第三章 因果応報の不文律 前編

第一話 「第二の故郷」

 少女の親探しを主目的とした旅を始めてから、早いもので半年の月日が流れた。

 ひたすら西へ西へと、あの日カレンが棒を倒して決めた方角へ進んではいるが、未だに手がかりの一つも掴めない。ついでに言えば俺が石の中に封じ込められたワケも。

 道中どれほど聞き込みをしても、活字に目を通しても、カレンの両親と思しき人物の噂話や俺が千年前にやらかしてしまった何かについての言い伝えなどは欠片たりとも出てこない。

 だからといって諦めて歩みを止めることはなかった。


 そうこうして、とある辺境の地までやってきた。

 ここ三百キロメートルは山を越えて山を越えて森を抜けたらまた山を越えてきて、その間には人っ子一人いなかった。

 一応舗装されていない道だけが途切れそうで途切れずに続いてはいるが、さすがに飽きがきたカレンがぶつくさと言うように。


「誰かいないのー? もうこの際アレンを殺しに来たテンノでもいいからさー」

「この丘を越えたらきっといるさ」


 そして丘を越えた先で目に入ったものは、一面の濃い緑色だった。 


「はぁー……また森じゃん」

「エルフにとって森は故郷のようなものだろう?」

「だってあたし、半分は人族だし。それにこの森、なーんかヤな感じがするもん……」


 カレンの予感は当たっていた。

 いざ道なりに森の入口へといくと、そこには『危険、引き返せ』と血のような赤い字で殴り書きされた看板が立てかけられており、森の中へと続く道は何本もの倒された大木によって封鎖されていたのだ。

 念のため木々の倍の高さまで飛び跳ねて見渡すも、青い空との境目は濃い緑色で、終わりの見えない深い森であることを視認できた。


「ほらぁー、引き返そうよ。ゼッタイいいことないって」

「……そうだな、うん」

「ねぇ!? あたしの話聞いてた!? 何で入っていくのよ!!」 

 

 声を荒げる娘を無視して、倒された木々を踏み越えて進んでいく。

 カレンは俺の姿が緑に飲み込まれてしまう前にしぶしぶついてきた。


「なかなかひんやりして気持ちがいいだろう?」

「どんよりともしてるけど……」


 今一度言うがカレンの予感は当たっている。

 俺はこの土地をよく知っていて、この森には彼らが住んでいることも知っている。彼らは今も昔も多くの種族から恐れられる者達だ。

 それを知ってか知らずか、はたまたこの鬱蒼とした森にはほとんど陽が差し込まず仄暗いせいか、カレンは少しばかり不安げな面持ちをしている。


「ではでは、何か話をしてあげよう。怖い話かパパの昔話、どっちがいい?」

「明るい話がいい」

「分かった、両方だね」

「もしかして人語が通じない? それともまた新種の毒キノコでも食べたの?」

「アレは昔々、今から二千五百年ほど前のことだ――」


 その時代は大陸全土を巻き込んだ大戦などはなく魔界とも長らく停戦中であり、世界は比較的平和であった。

 しかしある時、これまで防衛戦争しか行なってこなかった狂信的な平和主義国家である北の大国が侵略戦争を起こしたのだ。さらには大陸全土を支配するとまで布告した。

 その言葉通り、これまで自ら牙を見せたことのない彼の国は瞬く間に周辺諸国を飲み込んでゆき、急速に拡大していく。

 どういうわけか兵士達が揃いも揃って異様に強靭で、戦では負けることがないという。話によればまるでタガが外れているように戦うのだと。


 ついには中央大陸の三分の一を手中に収めてしまったため、世界が破滅に至らないよう月の裏側からもこっそり支える会、略して《滅至月会めしつかい》が五十年ぶりに招集された。


