第八話 「希望の花」

 ヒトの悪意が生み出した炎が葉の一枚も残さず焼き尽くすことがある。

 気まぐれな天の嵐が根こそぎ吹き飛ばすことがある。


 何年何十年、何百年と命を育んできた緑の土地が一夜にして滅びるのを目の当たりにしてきた。

 灰と土砂、それと死骸が積み重なっているのを見れば誰しも打ちひしがれる。

 もう二度と元通りにはならないだろうと考える。

 誰だってそうだ。千歳の不死者でもそうだった。

 しかしそれは杞憂であり過小評価だ。もっと強い言い方をするなら舐め腐って愚弄しているのだ。


 土地にとって地上の緑が死に絶えるのは羊の毛を刈るようなものに過ぎない。

 地中深くまで毒素を注入されたわけでも、岩盤までえぐり取られたわけでもない。

 灰も死骸も糧にして、次なる居住者を待っている。

 そう簡単に死にはしない。


「ここも同じだ。たとえ種がなくとも、鳥と風が運んできてくれる。土地が生きている限りいつかまた芽吹き花が咲く。専門家の意見も聞いておこう。ラクサ君、この土地はもう死んでいるか?」

「いいや、ちゃんと生きてるヨ」

「だそうだ。それなら、彼はもう楽にしてあげてもいいだろう?」

「……うん」


 カレンの同意を得て、ラクサの宿主であった大木を切り倒して細切れに。

 長年住んでいたラクサよりもカレンが強く反対したので長い説明を要した。

 俺は博愛主義者なのでしばしば奇異の目で見られるが、カレンも負けず劣らずの博愛主義者異常者である。

 誰にどのように育てられたのだろうか?


「そのうち、元通りになるんだよね……」


 頭では分かっていても目に見えているのは寂しい景色で、それはもう分かりやすくしゅんとしている。

 妻に家を出て行かれた中年男性と同程度の哀愁を漂わせている……は言い過ぎか。


 どれ、ここは一肌脱いでやるかな。


「ラクサ君の出立祝いだ。ちょっとした食事を振る舞ってあげようじゃないか」

「食事? ……えっ、ちょっと、何してるの? ねぇ!?」


 上着を脱いで、右腕と左腕を交互に切り落す。

 血液の生成が間に合って失血死しない速度、一分間に十二本のペースで腕肉を生産していく。

 

「お、おい嬢ちゃン! 一体全体先輩はどうしちまったんダ!? 発作カ? それとも頭がイカれちまったのカ?」

「わ、わかんない! たぶんどっちもだと思うけど!」


 俺を心配してくれる二人を意識外に置き、生産に集中。

 それでざっと二百本の腕肉を作り終えた。


「ふぅー。これくらいあれば十分かな」

「ねぇ、どうしたのアレン? 大丈夫?」

「もちろん頭の方だゼ?」


 カレンとラクサは腕肉の山とその下に広がる血溜まりの外に避難していた。


「何を失礼な。これをこうやって間隔を空けてだな……」


 田植えと同じように腰を曲げて植えていく。

 もっとも、植えているのはイネではなく腕肉もとい栄養剤だ。


「土地を肥えさせて再生を早めるのだ」


 カレンも同じようにしなさいと目で促す。

 もちろん頷きはしなかったし俺から目を背けたが、ラクサに「やり方はおかしいが、間違ってはいねーゼ」と教えられてしぶしぶ腕植えを始めた。


 しばらくの間親子で農作業に従事して、腕肉を満遍なく植えきった。


「いやぁ、いい景色だねぇー。心が安らぐよ」

「どこが? なんで?」


 緑を失ってしまった土地に等間隔で腕が植えられ、平等に栄養が供給されている。これはとても良いものだ。

 しかし俗人共は大抵これを見ると呪われそうだの夢に出るだのとほざく。

 親鳥がたくさんの雛鳥に餌を与える画と何が違うというのだ。


 そんな言葉で言いくるめたい衝動を抑えて、見せたいものがあるとカレンを呼びつける。


「こっちこっち」

「変なものじゃないよね?」

「ほら、これだよ」

 

 しゃがみ込んで灰色の地面から生え出ているものを指差す。

 そこには誰が種を運んできたのか、小さな小さな赤い花が咲いていた。

 紛れもない命だ。


「えっ! うそ!? アレンが植えたんじゃないよね!?」

「ないない」


 すごいすごいと、直接触れはせずに花の周りを犬のようにぐるぐる回って観察する。


「ほー、すげーナ。イツカソウだよナ?」

「そう、五日草だ。この花はだな、新しい土地や再生する土地に早い段階から生えているため希望の花とも呼ばれているのだ」


 これがあれば最低限の植生ができる環境ではあるということ。

 この地はまさに蘇ろうとしているのだ。


「これで分かっただろう? 思い残すことはないね?」

「うん! また来よう! ね、二人とも!」

「おうヨ」


 この場所が命で溢れる未来を確信したカレンは、晴れやかな顔で別れを告げて歩き出した。


「今度来るときは急速に成長させる薬を持ってこよう。また燃やされて絶えることのないように魔界から人食い植物も持ってきて植えよう」

「そういうのはダメに決まってるでしょ!」




 ♦︎♦︎♦︎




 ラクサを雇用してから三日後の夜のこと。

 どうも胸騒ぎがして落ち着かず、ぼぅっとカレンの寝顔と焚火を見ていても気が休まらなかった。

 ので、睡眠を取る必要のない妖精にカレンを任せて独りで釣りをしに。


「…………かからんなぁ」


 三時間は同じ場所で糸を垂らしているのだが、ピクリともしない。

 基本的に評判のいいハラワタを使っているので餌が悪いわけではない。

 きっと皆さんおねむで、食欲よりも睡眠欲が勝っているのだろう。

 だとしてもここまで反応がないのは稀なことだ。夜行性の魚だっているはずなのに魚影の一つもまだ見ていない。


「何か恐ろしいものを察知して逃げてしまったり……なんてな」


 あまりの静けさと孤独に耐えきれなくなって呟いた、まさにその時だ。

 


