第十一話 「誓って人は殺してないさ」

 気配を消して忍び足で歩いて、音を立てないようドアの蝶番に油代わりの血を差して開ける。


「よう先輩、遅かったナ」


 娘の枕元に立つ鳥が小声で迎えてくれた。


「あの後、カレンは何時まで外に出ていた? どうせ俺が行ってから寝ずに遊んでいたのだろう?」


 カレンの横たわる側に腰を下ろし、俺が何をしていたかを聞かれるより先にずっと気になっていたことを尋ねた。


「そりゃナ。日が変わる前には帰らせたヨ」

「何か危険な目には?」


 その質問にラクサはなかなか答えようとはしない。


「まずいことでもあったのか? 言ってみろ。……そう怯えるな。見たところカレンに傷の一つも付いていないのだから責めはしない」


 そこまで言うとようやく重いクチバシを開いた。


「知らず知らずのうちに色街に迷い込んじまってヨ。花売りの勧誘が五回と痴漢目的で寄ってきたのが八人」

「………………顔は、覚えているな?」

「おう待て待て、そんな国一つ滅ぼしそうな顔をするなっテ。嬢ちゃんには指一本たりとも触れさせちゃいないから安心してくレ」

「不届き者らに処罰は?」

「しばらくおいたができねえように指の皮を剥いでおいたヨ」

「……甘い、最低でも腕一本は斬り落とせ」


 不覚にも、ガエルがやられたのを知らされた時と同程度の怒りがこみあげてきた。

 もしもラクサが何も罰を与えていなかったなら、この都市に住まう男を一人残らず不能にして回ったかもしれない。


「そんで、何人殺したんダ? 血の臭いが隠しきれてねーゼ」

「誓って人は殺してないさ。ネズミを八十九匹。それと毒の粉を撒き散らす蛾を一匹駆除しただけだよ」

「……明日もやるのカ?」

「調べたところ大きな巣が七つあるらしくてね。今日一つ潰したから残りは六つだ。ちょうど滞在日数と合うね」

「オイオイまさか、嬢ちゃんのことはずっとオレに任せっきりカ!?」


 ただでさえあの子の手綱を握るのは大変なんダ。

 今日だけで十年歳をとった気がするのにヨと妖精は嘆く。

 そこにさらに追い討ちを。


「もしかしたら俺の素性を調べられて、人質か報復にカレンが狙われるかもしれないから、その時はよろしく頼むよラクサ君」


 カレンとの契約を解消したくなってきたゼと愚痴りながらも諦めて受け入れた。

 全てが無事に終わったら君付けはやめて、もう少しだけ信用してあげよう。


 それからしばらくの間睡眠時間を削り、食事の時くらいしか休みのない奉仕作業に勤しんだ――。


 滞在二日目。

 貧民街と下水道に居座り、弱者を食い物にしていた汚物を焼却。

 合計で百三十匹のドブネズミを灰も残さず駆除。

 

 三日目。

 巣は素早く焼却できたものの、ネズミ共は散り散りになっていたので一匹ずつ探すのに苦労した。

 合計で五十四匹のネズミを駆除。


 四日目。

 なぜかネズミ達が大集合していたおかげで午前中に巣を一つ潰すことができ、その日のうちにもう一つの巣を潰滅。

 合計で二百六十三匹のネズミと一匹のコウモリを駆除。

 喜ばしいことに二匹の賢いネズミが心を入れ替え、人の姿に戻った。


 五日目及び六日目。

 メロウの富の五分の一を所有していると噂されるアンヨ商会を二日かけて壊滅。この巣にはネズミが多く、前日に二つ取り潰しておいて正解だった。

 アンヨ商会は奴隷や債務者を猛獣・魔獣と戦わせる地下闘技場をいくつも運営していたので、一つ残らず取り壊し公衆浴場に改装。

 合計で千二十三匹のネズミと、ファッションセンスの壊滅的な薄汚い狸一匹を駆除。

 残念ながら賢いネズミは現れなかった。


 こうして滞在最終日となり、


「あたし分かったよ」


 夕食の席でカレンが自信ありげに口を開いた。


「この国では何をしてもいいんでしょ?」

「正解だ。不死者ポイントを贈呈しよう」

「何をしてもいいからってさ、悪いことしてない?」

「悪いことなんて千年間はしていないよ」


 ここでは人の形をした害獣を狩猟しているだけさ。

 憎しみに駆られて二足歩行の生物を無差別に殺し回った時期もあるのだから、それに比べたら大して悪いことではないだろう?

