第十七話 「恋敵の頭を踏み潰すくらいの感覚」
「ここが食糧庫であそこが火薬庫」
「こんなに食べ物を積んでたんだ! 火薬庫も見ていいの!?」
「火薬庫は危ないからちょっとだけだよー」
親切なケーちゃんに船内のほとんどを案内してもらった。
今のところ恐ろしい魔獣などは住み着いていなかった。しかしこの船には恐ろしい乙女が乗っている。
そして残るはあと一部屋のみ。
何かあったら骨くらいは拾ってやるヨと、ラクサが頭の中に語りかけてきた。
「次が最後の部屋だよね! お宝とかあるかなぁ!? 開けていい!?」
すっかり彼女の存在を忘れているカレンが躊躇いなしにドアを開け、部屋の奥で佇んでいる人物に気付いた途端にサァっと血の気を引かせた。
姿勢正しく読書をしていたのは、相も変わらずフリフリの給仕服を着て厚化粧を施した筋骨隆々の大男である。
乙女を自称する彼女の名はグーちゃん。ちなみに読んでいる本の題名は『恋愛教本第三巻:妻帯者の落とし方編』とある。背中に嫌な汗が滲んだ。
「あらぁ! 皆そろってどうしたの? お腹でもすいたかしら?」
「カレンちゃんと一緒に船を探検してたんだー。あとはこの部屋だけだからグーちゃんに任せるよ」
「そういうことね、任されたわぁん」
「ちょっ」
カレンの口から「待って」の一言が出る前にケーちゃんはドアを閉めて出て行った。
「ほらほらそんなところに立ってないで、こっちに座って座って。お菓子もあるわよぉ。コーヒーは飲める?」
「ひゃ……はい……」
逃げ場を失ったカレンは蛇に睨まれたカエルという言葉をまさしく体現していた。
されるがままグーちゃんの前に置かれた木製の丸椅子に座らされ、甘く香ばしい焼き菓子とコーヒーを渡されたにもかかわらず口へ運ぼうとしない。
毒入りを疑っているわけではないだろうが、グーちゃんへの本能的な恐れから氷漬けにされたように停止した。
わかるよわかる。俺だって得体の知れないものは怖い。
普通のオカマ相手なら何も問題はないけど、この人からは普通ではない強さを感じ取れる。下手な発言をすれば即座に組み伏せられて、しばらくの間忘れられないやり方でねっとりじっくり吸い尽くされて殺されるかもしれない。
だから怖い。
「……カレン、おじぎを忘れているぞ」
「あ、ありがと。グーちゃん……さん」
だからといって二人揃って静止していてはそれこそグーちゃんの機嫌を損ねてしまう。
人生には幾度も、その先にどんな怪物が潜んでいるやもしれぬ闇の中を突き進まなければならない時がある。それが今だ。
「んーもゥ、そんなに改まらないでちょうだい! 楽しくおしゃべりするわよ! カレンちゃんがしてきた旅の話、ぜひとも聞きたいわぁー。もちろん、話せることだけでいいわよぉん? 秘密は乙女を魅力的にするものなんだから」
「えっと、じゃあ……リボンレイクって国の話から――」
見目麗しい乙女と野獣の貌をした乙女のお茶会が開かれた。
傍から見れば水と油のような組み合わせだが、油の方が実は清水であったため二人はすぐに打ち解けて話を弾ませた。
「ロマンチックねぇ……。アタイもそんな体験してみたいわぁ!」
「グーちゃんも今度一緒に行こうよ!」
カレンの中では当初の印象であった触れてはいけない不気味な化け物から、よく遊んでくれる親戚のお姉ちゃんくらいには変わっているだろう。俺もそのように考え直した方がいいのかもしれない。
しかし、だ。
グーちゃんとカレンが仲良くお花を摘みに行った隙に恋愛教本とやらを開き、栞の挟んであったページに「父親を籠絡するにはまずは子供と仲良くなること」などと書かれているのを見てしまったばかりに警戒を解くことができない。
どうか冗談であってくれ。
直接聞くわけにもいかず、どうしてもグーちゃんに対する疑念が晴れないままでいると。
「あら、なにかしら」
カンカンカン、と。
壁から突き出たラッパのような鉄の管より金属を叩く音が鳴り出した。
「はぁいミーちゃん、どうしたのー?」
グーちゃんがすぐに寄って管の蓋を開け、そこに声を送り返す。
