パパとママの素敵な出会い

山崎 響

第1話

「パパー、寝る前にお話しして?」

「お話しして!」

「よしよし、仕方ないなあ」

 父親は火酒のグラスを置くと、膝にまとわりついてきた幼い姉妹を抱き上げた。

「風呂はもう入ったのか?」

「入った!」

「入ったー!」

 すでに寝巻の少女たちはあとは寝るだけということもあって、今日一日の締めに父に物語をせがんだ。

 まだまだ遊びたいのに寝なくちゃならないので、幼いなりに精いっぱいの抵抗かも知れない。

「聞いたらちゃんと布団に入るんだぞ?」

「入るー!」

「入ったー!」

 下の娘は何かを間違えている。


 しかし、困った。

 父親は頭を悩ませた。

 話をしてやるとは言ったものの、何をしゃべったら良いものか。毎晩せがまれるので、何か話せと言われてもネタは大体使い切って尽きている。

「さて、何を話すか……」

「お姫さまー!」

「エルフのお姫様がいい!」

 考える父に、幼女たちが声を張り上げてリクエストした。エルフのお姫様が勇者パーティに入って冒険する話が大のお気に入りなのだ。

「あれかあ……でも、もう何度も話しているお話ばかりだぞ?」

「いいのー!」

「いいのー!」

 好きなストーリーは何度聞いてもいいらしい。父親もやれやれと肩をすくめた。

「また同じ話だぞ?」

 父が承知したので、幼子たちは目をキラキラさせてテンションMAX。父の周りで両手を突き上げてぐるぐる回る。本人たちは踊っているつもりらしい。

「わーい! エルフのお話だ!」

「エロフー!」

「いや、エロフって……」

「クッコロ! クッコロ!」

「クッコロだー!」

「……」

 育て方を間違えたかもしれない、と父は思った。




 ユーフェミアは残り少ない矢の数を指先で数えながら、切羽詰まった叫びをあげた。

「グランツェ! デボジア! アンジェニー!」

 魔王城までたどり着く二年の間、ともに背中を預けて戦い抜いてきた信頼のおける戦友たちを呼び続ける。

「サラ! カサンドラ! ……アレックスッ!」

 誰も答える者がいない。最も信頼し、そして恋していた……勇者までもが。


 疲労と恐怖、そして絶望にがくがく震える指先を抑えきれないユーフェミア。

 ここに来るまでの間に数多のモンスターたちを蹴散らし、魔王軍の四天王さえも屠ってきた。その勇者パーティが、自分一人を残して倒れ伏している現実を直視できない。若きエルフは頭では理解できても、信じたくない気持ちで仲間の名を呼び続けた。

 ……だが、そんな現実逃避の時間も長くは続かない。

「……!」

 這い寄る冷気のような殺気に、ユーフェミアはバッと顔を上げる。

「どうした、エルフの小娘よ。おまえのお友達はみな既にはしゃぎ疲れて横になっておるようだぞ……床の上にな!」

 瓦礫を小石のように蹴飛ばし、現れたその姿は黒衣のような漆黒のオーラに包まれている。邪悪を体現したような、桁違いの存在感を放つその存在は……。

 大山のようなそのプレッシャーに膝をつきそうになりながら、ユーフェミアは震えを隠せない声でその名を喉から搾り出した。

「魔王、グレナルド……!」




「わーい! 魔王だ!」

「魔王! 魔王!」

「おまえたち、魔王の登場シーン好きだな……」

 父親が呆れて呟くと、二人の少女が口々に訴えた。

「だってママが言ってたもの! 魔王とパパが似てるんだって!」

「似てるんだって!」

「似てるって?」

 父の質問に、笑顔の姉妹は至極真面目に答えた。

「ママが言ってたの。『パパは昼間は借りてきた猫みたいだけど、ベッドの中では大魔王なのよ』って」

「あいつはこんな小さい子たちに何をしゃべっているんだ……!?」

「……あれ? 逆だったかな?」

「母さん! ちょっと母さん! ここに座りなさい! 明日の支度なんてどうでもいいから!」




 魔王に続き、いまだ健在な魔王の親衛隊がぞろぞろと現れる。魔獣に悪魔、悪霊に傀儡人形……一匹一匹は四天王に及ばないだろうが、何しろ数え切れぬほどの集団だ。ユーフェミア一人では戦って包囲を突破するなど夢想もできない。