 などと言って理解してもらえるのははたして何年後になるか。

 少なくとも今のカレンに言った場合ダメダメヤダヤダと押し切られるのは確定しているので、黙って夜の街に溶け込んだ。


「よぉ兄ちゃん! 俺らと一緒に飲んでいかねえか!? 仲間が一山当ててよ、今日は奢りなんだぜ!」

「それは素晴らしいですね! しかし実は今から大事な仕事がありまして」

「そりゃ悪かった」

「頑張れよ!」

「ありがとうございます」


 目的地に向かう途中で全く見知らぬ人々に幾度も誘われた。

 なんというかメロウの人々の気質は魔界の住民と似通っている。あちらは力こそが全てで法であるが、本質的には似ているのだ。

 基本的に開放的で気の良い人間が多い。

 だからといって争いごとが起こらない日はないし、些細なすれ違いから殺し殺されに発展することもある。

 それは人間が不完全で脆い生物なので仕方のないことだ。見過ごすしかない。


 しかし、金の力や権力によって理不尽に圧殺されるのは見過ごせない。

 


「……ったく、一体いくらかけたんだか」

 

 人の生き血を啜って得た金で国土の十分の一の敷地に建てられた、ネズミ共の根城に到着した。

 まだ営業時間内だというのに門が固く閉じられていたので蹴り飛ばし、競馬場がまるまる一つ入るほどの広大な庭園に踏み入れる。

 一歩踏み入れた瞬間辺り一面に明かりが点き、俺自身も強い光を照射された。



「――お前が件の掃除屋だな?」



 強い光源の方からドスの利いた女性の声が響いた。


「これはこれは、ケラ社長直々に迎えてくださるとは」

「待っていたよ。よくも妹をやってくれたね」


 大勢の完全武装した部下を引き連れて現れたのは、両腕両脚をカラクリの義肢に変えた身長二メートルを軽々と越す大柄の女性。

 彼女こそが《鉄屑処刑人》の異名を轟かせる女傑社長ケラ・セドナ。

 総勢八百二十匹のネズミを従える辣腕であり、初日に殺したコゥマク・セドナの姉でもある。


「ひぃふぅみ……おや、それで全員ですか? この国で一、二を争う組織だと聞いていましたが、ずいぶんと数が少ないようで」


 俺が来ることを知っていて召集をかけているはずなのだが。

 木と像の陰、土と池の中に潜む暗殺者、遠距離に伏せる狙撃手と魔法使いも含めて二百匹も感知できない。


「同業者を皆殺しにして回る誰かさんにビビって大半が足を洗っちまったよ。大損害だ」

「いったい誰がそんなことを……」

「お前の首は必ずここに置いていってもらう。だけど感謝もしているんだ。あのアンヨ商会を潰してくれたんだろう? 他にも邪魔な同業者を全て。つまりはお前さえ消せばワタシ達がこの国の支配者ってことになる。お礼に妹が受けた苦しみの十倍で済ませてやるよ」

「それならば苦痛は無しですね。妹さんは苦しませずに逝かせてあげましたから。私のことをイイ男だと褒めてくれたのでね」

「やれッ!!」


 これ以上の会話は無意味だと、翻ってネズミ達を解き放った。

 話し合いの始まりだ――。


「……何じっとしてんだよテメエ」

「死ぬ準備がまだ出来てねえのか? さっさと抜け」


 すでに囲まれてはいるのだが、一匹として襲いかからず遠距離からの狙撃もない。

 礼儀正しく待ってくれている。

 よほどのことがないかぎりはカラテで心臓を抜き取るか首をへし折っていくつもりでいたのだが、


「こちらも抜かねば、無作法というものか……」


 念のためにアンヨ商会の宝物庫から取っておいた赤い刀をすらりと抜いた。

 なんとこの刀、人族に対する憎しみが深ければ深いほど切れ味が増すドゥーマン製の魔法刀エンチャンテッドブレードなので、千年以上ロクに刀剣を使っておらず腕の鈍ってしまった方でもご安心!

