第17話 決勝戦

 ――体育館。


 数々の強敵。突きつけられる敗北。浴び続ける劣等感。そんなブルーになっている栗子の気持ちなんてお構い無しにジャンケン大会が進行されている体育館。二回戦に栗子の飛び入り助っ人として参加したチーコと栞と共に、その後は不戦勝やマルチバトルでの戦いを挑んで来る相手に恵まれた栗子。本人の気持ちとは裏腹に、勢いのままに決勝戦へとコマを進めていた。


「さぁーっ、いよいよ大詰め決勝戦。ここまで誰もが予想通りの順当に順調な危なげない戦いで勝ち進んできた剣野舞選手の戦いに注目です!」


 ――ワァーーーーッ!


 決勝戦ともあってか、会場は最高潮。どんな相手にも圧巻の強さを見せ付けてきた剣野に対して、栗子がどこまで戦えるかのか。ギャラリーの見立てでは剣野舞が優勢と見る物が大半だった。


「おや、たったの三人でござるか?」


 栗子にチーコ。そして栞の三人を見て舞が首を傾げる。舞のこれまでの試合は相手の得意とするルールや、複数人との多対一の戦い。不利な条件を全て飲んでの圧勝。向かうところ敵無しと言わんばかりの圧倒的勝利。まさに校内最強と謳われる実力者。


「まぁ、そこの御仁は骨が折れそうでござるな」


 舞が目を向けた先は栞。栗子の事は眼中に無いと言った様子で、ステージの上で戦いが始まろうとしていた。


「ほんじゃあ決勝戦は恒例の一対一。だけど剣野さんの提案で助っ人も戦って良い事になるから、実質勝ち抜き戦だね」


 審判がルールを説明すると、会場は割れんばかりの声援に包まれる。そんな大歓声の中で、一人の男が目を覚ます。


「……ん?」


「あら、起きましたか啓君。ほらほら、チーコちゃんもステージに上がっていますよ」


 柔らかい。巴の膝の感触が後頭部に訪れている。いつも通り優しく微笑む巴を見て、また敵わなかった現実を思い出す。これから決勝戦が始まる事や、チーコと栞が助っ人として戦っている事なんかを巴から一頻り説明され、状況を把握した。


「……そうか」


 啓にとっては栗子が決勝で戦う事とかチーコが出ている事とか、そんな事はどうでも良かった。巴に負けた事だけが、悔しかった。


「そうですね……っと、最初はメガネの子から戦うみたいですね」


 巴の膝の感触にいつまでも包まれていたい気持ちもあったが、今の啓はいつまでもその温もりに甘えるわけにはいかない。体を起こしてステージで対峙する二人に注目した。


「はいはーい、そんじゃあ最初は剣野さんと本郷さんね。それじゃあいくよー、ジャンケン――」


 体育館のステージ。


 座ればその長い黒髪が地に着いてしまう程の栞は正座しての構え。それに対し剣野舞の構えは、まるで剣を繰り出す直前。言うなれば居合いの構え。


 ――バシィンンンンンッ!


 ステージの床を激しく叩いた栞。それと同じくして剣を抜いた剣野。


「――ポンッ!」


 パー。

 チョキ。


 勝敗は決した。


 ギャラリーの中には二人の手を出す瞬間を捉えられなかった者もいるだろう、瞬間の幕切れ。


「いやはや見事。決勝で本気になれる相手と当たれて光栄でござる」


「床を叩いた瞬間に手を固定された……私の完敗ですね」


 床を叩いた反動からの超高速手出しを得意としていた栞。しかし叩いた瞬間には、もう大きく開かれたパーは斬られていた。


 抜刀・剣野舞。


 地に着いた栞のパーは、剣野のチョキで一刀両断。その手を変えることは出来なかった。


「おおおっ! やはり校内最強だな剣野舞!」


「これまでの試合で活躍していた一年生も太刀打ち出来ずにやられたか」


「後は明らかに力の差のある石田さんじゃ……」


「ええ、勝負はもう決まったわね」


 ギャラリー達が注目した先。それは次にステージに上がろうとしていた栗子だった。一回戦はルールにも救われて辛うじて勝利をもぎ取った栗子だが、それ以降は目立った活躍も無い。大半のギャラリーが剣野の優勝が決まったかのような発言を口々に漏らしていた。


「あっ……あっ」


 剣野の前に立つ栗子。その足は生まれたての小鹿の様にガクガクブルブルと震えていた。


 目の前で倒された栞。段違いに栗子よりもジャンケンが強い人物が、あいこすら言わせてもらえず敗れ去った。


 敗北必須。

 

 それはまるで処刑台に連れてこられたかのような気分。負けるのが分かっている。きっとグーなんて出させてもらえない。無様な敗北がそこに待っているのが、直感で分かっていた。