「――お隣、よろしいですか?」



 背後から女性の声がして俺の身体は固まった。

 間合いにいるものがヒトでないことは容易に分かった。

 もちろん人里離れた野外といえど、すぐそこには整備された公道が敷かれているので誰かと出遭う可能性もあるにはある。しかし、だ。


 今は草木も眠る真夜中で。

 呼ばれるまで土を踏む音も息を吐く音も聞こえず気配さえも感じ取れず。

 ついでに風がピタリと止み、川のせせらぎすら聞こえなくなった。

 とどめに、背後に佇むそれには全ての動物が発する鼓動の音がない。


 十中八九アイツだろうなと、脱力して振り向いた。


「……その貌は何だァ? どこの誰の物真似だァ?」

「さぁ? 誰だろうか?」


 振り向いた先にいたのは、カレンよりも長く尖った耳を持つ純正の長耳族エルフだった。

 月光に照らされて煌めくのは、燃えるような赤い髪と涼しげな碧い瞳。

 白い寝巻きの下には俺と同様に極限まで鍛え抜かれた完璧かつ調和のとれた肢体が。


 あぁ、悔しいかな悔しいかな。

 アイツが化けた姿だと分かっているのに息子が飛び起きてしまった。

 

「好みのど真ん中を持ってきやがって、詫びのつもりか? 今度会ったらぶん殴ろうと決めていたのにこれじゃあ殴れん。千年間も石の中で一人ぼっちは寂しかったぜ? 封印を解いてくれとまでは言わないが、百年に一度くらいは話し相手になってくれてもよかったんじゃねえか? どうせずっと観てはいたんだろ?」


 俺を不死者にした自称カミサマに、長年溜め込んできた思いをぶちまけた。

 ヤツはそれを聞いて悪びれもせず隣に腰を下ろし、楽しませてもらったよと他人から借りた笑顔を用いて答えた。


「二千年ぶりか?」

「いいや、千年ぶりさ。君が封印される前に会っているよ」


 残念ながら当時の記憶は抜け落ちている。

 その時に何を押し付けられたか、どうして俺は封印されたのか、ついでにカレンの素性と両親について聞いても、時間はいくらでもあるのだから自力で辿り着いてくれたまえと軽くあしらわれた。


「ならもう、いつものようにゴミでも何でも押し付けてさっさと失せろ。お前のせいで魚が寄ってこないんだよ」

「君は相も変わらず不遜だねぇ、私一応カミサマだよ? 六大神よりも上の次元のね。それで何か欲しいものある? 心臓とか増やしとく? あと一応言っておくけど、魚が釣れないのは残念ながら私のせいではないよ」

「いらん。強いて言うならお前ら神々を抹殺する力が欲しい」


 俺の切実な願いは無視され、「これでいいか」と黒い靄を頭の上からぶっかけられた。

 靄が全て消えて視界が晴れた時、特に身体に変化はなかった。

 

「今回は何を押し付けた?」

「もー、子供じゃないんだからさー、何でも人に聞いてないで自分で考えなよー?」

「こンの野郎……っ」


 「そもそもお前は人じゃねえだろうが!」と逆上して綺麗な面を殴りたかったが、深夜なのでどうにかして抑え込んだ。

 そろそろ本当にお引き取り頂こう。


「それにしても、ずいぶんと楽しそうに旅をしているね。君の魂が喜んでいるのが分かるよ。私も旅に同行していいかな? ぜひとも皆と仲良くしたいんだ」

「ダメに決まってるだろ。というかちょっと待て。ラクサはどうでもいいが、カレンに手を出してはいないだろうな。あの子に何も与えていないだろうな」

「与えるだなんてとんでもない! あの子は全てを持っていたよ! 流石は君の子だ!」

「ふふ、そうだろそうだろ。カレンは本当に凄い子なんだ! ……あくまで義理の娘、だけどな」


 相手は邪なカミサマなので、矮小な種族にしてはやるじゃんと煽てられているのは分かっている。

 それでもカレンを褒められるとついつい口角が上がってしまう。


「未来ある若者を大事に育てておくれよ。もちろん君自身も含めて」

「いつまで俺を若者扱いする気だ?」

「孫ができるまで、かな?」


 そして「また今度」と黒い靄に包まれて消えてから、再び風が吹き川の音が鳴るようになった。

 今回はうまく煽てられたせいで、二度と来るなを言いそびれてしまった。

 それと結局アイツが去ってからも、どういうわけか魚が釣れることはなかった。夜が明けてもだ。


「俺のせいじゃない。今度会ったら文句を言ってやる」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る