「あ、あ、あ、あ……」

 総力で傷をつけることもできなかった魔王に、圧倒的な戦力差で周囲を囲む魔の者たち。彼らの本拠地に一人残されたエルフの小娘に、残された道など一つもない。


 とうとう目を見開いて膝をついたユーフェミアに、魔王は気軽に近づいてきた。

 奇襲で反撃されるなどと毛頭思いもしていない様子に、勇者パーティ最後の生き残りとしてユーフェミアは一瞬身体が動きかけたが……すでに限界を超え、火事場の馬鹿力でさえ亀のような動きしかできない自分を発見しただけだった。

 もはや立つことさえ叶わない。

 立膝のまま硬直するユーフェミアが自由にできるのは、二歩の距離でさえ安全を確信している魔王を睨みつけることのみ。


 しかし魔王は動けないユーフェミアに、すぐにとどめを刺すつもりはないようだった。何が楽しいのか嘲るように笑いながら、ユーフェミアを上から見下ろしている。

「ほう……心が折れたか、エルフの娘よ」

「……くっ、さあ殺せっ!」

「見たところいまだ五体満足のようだが。さすがに弓兵では最後の勝負にかける気にもならんか」

「……うるさい。貴様に勝てなかったのは認めてやる! だが、我らが全滅したとしても後に続く者が貴様を必ず討ち果たす!」

「自分で成し遂げられなかったのだ。死んだ後のことなど、おまえの知ったことではあるまい」

「ぐっ……」


 ただでさえ諦めの境地なのに、さらに魔王に言葉で揶揄され、ユーフェミアはもう上体を起こしているのさえきつくなってきた。

「うっ……」

 そして地面に手をついてしまえば、自然と涙がこぼれてくる。

「うっ、ううっ……あああぁぁぁ……」

 次々滂沱の涙が頬骨を、鼻を、顎の先を伝い落ちて石畳に染みを作っていく。魔王を倒す決意も、夢見た未来もあと僅かな時間で失われる。

 一流の冒険者として名を売ってきた。道半ばで倒れる己を自己憐憫するほど弱くはないが……幼き頃の誓いを叶えてやれない事だけは過去の自分に申し訳なくて、情けなくて涙が止まらない。

 頭上から魔王が面白がる声がする。

「ほほう、志についでプライドも砕けたか。せっかくだ、死出の置き土産におまえの泣き言を全部聞かせて行かぬか?」

 魔王にさらにバカにされたからでもないだろうが。

 ユーフェミアはもう死ぬと思うと、腹の底から湧き上がる激情を押さえておく気もなくなった。

「あぁ……」

 大陸一の弓兵と呼ばれ、勇者パーティの後衛として名を馳せた美貌のエルフは……恥も外聞もなく、嘲弄する敵のど真ん中で力の限り泣き叫んだ。

「うわぁぁぁぁん! 一度でいいから結婚したかったぁぁぁぁああああっ!」

 崩れ落ちた大広間に、エルフの嗚咽と気まずい沈黙が広がった。




「クッコロ! クッコロ!」

「エロフ、グッジョブ!」

「そこ、喜ぶシーンじゃないんだがな……どこでこんな言い回しを覚えてくるんだか」

「トニオが言ってたよ?」

「あいつか! ……パパちょっとトニオに話があるから、あいつが明日遊びに来たら出かける前にパパに教えるんだぞ?」

「うん!」

「それよりパパ、つづきー!」




 泣き疲れてちょっと落ち着いたエルフ。

「おまえ……普通は世界を救いたかったとか、自分の手で魔王を倒したかったとかじゃないのか?」

 呆れる魔王をユーフェミアはキッと睨む。

「独断で好き勝手やっている貴様に、大家族制のエルフの社会はわかるまい! 族長の家に生まれ容姿も身体能力も幼いころから人並み優れていた私が、どれほど期待と言う名の重荷を背負って生きて来たのか……そのくせ私が人後に落ちぬように頑張ったら……」

「頑張ったら?」

「勝手に高嶺の花に祀り上げられて、吊り合うどころかプロポーズしてくる男さえいないと来た! 『とても僕なんかじゃ……』だの『君に相応しい男はきっと他に』だなんてのはまだマシだ! 『二人で歩くだけでプレッシャーに潰れそう』とか『劣等感をずっと刺激されるんだ』だとか……判っているんならかなわぬまでもせめて努力しろ! 挙句にプライドだけは高い連中なんか、『完璧な女は逆に醒める』『はいはい、何必死になってるんだか(笑)』だぞ!?」