『というわけで、我こそはという方ー?』

『すまないが、私は封魔大陸での生態異常を調査しなければならないので辞退させていただく』

『僕は最近脱皮したばかりで弱いから力になれそうにないや。ごめんね』

『あーしもパス。ちょっと前に人間のがきんちょを拾っちゃってさー、イケメンに育てなきゃなんだよねー。アレンあんたさ、どーせヒマっしょ? パパッと行ってきてよ』

『ワシも曾孫に稽古をつける約束があってのぉ……』

『わりーアレン! ここんとこちょっとやらかしが続いてて嫁さんがピリピリしてんだ! 今怒らすと世界の終わりよりおっかねーからオレもいけねえ! ほんとわりッ!』

『うん、俺一応年長者ね? というか君ら何でここにきたの?』


 事態を重く見た面々は、全てを一人の年寄りに押し付けた上で介入することを決定。

 俺は次こそは押し付けられないように常に弟子でも取っておこうと考えながら北の大国に潜入し、裏で操る存在を突き詰めた。


「その国は魔界からやってきた吸血鬼に支配されていたんだ」

「吸血鬼って、人の血を吸って化け物に変えちゃうっていうあの吸血鬼?」

「そう、その吸血鬼だ」


 吸血鬼とはヴィールタスが創造した魔人の一種であり、血を与えた他種族を吸血鬼に変化させる力を持っている。……が、血を分け与えられた者のほとんどは変化に耐えきれずに死ぬか、理性を失くした化け物に成り果ててしまう。

 揃いも揃って強くなったという兵士達は人間と化け物の中間にされていた。知性を多少失くした操り人形にされてしまった代わりに二人力を得たといったところか。

 

『さぁ、洗いざらい吐いてもらおうかな』


 俺はとりあえず最前線の砦に赴いて、そこを指揮していた吸血鬼の四肢を斬り落としてから優しく尋ねた。


『君達の頭は誰だい? 今はどこに潜んでいるのかな?』

『教えてやってもいいがどうせ無駄だぜ? 王が死んでも次に強い奴が王を引き継ぐだけだ。俺達を止めてえなら世界中の吸血鬼を殺すつもりでやらねえと』

『ではそうしよう』


 その時はまだ夏に入ったばかりであったが、年を越すまでには帰れるだろうと高を括っていて。


『…………おかしいなぁ』


 いつのまにやら五年の月日が流れていた。

 俺は北の地を駆け回って奪われた国を取り戻し、人々を吸血鬼の支配から解放していった。

 しかし、状況が悪化することはなかったが良化することもなかった。

 ある地域を解放すれば別の地域が支配され、別の地域を解放すればまたある地域が支配される。完全にいたちごっこの様相を呈していた。


『早く誰か来てくれないかなぁ』

 

 あと何十年すれば滅至月会の誰かが応援に駆けつけてくれるのだろうかと、淡い期待を抱きながら淡々と吸血鬼狩りをしていた。

 そんなある日、俺は運命の出会いを果たす。


『人間にしてはしぶとい奴め。何者だ』

『通りすがりの吸血鬼ハンターさ』


 ちょっとしたヘマをしてしまい、魔界の四将ほどに強い吸血鬼と何の準備もしていないまま正面から戦うはめに。

 これは徹夜と二桁死亡確定かなぁと腹をくくったその時、吸血鬼の後方で輝く月に黒い影が重なり――


『吸血鬼ハンターだと? すぐに目玉を抉り取って命乞いをさせてや……りょ……?』


 ――吸血鬼が縦に真っ二つに裂け。


 そいつは己が等分されたことすら分からないままに灯火を消した。


『新手か!?』


 さすがに気を引き締めて構える。

 最低でも四将以上の実力を持つ相手によって、次の瞬間には俺も真っ二つにされているかもしれないからだ。

 いつでも自爆して広範囲に肉片を巻き散らかせるように意識を高めて、吸血鬼の亡骸を踏み越える男から目を離さないでいると。


『俺はお前の敵じゃない』


 男がスッと右手をかざして発言した。


『敵じゃないだと? その匂い、お前も吸血鬼だろう?』

『確かにそうなんだが、こいつらと違って昔からこの大陸にいた穏健派だ。とにかくまずは話を聞いてくれ』

 

 力ある吸血鬼が今までに狩ってきた吸血鬼達とは全く違うことを口走った。

 もちろん信じてはいなかったが、難敵を倒してくれた礼もあるので黙って聞くことに。


『――というわけで、お前とは同業者だ』

『なるほどな』


 話によれば男は元々魔界に住んでいて、魔王より吸血鬼の統治を任されていたという。

 男は四将の座に就いたこともあるほどに強く、強い故に長く生き、長く生きた故に愛する仲間達が死ぬ様を嫌になるほど見てきた。

 死んだ友の元へ逝こうにも、自分を殺してくれる強者がそう都合よくは現れず、自ら死ぬ勇気もなかった。

 

