第九話 「ルール」
魔界を目指して北東へ歩き続けて、中央大陸の半分は越えた辺りでまた一つ大きな都市国家が見えてきた。
城壁の中には少なくとも五十万人は暮らしているであろう上の下規模の国だ。
「先にいっちゃダメ?」
「じゃんけんで勝てたら行ってもいいよ」
いつも通りにカレンをたしなめていると、都市を背にして男がやってきた。
それは見るからにやんちゃをしてそうな凶相で体格の良い男であったが、ひどく足取りが重く口角が垂れ下がっていて覇気がない。
もちろんカレンはそんなことなど気にせず、いや、もしかしたら元気付けようとしているのかもしれないが挨拶をした。
「こんにちは!」
「……あぁ」
「おじさん、あの国に行ってきたの? 元気ないけど大丈夫?」
「あそこは俺には合わなくてよ。……ダチを失くしちまった」
こちらが立ち止まっても男は止まらず、通り過ぎていく。
「あんたらもあそこへ行くんならせいぜい気をつけな。俺みたいになるなよ」
「う……ん?」
男はこちらに背を向けたまま、謎の忠告をして小さくなっていった。
「あれは何だったんダ?」
「ねー?」
カレンとその肩に乗る鳥は疑問を浮かべているが、俺はおおよそ予想ができている。
見た目通りのやんちゃをして、その代償を支払ってきたのだろう。
男とすれ違ってから休憩もせずに早歩きで向かって、門から少し離れたところにある赤いレンガ造りの出入国管理所についた。
「メロウへようこそ! 短期間の滞在ですか? 長期間の滞在ですか?」
「一週間ほどで。愛玩動物の持ち込みは大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
きちんと氏名年齢職業その他諸々を登録して、鑑札を発行してもらう。
ちょっとした理由から偽名――今の俺はアレン・メーテウスではなくアクライン・ランドランナーである――を使わせていただいた。
もちろんちょっとだけサバも読ませていただいた。
ありとあらゆる職業をしてきたので有職とだけ書かせていただいた。
本当に申し訳ない。
「つかぬことをお聞きしますが、この国は以前ボジャノイという名前でしたよね?」
「よくそんな古い名前をご存知で。実は学者様だったりしますか?」
「いえいえそんな、ちょっと昔に住んでいただけですよ」
「では、この国のルールについてもご存知ですね」
「ルールぅ? ねぇアレ……じゃなくてアクライン、ルールって「ええ、説明はいりません」
よくご存知ですので。
なんたってこの俺が作ったのですから。
「では、楽しんできてください」
俺が五千歳の不死者であることも、愛玩動物は妖精であることも知らない管理官に笑顔で見送られて少しばかり心が痛んだ。
できる限り、できる限り騒ぎは起こさないようにしよう。
「それにしてもラクサ君、鳥の真似が中々板についてきたじゃないか」
「だロ? 先輩もよくもあんな涼しい顔で嘘を貫き通せるナ。妖精よりよっぽど妖精らしいゼ」
「ねぇねぇ、ちょっと昔ってどれくらい昔に住んでたの?」
「えーとたしか……千と七百年くらい昔かな」
「それはちょっとなの?」
ちょっとだよ。
十五歳の人間にとっては五年くらい前のことだよ。
「あと『ルール』って何?」
「さぁ? そんなこと言ってたっけ?」
それは直接教える気がないので、殴りたくなるような露骨なとぼけ顔をした。俺がカレンを教育したい時にしばしば見せる顔だ。
カレンはハァと溜息を吐いて諦めた。
そして溜息と同時に腹の音も鳴ったので、宿をとって観光するよりも先に食事を取ることに。
大通りに面した賑わいのある大衆食堂に踏み入り、強盗が押し入ってきたりテンノに襲われても対処できるように店内を一望できる角の席を選んだ。
カレンは朝から歩きっぱなしでとても腹が減っていると言うので、十品まで注文するのを許可した。
すぐにお品書きを手に取って目をきらきらさせる。
「どれにするかなどれにするかなー」
「えー、カレンには素早い判断力を培ってもらいたいので、十秒ごとに注文できる品を一つずつ減らします」
「んなっ!? ねぇねぇそこのおじさん達! このお店で一番美味しいのって何!?」
お品書きには少なくとも百品は記載されているので、自分で考えることを即座に捨てて他人を頼った。
最善の判断だ。
「あー、この店で一番うめぇもんといやぁアルフォー丼だな。父ちゃんに腹一杯食わせてもらえよ」