 もうすぐ殺されると嘆いていたはずのエルフは魔族に囲まれている中で状況も忘れ、憤怒の表情で床を何度も殴りつける。

「あれほど『人に後れを取るな』『自分を磨け』と言っていた親族どもまでが『女は可愛げがないと』だの『出来過ぎる女は嫌がられる』などとほざきやがって……ううう」

「大丈夫か? コイツ」

「かなりキテるな」

 魔物たちが囁き合うのにも構わず、別の理由で悔し涙を流し始めたユーフェミア。

「だから里の男と言う男を再起不能になるまで半殺しにして飛び出してきて……でも人間社会じゃチヤホヤはされるけど、エルフから見て優れた男なんてほとんどいないし、いてもだいたい妻帯者のオッサンだし! 人間寿命短すぎ!」

「種族の寿命は克服しようがねえべ?」

「里の男を壊滅させて遁走って……魔王様、コイツ最初から闇落ちしてますよ」

「俺の若いころでもこんなにトンガってなかったけどな」


 ユーフェミアが顔を上げて魔王を再度睨んだ。

「やっと見つけた若くて強くてイイ感じの男がアレックスだったのに……貴様のおかげで私の人生設計がメチャクチャだ!」

「あっ、そこでつながるんだ! いきなり自分語りを始めた時はどうしようかと思ったぜ」

「故郷を潰して飛び出た段階で、おまえの人生設計すでにメチャクチャだろ?」

「婚活パーティと勇者パーティを混同してるぞ、この女」

 口々に辛い評価を出してくる魔王軍を無視して、ユーフェミアは肩を落とす。

「……せっかくアレックスと両想いになれて、魔王を討伐したらアレックスの故郷で結婚式を挙げようって誓いあっていたのに……」

 ほとんど独り言のようなエルフの言葉を聞いて、魔王がアレッ? と首をひねる。

「おまえ勇者と婚約と言っておるが……勇者は我の討伐に成功したら聖王国の姫と結婚して、次期国王の座を継ぐ褒賞を約束されたはずではなかったか?」

「そ、それは気持ちだけ受け取ってありがたくお返しするって……」

 空を舞うグレムリンが手を上げる。

「いや、自分が王都の夜間偵察に行ったときは本気に見えましたよ? 勇者と姫、バルコニーでいい雰囲気出してキャッキャウフフしてましたし」

「そんな馬鹿な!」

 エルフは信じられないと首を振るけど、今度は足元からヘルハウンドが口を出す。

「このねーちゃん、気づいてないなんてドンくさ過ぎっすよ。あの勇者なかなかの浮気者で、自分が監視についていた時にはパーティメンバー全員口説いていたっす」

「嘘っ!?」

「嘘じゃねえっす。そもそも手を出してないの、身持ちの固い神官と愛が重いこのエルフだけっす。後の連中は宿やテントでドッタンバッタン……」

「嘘だと言ってええぇぇぇぇぇっ!?」




「アハハハハ! エロフNTR!」

「NTR!」

「なあおまえたち。それもトニオか? トニオが教えたのか?」

「うん!」

「そうだよ!」

「そうかあ……明日はトニオ、パパとのお話が長くなりそうだからマリーと三人で遊んでおいで?」




 もうあらゆる事がひっくり返りすぎて茫然としているユーフェミアの顎を、しばし何かを考えていた魔王が掴んで上を向かせた。

「ふむ」

「……なによ」

 されるがままでも拗ねたように視線を合わせないエルフに、魔王は片頬を歪めて笑いかけた。

「よし、エルフ娘よ。そんなに結婚したかったのなら我が妻にしてやろう」

「はぁっ!?」

「おまえにとって悪い取引ではあるまい。命は助かる。望んでいた結婚はできる。おまえより強い男と言う条件も見ての通りだ」

「そ、れは……」

 なるほど、魔王と言う一点を除けばユーフェミアの条件に合う男ではある。

 勇者を簡単に屠るほど強く、世界を征服しつつあるという権力。傲慢だが部下はよく従うカリスマ性。だが、一点どうしても確認しなくてはならない話がある。

「……エルフは一夫一婦制なの。ハーレムの一員とか言うのは嫌」

「ハッ、この期に及んで条件を付けてくるか!」

 魔王は興味深そうにユーフェミアの顔を覗き込んだ。

「面白いな、おまえは。条件など四の五の言える立場でないのを判らせるところだが……いいだろう」

 魔王はユーフェミアの顔から手を離すと立ち上がった。

「その点も心配ないと言っておこう。今までそのようなものに興味はなかったからな。妻などと言うものは持っておらん」

