第十六話 「芸術点」
「とっつげきーっ!」
カレンが勢いよく開けたドアは客室の隣、船長室のものだった。
深々と椅子に腰かけて食い入るように本を読んでいたシモーネが突然の来訪者にびくりと驚く。
そしてすぐさま本を閉じて立ち上がった。
「ど、どうかしたか!? まさか、うちの船員が何かやらかしたんじゃ」
「いえ、娘が船を探検したいと言ってきかないものでして……。見学してもよろしいですか?」
「あぁ、そういうことならどこでも好きに見ていってくれ。どれ、今はやることもねえしちょっくら案内でも」
「大丈夫です、お気になさらず。この子は俺が責任を持って見張るので休んでいてください」
「ねぇねぇ、それ何の本?」
邪魔はしませんのでと言った矢先に馬鹿娘がたずねた。
シモーネは今しがた読んでいた分厚い本をそっとカレンに手渡した。
「重たっ! えーと……キングパスタ号とサンニーニ家の歴史?」
「その本には二千年も前から航海の知識と経験が書き足されているんだ。……まあ、ボロくなるたびに写本しているから本の素材自体はまだ新しいんだけどな」
「ほー、こりゃすっげえナ」
「どのページもすごい細かく書いてあるね! へぇー、女の船長さんもいたんだ! ……えっ? 二十三代目の船長さんはパスタの食べ過ぎで死んだ? 二十四代目は魚の毒抜きを忘れて。二十五代目はパスタを喉に「そこまでにしておきなさい」
これ以上親愛なるサンニーニ家の名誉が損なわれないようにカレンから本を取り上げてシモーネに返す。
カレンはあれこれ質問をしながら船長室を一通り物色して、それから満足した様子でドアを開けた。
「また来るねー!」
「おう!」
「大っ変お邪魔しました! こら、待ちなさいカレン!」
阿呆は船長室を出て逃げるように甲板に駆け下り、そして一切の躊躇なくマスト上の見張り台を目指してロープはしごを登り出した。
「待てカレン! 一人で行くと危ないぞ!」
「あたしより遅かったら罰ゲームねー!」
大の大人でも脚が竦みそうなものを猿のようにするすると登っていく。
俺が追いつくまでに見張り台のすぐ下まで登り、手すりに手をかけようとしたちょうどその時、カレンにしては運悪く突風が吹きつけ――。
「きゃ」
俺の血や解体ショーを見る時とはまた違う、普通の女の子らしい悲鳴を出して宙に放り出された。
いくらカレンが子供相応の体重であると言えど、あの高さから落ちたら卵のように割れて中身が飛び出てしまう。
それだけは阻止せんと筋力の制限を解いて跳躍――
「――《
そこに頭上からの声。
俺の両手がカレンに届くより早く魔法の言葉が唱えられ、ロープが生き物のように動いてカレンを巻き取った。
「先輩!」
そして空中には自ら飛び出たアホ一人が取り残された。
急な弧を描いて海面に向かう軌道を今更変えることはできない。
では俺は何をすればいいか。
答えは簡単、芸術点を稼ぎにいくのだ。
「ふっ……」
前方五回ひねりを決めて頭から華麗に着水。
しかし身体がなまっていたせいか。
水面に対して垂直になりきれず、ボチャンと無駄な水飛沫が上がってしまった。二点減点。
海の住民にご挨拶してから浮上、フナムシの如く船の側面から這い上がり帰還。
船べりで真っ先に出迎えてくれたラクサが風の魔法で乾かしてくれた。
「……いい飛び込みだったと思うゼ」
「いや、あれじゃダメだ。せいぜい七点ってところだ。……さて」
チラりと見上げると、見張り台からこちらを覗いていたカレンがさっと顔を隠した。
どうやら調子に乗りすぎたことを自覚できているらしい。
なればちょっとしたお話と夕食を三品抜く程度で勘弁してやろう。
「オレの主様をあんまりいじめないでくれヨ」
「カレン次第だ」
カレンと同じことをしては面目が立たないため、絶対に落ちないよう一つ一つガッシリとロープを掴んで登っていく。
そして今度こそ見張り台に到達した。
「ミーちゃんさん、ありがとうございます。あの間抜けを助けてくださって」
「……大したことはしてない」
まずはカレンの命を救ってくれた恩人に深々とおじぎを。
しかしミーちゃんに食事処で会計をしていた時のような営業スマイルは無く、どこ吹く風とこちらを見向きもせず前方の海を観測していた。
あとで何かしらのお礼をしよう。
「さぁ、私の愛しい娘よ。隠れていないで出てきなさい」
まさかバレないとでも思っていたのか。
ミーちゃんの後ろで毛布に包まれている何かに声をかける。
もぞりと動いて、それから顔を出さずに返答した。
「……怒らない?」
「怒ってないよ。いつものことじゃないか」
カレンの不注意や突飛な行動によって、俺の首が取れたり全身がバラバラになったりするのには慣れたものだ。
その程度で怒っていてはきりがない。年中怒り続けることになる。
「ごめんなさい」
「うんうん、いい子いい子」
素直に毛布を脱ぎ捨てて謝った賢い子をそばに寄せ。
俺の右手首からカレンの左手首にロープを結び付けた。
