第16話 暗闇の手出し
――体育館裏。
マンガなどではお馴染みの告白スポット。または不良からの呼び出しスポットとして有名な体育館裏。そこに二人きりの男女は啓と巴。体育館でジャンケン大会の真っ最中でなければギャラリー達にはやし立てられるシチュエーションなのは間違いない。
「どうしたんです啓君。体育館裏に呼び出して、もしやこれから盛大な愛の告白でもしてくれちゃうんですか?」
「何言ってんだ、もう帰るぞ」
ふいに空を見上げれば、どんよりとした雨雲。今にも雨を降らすぞと言わんばかりの薄暗い大きな雲が漂う、そんな空。目の見えない巴にとって、雨は天敵。盲人にとって貴重な情報源である音と匂いを奪う厄介な存在。
「生徒会の皆も、啓君のクラスメイトなんかも皆がジャンケン大会に一生懸命なのに私達だけ勝手に帰っちゃって良いんですか、いけないですよね。でも、もうちょっとだけイケナイ事をするのも……良いんじゃないでしょうか?」
グイッ。
イタズラな笑みを浮かべながら、巴が啓に顔を近づける。少しだけ尖らせた誘う唇。目の前に差し出されたそれに啓は優しく、優しく口付けた。
「巴……好きだ」
「あらあら嬉しい。私もですよ」
啓は巴に愛を告げた。しかしその言葉は幼稚園児に告白された保育士の如く、軽くいなされる。もう、何度もこんなやり取りをしてきた。
「でも、私みたいな面倒な女は止めた方が良いですよ」
「そんなこと……っ!」
ちゅっ。
再び唇と唇が触れ合う。今度は巴から。只々言葉を遮るためだけに。
いつもこうだ。幼い頃から憧れていた巴に何度も愛を伝えても届かない。巴の目が見えなくなってしまった事故の後から、巴は啓を受け入れようとはしなかった。
「体育館に戻りましょう。ジャンケン大会、啓君もちゃんと出てくださいね」
ポツ……ポツ……ポツ。
まだ水の玉にすらならない位に小さな雨粒が雲の隙間から漏れ出すのと入れ替わるようにして巴は体育館へと歩いて行く。啓はそんな小さな背中に引っ張られるように同じ方向へ歩を進めていた。
「ねぇ、啓君?」
「っ!?」
ちゅっ。
またしても不意に口付け。今度は言葉を遮る以外の理由があるのか、その理由を必死に頭で考えてみたが、啓は何も思いつかないどころか。憧れの女性からの悪戯なキスに翻弄される事しか出来なかった。
「またこんな所で……誰か来たらどうするんだ?」
「ふふっ。誰か来たからこうしちゃいました」
ギリィイイイッ!
歯が削れそうな程の音を鳴らしてその場に立っていたのは、文絵だった。ジャンケン大会の途中だろうが、手に持っている缶コーヒーからして休憩中に飲み物を買いに体育館を抜け出していたのだろう。
「……人前でそんなことばっかやらない方が良いわよ。バカップル」
「いえいえ、貴女の前だからやるんですよ」
バッ。
文絵の顔の前で風が吹いた。その正体はパー。啓のパーではない、巴が放ったパーだ。風で持ち上げられた前髪を、咄嗟に手で隠す文絵。
挑発的。
そんな態度の巴に対し、文絵は牙を剥き出しにする獣のように怒りのままに対峙した。そこはもう、ジャンケンの間合い。
「このっ!」
ジャンケンポンの掛け声なんていらない。文絵の手の動きに合わせて巴はスルリと五本の指を伸ばして見せた。
パー。
グー。
「まだまだ、こんなもんじゃないですよ」
チョキ。
パー。
「なっ、どこからっ!?」
グー。
チョキ。
中段を駆使して手を繰り出す文絵。格下の相手ならば、その手を崩して勝つ手を出せば良いだけの簡単な勝負。しかし巴の手は読めない。どころか、後出しをしているわけでも無いのに手を出すタイミングが読めない。いや、正確に言えば手出しの瞬間が見えないと言った方がしっくりくる。
暗闇の手出し。
ジャンケンと言う相手とタイミングを一致させる戦いに置いて、相手と自分の体質を一時的に同調させる事の出来る巴。盲目の闇に閉じ込められた相手に出す手は無い。
「んふ。啓君に色目を使う悪い虫は追っ払ってあげましたよ」
「手之内……君」