 座り込むユーフェミアをじろじろ見降ろす。

「エルフは今までに何匹も見てきたが、これだけ面白い身の上の者も珍しい。そばに置いてやってもいい。どうだ、欲しいものをくれてやるぞ?」

「ホントに!?」

 思わず身を乗り出すユーフェミア。

「ああ、もちろん! この魔王グレナルドの名において約束しよう」

「そ、それなら……」

 絶望の中で死ぬはずが、一転して渇望していた夢が手に入りそうになっている。

 ユーフェミアの中に、急速に活力が湧いてくる。生きたいという気持ちが諦めに取って代わった。


 エルフの目に光が戻ったのを見て、魔王はニタリと笑った。

「ただし!」

 約束を破るようなことはしない。しかし、ただ願いをかなえてやるなど魔の王の行いではない。魔王は人を苦しめてこそ魔王なのだ。

「おまえには魔王の妃として、この先我が人間どもの国を亡ぼすのを横で見ていてもらおう」

 魔王が後ろを指し示す。

「まあ、おまえが勇者パーティの一員であろうとしても生き永らえて見届けてもらうがな……こいつらは実はまだ、とどめを刺しておらぬ」

 いつの間にか、アレックスはじめ勇者パーティのメンバーが十字架に張り付けられて並べられていた。

「フフフ、どうだ? 勇者とともにあるか、我に従うか……お前が中止を願おうとも、この人間どもを征服することに関しては聞いてはやれぬ」

 得意満面に二者択一をユーフェミアに迫りかけた魔王。

 に、全く平常心のエルフの声。

「あ、そういうのはいいんで」

「……何?」

「アレックスについてきたのは結婚してくれるって言うから……七股かけたクソ野郎と判明したので、もうサッサと首刎ねちゃって欲しいくらいです」

「あ、ああ……そう……?」

「アレックスに付き合う必要もなくなったんで、人間助けるとかもどうでもいいです。元々エルフは基本彼らと付き合い少ないし、そもそも勇者パーティとか持ち上げて、たかだか数人の冒険者に命運を任せて正規軍も出さないとか、国の危機を舐めすぎでしょ」

「そ、そうね……」

 エルフは妙に色っぽい顔になると、唖然としている魔王にすり寄った。

「ねえ、そんなどうでもいいことより……私の欲しいのはぁ……あなたとのあ・か・ちゃ・ん! うふふ……いっぱい作りましょうね?」

 顎が外れたような顔で事の成り行きを見守っていた狂霊レイスがつぶやいた。

「アイツ……頭のねじが全部はずれてるヨ」




「というわけで、人間たちをあっさり見捨てたエルフ族の姫は世界を征服した魔王と幸せに暮らしましたとさ」

「きゃー、エロフ可愛い!」

「カワイイ!」

「可愛いのか……? 幼児の発想はよくわからないな」

 父親が我が子の斜め方向の成長ぶりに困惑していると、自分も風呂から上がってきた母親が子供たちをベッドに追い立てた。

「ほらほら、二人とも。もう寝ないと、明日の朝起きられなくなりますよ」

「はーい!」

「はーい!」

 父より怖い母に寝ろと言われて、幼女二人はリビングを飛び出して子供部屋に走っていく。この辺り、子供は正直だ。


 苦笑して見送った父親が、さて自分も風呂に入ろうかと腰を上げかけたところへ……するりと妻の腕が絡みついてきた。ハッと振り返れば、バスローブを脱ぎ捨て見事な裸身を惜しげもなく晒した妻が情欲に濡れた瞳で微笑んでいる。

「お風呂なら、どうせまた後で入ることになるんだから……グレナルド、先にベッドへ……ね?」

「ユ、ユーフェミア? また徹夜になるのかい?」

 腰が引けている夫の様子に、妻は大げさに唇を尖らせて見せた。

「徹夜だなんて……夜明けには寝ますわ」

「それほとんど同じ……たまにはゆっくり寝たいかなぁ~なんて……」

「んもう、私を一人寝させる気? エルフは寂しいと死んじゃうんですのよ?」

「確かに耳は長いね……」

 世界の何よりも温かい家庭が欲しいエルフは、魔王の胸に細い指先でのノ字を書きながら妖しく笑いかけた。

「私に何でも欲しいものをくれるんでしょ? うふふ……子供がもっと欲しいなあ」

「お手柔らかに……お手柔らかにな?」




 部屋の隅に控えて一部始終を見ていたメデューサのメイドは。

(後悔先に立たずだな……)

 と、頭の中でつぶやいた。

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