第十八話 「吐きたい? 吐きたくない?」


 陸から離れて早いもので七日が経った。

 そろそろ緑色が恋しくなってきたが、封魔大陸までこれでようやく半分といった具合だ。

 

「よぉしお前らァ! 今日の昼頃には魔の海域に突入だ! 気を引き締めてかかれェッ!」

「はぁい船長!」

「楽しみだねカレンちゃん! ミーちゃん!」

「うん! すごい楽しみ!」

「……ん」


 乗船者の半数がまるでハイキングにでもいくような気分でいるが、とても心配だ。

 船で魔海を航る時は必ずといっていいほど何かあるのだ。これは何百何千回と実際に航海して、ほぼ毎回大なり小なり死んだり死にかけたりした上で発見できた経験則だ。

 ……ではこの七日間は何事もなかったかというと、そういうわけでもない。

 

「おいカレン。浮かれるなとは言わないが、少しくらいは警戒心を持っておくんだぞ」

「大丈夫だってー。おとといも海賊に襲われたけどなんとかなったじゃん」


 そう、実はこれまでに三回ほど海賊に出会っている。


 初回は修理が完了した漕ぎ機の推進と、ミーちゃん・ラクサが共同で大風を起こしてくれたので逃げおおせた。

 二回目は島の陰に潜んでいたのに気付かず接触してしまったのだが、まず最初に船の名前と目的地を尋ねられたので答えると襲ってはこなかった。海賊達の中にキングパスタ号の伝説を知っていて縁起を気にする者が何人かいたのだろう。

 そして一昨日の三回目。


『クソッ、待ち伏せされてたか!』


 いくつも島々の散在する海域を抜けたところで四隻の海賊船に囲まれてしまった。


『俺らは虹色のウミウシ海賊団だ。船長はどいつだ?』

『俺がキングパスタ号船長、シモーネだ。大したもんは積んじゃいないが大切な客人を運んでるんだ。どうか邪魔をしないでほしい』


 四方から大砲を向けられた状況で、サンニーニ家の魂を受け継いだシモーネがものおじせず、しかし穏便に済ませようと交渉する。


『どこに行くつもりだ?』

『……魔界だ』

『魔界だぁ? 寝ぼけてんのか?』

『せ、船長! この船は本当にあの伝説の……』


 急いで駆け寄って来た船員から詳しく話を聞き、海賊団の船長は驚きの表情を浮かべた。そして、


『俺あの話が子供の頃から好きなんだよ! シモーネさん、握手してくれ!』

『あ、あぁ』


 わざわざ梯子をかけて直々に乗り込んできて、憧れの人に握手だけして満足した様子で自分の船に戻った。

 なんだ話の分かるやつでよかったと、シモーネがホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、


『よし! それじゃあ気も済んだし…………金目のもんと女を全部よこしな。それで通してやる』


 交渉が決裂した。


(……すまないアレンさん、お前達)

(いえいえ、あの手の輩は元より略奪しか頭にないですから。お気になさらず)

(女が欲しいようだしアタイが行ってくるわぁん! ケーちゃんは右のをお願いね)

(右ね、分かった!)

(……私は左)

(アレンちゃん、後ろの船を頼めるかしらぁ?)


 一応客人なのだが勝手に戦闘員に組み込まれていたので、諦めて頷いた。


『おーい、何こそこそ話してんだ早くしろー! あー、そこのでけえオカマはいらねえぞ』

『細かく切って鮫の餌にしてやれ!』

『海に投げ入れちまえー!』


 刹那、グーちゃんの頭部からブチリという音。


『オイオイ、だからお前は呼んでねえって! 帰れ帰れ!』

 

 麗しの乙女は梯子を使わずに正面の船に飛び移り、咆哮。第一マストに蹴りを入れた。

 よって巨木から作られたマストが飴細工のようにポキリと折れ、少しの間を置いて悲鳴と怒声が各所から沸き起こる。

 それが開戦の合図となった――。

 

