第三話 「コーネンキってヤツじゃない?」
(迅ッ――)
並の吸血鬼の三倍は速い。
時速にして三百六十キロメートルはある。
「グゥっ!?」
油断していたのもあって避けきれず、両腕を開いて飛び込んできた少女をこちらも両腕を開いて受け止めるしかなかった。
少女の質量は見た目相応だが、速度も相まってとてつもない衝撃を受けた。
正直言って倒れないように立っているだけで精一杯だった。
「この匂いは間違いなくそうですわ! んふふ!」
少女は吸血鬼特有の怪力で俺の背中に腕を回して抱きしめ……いいや締めあげ、さらには胸に顔をうずめて激しく呼吸する。
バッとフロリアンの方を見ると、彼は煙のように消えていた。
これは一体どういうことだ?
新手の美人局か?
だとしたら一秒触れるだけで金貨十枚は請求されてしまうのでは?
「ちょっと君、離れて離れて。誰だか知らないが自分の身体は大切にしなさい」
筋力の八割を行使して引き剥がすと、少女は愕然として固まった。
口を大きく開け、くりっとした目を何度もパチパチして、驚きを露わにしている。
そして開いたままの口から絞り出すように声を漏らした。
「私のことを、忘れてしまいましたの……? 私は一日たりとも、おじ様のことを忘れはしませんでしたのに……」
「おじ……様……?」
果てしなく続く記憶の糸を辿り、そのような呼び方をする者を捜す。
辿って辿って手繰り寄せて……少女の特徴と一致する人物を見つけた。
「……まさか、サリィか!?」
「はい! サリィでございますわ!」
アメジストのような瞳を輝かせ、もう一度飛び込んできたサリィを昔と同じように受け止める。
「大きくなったなぁ! 見違えたぞ! 今いくつだ!?」
「もう、女性に向かって失礼ですわよおじ様。千百と九歳になりました」
気付けなかったのも無理はない。
最後にこの国に来たのがサリィが十歳になるかならないかくらいで。
それから色々忙しくて、気付いたら千年間封印されていたのだから。
「ねぇアレン、その人知り合いなの?」
ここまで黙って見ていたカレンがついに尋ねた。
「そうだ。サリィはガエルの娘で「――おじ様の妻ですのよ!」
そして再び黙った。
もちろんカレンだけではない、俺もだ。
すぐにカレンが目線で「そうなの?」と問うてくる。
しかしその問いかけに「はい」とも「いいえ」とも答えることができない。
「本当に申し訳ないんだけど、最近物忘れが激しくてね。俺はいつごろ君の夫になったのか教えてもらえる? もしかして、結婚式なんかも済ませちゃってる感じかな……?」
何しろ二百年は記憶が抜け落ちている。
その間にサリィと結ばれたのかもしれない。
「いえ、式はまだ挙げておりません。ですが、千百年前に約束しましたでしょう? 正確には千百年と八十三日前ですわ」
ギュッと眉間を押さえて遡る――
……千百年前の約束とやらは、たしかにあった。
『わたし、大人になったらおじさまとケッコンしますの!』
『おやおや、嬉しいねぇ。でもなぁ、おじさんは歳の離れた相手とは』
『おい、アレン』
娘を悲しませないでくれとガエルに目で訴えられ。
『よーし分かった! サリィが立派な大人になったら結婚しようじゃないか!』
『本当!? おじさま、大好きですわ!!』
そういえば、サリィの喜ぶ様を見てガエルは笑っていたが、瞳の奥は同族殺しをしていたあの時と同じものをしていた。
俺もカレンという娘を持った今では、その気持ちがよく分かる。
「私、立派な大人になりましたわ! 明日にでも婚姻の儀を執り行いましょう?」
「うぅん……。たしかに成長したけど、まだまだ半人前ってところかなぁ……。だからまた今度、ね?」
「…………分かりました」
サリィは食い下がらず、素直に引き下がった。そしてさらに精進して立派な大人になりますと、前向きに宣言されてしまった。
あの約束は半強制的なものだからノーカンだと、正直に言っておいた方がよかったかもしれない。
「ところでおじ様、そこの生意気そうな長耳の娘は誰ですの? 奴隷? それとも非常食? どういうわけか見ているだけでムカムカしてきますわ」
「はぁ!? オトコの趣味悪いおばあちゃんに言われたくないんだけど? コーネンキってヤツじゃない?」
「なっ……!? 私のことはともかく、おじ様を侮辱するなんて! 二度とその汚い口を利けなくしてさしあげますわよ!?」