何度も、何度も闇の中で葬られた文絵。もう、怒りとか嫉妬とかの感情が起こりもしない。戦う気力さえ、失われていた。
「啓君は他の女の子とは付き合ったらダメです。私が嫉妬で狂いそうになります。チーコちゃんだけは大丈夫です。私もチーコちゃん大好きなので」
巴の愛。
啓が巴に対する感情とは異なる。盲目である自分とは恋仲になって欲しくない。だけど他の女性と付き合うのも耐えられない。唯一心を許している幼馴染のチーコと啓をくっつけようと企んでいる。啓の想いとは交わる事のない考えである。
「だからって、関係の無い奴に当たるな。やりすぎだ。おい大丈夫か」
勝負に負け続けて傷付いた文絵に手を差し伸べようとした啓。しかし視界の端から巴の手が飛んでくる。ジャンケンだ。
パー。
咄嗟に、それでも最速でパーを繰り出す啓。
「ふふっ、私の勝ちです。戻りましょう」
チョキ。
その手を繰り出した巴は、その手を広げて啓の手を取った。負けた啓は何も言わずに、巴に導かれるまま体育館へと向かって行く。
今まで通り。そして、これからも。
巴には敵わない。ジャンケンも、何もかも。ずっとそうだった。でも、変わらなきゃ前に進めない。自分自身も。この関係も。
「巴っ!」
「何ですか、啓君?」
適度に距離を取り、構える。ジャンケンの間合いに勝負の態勢。それを察した巴は、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
「もう一度だ。ジャンケン――」
パー。
啓が出した手は、パー。開いた五本の指を巴に向けた。今まで幾度と無く相手を葬ってきたその一撃。しかしそれは、二本の指でしっかりと抑え付けられた。
「はい、私の勝ちですね。それにしても珍しいですね。啓君からジャンケンを仕掛けてくるなんて」
敗北。
目の前に出されたチョキは、パーの風。冷徹な氷の手なんて通用しない。もはや死角からのチョキ。どんなに速くパーを出したとしても、その手は覆らない。
「覚えているか、怪我をした後……最初に告白した時の事」
啓は再び、自身の左肩に右手を添えた。パーの型を構えながら、巴に問いかける。
事故で視力を失って尚、巴は啓やチーコに対して優しかった。一緒に遊んでいた二人を恨むことなんて微塵も無かった。これまで通り。いや、これまで以上にお姉さん風を吹かせるような口ぶりが多くなった。事故が起こる前から、啓は巴に惹かれていた。大きな事故があって、啓は自分の気持ちを抑え込んでいた。感情も、社交性も。巴への想いも。
「……ええ」
「その時の約束。俺は今でも覚えている」
啓が中学に上がった頃。今以上に塞ぎ込んだ啓がまともに話すのは、家族以外では巴とチーコだけだった。ある日二人きりで話していた時に、巴が好きだと告げた。結果は今のようにはぐらかされえるだけ。でも一つだけ、巴は約束してくれた。
『それじゃあ啓君が私に勝ったら、恋人になっちゃいましょうか?』
そう言ってから、何度も巴にジャンケン勝負を挑んだ中学時代。結果は全敗。勝とうとして会得したパーの型も通用しない。いつしか啓は巴に挑む事を諦めていた。
「もう俺は……いや、俺達は変わらなくちゃいけない。巴に勝って、前に進まなきゃお互いに駄目になる。もう、そんなお前を見ていられない」
啓に好意を寄せていた文絵を一蹴する様を目の前で見ていた啓。自分の為にも、巴の為にも負けられない戦いだ。
「良いですよ。もし勝てたら啓君の恋人になりましょう。勝てたら……ね」
負け。敗北。惨敗。ボロ負け。
何度も、何度も挑んでは負けていく啓。肩の負担も気にせず、只懸命にパーを出し続けるが、結果は変わらない。
「もう良いでしょう、啓君。どうして私の気持ちをわかってくれないのですか?」
「俺の気持ちの方が……それより、強いからだ!」
グラッ。
連敗による負担は相当な物だった。啓は体制を崩し、その場に倒れ込んだ。
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