「あたしも見たかったなぁー……。みんな凄かったんでしょ?」

「あぁ……」


 カレンはラクサに任せて船内に隠していたので彼らの戦いぶりを知らないが、アレは中々に人外じみていた。


 怒り狂うグーちゃんは自分を嗤った者を片っ端から殴り飛ばし。

 ケーちゃんもモップ片手に単身乗り込み、掃除の片手間に戦闘を行ってゴミと海賊をまとめて海に掃き捨て。

 ミーちゃんはその場でキングパスタ号に向けられている大砲を全て詰まらせ、それから波を操って海賊船をまるごと一隻沈めてしまった。

 俺がダラダラと話し合いをしている間にさくっと終わらせていたのだ。


「一番遅かったせいで三人にまじまじと見られながら応援されてね。けっこう恥ずかしかったよ」

「アレンよりも早く倒しちゃうなんて……ケーちゃん達って絶対に普通の人じゃないよね。なんでこの船にいるんだろ」

「さぁね」


 カレンだって明らかに普通の側ではないよとは言わずに流した。

 いったい彼女達が何者なのか、これまでの言動から薄々見当はついている。

 しかしそれを直接聞いて確定させ、さらにこちらの身の上を知られてしまったら敵対することになるやもしれぬ。

 お互いに知らないまま別れた方がいい。



「おぉい旦那ーっ!」


 今日付けでしばらくお預けとなる平凡な海をぼぉーっと眺めていたら、朝礼の後に船長室へ戻ったシモーネが海図とあの分厚い本を携えてやってきた。


「どうしました?」

「これからの道順を決めてもらおうと思ってな。今はこの辺りにいるんだが、魔海に入ってからの道順が三つあるんだ。右回りとこのまま真っ直ぐ行くのと左回りの三つだ」

「おまかせしますよ。あなたの腕の良さは知っていますから」

「いや、こればっかりは俺の一存じゃ決められねえ」


 シモーネは海図を丸めて脇に挟んで、航海の知識が詰まった本をペラペラとめくり始めた。

 そしてとあるページを開けて俺とカレンに見せた。


「一つは『船の墓場』と呼ばれる、海生の魔獣がうじゃうじゃいる路。一つは『船の大墓場』と呼ばれる、魔獣はほとんどいないが暴風が吹き荒れ雷が降り注ぎ年中大しけの路。そして最後の海路では濃い霧が発生しやすい」

「なるほど」


 なるほどと言いつつ先の二つは知っている。

 ただ、最後の霧が出る海路とやらは見た覚えも聞いた覚えもない。記憶が正しければその海路は普通に海の魔獣が生息していたはずだ。


「その中なら最後のが一番安全じゃないの?」

「オレも嬢ちゃんに賛成ダ。羅針盤があるしずっと霧の中でも大丈夫だロ?」

「実はその霧が曲者でな……。霧の中にいる間は羅針盤が狂って方角が分からない。しかも、だ。霧はまるで生き物のように船を捕食、正確にはやすりのように木材を削り取っていくらしい。そして最後には部品一つ残らないから墓場にすらならない。言うならば『船の調理場』ってとこか」

「なにそれ……。ゼッタイ自然現象じゃないでしょ」

 

 カレンの言う通りどう考えても自然現象ではないし、四千年の見聞にもそのようなものはない。

 大方俺が封印されている間に創られた魔獣か魔法の類だろう。

 あとで一人きりで観に行くとしよう。

 

「なら二つしかないな。カレン、どっちがいい? とんでもない悪天候か魔獣か。ちなみに個人的には魔獣の方がオススメだ。うじゃうじゃいるといっても三爪以上の魔獣は滅多に出ないからな。ですよね船長?」

「あ、あぁ。そう書いてあるな」

「悪天候の方は運が悪ければ落雷が直撃して海の上なのに炎上するか、大しけによってパンケーキのように船をひっくり返される。もっと運が悪ければ黒龍嵐に飲み込まれて船もろとも砕け散る。それとたぶん船酔いして何度も吐くぞ。……って、書いてありますよね?」

「その通りだが、妙に詳しくないか? まるで実際に見てきたように」

「いやいやそんな! 祖父の受け売りですよアッハッハッ」


 それもそうかと、シモーネは納得して口をつぐんだ。

 

「それでカレン、どっちにするかはもう決まっているな? 吐きたい? 吐きたくない?」

「……吐きたくない」


 我々は比較的安全な『船の墓場』へ向けて舵を切った。

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