第三・五節 ミーア前編

 『トカルイスンの皇統スオーミ・トカルイスン栄光あれカレンガ

 

 ミーアが魔法に使う古の言葉で帝国を称えると、通用門の錠前が外れた。

 近衛第一連隊駐屯地にある異世界実験隊の通用門は、鍵穴の無い錠前が掛かっている。本気になれば壊せるらしいので気休めでしか無いが、操作には魔法による合い言葉が必要となる。

 異世界からの転生者は通常、魔法が使えないので脱走に対する心理障壁となっている。

 魔法を学んでいる僕には意味が無い錠前だが、故にミーアが僕を外に連れ出しても何も言われないのだろう。


 「タカシ、手」


 「うん」


 右手を差し出すと、ミーアはそれをしっかりと握った。さすがに三歳差もあると彼女の方がはるかに背が高く、引かれている感じがある。

 ミーアに手を引かれて恥ずかしく無いのかと問われれば、恥ずかしい。だがミーアは人の言う事に耳を貸さないし、僕も嫌では無いのでその状態が続いている。


 「ミーア、今日は何を買うんだ」


 「お花とお酒」


 「お酒?」


 ミーアが預かっている費用は部隊費の一部だ。コデット先生など下士官以上の食費は自弁だし、兵士や僕らの食事は連隊の厨房が責任を持っている。


 「発泡ワイン」


 「皇子殿下のためのお酒なのか」高価そうだ。


 「ううん、異動する人」


 「そうかポイド先生が原隊復帰するからか」


 確かに皇子は近衛連隊で食事は摂らなさそうだし、もし摂ったとしても近衛の軍需科が管轄する範疇だろう。

 僕らが近日異世界実験隊を卒業するにあたり、地理や社会情勢を教えてくれたポイド先生が先に第三連隊に戻る。その送別会のお酒なのだ。


 実験隊の通用門を抜けると、駐屯地の宿舎の中を抜けて裏門に向かう。


 「待って」


 宿舎の脇道を歩いていると誰かから声を掛けられた。


 「ミーアちゃんと、タカシ君じゃないか」


 下士官のピア・キャロシーズ准尉が僕らを見付けて、大股で歩み寄ってくる。

 大ベテランだが、ブラウンの髪をお団子にした小柄で可愛い女性だ。

 魔法戦闘の教官であり、僕に魔法の実践方法を教えてくれた。


 「二人で買い物かい? 付いて行くよ。最近無政府主義者が近衛を目の敵にしていてさ」


 「何故です」


 無政府主義者が破壊行為を行うので、首都警邏は彼らに苛烈な取り締まりを行っている。


 「暴動を起こしたがっているようでね。カオガン地区の警邏本部を焼いて調子に乗っている」


 「警邏が焼かれた?」

 ポイド先生からは聞いていない話だ。


 「もう何でも壊したいのさ。殿下の来訪の際にも気を付けないと襲撃されかねない」


 警邏は近衛が使っているような範囲魔法の行使を躊躇ためらっているらしいので、大人数が相手だと抑えきれないだろう。


 「なるほど、では警護の準備で残り仕事を?」


 何度か浮名を流した准尉だが今は離婚しており、駐屯地近くの貸家で一人暮らしをしている。

 普通ならば、この時間は帰路に就いているはずだ。


 「まあね」

 准尉は北の方角にある宮城きゅうじょうに目を遣る。


 「准尉さん、殿下はクロイナ宮では」

 今の時期、皇位継承順位二位のラルフ皇子は帝都ハームワ東部にあるクロイナ宮殿に住んでいる。


 「あ、ああ、あー、タカシ君さあ、近衛指揮官学校に入って仲間になってくれない。推薦状なら出るでしょ」

 警備は本当に大丈夫だろうか?


 「そういう話も出ています」


 「いや、いや、冗談だ。首都警邏目指してるんだものね。警邏、そう……大変だと思うけど」


 「やはり、そうですよね」


 僕達三人は、裏門の警備を准尉の敬礼だけで通る事が出来た。

 二人の時は、ミーアがガラス乾板製の近衛連隊所属証を提示して通る必要がある。

 ミーアは所属証を一度割って怒られているので、二重の封筒に包んで鞄に入れており取り出すのに時間が掛かる。


 写真は異世界技術の一つで、異世界実験隊が保護したメンデルスゾーンという科学者がもたらした。

 重くて壊れやすいガラスは不便だが、フィルム写真はまだ伝わっていない。


 連隊駐屯地の裏門からは、しばらく小川沿いの道が続き市場までは少し距離がある。

 カワセミが水面みなもから魚をすくい上げると、頭上の木まで飛んで止まった。


 「冷たい」


 羽根から飛んだ水を浴びて、ミーアがのんびりとした悲鳴を上げる。


 「ん、これはいい。今年は暑いな」


 准尉が背嚢をずらして、背中に空気を取り入れる。

 ランドセルそのものと言って良い背嚢だ。大人も子供もやる事は変わらない。


 「帝都ハームワには二年しか居ないので、分かりません。でも京都よりは涼しいです」


 「これより、暑いのか。暮らし難く無いか?」


 「一応、昔の都です」


 日本海に近い綾部はまだ涼しい。昔の人がどうして洛中に住もうと思ったのかは謎だ。


 川縁の道から木造の橋を渡って、市場の端に辿り着いた。

 

 「済まないが、市場の中も付いて行かせてくれないか。タカシ君も警備対象なんだ」


 「付いてくるために、駐屯地内で見張っていたのですか」


 偶然を装うにしては、タイミングが良すぎたので薄々は気が付いていた。


 「いや裏門で見張らせていたけど、たまたま出くわしたんだ」


 「外出禁止で良いのでは。本来そうですし」


 「まあ……なんだ」


 「餌ですよね」

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