 防具ごとスパスパと野菜のように斬れるんです!

 ただしこちらの商品、いわゆる邪剣や妖刀と呼ばれる類のもので「人族を殺せ、人族の血を吸わせろ」としつこく脳内に語りかけてきます。

 心の弱い方は使用をお控えください。


「死ねオラッ!」

「お前を殺せば大出世なんだよ!」

「コイツは俺の得物だァ!」

「待ってくれたのは感謝する……が」

 

 やはり現代人は礼儀がなっていないな。

 まずはおじぎをするのだ。


 アレン一刀流奥義――


「おじぎ結び」


 赤刀の一振りにて七匹の身体が上下に別れ、切断された上部がおじぎをするように滑り落ちた。

 うち二匹は盾を構えていて鉄製の防具も装着していたのにだ。

 やはりこれは危険な代物に違いない。

 あとで処分しておかなければ。


「ウォオオオッ!! くたばりゅエっ!?」

「おい! しっかりしろ! クソッ、すぐにすり潰してやりゃりょ……ぼっ……」


 さすがは最大手の所属で且つ逃げ出さずに残った精鋭だけあって、五匹に一匹は一振りで仕留めきれないのがいる。

 それでも俺に歯形をつけられるようなネズミはおらず、せいぜい単独で二爪魔獣を倒せる程度のが八匹。


 奇襲も狙撃も全て掻い潜りながら淡々と駆除していき、あらかた片付けてから遠くの狙撃手と魔法使いに「すぐに愛を届けに行くよ」と目線を送ると皆逃げ出した。

 そして残ったのはケラと四匹の護衛だけ。

 彼らは戦いに参加せず護衛に徹していたということはそれなりに信用されていて、それなりの忠誠があるのだろう。


「あんなのと相手したら命がいくつあっても足りねえ!」


 がしかし、今回ばかりは一歩先に迫る死の恐怖が忠誠を上回った。

 一匹が逃げ出したのを皮切りに他の三匹も逃げ出し、


「こんなところで死ねるかよ! ……ぐァアアッ!!?」

「社ちょ……う、なに……ヲ」

「お前達は今日でクビだよ」


 ケラの義手から鉄の礫が射出され、四匹の胸に風穴が開けられた。


「さてと……。ワタシの隠し玉を見ちまったからにはますます生かしておけなくなった」

 

 手駒の屍を踏み越えて、ついに総大将来たり。


「誰かさんのせいですっかり静かになっちまったな。ワタシは賑やかな方が好きなのに」

「最後のアレは私のせいではありませんよ?」

 

 安定した鼓動が二つだけの静かな空間が生まれた。

 ……そう、とても静かなのだ。

 俺がたった一人で血の海を作り、ケラもその一部始終を見ていたはずなのだが、怯えの音一つ聞こえない。極めて平静で冷静、冷や汗の一つもかいていない。


 それはなぜか?

 考えられる理由は二つ。


 『すべてを諦めた』または『自分が勝てると確信している』。

 このどちらかだ。


「そういえば知ってます? アンヨ商会が地下で人間と魔獣を戦わせていたんですって。魔獣ですよ魔獣! 竜とか見たことあります?」

「竜は見たことすらないが、亜竜なら何年か昔に縊り殺したさ。思ったより柔かったのを覚えているよ」


 それは真の言葉。

 五百人の兵士に相当する亜竜を難なく殺せるということは、二百匹のネズミを相手にすることができる。つまりは俺が今しがたやったのを再現できるということ。

 あぁ、間違いない。


 この女は強い。

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