第十九話 「アタイはタコ」

 魔界と呼ばれる封魔大陸に等しく、近辺の魔海も老若問わずに恐れられている。

 魔海から最も遠い中央大陸中部の山岳地帯でさえ、いつの時代もワガママを言う子供に対して『魔海に放り投げちまうよ』なんて脅し文句が常用されているのだ。

 当然そのような場所に住む人々のほとんどは魔海に行くどころか、死ぬまで海を目にすることだってない。陸生の魔獣を見る機会もまずないだろう。


 だけど誰しも知っている。


 子供の頃は絵本を読んで、大人になってからは歴史書を読んで。

 親の親のそのまた親の代から語り継がれる話を聞いて。

 はたまた記憶の螺旋に刻まれた恐怖が悪夢を見せて。


 世界が創始されてからの長い歴史で幾度も魔界征伐軍やら世界統一連合軍やらが編制され、その多くが土を踏めずに散ったこともまた周知の事実だ。

 兎にも角にも魔海は恐ろしや。

 それでも渡るというのなら、矢雨の中を駆け抜けるのと同等の覚悟がいる――。


「なんか、平和だねー」

「そうだなぁ」

「魔獣、いないねー」

「いないなぁ」


 魔の海域へ進入してから六日経った。

 あと半日もしないうちに封魔大陸へ到着するという。

 ……そう、六日も経過しているのだ。いくら海が広いといえど「船の墓場」で海賊一人魔獣一匹見当たらないのはおかしい。

 だからといって悪天候に見舞われているわけでも未知の霧に包まれているわけでもないので、船長が海路を間違えたなんてことでもない。

 

 ただただ静かで平和。

 遊覧船をいかせても問題ないほどに大人しい海が続いている。


「しっかしこうも静かだと逆に薄気味悪いゼ……。海竜の群れでも出たらどうするヨ?」

「そういうのは出てから考えればいいんじゃない? ねぇアレンー、なんか面白い話してよぉー」

「いいぞぉー」


 船旅を満喫するカレンに合わせて表情を緩めながらも、神経だけは常に尖らせてある。

 しかしいつまでたっても魔獣の群れどころか影一つ視えない。

 食い散らかした魚の肉片だとか脱皮した後の抜け殻だとか、そういった痕跡すらどこにもない。

 この海域からは完全に撤退したと言わんばかりの……。


「ナァ、先輩は過去に同じような状況にあったことがないのカ?」 

「もちろんあるさ」


 動植物にしろ魔獣にしろヒトにしろ、生息地から消え去る理由は基本的に二つ。

 住めなくなるか、滅びるか。このどちらかだ。

 災害などによる環境変化によって移住を余儀なくされるか、移住をする暇もなく死に絶えるか。

 もっともそれはヒトや弱い動植物の話であって魔獣はちょっとした環境変化など気にも留めない。


「きゃつらが住処から消え去るのは共食いでもしたか、強者に狩り尽くされたか」

「なるほどナ」

「強者ってのはまぁ……俺とか、四爪五爪の怪物「――ねぇちょっと! 何よアレ!?」


 話の途中で何かに気付いたカレンが強く袖を引っ張ってきた。

 あれあれと指さす船の前方、視力を極限まで上げてようやく見える遠方に、うごめく影が一つ。

 