どうやらそれは伝声管で、マスト上の見張り台に繋がっているようだ。
『風が止んだ。しばらく漕いで』
「りょーかぁい」
仕事の時間がやってきたわと自身の菓子とコーヒーを片付け、それから床板の一部を取り外した。
そして床下から現れたのは座席と手持ち部分とあぶみのような
「なにそれ?」
「これはねぇ、アタイも詳しくは分からないんだけど……船の尻尾に水車みたいなのがついてて、こうやって漕ぐと水車が回って船を動かせるとかなんとか。やってみるぅ?」
「面白そう!」
まずはお手本にとグーちゃんが何回か漕いで、それからカレンに場所を譲った。
「えーっと、ここに足をのせて…………アレ? 動かない? もしかして壊れちゃった?」
「たぶん力が足りてないわね。体重をかけて思いっきり漕がないとダメよ。思いっきりよ思いっきり。恋敵の頭を踏み潰すくらいの感覚よぉん!」
「ふんっ!! んぐぐぐ!」
カレンは言われた通り、手持ちをギュッと握って踏み潰すように立って漕いだ。
歯を喰いしばり顔を真っ赤にしてできる限りの力を籠めてはいるのだが……残念ながら車輪はピクリとも動かず。
「カレンちゃんならできるわよぉん!」
「嬢ちゃん、今こそ意地の見せどころだゼー!」
「頑張れ頑張れカーレーンッ!」
「……あァッ!! もう無理ぃッ! 選手交代! アレンの番!」
「えー、俺がやるの?」
相当の脚力を使ったふらふらになったカレンは、カラクリから離れて女の子らしく背中から大の字に倒れて。
早くやってよ、お父さんらしいところを見せてよ、と口を開けて寝ながら視線を送ってきた。
「……どれ」
ここでいっちょ頼りになる父親だということを再認識させよう。
しかし汗の一つも出さずに漕いでみせては色々とマズい。マズいので、
「これは中々……キツイ……なっ」
急速に体温を上昇及び発汗、ひーひー声を出しながらゆっくりと漕いでみせた。
いくら辛そうでも、いくら緩やかでも、漕げさえすればそれでいいのだ。
カレンのような娘っ子は当然のこと、そこらの力自慢の男でも一時間かけて十回漕げれば大したものなんだから。
だから俺はあと十回ほどゆっくりと漕いで終わりにしよう。
そのような考えはたった一言で消し飛ばされた。
「あら? そんなもんだったのぉ?」
「…………はい?」
「おっかしいわねぇ。アタイの見立て違いだったかしら? それともその身体はただの飾り?」
挑発。
大袈裟なため息を交えたあからさまな挑発。
乗るべきか乗らないべきかでいえば、普通は乗らずに無視すべきもの。
ただしそれを選択した場合、年長者としての威厳と娘から信頼を少々失う。さらに言えば、かつて俺の常勝を心から願ってくれた者達を裏切ることになる。
「……いいでしょう」
その挑発に全力で乗ってやろうじゃないか。
筋力を解放できる人間なんて探せば意外と見つかるものだ。
この程度バレたところでなんてことはない。
五千年の研鑽を見せてやる。
「んふっ。アタイの目に狂いはなかったようねぇん」
グーちゃんがなぜか投げキッスをしてから床板を外すともう一台同じものが現れた。
ずっしりと岩のように威圧感のある肉体が真横に並ぶ。
「これは見ものだナ」
「競争するんでしょ!? 先に何回漕いだ方が勝ちなの? 十回くらい?」
「十回じゃあ差がつかないわよ」
「百……いや――」
「「――千回」」
完成された肉体を持つ者同士、考えることは同じだった。
♦︎♦︎♦︎
結論から言ってしまえば、勝敗は曖昧なものとなった――。
「それじゃあ第一回早漕ぎ対決よーい……始めっ!」
使っていいのは長い年月をかけて磨き上げてきた肉体と筋力の制限を解除する技術、あくまで人間ならば誰でもできることのみだ。
だから常に限界の力を出し続け、不死者の再生力で壊れたそばから骨と筋線維を修復することはできない。
つまりは長距離走と同じようにペース配分を考え勝負所を見極める必要がある。
まずは様子見だ。
「あらぁ、アタイについてこれるなんてなかなかやるじゃない」
