第十四話 「元海賊」
「今回のはちょっと長いぞ。眠くなったら無理しないでいいからな」
「はやくはやく!」
窓を開け、夜風と波の音を背景に読み聞かせる。
記憶の海に沈む、懐かしい物語の一つを引っ張り上げて。
「あれはむかーしむかし、今から二千と三百年ほど昔のことだ――」
魔界内部での戦乱につき人族と魔人は長らく停戦中であったころ、中央大陸では中央部の大国が崩壊したことにより混乱と戦火が広がっていった。
そのため争いを好まない人々は平和な大陸沿岸部に逃げるように移り住み、さらなる交流や未発見の島々を求めて海運が発達。
海図にいくつもの点と線が追加される、いわゆる大航海時代などと呼ばれる時代へと突入した。
俺も時勢に乗じて北東の海で手頃な島を見つけ、そこに別荘を建ててのんびりと暮らしていた。
一日中鍛錬に励むこともあれば、ぼーっと寝ぼけ眼で釣りをしたり海の景色を描いたり。時折知り合いが遊びに来たり。
刺激は大してないが楽しく過ごしていた。
やはりというべきか海の時代が莫大な富を生むようになると、次第に邪な方法で富を獲得しようと海賊行為が流行するようになった。
度が過ぎればやがて本格的に駆除されるだろうし、海は俺の所有物ではないので目の前で悪行を見てしまわない限りは構わず放っておくことに。
そんなある日のことだ。
「ヒャッハー! オレたちゃ海賊だァーッ!」
「サメの餌にされたくなきゃ金目のもんと酒を全部出しな!」
「にしてもさびれたシマだなぁオイ! 倉庫代わりには使えっかな?」
「……君達、入島許可証は? それとも誰かの紹介かい?」
髑髏の旗を掲げた流行りの海賊船がついにうちの島にもやってきた。
「ずびばぜん、でじだ……」
「もうぎまぜんので、いのぢだげば」
「じゃあこれ、許可証ね。次からは忘れずに持ってきてね」
うちの島は一見さんお断りで、歓迎の準備もしていなかったので今回は丁重にお引き取りいただいた。
そして、五年とせずにまた同じ船がやってきて……。
しかしどういうわけか前回と比べて船には無数の穴が空き、三本あるマストのうち二本は折れていて、帆も自慢の海賊旗もボロボロに破けていた。どうにかしてこの島まで辿り着けたといった具合だ。
何よりも二十人はいた乗組員が船長ただ一人を除いて見当たらない。
「許可証は?」
ガリガリに痩せ細り、今にも倒れそうな船長が震えながら懐より取り出して見せた。
俺が丹精込めて作った許可証には何度も踏みつけられたような跡や血やらが付着して汚れていた。
「頼みが……ある……」
船長は内容を語る前に限界が来てしまい、砂浜で前のめりに倒れた。
ただ気絶しただけのようでまだ息はある。
海賊といえどこのまま島で死なれても困るので、しっかりと栄養を取らせて休ませ。
三日かけて回復してから話を聞いた。
「元はといえば、俺の責任だ。俺が全部悪い」
口髭を生やし、色気があるも悪ガキを成長させたような顔の男ファビオは開口一番に己を責めた。
なんでもファビオと彼の船員達は同じ港町の出身で『大した刺激もなく人並みに老いて死んでいくんだな』と誰もが鬱屈していたところ、
『海賊でもやって一発デカイのを当てようぜ!』
などと酒の勢いでファビオが提案したのである。
誰しも今の生活に飽きがきていて、年長者で皆のまとめ役である彼が言ってしまったこともあり。
ファビオとしては半分冗談のつもりだったのが、三日後には皆が自分の船や仕事道具を売り払った金をまとめて持ってきた。
そこまでされて今さらやめようなどとは言い出せず、流されるままに海賊業を始めることに。
海賊といっても元はただの漁師や船大工なので、金目の物や食料を奪うだけで無用な殺生はせず、本当に血の気の多い同業者とは極力接触を避けていたという。運悪く凶暴な海獣に襲われるなんてこともなかったそうだ。
