第十一綴 仏なる魔
「可愛い女を護るのは、男として悪い気持ちもしないしな」
アヤカはひょいと、右腕だけで夜弥の身体を担ぎあげた。
「ひゃ……っ」
「ははっ、男に触れられんのは初めてか? 箱入りの姫さんよぉ」
夜弥を傷つけないよう刃先は背後にむけ、軽口を叩きながらアヤカは黒煙と炎の渦に紛れる。
『ドコダ、ドコニ隠レオッタアァッ』
遁走したアヤカを探して土蜘蛛が蝋燭を倒す音が聞こえた。廊下に出れば視界ははっきりするが、相手にも見つかりやすいだろう。座敷のなかで隠れられる場所を捜索する。
「……っ、わらわを愚弄するか」
すぐに厳しい罵声がかえってきたが、キレはない。
右肩に乗せた夜弥の顔を覗きこんだアヤカは、頭の
窮地のなかにあっても、一瞬で魅入られるほどに。
夜弥の素顔は愛らしかった。
小ぢんまりした
可憐、妖艶、美麗、優雅、どのような言葉でも語りつくせない。如何なる美女も裸足で逃げだしてしまうほどの圧倒的な魅力が、彼女にはあった。
「くっそ、なんつーか敗北感……」
茶化したのは自分だが、こちらのほうがしてやられた気がする。足までとまりかけたが、土蜘蛛の叫号にまた走りだす。
途中畳が剥がれ、階段になっている場所があり、そこに身を潜めた。ついでにそこから脱走できないかと思ったのだが、収納になっているだけらしい。つくづく外敵の襲来に備えられていない建築だと、立ちのぼる蝋燭の
まあ、なかなか燃え落ちないので助かるが。特殊な技術でもつかわれているのだろうか。
「ここなら、ちょっとは持つかな。必要最低限の説明はしてもらうぞ」
夜弥は身長が低いので土蜘蛛からは見えないし、アヤカの髪は焔と同化して発見は困難だろう。屋敷を失くしたばかりの夜弥には悪いが、聞いておかないといけないことがあり過ぎた。
目があう度に腹のなかで暴れる、浮ついた感情をねじ伏せる。危機感がないと言うのは、こういうところでも悪いほうにしか作用しない。
「まず、アレはなんだ」
親指を立てて、背後で暴れるバケモノを指す。
夜弥は失笑した。
「……ふ。悪鬼物の怪じゃと。そう答えれば合点がいくのじゃろうな」
睫毛を伏せて、吐きだされた言葉は自嘲じみていた。
不意にみせた辛そうな表情に狼狽するアヤカをからかうふうに、彼女はちいさく笑んだ。牙をみせ、答えをかえす。
「あれは仏じゃ」
「仏、って」
死んだ人間のことを仏さんというが、それのことだろうか。
「うぬらが崇拝せしむる《仏》の真姿よ」
「っ、マジかよ……」
土蜘蛛は
あれが仏だなんて、あまりにも信じ難い。
彼女があらかじめ口にしたように悪鬼物の怪と教えられたほうがまだ納得できた。
「なら、仏に狙われてるお前は何者なんだよ」
普通仏が敵対するのは天邪鬼などの妖怪か怨霊だ。夜弥はそれらの類には見えない。しかしながら夜弥はアヤカの想像を全肯定した。
「聴いていたのではないのか。わらわは
「っ……」
夜弥がおかっぱの前髪を掻きあげる。
黒髪のあいだには天を差す突起があった。
角だ。
角まで見せつけられては、アヤカとて信じざるを得なくなる。
そもそも、この宮自体が人間の手で建築できるものではない。たったあれだけの土地面積に建っているにもかかわらず、内部には百の座敷が広がり数十の庭園がある。そして物理法則を無視した生物の出現。
龍も人面蜘蛛も映画や漫画のなかでしかみたことはなかった。
「驚いたかえ? わらわは人間が恐れ、忌み嫌うものじゃ」
鬼は、おそろしく。仏は有難い。
それがこれまでの常識だった。だがいま、アヤカの目前にある現実は、それとは真逆のものだ。
笑う夜弥は相変わらず可憐で。
蠢く蜘蛛はやはり、おぞましい。
「あー、はいはいはい」
視覚が現状からの逃避を禁じ、感覚が現実への理解を促し、脳がスムーズに解析を完了する。
「一瞬テンパったけど、お前の言うこと、全部信じるわ。そもそも俺、人間が見栄や欲でつくった仏像に神様が宿るなんて考えてねーし? あれが仏でお前が妖怪なら、俺は、お前のほうがいい」
「戦況もふくめて、か?」
「……ま、そーだな。ちなみに下心もふくめて」
「けがらわしい……」
仏が神で妖怪が悪というのは昔から言い伝えられてきた摂理だが、人間が取り決めたかぎり、絶対的な真実とは言えないだろう。男であれば、性別不明の人面蜘蛛よりも可愛らしい鬼姫のほうがよくないか。と、同意をもとめてみるも、この場に答えてくれるものはいない。
夜弥は横目で冷ややかな視線を送っていたが、やがて目線を戻す。アヤカの顔を真っ直ぐに捉えると、灯を消すように無表情になった。
「ひとつだけ、この窮地から脱する術がある」
重々しく唇を開く様子は彼女らしくなく、嫌な予感がアヤカの胸中を過ぎる。
「わらわには、産まれ落ちた時より
赤い双眸がひらめいた。
「うぬがその媒体と成れ」
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