「温存してるくせによく言うよ」
「それはおあいこ様でしょお?」
開始三分、グーちゃんは一秒一漕ぎ以上のペースで漕ぎ続け、俺が百五十に達した時には二百を超えていた。
どの程度かは分からないがこの者も枷を外せるのだろう。
しかも純粋な体格と筋肉量に関しては圧倒的に俺が不利だ。
当たり前のように負けている未来がよぎった。
五割の力を解放。
「おっ、先輩の出力が上がったナ」
「どっちも頑張れーっ!」
「やっぱりまだまだ温存してたじゃない。アタイもあげちゃうわよぉん!」
「……そう簡単には引き離せないか」
俺もグーちゃんもペースを全く落とすことなく漕ぎ続け、両者共に五百回を超えたあたりで。
カンカンカンと、伝声管が鳴り出した。
「カレンちゃん、蓋開けてくれるぅ?」
カレンが一旦我々から目線を離して伝声管の蓋を開けて「はぁいミーちゃん」と、誰かさんの声真似をして届けた。
『もう十分速度が出てる。止めていい』
通話の相手がグーちゃん本人ではないと気付いているだろうが、そこには一切触れずに用件だけを述べて切った。
「止めていいだって。どうするの?」
「すぐに終わらせるから気にしないでいいわよぉん」
「あと十分……いや、五分もすれば終わるさ」
俺とグーちゃんは互いに少しずつ力を解放していき、抜きつ抜かれつの熾烈な終盤戦へ突入。
六百、七百、八百と数を重ね、いよいよ最後の百回が近づいてきたころ。
――カンカンカンカン!!
伝声管が先ほどよりも数段けたたましく鳴り出した。
「カレンちゃん、蓋開けて」
カレンは優秀なテンノのように無駄のない一動作でサッと寄ってバッと蓋を開ける。
『漕ぎすぎ。こんなに速くしなくていい。今すぐ止めて』
「カレンちゃん、蓋閉めて」
そして即座に蓋を閉めて通話を遮断した。
蓋を閉めたあともカンカンカンという甲高い呼び出し音は鳴り続けた……が。
自分一人だけの世界に没入する我々には、それが半永久的に繰り返す波の音となんら区別がつかない。
ついに残り百回を切り。
ここが勝負所と、互いに一分以上も続ければ身体が壊れる限界ギリギリの力を解放。
泣いても笑ってもこれで決まる。
「おりゃあああアアアアアーーッッ!!」
「ぬぉおおおおオオオオオーーッッ!!」
――バキンッ!!!
突如、竜の背骨がへし折れたような轟音が床下で起こり。
同時に俺もグーちゃんも身体が大きく浮いて足掛けから足が外れた。
「……あれぇ?」
「……あらぁ?」
船が鯨と衝突したり座礁したわけでもないようだが……。
薄々嫌な予感を感じながらも再び足掛けに足を乗せて力を籠める。
「あっ」
「あらやだ」
今までの牛や象にでも頼りたい重さはどこへやら、全く力を入れずとも漕げるようになっていた。
競争相手の方も同様である。
「ねぇどうしたの? それよりも今の音何?」
「ちょっと漕いでみるといい」
まだ現状を飲み込めていないカレンに席を譲り一漕ぎさせる。
「あっ」
何が起こったのかを理解して、表情が固まった。
「……これ、大丈夫なの? 直せるの?」
「んー、たぶん大丈夫よぉん。前にもケーちゃんが漕ぎ過ぎて壊したから」
「ならいいが…………何? ケーちゃんが壊しただと!?」
「本当よ?」
俺とグーちゃんが本気になって壊せたものを彼女が一人で壊したというのは、ここ数週間で最も衝撃的で信じがたい話だ。
しかしそれを詳しく問い詰める前にドアが音もなく静かに開かれ。
ほとんど無表情ながらも、怒りの感情を身体の端々から発する女性が現れた。
「……は、はぁいミーちゃん」
「こ、これはこれはミーちゃん様。先ほどは娘を助けていただき誠にありがとうございます」
「み、見張り台にいなくていいの……?」
「――《
どこにも逃がさないと、我々は問答無用で首から下をまとめて氷漬けにされ。
「私を無視して何をしていたか、全部話してもらうから。……あとそれ、また壊した?」
めちゃくちゃ怒られた。
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