第十話 「心治国家」

 叶えたい夢というのがいくつもある。


 天上の神々をぶん殴るというくだらないものから五重のシャボン玉を作るといった壮大なものまで、長い年月をかけて新しく生まれたり実現して消えたりしている。

 まだ一度たりとも叶えていない夢の一つが『誰もが笑顔でいられる世界を作ること』で、これは四千年も昔からずっと夢見ている。

 もちろんただ夢見ているだけでは決して実現することはないので、自ずと行動してきた。


 即座に世界全土を幸福で包むのは無理があるので、最小単位の村から町、町から都市、都市から国へと、順を追って着手していくことに。

 村と町までは比較的容易に実現することができたのだが、それ以上の規模となるとなかなかに難しいのだ。

 人口と土地が大きくなると今までのやり方が通じなくなる。

 そこで最適解を探すためにいくつも試験的に国を建て、それぞれ異なった規則や制度を取り入れた。


 ここボジャノイ――現在はメロウと改名されている――も我々が建てた実験都市の一つである。


 俺がこの国に設けた制度は誰もが縛られることなく自由でいられるものだ。

 言葉にすると矛盾しているが『制度がないのが制度』だ。

 この国には法が無ければ罪もない。強いて言うならば個々人の良心が法であり、法や制度で他人を縛ろうとすることだけが罪である。


 要するにここは法が治める国ではなく互いを思いやる心が治める国、世にも珍しい心治国家なのだ。

 そして、思いやりの精神が著しく欠けた人間はどうなるかというと――


「はっ……あ……そんな、こんなこと……」


 風切り音のあとに悪漢の片方は硬直し、もう片方は声も出さずに倒れた。


「……おいッ! おいッ!!」


 クロスボウを視認してから急激に心拍数を上昇させ、滝のような汗をかきながらも自力で硬直を解き、仰向けになった相方を起きろ起きろと揺さぶる。しかし反応はない。

 鉄の矢尻は易々と頭蓋を貫いていた。


「ふざけんなてめえ!!」


 生き残った彼は燃え上がった。

 元々短気な性格ではあるだろうが、これまでの人生でもこれから先の人生でも今日以上に激しい怒りを燃やすことはないだろう。


「ぜってえ許さ……ね……」 


 そして二秒で鎮火した。


 店主がクロスボウを構えていたとしても怒りに任せて飛び掛かったはずだ。

 しかし隣店の主人も同じものを構え、さらには見物人も皆武器を手に持って自分を冷めた目で見ていることに気付いてしまった。

 その瞬間、怒りよりも恐怖と生存本能が上回ったのだ。

 

「な……なにが自由の国だよ……! 騙しやがって! とんだ魔境じゃねえか!!」

「たしかにここは自由の国だが、自由気まま自分勝手にやっていいわけじゃねえ」

「お前が俺達を殺す自由があるなら、俺達にだってお前を殺す自由がある。違うか?」


 反論したら自分も殺されると思ったのか、なにも言葉が出てこなかったのかは定かではないが、彼は何も言い返せなかった。


「お前さんにこの国は合ってねえよ。殺されないうちに早いとこ出て行きな」


 情けで投げ渡されたリンゴを反射的にキャッチし、苦悶の表情を浮かべたまま逃げるように去っていった。

 おそらく彼は二度と戻ってくることも、しばらくは他人に危害を加えることもないだろう。

 そして故郷への帰路でこの国への旅行者とすれ違って「あそこはどんな国でしたか、何かあったのですか」と聞かれたらこう答えるのだ――


 ――俺みたいになるなよ、と。

 



 ♦♦♦




「……でね! があってね!」

「うんうん」


 宿屋で夕食をつつきながら日中仕入れた土産話に花を咲かせる。

 都市の規模はこれまで旅をしてきた中で最も大きいので、いくらカレンが無尽蔵の体力で歩き回ったといっても一日二日で全て知ることはできない。

 それとラクサが神経を張り詰めて守っていてくれたので、危ない目にも遭わなかったようだ。

 後で上等な羽根を買いこんで付け替えてあげよう。


「この国のルールは分かったかい?」

「ううん、全然分かんない。ラクサも教えてくれないし」


 カレンは自分の右肩に乗る鳥を恨めしそうに見つめる。


「嬢ちゃんのためを思ってやってるんだゼ?」

「アレンみたいなこと言わないでよ」

「……ま、一週間はここにいるんだ。そのうち分かるさ。それじゃあパパはちょっと出かけてくるから、夜更かししないでちゃんと寝ておくんだぞ。いいね?」

「わかった」


 カレンが食べ終わるまで見ていたいのを我慢して宿を出た。

 まだまだやるべきことがある。

 責任がある。

 この国の家主として、毎度毎度留守中に湧いて巣食う害虫を追い出さねばならないのだ。




「いらっしゃいませ」


 しばらく歩いて、大通りにある酒場に立ち入った。

 そこは内装に金がかかっていて広々としており、酒棚には高い酒ばかりを取り揃えていた。

 しかし客が一人もおらずがらんとしていて、一体どうやって経営しているのだろうか? 本当に酒を売るだけでやっていけてるのだろうか?