「あれは島……じゃねーよナ」

「少なくとも生きてはいるな」

「もしかして下の方にあるのって口なの……?」

「カレン! 今すぐ船長に知らせてきてくれ」

「わかった!」


 当代の魔王が穏健派なのか、もしくは魔界内部がごたついているのかは知る由もないが、この海域を封鎖するために配置したものだろう。

 アレの他に魔獣が全くいないことから、敵味方問わず近づく者を皆食らう系の危険な存在に違いない。


「どーした先輩? ワルい顔してるゼ」

「……くく、やっとらしくなってきたな」 


 心の底に封じ込めていた、愚かな雄の一面を思わず呼び起こしてしまうくらいには――。




「さて、どーすっか。皆好きに意見を出してくれ」


 全員が望遠鏡を通してアレを認識した後、一旦停泊し船長室にて作戦会議が開かれた。

 テーブルに広げられた海図の上にはあの魔獣とキングパスタ号代わりの駒が二つ置かれ、それを取り囲んで皆一様に真剣な顔をする。


「はいはーい! 質問! あれってタコ? それともクラゲ? あたしはタコだと思うんだけど」


 手始めにうちの娘が糞ほどどうでもいい問いを提示した。

 しかし一人としてどっちでもいいだろとは口に出さない。


「わたし的には断然クラゲだね! ミーちゃんは?」

「……私もクラゲ」

「アタイはタコ。どっちにしても毒とか持ってそうねぇん」

「船長、その本にはあの魔獣について何か記載されています?」

「あぁ。一応アレに似た魔獣が載ってはいるが……あんな巨大じゃねえ。せいぜい五メートルくらいだと書いてある。それと俺はクラゲだ」

「それなら新種か変異種でしょうね。……タコで」

 

 結局タコかクラゲかも決めきれず、有益な情報を持っている者もいなかったので、ひとまず彼の魔獣をクラーゲンと呼称することになった。

 茶番はこれくらいにして、真面目に対策を考えていく。

 

「はい! はいはいっ!」

「おう、名案が浮かんだか嬢ちゃん?」


 そしてまたすぐにカレンが手を挙げた。


「おいカレン、ふざけた意見だったら三分間発言を禁止するからな」

「ふざけないよ! 大回りして避けるってのはどう?」

「あー、二点。十点中ね」

「ちょっと酷くない!? 直接戦って船が壊されでもしたら大変だからとか、ちゃんと考えたんだけど……」

「大回りした先で別の個体がいないとは限らないだろう? そもそもクラーゲンが意図的に配置されているとしたら抜け道は残されていない。下手に大回りをしようものなら挟み撃ちに合うかもしれないぞ。……ただ、船を壊されないようにするという考えだけは正解だ。おぉよしよし、いい子いい子」

「やっ、やめてよ!」


 小さな頭に片手を乗せ、わしゃわしゃと撫でる。


「ウフフ、親馬鹿ねぇん」

「いつもこんなんだゼ」

「…………いいなぁカレンちゃん」

「全然よくない!」


 周りからの微笑ましい視線と、それを受けて恥ずかしがるカレンをお構いなしに心ゆくまで続けた。 

 

「よし、こんなところか」


 十分補給できた。

 これで仕事ができる。


「うぅ……次からはもっと軽くしてよ……。それとさっきは偉そうに言ってたけど、アレンは何かメイアンがあるの?」

「もちろんあるとも。船長、小船を出してもらえます?」

「それはいいが……まさかアレに近づくってのか?」

「ええ」


 不安を持たせないようにはにかんで答え。

 何をするかまでは口に出さず、降ろされた小船に飛び乗った。



 しばらく全力で小船を漕ぎ続けて、クラーゲンの触手が届かないギリギリのところまでやってきた。

 おかげでいかにクラーゲンが巨大かをしかと認識できた。


「あらやだぁ、おっきぃ。ちょっとした要塞じゃない」

「キングパスタ号の二、三隻は腹の中に収まりそうだ」

「で、どうするのぉ? 正面からやるわけ?」


 漕ぎ手として一緒に来てくれたグーちゃんが真面目な声色で訊ねる。


「ケーちゃんミーちゃんならまだしも、アタイとアナタじゃどう頑張っても無理よぉん?」

「あぁ」


 戦艦を一飲みにできるこの魔獣は五爪、とまではいかないが四爪上位……準五爪とでも言うべき神話級の怪物だ。

 特注の武器か魔法を無制限に使えるなら話は違うが、ステゴロで正面からやり合おうものなら命が百あっても足らない。……まぁ、武器や魔法を使えても何回かは死ぬだろうが。


「実はこう見えても当代一のテンノでね」

「道理でいい身体してると思ったわぁん」

「ならばテンノらしく潜入工作をしようかなと。要塞崩しには定評があるのさ」


 ここまでありがとう、と一言礼を残して海へ飛び込んだ。


 この場で魚に変化するわけにもいかないので、ヒトの姿で波に打たれながらも必死に泳ぐ。

 そして自分のではない水を掻き分ける音も聞こえてきた。

 振り向かずとも、音の大きさと息遣いから誰かは分かる。

 