「うぁ……あうあ」


「あいすまん、強敵との戦いの後は気分が昂ってしまうのでござるよ」


 プレッシャー。


 目の前に対峙しただけで、狩られる未来しか想像出来ない。それでも無常にも、戦いのゴングの代わりに試合開始の掛け声が聞こえてくる。


「それじゃあ次は石田さんと剣野さんね。ジャンケン――」


 恐い。


 負けるのが。圧倒的な力で押しつぶされてしまうのが。


「……えっ?」


 チョキ。


 一体いつ、ジャンケンポンの声を言っていたのだろうか。目の前には剣野の二本の長く伸びた指。つまりチョキの手だけ。


「ハァーッ、ハァーッ……フーッ、フゥウウーッ」


 緊張。


 呼吸をしているだけで苦しい場面。目の前に佇む超が付く程の最強の相手に対して、もはや立っているのがやっとの栗子にはジャンケンの掛け声すら聞こえていなかった。


「はーい石田さん後出しね。二回続けて後出しだと反則負けだからねー」


 司会の女子生徒が後出しを指摘するが、栗子の耳には届いていない。右手を振り上げる事すら出来ないプレッシャー。


「おいおいこれじゃあ」


「ああ、もう勝負にならないだろうな」


「剣野舞さんの本気モードじゃ……」


「そうね、まともに戦える人なんて数える程しか居ないでしょうね」


 ボソボソとギャラリー達がざわつく体育館。ジャンケン大会の決勝戦の最中だと言うのに、静まり返った体育館。


「……何やってんだよ」


 ステージに立つ弱々しい栗子。いつもは啓にしつこく勝負を挑んで嫌だと言っても絡んで来た栗子が、勝負をする事を諦めている。負けるのが分かっている戦いから逃げ出したい。そんな小さな背中を見て、啓は呟いた。


「どうしたんです啓君?」


 立ち上がった啓に対し、巴が問いかける。そして返答する先は、気持ちが衰弱仕切っている弱き者へ。


「が……頑張れっ!」


 ざわっ!


 静まり返った体育館の中で、唯一つの声援。それは決して大きな声ではなかったが、体育館に居た全生徒がその声に対して驚いていた。


「師匠が……今、頑張れって」


 面倒だ。断る。嫌だね。


 否定的な言葉しか発っしない男なんじゃないかと思っていた啓の声援。それを聞いて気持ちに押しつぶされそうになっていた栗子の表情が、いくらか明るくなった。


「おいおい、あの手之内が人を応援するトコなんて見た事あるか?」


「あるわけないだろ……でも今の声で石田が」


「ようやくやる気を取り戻した……か」


「せっかくの決勝戦。ここから良い試合をしてもらいたいものね」


 ――ワァアアアアアアアア!


 頑張れ! 負けるな! まだまだやれるぞ!


 つい先ほどまでは卓球の試合でもしているのかと疑いたくなるような静寂だった体育館。その空間はもうそこには無い。ギャラリー達が絶望的な状況だった栗子の応援をし始めた。


「啓君、何故あんな事を言ったのです? 石田さんの応援をするなんて、彼女が好きなんですか、ラブなんですか? 私との夜は遊びだったんですか?」


「何でそうなる」


 ハァ。


 ため息を吐きつつも、隣に居る巴はどこか嬉しそうだった。文絵に対する時とは違って、本当に啓が栗子を好きとか疑っている様子ではない。単純に、啓が他人を応援する事が嬉しかったようだ。


「別にアイツのためじゃない。俺も頑張るって決めたから、頑張っていた奴が目の前で立ち止まってたら俺まで止まるんじゃないかって、そう思っただけだ」


「あらあらツンデレ。妬けちゃいますね」


 クスクスと笑う巴。そんな中、栗子の闘志は再び燃え上がっていた。


「……よし」


 グー。グー。グー。グー。


 自分の出す手を何度も念じて、相手が直前でパーを出してきたらチョキで返り討ちにしてやろう。黙って負けるなんて出来ない、一矢報いてやろう。最強の相手へ下克上だ。


「ほう、これは次も楽しめそうでござるな」


 ダンッ!


 壇上で剣野が構えを取る。目には見えないが、その右手の先には剣が存在するかのように構える。対峙した者は本当に切られるのかも知れないとすら感じるプレッシャー。


「はいはーい、じゃあ二回戦始めるよ。ジャンケン――」


 緊張感の無い司会の女子生徒の掛け声で、栗子が大きく手を振りかぶった。


 グーの型。


 強固なグー。負けないグー。そんなグーを今なら出せる気がする。だって、あの師匠が応援してくれたんだから。


「ししょ……う?」


 ジャンケンポンの瞬間。絶対に気の抜けない強敵を前にして、その瞬間に脳裏を過ぎったのは一人の男の顔。


 いつも冷たい態度でやる気も覇気の欠片も無い、面倒そうに人生を過ごしている缶に入った飲み物にストロー差して飲むドライなアイツだ。


「ポン」


 チョキ。


 剣野の手を見た栗子は、自分の手を確認するまでも無いと言った様子で肩を落とした。


 パー。


 手出しの瞬間。余計な雑念が入った瞬間にそのグーはチョキに滅多切りにされていた。そんな自分のパーを、栗子は隠すようにポケットに突っ込んだ。


「ごめんなさい師匠。負けちゃった」


「…………」


 ステージの真正面から栗子の戦いを見ていた啓が、コツコツと体育館のステージへと足を運んで行く。


「何言ってる、逃げるよりマシだ」


 栗子に近付き、そのまま右手を広げる啓。大きな手。どんなグーでも封じ込めてしまう、少し前まで栗子が嫌っていたその手。


「師匠……お願い……勝って!」


 ふふっ。


 少しだけだが啓の口元が緩んで、それは笑っているかのようにも見えた。


 パァアアアン!


 景気の良い音を立ててパーとパーが重なる。いわゆるハイタッチ。


「選手交代だ」

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ドライなアイツはジャンケンでいつもパーを出す かさかささん @richii

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