第二話 「歓迎」

 そびえたつ黒い壁に触れるとやはりひんやりしている。

 巨大な鉄の扉にも吸血鬼の紋章――心臓に牙と翼を生やした図柄――が描かれていた。

 うん、間違いない。 


「ようこそカレン。ここはお父さんの第二の故郷、吸血鬼の国さ」

「ようこそって……」


 しかしカレンはまだ半信半疑でいる。

 頬や唇をつねって幻か何かを見ているのだと思い込んでいる。

 

「だって、さっきまで何もなかったし。遠くから見た時もこんな壁なかったじゃん」

「隠蔽の魔法を施してあるからね。近寄らないと見えないんだ」

「そう、なんだ……」

「まぁまぁ、入ればわかるさ」


 いつもならば俺を置いて一人で街へ入って行こうとするのに、今回ばかりは気が引けている。

 か細い腕を引っ張っても岩のように固まって動かない。

 

「おやおや? おやおやおやおやおや?」

「……なによ」

「まさか、まさかあの偉大で勇敢なカレン様に限ってありえないとは思いますが…………怖いのかな?」

「こ、怖くなんかないもん!! すいませーん! 開けてくださーいっ!」


 吹っ切れたカレンがドンドンと大きく音が鳴るように扉を叩き出した。

 しかしどれほど叩いて呼びかけようとも、向こうから声が返ってくることも扉が開くこともなかった。


「ほ、ほら、やっぱりこれは幻だって! それかみんな引っ越しちゃったんだよ! だから戻ろ! ね!?」

「うぅむ……」


 このまま待っていても仕方がないので地に手をつき、


「――《泥沼ドロヌマ双腕ソウワン》」


 扉の向こう側に泥土を固めた腕を生やし、中からかんぬきを抜くことに。

 それから多少力を出して扉を押すとなんの突っかかりもなく開いた。


「よし」

「ねぇ、全然よしじゃないんだけど……。いいのこれ? フホーシンニューってやつじゃないの?」

「いいのいいの。俺にとっては地元みたいなものだから」


 今度こそカレンの手を引っ張って踏み入れると見慣れた街並みが目に入った。 


「へぇ、吸血鬼の国って言っても普通の街と変わらないんだね。フツーに家があってお店があってお城が……なにあのお城。なんであれで倒れないの?」

「すごいだろう?」


 人間の国とそう変わらない街の景色の中で、一つだけ異彩を放つものをカレンが指さした。

 それは真っ赤に染められているのと、今にも倒れそうな柳や蛇、あるいは手招きのような形をしていることから血招き城と呼ばれている。

 人間牧場も搾血場もない国の中で唯一の、他種族がイメージする『吸血鬼らしい』建物だ。

 元々は何の変哲もないどころか城ですらない一軒家であったのだが、最も偉大な吸血鬼の住処にはふさわしくないと国民が一致団結し、ガエルがいくら遠慮しても勝手に増築されていったのだ。

 もちろん俺も、腕のいいドゥーマンの大工を大量に引き連れて増築に携わった。


「あとで案内してあげるよ」


 それ以外は特に説明するものもないので、しんと静まり返った街中を無言で歩く。

 三分とせずにカレンが耐え切れなくなって口を開いた。


「ところでさ」

「うん」

「誰もいないね。やっぱりみんな引っ越しちゃったんじゃないの?」

「そんなことはない。なんなら後ろにずっといるぞ?」


 その言葉を聞いたカレンが「えっ」と疑問の声を出したのは、首筋に刃を突きつけられた後のことだった。


「動くな」


 カレンの背後に立ってサーベルの刃先を突きつける男が言った。

 カレンは言われるがままに静止し、同じく俺の背後に立つ者を瞬きもせずに見つめている。


「名乗れ」


 今度は俺の背後に立つ男が尋ねた。


「最近の吸血鬼は礼儀がなっていないなぁ。人に名を尋ねる時はイタイイタイッ!」


 言い終える前に首筋に刃が食い込んだ。


「次はない」

「アレン、アレン・メーテウスです。こっちは一人娘の」

「……カレン」

人族ヒューマン半長耳族ハーフエルフが何の用だ?」


 二人は人の名前を聞いたのに名乗りもせず、再びカレンの命を握る男が尋ねた。


「帰省でーす」

「笑わせるな。この国に我々以外の種族は住んでいない」

「本当だって。城のあの辺りに俺の部屋がちゃんとあるんだって! もしかして君達お若い? 今何歳? 名前を教えてくれないんだからそれくらいは教えてよ」

「二百十五」

「四百八だ、若造め」

「あらあらごめんなさい、お子様だったのね。ねぇ坊や、千歳以上の人を呼んできてくださる? ガエルはいるかしら?」

「なんだと貴様!?」

「ふざけるのも大概にしろ!!」


 刃がより一層深く食い込んだ。

 どういうわけが二人が怒気を露わにしたのだ。


「分からないなら仕方ないね。お子様は昼寝の時間だ」

「どうい……」

「なッ……」

「――《イマシメノ磐牢バンロウ》」

 