 なんて考えながら店のど真ん中のテーブル席に座ると、ウェイターが水とメニューを持ってきた。


「こちらをどうぞ。お客様、この店がどういった店かはご存知ですね?」

「ええ、もちろん」


 俺はメニューを開かずに返してひとつだけ注文を。


「一番高いのを」


 それを聞いた瞬間、ウェイターは目を見開いて大急ぎで店の裏側へ人を呼びに行き。

 すぐさま一人の女性を連れてきて対面に座らせた。


「ボス、こちらがそのお客様です」

「……へぇ、イイ男じゃない」

 

 ゆったりとした黒いドレスの上に毛皮のショートコートを羽織るという、いくらでも物を隠せそうな装いの美人さんだ。

 頬に深い切り傷の跡が一本走ってはいるが、いかにも夜の蝶といった言葉が似合う色気がある。

 しかし大事なのはそこではない。

 彼女は一目で俺が強者イイ男であることを見抜いたのだ。 

 流石は一番高いだけある。


「アンタ、見れば見るほどイイ男だねぇ。私の男にならないかい?」

「謹んでお断りいたします。小さな娘がいるものでして」


 俺が答えると残念そうな顔をして、ウェイターに注がれたワインをグイッと飲み干した。

 もちろんここはお嬢さんと楽しくおしゃべりをして飲むようなお店ではない。


「私はコゥマク、コゥマク・セドナだ。アンタは?」

「アクライン・ランドランナーと申します。ところで本題に入る前にひとつお聞きしたいのですが、人は皆平等だと思いますか?」

「なんだいその質問は。平等なわけないだろう。だから私達がいるんだ」

「ですよね」


 その通り、この世の中に平等というものはない。

 皆が皆上も下もなく平等であれば俺の望む平和で優しい世界になっているだろうが、誰にだって生まれつき個体差がある。

 だから富める者と貧しき者、強き者と弱き者に分かれてしまうのは仕方のないことだ、そこまでは許容する。

 であればせめて弱者が自由でいられるように――例えば主人が奴隷をどれほど手酷く扱っても構わないが、奴隷も不服とあれば主人の寝首を掻いても罪に問われない――俺は法のない国を建てたのだ。

 ゆえに他の自由を奪い取るような強大な力がこの国にはあってはならない。


「それじゃあ本題に入ろうか。私に依頼するくらいだ、大物狙いだろう?」


 金さえ払えばどんな依頼でも受ける何でも屋、包み隠さず言うなら殺し屋の斡旋所。

 ここはそういう店だ。

 こんな店があると富んだ者には誰も逆らえなくなる。王侯貴族となんら変わらない彼らの元で法が生まれてしまう。

 弱者の自由が制限されてしまう。

 

 そういうのは、ダメだ。

 屋根裏に潜むネズミは追い出さなくちゃならない。


「依頼、というよりも提案なんですけどね。この店を畳むか一新しませんか? 子供でも来れるような店にね」

「……それは、どういう意味だい?」

「そのままの意味ですよ? 従業員の皆さんの食い扶持がなくなって心配だというなら、仕事を見つけるまでの間は手当てを支給させていただきます」


 金ならそこら中に隠してありますので。

 特にここは我輩が建設した国だ。

 小国の一つや二つ買い取れるくらいの財産を地下や壁に隠してある。

 

「本気で言っているんだね?」

「もちろんですとも」

「そうかいそうかい」


 コゥマクに目で指示されたウェイターが店の奥へ行くと、次から次へと従業員の皆さんが湧き出てきた。

 そして店の外には営業終了の看板を立てて扉を固く閉じられ、窓も鎧戸で覆われて外の光が見えなくなった。

 おや困った、これでは帰れないじゃないか。


「復讐……ってところかい? うちの誰かに身内をやられたか」

「恨みを晴らしに来たわけでも成敗しに来たわけでもありませんよ。あなた方がこれまでに何人殺していようがそれを咎めるつもりはありません。ここは罪のない国ですから」

「復讐でもないってんなら競合相手……アンヨ商会あたりの差し金か。ファッションセンスのイカれた狸親父め」

「だからそういうのでもありませんって。もー、余の顔を見忘れちゃいました? それともご存知ない?」


 ぐるっと見回して周りを囲む皆さんと目を合わせて見るも、全員殺意をもって睨み返してきただけだった。

 コゥマクが「やれ」と指をかざした瞬間にとびかかってくるだろう。 


「あんたが憎い! 罪を償え! とは言いません。誰も逆らえない為政者を生み出すような行いはやめてくださいと言っているんです。報酬を受け取らないか私情による殺しなら好きにやってくれて構いませんから」


 わざわざここまで言わずとも、ちょちょいと頭をいじってやめさせるのは簡単だ。

 しかしそれは自由を奪う行為に他ならない。彼らも俺の大切な民に変わりはないのだ。

 だから一人でも改心することを信じて選択の自由を与えた。


「残念だよ。……アンタはイイ男だけど、イイ人でもあったなんてさ」


 彼女は俺のグラスを取って飲み干し、席を立って手下をかき分けていった。

 そして手下の陰に隠れて見えなくなってから低いトーンで一声、


「やりな」

 

 全員武器を抜いた。

 天井裏と床下に隠れているのも含めて全部で六十人いるのだから一人くらいはと思ったが……残念だよ。

 揃いも揃って血に飢えた獣だったなんてさ。


「――《掌念爆砕ショウネンバクサイ》」

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