彼らの七年間の歴史で二番目に運が悪かったのは不死者の住む島に上陸してしまったこと。
そして一月前に起きてしまった最も手酷い不運というのが、
「油断していた。……いや、調子に乗っていたんだ」
どこぞの無人島で宴に興じ飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをして。
どうせ誰も来ないだろうと見張りもつけずに寝てしまい。
朝になって目が覚めると、全員ひとまとめに縛り付けられた状態で四方から槍を突きつけられていた。
『お前ら、何て名前の海賊団だ?』
『真夜中のシーフードパスタ海賊団』
『聞いたこともねえ名前だな。とすると賞金首はいねえか』
彼らは賞金稼ぎを生業とする集団だった。
ファビオの海賊船に賞金首が一人もいないことを知ると、まとめて知り合いの奴隷商に売ると決定して一人ずつ船に乗せた。
まだ殺されるよりはマシかと諦めて従う者がほとんどであったが、年が一番下で弟のように可愛がられていた船員が抵抗して『船長だけは解放してくれ』と必死に声をあげた。殴られても蹴られても同じことを繰り返し続けた。
その姿を見て二人三人と声をあげる者が増えていき、『船長だけは解放してくれ』という言葉が次第に『船長だけは解放してくれ。いや、解放した方がいい。船長はスゴイ男だ。必ず大金を稼いで戻ってくる』に変化していった。
『分かった分かった。コイツだけは解放してやる』
それで静かになるならと、ファビオだけが解放され。
『お前がもし、こいつらの言う通り大金を稼げるっていうなら、しばらく売らないでおいてやるがよ。どうする?』
まず無理だと高を括って、賞金稼ぎのリーダーがファビオをからかう。
ファビオ自身も到底不可能だと、大金を稼げるのならそもそも海賊なんかやっていないと心の中で叫びながらも、本気で期待してくれている仲間の前で啖呵を切った。切るしかなかった。
『稼げるに決まってんだろ! 絶対に一人も売るんじゃねえぞ!!』
『おいおい、本気で言ってんのか? あてはあんのかよっ!?』
『これを見ろ!』
『何だぁこりゃあ?』
取り出して見せたのは入島許可証と記された一枚のプレート。
『それで入れる島にはなぁ、人の皮を被った恐ろしい化け物が住んでんだ。ヤツは絶対大金を隠してやがる。それを奪い取ってきてやる』
『ケッ、バカバカしい。……ま、約束は約束だ。一年だけ待ってやるよ』
男はファビオから許可証を奪い取って捨て、ぐりぐりと踵で踏みつけてから自分達の船に乗った。
去り際に『仲間を見捨ててもいいんだぜ?』と、甘い匂いのする種火を心に投げ入れられるもそれはすでに燃え上がっていた覚悟の炎に飲み込まれた。
ファビオはすぐさま錨を巻き上げ、一人では船を押せないので潮が満ちるまで待ち。
出航してからは朝も夜も、ほとんど寝ずに舵を取り続けた。
休む時間もましてや後悔する暇もありはしない。
「……で、命からがらここまで来たと? 観光ではなく金目的で」
俺の問いに対し申し訳なさそうに頷いた。
「金なら腐るほどあるが、俺を倒して奪っていくかい?」
「奪っていくなんてとんでもねえ! 五年前の悪夢を忘れたことはねえよ!」
「まぁ、事情はよく分かったよ。それで君の大切なお仲間を買い戻すのにいくら必要なんだ?」
「……金貨二千枚。一人につき、金貨百枚で売ってくれると」
「そりゃまたずいぶんとふっかけられたな」
金貨百枚というのは上玉で年若い女奴隷の適正価格だ。
労働目的の男奴隷であれば三人買ってお釣りがくる。
どうあがいても魚臭い男一人につけられていい値段ではない。
「頼むッ!! 金を貸してくれ! 人殺しでも何でもやる! 俺だけは死ぬまであんたの奴隷になったっていい! 二度と陸に上がれなくても構わねえ! だからッ!」
「別に何もしなくていいけど、ちゃんと返してくれる?」