「えっ……なにこれ。許してくれたんじゃ……」
「もちろん許しているとも。許しているから牢屋には入れずに、俺から三メートル離れた場所までは好きに行かせてあげるさ」
別に俺の命が何度絶えようが目減りするものではないし構わないが、カレン自身に危険が及ぶような行いは見過ごせない。
「う……」
「それと魔界に着くまで食事は一日三食、おかわりは日に一度まで」
「嘘つきぃいいーっ!!」
悲痛な嘆きが響き渡り、この船で羽休めをしていたラクサ以外の全ての鳥が飛び立った。
♦♦♦
ミーちゃんに「うるさい。親子喧嘩なら下でやって」と、魔法のロープでぐるぐる巻きにして吊り降ろされてから早五分。
船上での探索をざっと終えて、我々は船内へ潜り込んだ。
日中なので灯りをろくに点けず、しかも外から差し込む光は無いに等しいので船内の廊下は薄暗い。それが宝の隠された迷宮なんぞを彷彿させるようで、カレンの心拍数が上昇した。
「いいかカレン? 心が飛び跳ねようとも決して身体は飛び跳ねず、落ち着いて、静かに、安らかに見学するのだ」
「うん」
「いいな? 絶対に走り回ったりするんじゃないぞ?」
「分かってるって!」
これはもしもの、まずありえないような話だが。
はしゃいだカレンが船内を駆け回りそのままの勢いで火薬庫に突入し、運悪く滑って転んで火花が飛び散って火薬に引火、大爆発を起こして船が海の藻屑となってしまう。
なんてことがあるかもしれない。残念ながら絶対にないとは言い切れない。
だから念押しして言いつけた。
「あとはそうだな、足音も消しておこうか」
「足音も?」
「ずいぶん大げさだナ。まぁ、ワケはだいたいわかるけどヨ」
それから消音の魔法をかけて足音が鳴らないようにした。
これはドタドタと足音を立てて仕事の邪魔をしないためにするのが半分で、もう半分はグーちゃん対策である。
どういうわけか俺はあの大柄な乙女に目を付けられている。
できることなら一度も遭遇せずに探検を終わらせたい。
(これは試験だ)
(試験?)
壁に張り付いてコソコソと移動しながら、子供をその気にさせる口上を囁く。
(そう、一人前の立派なテンノになるための試験だ。俺が今まで教えてきた技術を用いて、絶対にバレないようにするのだ)
(りょーかい!)
(へー、二人はテンノだったんだ)
不意に続いた第三の声。
それはラクサのものではなかった。
ぐるっと首を一周回したが前にも後ろにも、右にも左にも声の主は見当たらない。
ましてや足元に寝転がっているわけでもなく、消去法で残った選択肢はというと……
「ひっ!?」
声の主を発見したカレンはまるで魔獣にでも出会ったかのようにびくりと身を震わせ、俺の右手首をギュッと握ってきた。
しかし天井に張り付いているそれは魔獣ではなく生身の人間である。
グーちゃんほどではないが、女の身で恐ろしく鍛えられている。
「ケーちゃんさん……ですよね?」
「はい、ケーちゃんです!」
黒い瞳を輝かせ天真爛漫な笑顔をのせて答えた彼女は、三人組の中で最も普通の女の子らしい明るい子だ。
いや、天井に張り付いている時点で普通の女の子という範疇から外れてはいるが。
「そ、そんなところで何してるの?」
「何って、掃除だよ? それよりも二人共、魔界に行くんだよね!? テンノだっていうからには何かの任務!? どこの国に頼まれたの!? もしかして前にも魔界に行ったことあるの!? ……あっ、ごめん! そういうの聞いちゃダメなんだよね。わたしもミーちゃんに個人情報は話すなって言われてるし」
天井から木の葉のように音も立てずに着地し、我々にぐいっと詰め寄って嵐のようにまくしたてて勝手に反省した。
この子はなんというかとても純粋でまばゆく輝いて見える。
強いて言うなら……カレンの同類だ。
「それで結局、二人は何してるの?」
「実はカレンが船の中を見学したいと」
「見学じゃなくて探検!」
「そうだったんだ。じゃあ、わたしが案内してあげるよ!」
「いいの!?」
「いやいやそんな、仕事の邪魔をするわけには」
「いいのいいの、ほとんど終わってるから」
ケーちゃんは手に持っていた雑巾を懐にしまい、代わりに灯りを手に取った。
「カレンちゃん! この船にはこわーい魔獣が住み着いているかもしれないから、お姉さんにちゃんとついてきてね? それじゃあしゅっぱーつ!」
「しんこー!」
もしもカレンに姉がいるとしたらケーちゃんのような子なのだろう。
横並びになって歩く二人は歩幅といい体の揺れ方といい、顔つきは違えど仕草や雰囲気は不思議と似通っていた。
二人の姿は大変微笑ましく思えた。たしかに微笑ましく思えたのだが……
(まさか、妬いてるのカ?)
(少し……な)
(先輩のような面倒くさい親を持ってしまった子は大変だナ)
(我ながらそう思うよ)
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