「ちょっと待った待った! えっとなサリィ、この子はカレンと言ってな――」
種族柄やはり反発し合う二人を抑え、事の成り行きを語った。
「……というわけなんだ」
「まぁ、そんなことが……。助けに行けなくて本当に申し訳ありませんわ」
「いいよいいよ、誰一人として助けに来てくれなかったからさ……ハハハ……」
千年待っていたのに知り合いはだーれも来なかったからね。
仕方のないことよ。
みんな俺のような些末な存在なんて忘れていたんだろう。
「あなたも幸運ですわね、下賤の身でおじ様の寵愛を受けられて。日に一万回は地に頭をついて感謝なさい」
「何、やる気? さっきアレンに吸血鬼の殺し方を教えてもらったからやってもいいよ?」
「はいはいはい! やめやめやめ! どうどう! それで、だ。ガエルはどこにいるんだ?」
こうやって俺が慌てふためている様を陰から覗いて、ひとり笑っているような気がしてならない。
さぁ早く出てこい。
一発デカいのをぶち込んでやる。
しかし、サリィの口から出た言葉は予想外のものだった。
「お父様はちょっとした長旅に出ております。いつ戻ってくるかは分かりません」
「あの野郎、折角親友が来てやったというのに……。ならエリナ夫人にだけでもご挨拶を」
「……お母様は三百年前、お父様の出張っている隙を見計らって来た刺客に殺されました」
今度こそ、場が完全に沈黙に包まれた。
「すまない」
「いえ、おじ様に非はございません。私達は生きている限り、誰も死からは逃れられませんもの。それが早いか、遅いかの違いですわ。そうでしょう?」
「……あぁ、そうだな」
その言葉はたしか、俺が少しの間サリィの教育係をしていた時に教えたものだ。
「暗い過去は明るい今で塗りつぶしてしまうのがいいとも言っておりましたね」
だから今は外に遊びに行きましょう、と。
昔よりも垢抜けて落ち着いた笑顔で手を引かれた。
♦︎♦︎♦︎
サリィに右腕を、それに対抗したカレンに左腕を掴まれて市井を回る。
あんな湿っぽい話をした後だというのに、千年生きて立派に育ったサリィと常人離れしたカレンはすぐに切り替えて爽やかな顔をしていた。
情けないことに、この中で一番切り替えられていないのは年長者の俺である。
「こちらから見て参りましょう!」
「あたしはあっちを見に行きたいの!」
「ちょっと千切れるからやめて! いくら俺でも分裂はできないの!」
そうやって一日中連れまわされて、人も空気も昔とそれほど変わっていないことがよく分かった。
「おじ様、この国にはどれくらいいてくださりますの? 十年? 百年?」
「さすがにそんなに長くはいれないさ」
「ねえアレン、明日には出ていこうよ」
「おや、カレンもここが気に入ったんだろう? 昼も『吸血鬼の伝統料理美味しい! 毎日食べたい!』なんて言っていたじゃないか」
「それはそうだけど……。ずっといたらそのうち血を全部吸い取られそうじゃん」
「長耳混じりの穢れた血を吸おうなんて物好きはおりません」
「喧嘩売ってるの!? チェセロで今度こそ白黒つけるわよ!」
「コテンパンにしてさしあげますわ!」
いつの間にやら仲良くなったものだ。
正直なところ、この居心地のいい国には十年百年といわず、千年は滞在していたい。
しかし俺にはやるべきことが山ほど残っている。
ここでまったりするのは一通り片付いてからだ。
「ところでサリィ、地下の貯血槽はどれくらい満たされている?」
「五分の一もありませんわね」
パチリと黒い駒を打ってからサリィは答えた。
「なら、一ヶ月ってところかな」
吸血鬼にとって他種族の血は必要不可欠なものである。
血を飲まずに普通の食事だけ摂っていても死ぬことはないが、その場合吸血鬼としての力は少しずつ失われていく。
仮に血を飲み続けないでいると、いつかは人族とそう変わらない身体になってしまう。
彼らにとって血は金に等しく、貯血槽はいわば国庫だ。
それを俺の血で満たしてから出ていくとしよう。
何度も俺を匿ってくれた大恩ある国に、千年間何もしてやれなかったのだ。
それくらいはしないとな。
「王手! ……これで十勝九敗、私の勝ちですわね」
「先に千回勝った方の勝ちだから! 次よ次!」
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