第三章 因果応報の不文律 後編

第一話 「後戻り」

 これは七千年以上も昔、まだ神々が人の姿をとって地上で暮らしていた時代の話だ。


 今や暴虐神と称されるヴィールタスもかつては地上に住んでいた。彼女はちょっぴり怒りっぽくて嫉妬深くはあったが、皆に愛される清らかな乙女であった。

 しかしある時想い人である兄が豊穣の女神と恋仲になっていたことを知り、悲嘆し地上を去り月の裏側に引き籠ってしまう。

 当然兄と他の神々、彼女の世話になった地上の生物までもが慰め説得しようとした……がしかし固く心を閉ざしたままで何も聞き入れようとはしなかった。

 そのまま幾十年と経ち、ヴィールタスを孫のように気に掛けていた工匠神アーチカルゴが最後に訪れた。


「このままではお前は忘れ去られてしまう」

「それでもいい」

「よくない。そろそろ機嫌を直して帰ってきなさい。どんなものでも作ってあげるから」

「なら、わたしを隠して。入っている間は誰からも見えなくする天幕が欲しい」

「そんなものでいいのか?」

「できるだけ大きいのがいい。国一つ入るくらいの」


 アーチカルゴは子供に「自分の部屋が欲しい」と頼まれた時くらいの軽い気持ちで、国一つどころか大陸をまるまる包み込めるほど巨大な天幕を作り贈った。


「お前にとっては辛いだろうが、二人の式には来てやれ。二人は今でもお前のことを心配している。よいな?」

「必ず行く。……必ず、ね」


 その後すぐにヴィールタスは行方知らずとなり、もはや誰も探そうとはしなかった。

 

 そして三百年の月日が流れ、神々と長命の生物でさえも彼女を忘れつつあった中で。

 戦神ボルトイカスピードが戦乱の世をついに平定して世界を一つにまとめ上げ、ファテイルとの結婚式を挙げるその日が到来した。

 十年もの準備期間を要した式には大陸全土の王侯、名のあるつわもの達、種族問わずの人々と獣が訪れ、百日前から盛大な前夜祭が開催されていた。

 となれば式当日は有史以来最大の催しとなることが決定付けられており、


 たしかにそうなった。


 誰も想像だにしていなかった形で――。




「なんか静かですねえ。波一つ立っていないし、いつもとはえらい違いだ」

「あぁ。ここまで静かなのは妙だな。まるで水平線の向こう側に化け物でも潜んでいるような」


 その日、海沿いに住む者の肌が粟立った。


「あの雲を見ろ、風の流れが異様だ」

「なにより空気が重い。一体何が起こっているんだ?」


 その日、山の頂に住む者が狼狽した。


「いよいよ式が始まるな。……だが、どことなく嫌な胸騒ぎがするんだ」

「……俺もだよ」


 世界中の勘のいい者が未だかつてない異変を察知をした。察知をしたものの、


『今は神々の統治する平和な時代なんだ、何を恐れることがあろうか』

 

 人々には確信があった。

 自分達は神々に守られているという確信が。


「では両名、誓いの「――オイ! あれは何だ!?」

「何か降ってくるぞ!!」


 最前列に一つの空席を出しながらも式は進行し、戦神と豊穣神の婚姻の誓いがまさに結ばれようとしている時に彼女は飛来した。

 羽毛のように軽やかに着地し、三百年もの間姿をくらましていた乙女は二人を視界に収めて淑やかに笑う。


「おぉ! 我が妹よ!」

「ヴィーちゃん、来てくれたのね!」


 列席者の多くが彼女が誰であるかを知らない中で、二人は式を一時中断してヴィールタスの元へ駆け寄り抱擁した。

 

「三百年も何処に隠れていたんだ。ずっとお前を探していたんだぞ」

「探していた? 昼も夜も絶えず戦場を駆け、血と屍の中にわたしを見出そうとしていたのですか?」

「そういうわけでは」

「兄さま、まだ気が変わりませんか? わたしは今でも兄さまを恋い慕っております」

「…………お前は俺の……大切な妹だ」

「そう、ですか」


 改めて拒絶されたヴィールタスは俯きながら兄を強く突き放し。

 右手を掲げて遥か上空に向けて赫く激しい光を放った。


 満開の薔薇のように美しく、

 瀑布の如き活力に満ち溢れ、

 大陸に住む全生物の目を惹きつけるひとすじの光だ。


 光は雲を貫き大気を抜け、ひるなかの月を紅く染め上げた。

 人々は神たる乙女の御業に拍手し喝采した。

 それが恐ろしい号令だとは夢にも思わずに。

 

「…………ばいい」

「ヴィールタス? 今なんと?」

「っ!? ヴィーちゃん!? あなた一体何をしようと!!」


 慈母神の名の通り、これまで一度たりとも怒りを露わにしたことのないファテイルが初めて眉を吊り上げた。

 彼女の眷属たる動植物の声をいち早く聞いてヴィールタスの所業を知ったのだ。



「――こんな世界、壊れてしまえばいい!!」

 


