第十三話 「合言葉」

 メロウを発ってしばらくしたのち、カレンが思い出したように口を開いた。


「そういえばさ、昨日の花火見た!?」

「うん、何だったんだろうねぇアレは。……しかしその時間は夜中だったはずだがまさかカレン、夜更かししていたのかい? 成長期の夜更かしは発育に悪いと「最後の日くらい夜更かししてもいいじゃん! アレンこそいつも何してたのよ!? あたしが寝てから帰ってきてたんでしょ? ネズミの退治がそんなに大事なの!?」

「……ごめん」


 もっと私を構ってよと年相応の子供らしいことを言ってくれて嬉しいと思う反面。

 七日間といえど俺がしたことはほとんど育児放棄に変わりなく、申し訳なさで返す言葉がない。


「まーまー、そこまでにしてやってくれヨ。先輩はみんなのために夜遅くまでずっと働いていたんダ。嬢ちゃんも知ってるだロ? 悪いネズミやシロアリを放っておくと大変なことになるっテ」

「それは分かってるけどさー……」


 お仕事の詳細を知っているラクサが助け船を出してくれた。


「むしろ先輩がいないおかげで夜遊びができて良かっただロ? 先輩と一緒にいたら飯食ってすぐ風呂に入れられて、それからあっという間に布団をかけられてるゼ。ジジイは早寝早起きが好きだからナ」

「……そうかも」


 彼は治安が良いとも悪いとも言えない国で昼夜カレンを守り抜くという責務を果たした。この子が突っ走らないよう紐を握って制御するのは一筋縄ではいかない重労働だ。何百年も教師経験のある俺が言うのだから間違いない。

 なれば前よりもう少しだけ信用してあげようと思う。


「じゃあこれ以上は何も言わないけどさー」


 カレンは何か言いたげに口をへの字にして、こちらの目の奥を刺すように見つめてきた。


「はい、何でございましょうか」

「次からはちゃんと手伝わせてよね! ネズミの退治くらいあたしにだってできるんだから!」




 ♦♦♦




 この不可思議な少女と出会ってから早くも一年の月日が経過した。

 我々はたびたび街や村に逗留しながらも、ほとんど最短の経路を進み続けて北東の地へ辿り着いた。

 この地域は昔から人魔大戦の主戦場となることが多く、足元を少し掘れば骨が見つかるほど夥しい数の命が絶えている。


「おー、やってるやってる」

「話には聞いていたが、初めてみるナ」


 現にここから一キロも遠くない平原でも今まさに小規模の戦が発生しており、人族と魔人が火煙と血煙を上げている。


「ラクサ君はどっちにする?」

「オレは魔人の方に賭けるゼ。五百と五十ならまだ人族に勝機があるだろうが、あそこにいる魔人は百近イ。あと一時間もしないうちに人族の全滅だろうナ」

「手堅いな。だが、あの赤塗りの槍を持った男を見てみろ。中々良い動きをしているだろう? 彼の働き如何で逆転するかもしれん」

「たしかにやるナ」

「ねえ! 二人して何ぼーっと眺めてるのよ!?」

「おっと」


 俺とラクサが観戦を決め込んでいる中、カレンが一人で行こうとしたので腕を掴んで止めた。


「ちょっと! 離してよ! 早く助けに行こうよ!」

「助ける? なぜ?」

「えっ? なんでってそれは……」

「助けるにしてもどっちを?」


 とち狂ったことを言う娘に単純な疑問を投げつけると、すぐ返すことができずに硬直した。


「ふむ、カレンは長耳族と人族の子であるから人族を助けるとしよう。しかし人族を助けるために魔人を殺してもいいのか? 彼らにだって家族がいるぞ? 無事に帰ってきてほしいと願う妻や子がいるだろう。俺がそれらを不幸にしてもいいのか?」

「……だめ」

「人族でも魔人でも、戦さ場に来ているからには理由がある。富や栄誉を目的に来る者もいれば、死に場所を求めている者だっている。中には強制的に戦わされる者もいるだろうがな」


 俯く娘に「それとな」と付け加え、トドメの言葉を告げる。


「何か勘違いしているようだから改めて教えてあげよう。いいかいカレン? 俺は人族の味方でも魔人の味方でも、ましてや正義の味方様でもない。俺は俺の愛する者と愛する世界の味方だ」


