取りで、土蜘蛛のもとに進んでいった。
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