「海賊は約束を必ず守る」
「そうだねぇー」
嘘はついていなかった。
金を借りて逃げようという考えは片隅にも湧いていないようだ。
たとえ死ぬまで返済に追われることになってもやり遂げる目をしていた。
どんな手段を使ってでも、金をかき集めるつもりでいた。
「んー、やっぱやーめた」
「え……どうして……」
だから金は貸さない。
「そもそも俺は海賊が嫌いなんだよ。人の物を奪って弄ぶようなゴミ野郎が大嫌い。いくら君達がカタギを殺していないと言っても犯罪者には変わりがない」
「それは、その……」
「君は賞金稼ぎ達を悪者のように話すけどね、彼らは世のため人のために正しいことをしたと思うよ。違う?」
俺が正論で殴り、ファビオは沈黙で答えた。
それでしばらく俯いて押し黙っていたが、顔を上げずに背を向け、邪な覚悟を決めてボロ船へ向かった。
だから俺はそこで「あっ!」と声をあげ。
そのままでは一月の間命が持つかどうか分からない、危うい足取りの男を止めた。
「……何すか?」
「いやぁ実はね、知り合いに頼まれて貿易業を始めようと思っていてさ。海の男が必要なんだけど……。もちろん現役の犯罪者はお断りだ」
薄汚い海賊なんぞに金は貸さない。
金を貸しはしないが、汗水たらして真面目に働く者に給金を支払うのは別だ。
途端に髭面の男の目が少年のように希望で満ち溢れ輝いた。
「ファビオ・サンニーニ、三十二歳! 好物は母ちゃんの作るトマトパスタ! さっきまで海賊やってましたがもう二度としません! だからあんたの下で働かせてください!!」
一応は荒くれ者を率いる船長ともあろう男がプライドを捨て去り、地に頭を押しつけての懇願。
俺がしばらく無言で見ていても、岩のようにピクリとも動かず同じ姿勢でいた。
「君の覚悟、たしかに受け取ったよ。頭を上げて。明日から早速出発だ」
「……あっ、ありがとうございますッ!!」
「だけど本当にいいのかい? けっこう大変な航路なんだよ? それに国家間のいざこざもあって半ば密輸みたいな形になるんだけど。命の保証はないからやめるなら今の内だよ?」
「へぇ、それはそれは。大陸の北から南までぐるっと回ればいいんすか? 任せてくださいよ、これでもさっきまで海賊してたんですから。一周だろうが百周だろうが回ってやりますよ!」
「うーん、ちょっと違うかな。中央大陸から封魔大陸、つまり魔界まで行き来するのさ」
「へぇ?」
♦♦♦
「社長ォ! 前方に黒龍嵐が! 後ろからも海狼の群れがぁっ!!」
「嵐を読んで進みなさい。一時間後にこの船がみなもに浮かんでいるか水底に沈んでいるかは君にかかっている」
数多の陸なる命を飲み込んできた――さる大国が派遣した百隻の艦隊が一夜にして壊滅したなんて記録もある――魔の海を何度も航海するという命懸けの商売。
たしかに実入りは良いが、正常な人間であれば一度の取引で引退を決意するものだ。
「あっ……あの、これ……。ご注文の品……っす……」
「ぐっへっへっ、いつもご苦労さんよ」
「おーいアレン、この旨そうな人間はいくらだ? 腕一本味見してもいいか?」
「ぅあ……ああぁ…………」
「ちょっとちょっと、あんまり怖がらせるなっての。ウチの社員は売り物じゃありません」
しかしファビオは常に死ぬ気の覚悟で恐怖に立ち向かい。
十分に、いいや十二分に水夫としての務めを果たした。
俺はその働きに対する正当な報酬を支払い続け、
「船長ぉおおおお!」
「死んじまったかと思ったよぉ!!」
「バッカ、俺が死ぬわけねえだろ!」
金が溜まるたびにファビオの仲間達を買い戻し、社員を増やしていった。
賞金稼ぎの方々は毎度鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、それでもきちんと引き渡してくれた。