 それでも行くのなら止めはしない、とまで言わずともカレンは諦め、戦地から目を背けてとぼとぼと歩き出した。


「ま、いつも言っているように世界征服を果たしてしまえば無駄な戦争はほとんど無くすことができるさ。さぁ、親子で手を取り合って銀河系を支配しようではないか!」


 少しでも元気を取り戻して欲しかったので、これまでに何度もしてきた情熱的な勧誘を。

 ……がしかし例によって何も答えず見向きもしてくれなかったので、慰めはラクサに任せてしばらくの間斜め後ろを歩いた。


 血生臭い戦場を迂回して緑の中を歩き、まだ空が焼けている内に抜け出ると。

 そこには石造りの建物が立ち並ぶ町があった。


「よしカレン、しっかり掴まってろよ。それと俺がいいと言うまで目を瞑っているんだ」

「うん?」


 森林浴によって調子を取り戻したカレンを背負って町で一番高い建物の屋根に上り。


「もういいよ、開けてごらん」


 風の流れてくる方を向くと――

 

「うわぁーっ!!」


 そこには赤く焼けた、どこまでも続く大海原があった。

 そこには色鮮やかに染められた帆船が何十隻も並んでいた。

 ここでは少しひんやりとした風を嗅ぐと潮の香りが鼻腔に広がる。


「ねえっ!! アレが海なの!? アレ全部船だよね!? 全部本物だよねっ!!」

「あぁそうだよ」

「ほー、すっげぇナ。オレも海を見るのは初めてだヨ!」


 内地に住んでいて海という存在を知ってはいても見たことのない二人が激しく興奮する。

 俺は二人に何度も言葉で説明し、絵に描いて見せもしたが、やはり海だけは本物を見るにかぎる。

 南の島の生まれなので子供の頃は海を見てもなんとも思わなかったが、ある程度力をつけてから再び目の当たりにした時は感慨深いものがあった。

 それなりの力を用いてちょっとした湖を蒸発させるか埋め立てるのは容易いが、海だけはそう易々と消し去れないなと感動したものだ。五千歳を超えた今でも一人で海を消すには十年以上の月日が必要だろう。


「いいなぁー、すごいなぁー、海」

「とても強い生命力を感じるゼ」

「ねぇ、今から遊びに行ってもいい?」

「だーめ。それは明日になってから。夜の海は危ないんだから」


 しばらく二人に鑑賞させて、カレンが我慢できずに予定通りの言葉を発したところで本日の鑑賞を強制終了。

 駄々をこねる娘を無理矢理背負って屋根から降りて、夕飯を食べに。


 立ち入ったのは海に面した大衆食堂兼宿屋兼船大工という、港町らしさ溢れるお店。

 客の顔ぶれは土地柄か漁師と戦士が大半を占めていて、皆一様に俺とカレンを見るやなんだガキかと視線を外す。

 それでもこちらを見続けたのはただ一人、


「いらっしゃいませぇーっ! こちらにどうぞぉ!」


 カレンくらいの年の子でも恥ずかしがって着ないようなフリフリの制服。それを極上の体に重ねた女給さんがすぐに来て席まで案内してくれた。


「かわいいお子さんとアタイ好みのお兄さんをご案内ぃーん!」


 本人がその気なのであくまで女給と称しておくが、べっとりと紅を引いた女給さんはこの店にいる誰よりも筋肉モリモリマッチョの大男である。

 ちなみに極上の体とは、気が狂うような鍛錬によって練り上げられた肉体のことである。

 あの拳はきっと岩をも通すことができるだろう。


「はいこれがメニューね。特別オプションでアタイがあーんをしてあげるサービスもあるんだけど、どうかしら? お兄さんみたいな素敵なヒトならタダでいいわよぉん?」

「…………ぜひともお願いしたいのですが、妻がいつどこで見ているか分からないので遠慮しておきます」

「あらそぉ?」


 そんな彼……いや、彼女が俺の中身を見抜きやがってくねくねぐいぐいくるものだから、恐怖やら不安やらで脂汗がだらだらと染み出てくる。


「グーちゃん、次の皿持って行って」

「はぁいミーちゃん! 今行くわよぉん!」


 決して揉め事を起こさないよう極力失礼のないように対応し、苔のように無心で過ぎ去るのを待った。


「なんかすごい人だったね。人……だよね?」

「……それ以上は何も言うな」


 食事中も常に視線を向けられているのは分かっていたが。

 カレンはずっと料理だけを見て。

 俺はずっとカレンだけを見て。

 それで通し続けることによって、俺の身体は通されずに済んだ。


 一時も油断のできない食事を終えて席を立ち、


「あなたがこの店の主人ですか?」

「いえ。主人はまだ帰ってきておりませんが、宿泊なされるのであれば私が受け付けます」

「それじゃあ一泊だけお願いします」


 眼鏡をかけた物静かで賢そうな子。

 先ほど乙女のグーちゃんにミーちゃんと呼ばれていた女性が対応してくれた。

 彼女はおそらく魔法使いだろう。それもかなり熟達した。


「そこの階段を上がって、鍵に合う部屋を使ってください」

「どうも。それと主人に言伝を一つ頼みます」

「言伝ですか? かしこまりました」


 受け取った鍵の埃を二指で払ってから顔を上げ。


「父になった」


 古き合言葉を伝えた。

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