 いつまで戦えばいい。

 いつになったら休める。

 人族との意味のない戦いが終わる気配はない。

 それならばもう逃げてしまおう。


 ついには自身と同じく血みどろの戦いに嫌気がさした者達を引き連れて中央大陸へ逃げ込み、人里離れた森の中に吸血鬼の国を作って平和に暮らし始めた。

 そして時が流れて、今回の事件が起こってしまい。

 男は責任を感じ、平和に暮らす仲間達を守るためにも同族殺しを決意する。


『……ま、そう簡単に信じてはもらえないだろうが』

『信じるよ』


 話の途中でいつでも俺を殺せるようにわざと油断してみせたが、結局この男は何一つ手を出さずに身の上を話し終えた。

 その行為こそが信頼に値する。


『俺はアレン、どこにでもいる平凡な不死者さ。よろしく』

『……吸血鬼の王、ガエルだ』


 その日俺は吸血鬼と戦うため、吸血鬼と手を結んだ。


 それから二年かけ、今度こそ魔界から攻めてきた全ての吸血鬼を狩りつくし、支配されていた全地域を解放することに成功した。

 ついでに魔界にも行き、管理能力のない魔王を一発ぶん殴って叱った。




『んーっ! ようやく終わったなぁーっ!』

『あぁ、ようやくな』

『……ん? なんだその顔は? まだ何かやり残したことでもあったか?』


 万事うまくいったというのに、ガエルが何やら覚悟を決めた表情をしていたのだ。


『アレでも同族には違いない。ならば俺が責任を、けじめをつけねばなるまい』

『あぁーうんうん、けじめねけじめ。――《白銀蛇縛ハクギンジャバク》《タカラウブムスべ》《威封蕩々イフウトウトウ》』

『ッ!? おいアレン! どういうことだ!?』


 吸血鬼の王として、人間に詫びて命を明け渡そうなどと考える愚か者を封じ込め。


『責任だなんだと千年も生きていないお子様が口にするんじゃない。そういうのは専門家に任せなさいっての。それとちょっくら血をもらっていくぜ』


 ガエルの血を飲んで吸血鬼に変貌し、我こそが吸血鬼の王であると人前で声高に叫び、そして捕まった。


「そこから先はいつものだね。まずは七年間、秒数にして約二億秒磔にされて炙られ焼かれ続けたよ。吸血鬼の再生力というのはすごいぞカレン! 生半可な火力で焼き続けても皮が溶けて赤身が剥き出しになるだけで骨まではそうそう達しないのだ! それにもちろんただ焼くだけじゃあない。磔台の前には槍や剣、鞭や棍棒などが何本も置かれていてな。各地からやってきた遺族や被害者達が心からの憎しみを込めて」

「そこは詳しく話さなくていいから! 次いってよ次!」

「はいはい」


 責任の肩代わりを一通り終えて、今度こそ後腐れの無い状態で笑い合えましたとさ。


 その後も助け助けられを何度も繰り返して心の底から通じ合うようになった。

 俺もガエルも本質的には臆病者で似た者同士だったからか、とても気が合った。一度も仲違いしたことはなかった。

 彼は五千年の半生で出会った最も信頼できる者の一人だ。


「へぇー……。吸血鬼の王様と、一応だけど人間が仲良くなれるなんておとぎ話だと思ってた」

「血の繋がりよりも強い絆っていうのかな」


 実際に血の飲ませ合いをしたので僅かなりとも俺の血はガエルの中に流れているのだが。


「今度あたしも会わせてね」

「今度どころか今から会えるさ。ほら、ついたよ」

「えっ? つい……たぁ……!?」


 森の中の代わり映えしない景色に飽き飽きして、小枝を蹴りながら歩いていたカレンが顔を上げてピタリと止まる。

 

「なんで、こんなところに」


 驚くのも無理はない。

 人工物など何もないと思われた深い森に、突如として存在感のある黒い壁と鉄の大扉が現れたのだ。

 しかも壁は木々の三倍は優に高く、左右に遠く続いている。


「なにこれ、わけわかんない。この先に国でもあるの?」

「そうだとも」


 俺はこの土地をよく知っている。

 第二の故郷と呼べるくらいには入り浸ったのだから。


「吸血鬼の国へようこそ」

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