「本気か? 下手したら死ぬぞ?」

「あのタコを捌けはしないけど、攻撃を捌くくらいはできるわよ」

「……頼らせてもらうぞ」


 俺の泳ぎにピッタリとついて来れる者がそこまで言うのだ。

 信じるほかない。


「来るぞ」


 クラーゲンがついに我々二人を駆除すべき虫と認識し、丸太のようにぶっとい触手を振り上げる。


「うぉっ!」

「やぁんっ」


 害虫二匹を潰さんと叩きつけられたそれは、まるで大砲が着弾したのと相違ない水しぶきと轟音を生み出した。

 

「平気か!?」

「これくらいならなんとかね。ほら次、来るわよぉん」


 子供が打楽器を叩くように、クラーゲンは乱雑に触手を叩きつける。

 そして我々小さき者共は陸の上とは全く勝手の違う場所でそれに対応しなければならない。

 俺はテンノ式水中矢避け術――くしゃみで身体が飛び跳ねるのを元に生み出された、体内で発生した力を一点に集約することによって水中でも瞬発的な移動を行う技術――によってどうにかやり過ごしているが、彼女はどうか。


「ッ!?」


 余裕ができたので目を向けた矢先、グーちゃんに触手が直撃した。 


「おい! 大丈夫か!!」

「大丈夫よぉん」


 しかし彼女は何食わぬ顔で泳いでいた。 

 確かに避けきれなかったはずなのに。


「言ったでしょ? これくらいなら捌けるって」

「…………そうか! 柔の拳か!」

「あら、よく分かったわねぇ」


 またしても叩きつけられた触手を受けつつグーちゃんは答えた。


 彼女が用いている柔の拳は流派によって差異はあれど、理論上は砲弾さえも受け流せる強力な防御術だ。

 ただ、あくまでそれは理論上の話である。

 タイミング、角度、力加減のどれか一つでもズレてしまえば普通に受け止めるよりも大きなダメージを被ってしまう。

 だから柔の拳を修得しているとしても普通は格上相手にやらないし、やれない。

 

 しかしグーちゃんは柔の拳を極めていて、かつ気が狂っているので続けることができた。

 そして気付けばもうひと泳ぎ、キングパスタ号の尾から頭ほどの距離まで詰まっていた。


「……だよなぁ。やっぱりそうきたかぁ」


 だが、快進撃もここまでか。

 片方の標的はハエのように攻撃をかわし、もう片方は当たっているのにどうも潰した感触が無いことに違和感と不快感をつのらせ。

 ついにクラーゲンは全ての触手を束ねて大きく振り上げた。


「アレはさすがに無理ねぇ」

「俺も避けきれそうにないな」


 今までの攻撃に比べて表面積と質量が何倍にも大きくなった一撃。

 これまでと同じやり方で受け流すことは不可能。 

 これまでと同じやり方で避けることもまた不可能。


 もはやこれまで――。



「「――せぇー……のッ!!」」



 だから我々は力を合わせた。

 正確には足裏を合わせ、膝を曲げ、互いを蹴り飛ばした。

 直後、元いた地点に水柱が隆起し轟音が空気を揺らす。


「今のうちだ!」


 クラーゲンが水飛沫で我々を見失い、かつ今度こそ潰しただろうと油断している間に距離を詰める。

 同時に小指を千切り取ってヤツの頬のあたりに投げつけた。


(――《掌念爆砕ショウネンバクサイ》)


 唱えずとも綴らずとも使えるほどに慣れ親しんだ魔法を一つ。

 俺の愛しい小指は着弾と同時に爆発し、大人二人が同時に通れる大穴を空けた。


「こっちだ」

「ちょっとぉ! 何よそれ!?」

「テンノ専用七つ道具の一つさ」

「指みたいに見えたけどぉ?」

「テンノ専用七つ道具の一つさ」

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