 このままではカレンの綺麗な肌に傷が付きかねないので、二人を素早く寝かしつけて投獄。

 すると街の至る所に隠れていた吸血鬼達が続々と姿を現した。

 ある者は牙を剥きだして剣を構え、ある者はこちらをクロスボウで狙い、またある者は蝙蝠のような翼を生やして滞空し、揃いも揃って敵意丸出しだ。


「やぁやぁみんな。俺の顔を覚えていない?」


 ぐるっと首を回しても誰も俺の顔にピンときた者はおらず、こちらとしても見知った顔は一人も見当たらなかった。

 彼らとしてもまだ俺の力が測りきれておらず、二人の吸血鬼を軽くあしらってしまったこともあってか、誰も飛び掛かってはこない。


 そうしてしばらく膠着したままでいると、城の方より援軍がやってきた。


「お前達さがれさがれ!」

「フロリアン様が来てくれたぞ!」


 包囲網を敷いていた吸血鬼達が五歩下がり、代わりに執事服を着た吸血鬼が両手にサーベルを握って前に出る。……が、俺と目を合わせるなり二本とも品よく鞘に納めた。

 彼はガエルの右腕と呼べる人物で、昔から城の管理を任されている。当然歳も二千を超えているので俺のことをよく知っている。

 

「おひさー」

「報告を受けた時にまさかとは思いましたが、やはりあなた様でしたか!」


 俺とフロリアンは互いに近寄って軽く抱擁した。

 そのやりとりを見て周囲がひどくざわつく。


「皆の物、武器を収めよ! この方は敵ではない!! 総員持ち場に戻れ!」

 

 そのざわつきをかき消すようにフロリアンが声を張り上げる。

 沈黙した吸血鬼達は皆疑問を顔に浮かべながらも素直に従った。


「ではアレン様、城へ案内いたします」


 周りにいた吸血鬼達が散ってから、翻って歩き出した彼についていく。

 城へと続く道をフロリアンは俺達と一定の距離を空けて先行する。

 考えすぎかもしれないが、今は話しかけないでほしいと背中に書いてあるように見えた。


「ねぇねぇフロリアン、ガエルってどんな人なの?」


 そこをカレンが躊躇いなく話しかける。


「…………ガエル様は素晴らしいお方です。我々吸血鬼にとっては闇夜を照らす月のような。あのお方は決して約束を違えません」

「へぇ、ゼッタイに約束を守るんだ。アレンとは大違い」

「こら」

「そうなのですか? 《契約の守り人アグリメントキーパー》とまで呼ばれ、引き受けたからにはどのような無理難題でも成し遂げてきたアレン様が?」

「いやいや! 正式な約束はいつだって守るさ! ただ、勢いに負けて聞き入れてしまったワガママは……ね? それに年のせいで物忘れが激しくて」

「あぁ、それはいけませんね」


 などと言葉を交わしているとすぐに城に到着した。


「うわぁ……。下から見るとすごいぐわんとくるねこれ……。本当になんで倒れないのよ」

 

 血招き城はまさしく柳や稲穂のように垂れて傾いているのだ。

 隠蔽や幻影を見せる魔術が施されているわけでもない。

 人によっては近くにいるだけでも、倒壊して押し潰されないか不安になって過呼吸になるだろう。


「頑丈に作ってあるからね。それこそ植物が根を張るように地下から固めてあるのさ。ついでに柱や壁に俺の死体を埋め込んであるし」

「冗談だよね?」

「ははは、冗談だよ冗談。…………たぶん」


 城の中に入ってからもカレンはしばらく「たぶんって何!? ちゃんと答えてよ!」などとしつこく迫ってきた。

 しかし俺が何も答えないでいると諦めて、そこら辺の柱や壁から腕や脚がはみ出ているんじゃないかと、ずっと目を細めてなるべく見ないようにしていた。


 初見の者はまず迷うように何本にも枝分かれしていて、さらには蛇の体内にいると思わせるようなぐねぐねとした通路を歩く。

 しばらくして広けた空間に出てからフロリアンが足を止めた。


「カレン、もう目を開けていいぞ」


 目の前には城壁の扉よりも大きく、繊細な装飾の施された黒檀の扉がそびえている。

 俺の記憶が正しければ向こう側には謁見の間が存在しているはずだ。


「大丈夫だよね? 血を吸い尽くして干からびた人間とかをたくさん飾ってあったりしないよね?」

「ないない」


 もしかしたら俺の剥製や干し首はいくつか置いてあるかもしれないが、それを言うといよいよ逃げ出しかねないので黙っておこう。


「ではお二人とも、開けてよろしいですか?」


 フロリアンが扉に両手をついてすぐに、カレンが「待って!」と妨げる。

 それから一人でゆっくりと深く息を吸って吐いた。


「ふぅー、緊張する……」

「おや珍しい。いつものは目上の者だからと物おじしないのに」

「だってほら、アレンより強いかもしれないんでしょ?」

「そうだね」

「大丈夫かな……。開けた瞬間にガバッと跳んできて、気づいたら血を全部吸い取られてたり「よし、開けてくれ」


 フロリアンが吸血鬼特有の怪力で両開きの大扉を軽々と押し開ける。


「やぁガエ……え……?」


 その名を呼びかけて固まった。

 最奥の玉座に座していたのは筋骨隆々の男性吸血鬼ではなく、漆黒のドレスを身に纏った瑞々しい少女だったからだ。


「ねぇアレン、あの女の人がガエルなの?」

「いや……えーっと……」


 おそらく吸血鬼なので正確な年齢は分からないが、見かけの年齢は十七か八くらい。

 病的なまでに透き通った白い肌と白銀の髪が備えられ、眼窩には紫水晶のように輝く神秘的な瞳が嵌め込まれている。

 さらにはあどけなさと色気の両立した面構え、健全さと艶かしさの共生した肢体までも有していた。

 しばしば傾国の美女などと謳われるが、少女には国を傾けるどころか軽々転覆させるくらいの美貌があった。


(カレンも成長したら、あぁなるのかなぁ……)


 なんて考えていると。

 少女が少し顎を引いてフロリアンとカレンを見て、最後に俺と目を合わせるや否や立ち上がってくすりと妖しく笑い――


「おじ様ぁっ!!」


 ――ガバッと跳んできた。

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