貿易会社の社員が増えて仕事の効率も上がったことにより、ついに、約束の期限まで一ヶ月も時間を残して最後の一人を買い戻す金が溜まった。
魔界からの土産の品もいくつか携え、社員総出で賞金稼ぎ達の拠点に立ち入った。
最年少の彼が入れられた檻と、その前に立ち塞がる賞金稼ぎのリーダー。
そしてどういうわけか、いつもとは打って変わって百人近い武装集団が我々を囲んだ。これは我々に労いと祝福を述べるために集ってくれたのだろう。きっとそうに違いない。
「ほら、これで最後だ」
魔界でもっと恐ろしいものを見てきたファビオがものおじせずに前に出て、ずっしりと重い袋を差し出す。
それを受け取った者は袋の中身をちらっと覗いて、そのまま突き返した。
「全然足りねえな」
「んだと!? ふざけてねえでちゃんと確認しろ! きっちり金貨百枚入ってんぞ」
「百枚? 何言ってんだ? こいつの値段は金貨二千枚だ」
「はぁッ!!?」
ファビオが袋を地面に叩きつけるのと同時に、周りで囲んでいた者達が武器を抜いた。
よってそれ以上は誰も何も言えなくなってしまった。
……やれやれ。
「なるほどねぇー。一人につき金貨百枚という話ではなかったのかい?」
どうしようもなく俯くファビオの肩に手を置き、後ろに下がらせた。
君はよく頑張ってくれた。
あとは社長に任せなさい。
「んな口約束が通用するわけねえだろ。まぁ、今回はちゃんと契約書を作ってやるよ」
「それはつまり俺の目の前で不正を、悪事を働くというんだね?」
「悪事だぁ? ……だったらどうする?」
もちろん俺は許さない。
捻くれた子供のワガママを放っておく大人はいない。
矯正してやろう。
「納得のいくまで話し合いをしようか――」
♦♦♦
話し合いといっても時間にして十分足らず。
なぜか人の話を聞いてくれない子供達ばかりだったので、お仕置きの拳骨で大人しくさせてからひとまとめに縛り。
約束通り金貨百枚入りの袋を持たせてから檻をこじ開けた。
「社長……あんた本当に俺らと同じ人間なんすか? 魔人の血が流れてません?」
「正真正銘人間だよ。南の島の出だ。……さてと、どうする?」
あの日我が社員達が奴隷にされた時と立場が逆転した。
賞金稼ぎ達は諦めと拳骨された箇所が痛むのとで何も発さない。
「サメの餌にするもよし、奴隷として売り払うのもよしだ。君達に任せよう」
判決を委ねると皆で寄り集まって小声で話し合い、それから揃ってこちらを向いて。
爽やかな顔で答えた。
「俺達はもう、海賊じゃねえっすよ。解放してやってください」
「……成長したな」
いつのまにか真人間に戻っていた社員達はその日のうちに全員退職し、地元に帰って再び身の丈に合った仕事に就いた。
しばらくのちファビオが元々の生業であった船大工と平行して、食事処を開いたと風の便りに聞いたので、立ち寄って昔話に花を咲かせた。
「そういえばあの日君はなんでもすると言っていたな」
「そうっすね。今でも死ねと殺せ以外なら何でもしますよ。一生返しきれない恩がありますから」
「ではそうだな。君の子々孫々には俺と俺の友人と、ひいては子孫達の専属船頭になってもらおうかな」
「子供がいるんすか?」
「いつか作る予定だ。それで船頭を頼みたい時の合言葉はだな――」
波の音に合わせてすぅすぅと小さな呼吸が聞こえてきたので目を開けると、カレンの瞼は下ろされていた。
「やれやれ、もう終わりだというのに」
「オレはちゃんと聞いてるゼ。合言葉っていうのはアレか、さっき眼鏡の嬢ちゃんに伝えタ」
「そうだ」
今でも受け継がれているだろうか。
最後にこの地を訪れてから千年以上経っているんだ。
忘れられていると考えるのが妥当か。
「ま、明日になれば分かることさ」
淡い期待を胸に眠りについた。
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