第四綴   宮の姫は微笑んだ

「失礼しまーす」


 座敷の内部に光源となる窓はひとつもなかった。ぽつりぽつりと燈るろうそくの灯りだけが冥暗めいあんを溶かし、おぼろげに周囲を浮かびあがらせている。灯りの隣を通過する時、ふわりとかぐわしい香の薫りが鼻先をくすぐった。香油を焚いているのかもしれない。

 座敷の最奥に一段高くなっている場所があり、青竹の御簾みす下座しもざ高座こうざを間仕切りしていた。

 ここから見るかぎり、御簾越しに誰かがすわっている。浮かびあがる影の輪郭から小柄な人物であること、着物を纏っていることが分かった。


「はよう、こちらへ」


 なかなか闇に眼が慣れず、もたもたしていると先程とおなじく、可憐な声で呼ばれた。高座の正面に置かれた古代紫の座布団へと腰をおろす。

 そうして顔をあげると、声のぬしの容貌が垣間見えた。


「子供……?」


 すわっていたのは赤い椿の振袖を纏った少女だった。

 口もとから上が隠れているせいではっきりとは齢がわからないが、アヤカよりも年下であることは間違いないだろう。せいぜい十五。もっと幼いかもしれない。


「なんじゃ、隠居したおきなかと想像しておったか?」

「いや、さすがにそれはねーけど、子供とは想像してなかった、……です」


 毒気を抜かれたせいで、言葉遣いが普段に戻ってしまった。慌てて敬語に繕うと、「ほほほ… …っ」と愛らしい嬌笑が降りそそいだ。


「畏まらずとも良い。気を楽にして、普段通りに接しよ」


 ぱたりと扇子せんすを拡げ、口もとにあてる。それが不思議と似あっていた。古風な姫のような喋りかたが馴染むのも、彼女が意識して紡いでいるわけではないせいだろう。


「あんたがここを所有しているのか」

「まさしく、わらわがおんノ宮のあるじじゃ」


 普通ならば遺産相続でもしたとしか考えられないが、隅から隅まで常識の範疇を超えたこの場所のことだ。彼女が所有者でも不思議はないだろう。


「わらわは夜弥ヨミと申す。夜が弥栄えると書いて、夜弥じゃ。うぬの名が聞きたい。申してみよ」

「俺は……鬼童 キドウ アヤカ


 この名前が嫌いになったのはいつ頃からだっただろう。確か小学生の頃、人間の名前じゃない、お前の親は妖怪だろうと馬鹿にされたのが始まりだった気がする。

 夜弥は黙り、次の瞬間、ふふふと笑いだした。

 ぐらぐらと足もとが崩れていくような錯覚を起こす。何故だろう。怖いモノなどなくなったはずのアヤカだが、名前を嘲笑されると眩暈がする。顔をしかめるアヤカなど素知らぬ振りで、夜弥は朱唇しゅしんにその名を乗せた。


「きどう、あやか。ほんに……素晴らしき名だこと……」


 なんと言われたのか、暫く理解が追いつかなかった。

 呆然と夜弥を仰視する。


「褒めておる。玲瓏れいろうなる響き……、久方ぶりに聴き惚れたわ」


 揶揄やゆしているわけではなく、本気でうっとりとしているのが声の調子から伝わってくる。

 こちらを見詰める黄金色の三日月が、夜弥の双眸であることをいまさらながら知った。双つの三日月はアヤカを映し、妖しく闇中やみなかに輝いている。


「名は体を表すと言うが、そなたは名に相応しき姿をしておる。奇妙じゃな、その髪」


 無意識にアヤカは自分の髪を撫ぜていた。手触りだけはごく普通の頭髪だ。しかしながら鏡を覗けば、その異様さがあきらかになる。

 髪が赤いのだ。

 深緋こきひの髪は鬼の髪と呼ばれた。地毛だと何度言っても信じてもらえず、黒に染めようと試みても翌日には元通りになってしまった、悪鬼物ノ怪の髪。


「まさしく、鬼童おにごの如し……いやはや、美しきかな」


 三日月の眸がいう。されどそれは、嘲りでもなく罵りでもなかった。

 彼女は褒めているのだ。

 驚きのあまり、狼狽を隠せない。はやく再起動しなければと脳を回転させ、アヤカが最初に取り戻したのはやはり、曖昧な笑顔だった。口の片端だけで笑う。


「お前、趣味悪いな」

「うぬは口が悪いのう」


 扇子をはためかせて、夜弥もまた唇をゆがませる。軽く持ちあげられた肩の細さがやけに男心をくすぐる。幼いだろうに、彼女の身振りのひとつひとつからはなんともいえない色香が漂ってきた。

 唇の端から僅かに覗いた八重歯すら愛らしい。


「じゃ、おあいこって事でいいか? 鬼の姫さん」

「ほほほ……」


 鬼と呼ばれて悦ぶ、美しい少女。だからアヤカも喜んでおこうとおもう。鬼、妖怪と罵られたことすら、いまならば喜んでしまえそうだった。

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