 ヴィールタスが行方不明の三百年で何をしていたか。


 ずっと月に引き籠っていたのではない。

 工匠神より贈られた天幕を用いて秘密裏に北東の海に大陸を創り、そこで眷属を生み出していた。のちに魔人または魔獣と呼ばれる者達だ。

 それらを我が子のように愛をもって育て、鍛え上げ、大軍団を作り上げた。

 軍団は今、四つに分けられて四方から中央大陸に揚陸し、殺戮を始めた。


 なぜヴィールタスはそこまでするのか。


「許さない許さない! 絶対に許さない!!」


 理由は一つ、彼女はほんのちょっぴり怒りっぽくて嫉妬深かったから。


「馬鹿者! アレはそんなことのために作ったのではない! 今すぐやめろ!」

「安心してアーチカルゴ。あなたの眷属には手を出さないわ。だけどそれ以外は……《みんな死んじゃえ》!!」


 神たる乙女の強き言葉によって一帯の力持ちし者とドゥーマン以外の全てが絶命した。


「ヴィールタァァアスッ!! お前はもう俺の妹ではない!!」

「……バイバイ兄さま」


 『血の結婚式』を皮切りに始まった第一次人魔大戦により、神々が受肉を禁じて地上を去るまでの間に世界人口の九割が死に絶えた。

 復興には千年近くもの時間がかかったという。


 これが今日に至るまで世界中で魔人と魔獣、加えてドゥーマンが忌避される由縁である――。


「一杯もらえるか?」 

「……ほらよ」


 原初の四将はヴィールタスより直接力を分け与えられており、文字通り神々を傷付けることができた。

 以降の四将は力を分け与えられてはいない。……がしかし神々に傷を負わすとはいかずとも、それぞれ世界の四分の一を恐怖させ滅ぼし尽くすだけの純粋な力は必要とされている。

 このロジャーという古き龍には間違いなくその力がある。


「うーん美味い、冷えた身体に染み入るわい。おかわり!」

「次で最後だからな」


 茶目っ気のあるロン毛パーマが茶を悠々と啜る。

 勇者一行の殺気を一身に浴びているにも関わらずだ。

 

 ちらとロジャーから目を逸らして見ると、三人はいつでも斬りかかれると言わんばかりの鬼気迫った表情で構えていた。うちの二匹は擬態中の虫が如く固まっていたが。


「さて、身体も温まったし……やろうか」

「待て」


 凶暴な龍がいよいよと、闘争心を満たすために腰をあげようとするのを俺は押さえた。

 

「なにゆえ邪魔をする。心配せずともヌシとヌシの身内には傷一つ付けんよ」


 ロジャーはカレンとラクサの方を向いて「危害は加えないから安心してね」とおっさんのくせに若者ぶってウインクをする。

 それから勇者一行へ向き直り獰猛な瞳をギラつかせ、今度こそ俺を振りほどいて立ち上がった。

 瞬きをした瞬間に、辺り一面が火の海に変わっていてもなんらおかしくはない。


 ケイ達もすでに覚悟を決めていた。


「やっちゃうわよぉん!」

「そこにいると邪魔くさい。カレンを連れてさっさと消えて」

「ここはわたしたちに任せて! きみたちは早く安全な場所に!」


 三人の顔を立てるため、言われた通りにカレンを抱えて逃げるとどうなるか。


 グリゴールは確実に死ぬ。

 ミロシュはおそらく死ぬ。

 ケイは一命を取り留めるかもしれないが、死ぬまで立ち向かうだろう。


 彼ら自身も薄々感付いているはずだ。

 これまで戦ってきた相手とは桁外れの力と圧に。

 《暴虐神の懐刀》とまで呼ばれる伝説の戦災龍とやり合えば、どうあがいても全員が無事でいられはしないと。 

 そこまで知っていてなお、前進する。世界から脅威が消え去るまで後退はおろか停滞すらも許されない。

 それこそが勇者という称号に課せられた責務……いいや、呪いだ。急速に傷つき骨と肉をぐずぐずにして死に至らしめる呪いだ。


(ナァ先輩……。オレ達には手を出さねーつってるし、早いとこズラかろうゼ? ……ナ?)

(…………少し、待ってくれ)


 俺に次いで現実主義者であり、『契約者を守る』という重大な使命を帯びているラクサが一刻も早い逃避を促してきた。

 たしかにケイ達を助ける義理はない。

 少しの間船旅を共にしただけで、赤の他人同然なのだから。

 俺は彼女達のことをほとんど知らないし、彼女達も俺の正体を知らない。

 何よりカレンを危険から遠ざけたい。

 

 見捨てる理由ならいくらでも掘り出せる。

 俺が年老いておらず理性的であれば、今頃は十キロ先に避難しているだろう。

 だけど悲しいかな、千年も封印されていたせいで少々ボケてしまっている。


「そこまでだ」


 気付いた時には間に割り込んでいた。


「ちょっとぉ! どういうつもりよぉん!?」

「極めて不快」

「わたしたちは大丈夫だよ! これでも勇者なんだから!」

「ほざくな」


 視えるぞ、勇者一行たるものが震えを抑えきれていないではないか。

 聞こえるぞ、ひどく不安定で弾け飛びそうな鼓動の音が。 

 感じるぞ、死にたくないという強い本能を。


 始まる前から勝敗の決まっている戦いほどつまらないものはない。


「――おいアレン、いつまでそこにいるつもりだ?」


 俺が右を向いて三人と睨み合っていると、逆側から低い声と熱波とが伝わってきた。

 ロジャーは辺り一帯が雷と噴石の降り注ぐ溶岩湖だと錯覚させるほどの殺気を俺に向けて放っていた。常人を秒で失神させてしまえる途轍もない殺気を。

 よほど待ちきれないようだ。

 邪魔者はさっさと去ねと顔に書いてある。


「言い残したことがあるなら手短に済ませてくれ。ワシの気が元々長くないのは知っておろう?」

「俺の……」


 その先を言ってしまえば最後、もう後戻りはできない。


 冷静になれアレン。お前の目的はガエルを見つけ、カレンを両親の元に送り届けることだろう? こんな小娘たちに付き合ってやる余裕はないはずだ!

 見捨てて後味が悪いのなら忘却の魔法をかければいいだけじゃないか!

 だからやめろアレン!! これ以上何も言ってはいけない――



「――俺の仲間に手を出すな!!」


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