「は? 何言ってんだてめぇ、この店のイチオシはタキノコの丘に決まってんだろうが。悪いな嬢ちゃん。コイツ女の趣味悪いからよ、舌も馬鹿なんだ」
「んだとコラ!? お前こそロクでもねえ女ばかり引っかけやがって。なんだよあのロータスとかいう女。鼻フックじゃねえか」
「あぁ!? やんのかてめぇ!」
「上等だコラ!」
二人は拳をテーブルに叩きつけて立ち上がり、律儀に店の真ん中にあるステージに上がってから殴り合いを始めた。
カレンはたしかに最善の判断をしたが、それがいつも良い結果をもたらすとは限らない。
「えぇ……」
些細なすれ違いから喧嘩に発展した二人に対し、碧い瞳は侮蔑を通り越して呆れていた。
「すまないカレン、雄というのはこういう生き物なのだ。全世界の雄を代表して謝罪する。止めてこようか?」
「好きにやらせとけば? もうどうでもいい」
カレンは基本争いごとを仲裁しようとするのだが、今回ばかりは付き合っていられないとお品書きとにらめっこをする。
どちらが最後まで立っているかという客同士の賭けもおおよそ確定し、いよいよ盛り上がってきたところで、二人は赤く腫らした拳を納めてついに剣を抜いた。
いいぞ、やっちまえというヤジがいっそう大きくなり、店の外から覗くものも増えてきた。
「ラクサ君はどちらが勝つと予想するかね?」
「そうだナ……。女の趣味が悪い方にしとくゼ」
「ちょっとアレン! さすがにアレは止めないと!」
どうでもいいと言いながらも、なんだかんだ視界の端に入れて観戦していたカレンが慌てて立ち上がる。
「まぁまぁ落ち着いて。大丈夫だから」
「どこが!?」
二人の間に飛び込みかねない馬鹿娘の腕を掴んで止める。
抜け出そうと必死にぶんぶん振るのを横目に二人に目を向けた。
「てめえは前からいけ好かねえ野郎だと思ってたんだ」
「その言葉そっくりそのまま返すぜクソ野郎」
二匹の雄は剣を構えて睨み合い。
一歩下がって睨み合い。
一歩進んで睨み合い。
二歩下がって剣を納めた。
「ケッ、バカバカしい。飯が冷めちまう」
「ま、今日はこんくらいで許したらァ」
そして何事もなかったかのようにカレンの前を通って元の席に戻り、フォークとスプーンを手に取った。
なんともおかしな展開だが、この国ではこれが普通なのだ。
「えっ、これってどういう……。だってさっきまで喧嘩してて……」
「なぁ先輩、この国のルール……つーよりも特色ってのはまさか、そういうことカ?」
「そういうことだ」
ラクサはなんだかんだ五百年も生きているだけあって、この国の他とは違う何かを導き出せたようだ。
「ラクサは分かったの? 早く教えて?」
「ダメだぞラクサ君、それはカレンのためにならない。契約違反だ」
「つーわけでわりぃな嬢ちゃん、契約は絶対だからヨ」
ラクサが鳥のくせに肩を竦めた。
「それでカレン、注文はしないのかい? もう八十秒経っているから二品までだが」
「…………じゃあ、さっき二人が言ってたやつで」
♦♦♦
「……はぇっ!?」
食後に一週間寝泊まりする部屋をとって旅の荷物を床に下ろし、あることを告げた途端にカレンがこれまた素っ頓狂な声をあげた。
「もう一回言ってくれる?」
「うん、好きに遊んできていいよ」
「うん、なんで?」
なんでとはなんでだろうか。
大喜びすると思っていたのだけど。
「だって、いつもなら危ないからダメだとか、あたしがまだ子供だからダメだとか言って止めるじゃん」
「それは何を隠そう、ここは治安が良くて極めて平和な国だからさ! お子様が一人で遊んでいても安心なのさ」
治安が良いと聞いたカレンは目を細めた。
先程殺し合いに発展しかけた喧嘩を見たばかりなので仕方のないことではあるか。
「どうしてこの国は平和なのか、どんなルールがあるのかを滞在中に見つけてきなさい。なに、もしもの時はラクサ君がいるから心配はないさ。……なぁ?」
千年二千年とまではいかずとも、そこそこの時間を生きてお子様とは呼べない君を信用し、我が最愛の一人娘であるカレンを預けよう。
しかし万が一、決してあってはならないことであるがカレンが損なわれてしまったら、生かさず殺さずの状態で地の奥底に閉じ込めてやる。
永遠に思える永い時間をかけて己が何者であったのかを忘れさせてやる。
二度と戻れなくなる方法をいくつも知っているんだ。
だから死ぬ気でその子を守り抜け。
そんな念を籠めて鳥の目玉の奥深くを睨みつけた。
「ま、任せとケ……」
「本当に行っていいの? こっそりついてきたりしない?」
「しないしない。それともまさか、パパにずっと見守ってもらいたいのかな? 望みとあらばどこまでもぴったりと「いってきまーすっ!!」
カレンは人の話を最後まで聞かずにラクサを肩に乗せて勢いよく出ていった。
うんうん、元気があるのはいいことだ。
二人が市街へ繰り出してから少しして、俺も財布一つを手に外へ出た。
気が変わってやっぱりカレンを尾行することに決めたとか、そういうことではない。
普通に食べて歩いて、遊んで、のんびりして、ちょっとだけ空気が綺麗になるように掃除をして、この国で暮らす人々の笑顔を見に行く。
建国者として当然のことをするだけだ。
「ここも変わらないなぁ」
まだあの家は残っているだろうか、あの店は営業しているのだろうかと、覚えている限りのものを探しながらゆく。
しばらく歩き回っていたら小腹が空いたので、馬車などの立ち入りが禁止されている生鮮市場へ入った。
「ほー……ずいぶんと鮮やかだこと。んん! なんだあれは……ブドウなのか?」
初めて見る色の食材が脳を活性化させ、嗅いだことのない匂いが鼻をくすぐる。
「すいません、このリンゴ……ですよね? 一つください」
「お目が高いねお兄さん、それはつい最近入荷し始めたものだよ」
青果売り場で黄みがかった白リンゴを一つ買い、その場で齧った。
やはりそれは値段不相応に美味しかった。
野菜や果物、食肉というのは時を重ねて新種が発見されたり品種改良が進むので、昔と今を比べた場合は基本的に今流通しているものの方が美味しい。
つまり俺はしばらくの間、何を食べても赤子のように新鮮な感動を味わえる。
これは千年間封印されていたことの数少ない利点だ。
どれくらい買っていこうかと、カレンの土産の分も考慮して選んでいると、すぐ隣の店にあからさまに粗暴な男二人組がやってきた。
「おいジジイ、今日も来てやったぜ。痛い目見たくなかったら食いもんをよこしな」
「……好きなものを持っていけ」
「へっ! マジでここは良い国だな! 何をしても許されるなんてな!」
「永住しちまおうか!」
そしてなんと、店主から商品を脅し取ったではないか。
二人がイカついせいか、周りの者は見て見ぬ振りで誰も歯向かおうとはしない。
もちろん俺もその中の一人だ。
「どけッ!」
次はどうするのだろうと眺めていたら、二人はこちらの店に流れてきて拳を繰り出した。
「ぶははっ! なんだアイツ、軽すぎだろ! 殴った気がしなかったぜ!」
とてもとてもつよくなぐられたので、ぼくはせいだいにぶっとばされてしまった。
「よぅおっさん、今日も一番いいやつをもらってくぜ。どれだ?」
「売上金の三割もだしな」
俺のことなど気にもせずに、前の店でやったのと同じように恐喝する。
お客様は神様だと言わんばかりに自由気ままに振る舞うが、それは罪ではない。この国では許されているのだ。
「おい何黙ってんだ。早くしろや!」
男の片方がリンゴを取って握り潰そうとしたが出来なかったので、代わりに桃をぐちゃりと握り潰して店主に投げつけた。
上着に果肉と甘い汁が付着した店主は臆して売上金を取ってくる……なんてことはせず、
「おいアンタ、ウチの品物に触る前にそのお客さんを起こして謝りな」
毅然とした態度で「否」を返した。
ノリと勢いで殺人を犯しそうな二人が帯剣しているにも関わらずだ。
「……あ?」
当然ながら悪漢二匹の頭に血が上り、こめかみがぴくりと動く。
揃って気軽に剣を抜いて構えた。
この手の人種にとって、自分より弱いと思っている相手を思い通りに動かせないのは一番腹の立つことなのだ。
「今なんつった? まさか俺達が北帰りだってのを知らねえで言ってんのか!?」
「舐めた口聞いてっとブチ殺すぞ!? 侮辱罪で罰金だ! 店の売り上げ全部出せ!」
「ブチ殺す、ねぇ」
「…………はっ?」
店主は奥から売上金ではないあるものを持ち出してきた。
店主の手にするものが何であるかを認識した二人の思考と肉体が停止する。
それはあらかじめ弦を引き絞られ矢の装填をされたクロスボウであった。
「果物の一つや二つ持っていくくらいなら大目に見てやってたが、お客さんを殴るような害虫は駆除しねえとな」
照準は俺を殴り飛ばし桃を投げた男の首を捉え、
「オ、オイ……冗談だよな……?」
「北帰りだろうがなんだろうがブチ殺してやるよ!!」
「よせッ――」
――小さな、風を切る音が鳴った。
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