第二十五話 「末永く幸せにねーっ!」

 ついにその日がやってきた。

 まだ夜が明けてから二時間と経っていないのに、耳を澄まさずとも無数の声が風に乗って聞こえてくる。

 窓の外を見れば街のほうぼうで国旗がはためき、目に入る人間は皆笑っている。

 今日だけは富める者も貧しき者も皆ひとしく笑顔になる日なのだ。


「段取りは覚えているね?」

「うん、大丈夫」


 カレンが鏡に映る自身を真剣な目で見つめながら答える。 


「これが失敗すれば大勢の人間が死ぬ。もっとも、それが本来のやり方なんだけどね。カレンはそういうのは嫌いだろう?」

「うん、誰にも死んでほしくない。ううん、絶対に死なせない」

「ワガママなお嬢様ですこと」


 鏡台の前でじっと座る娘の赤と黒が織り混ざった髪を梳かして結い、輝きと瑞々しさを際立たせるように薄く化粧を施す。

 なんたってカレンはこれから国家を、いいや世界を脅かす大役を演じるのだから。

 うんと可愛くしてあげないと。



 カレンのおめかしをしてから一時間ほどして、扉が叩かれることなく開かれた。

 トラスアとカレンを中心に、屋敷で働くすべての使用人が並んで深々と礼をする。


「ようこそお運びくださいました、陛下」


 もじゃもじゃの髭を切りそろえ、ピシッと礼服を着こなしたトラスアが、その者を兄とは呼ばずに迎える。

 前日に急遽組み込まれた予定だというのに、動揺の色はない。


「ささ、こちらへどうぞ」


 すぐに朝食の席へと案内する。

 神々への感謝の祈りを短く済ませてから大テーブルに三人だけの食事が始まった。

 フリスとトラスアが軽い世間話をしながら草を食む。

 カレンは真っ先にパンや肉にかじりつきたいのを我慢して、二人のペースに合わせて品よく野菜を咀嚼する。


「して、どうしてこのような大事な日にこちらへ?」


 パンをひとかじりしたトラスアが、最も気になっていた質問をした。

 それもそのはず、正午過ぎには国民の前で殺す相手が急に来訪したのだから。

 もしかしたら革命のことがバレているのでは? そのように疑うのは自然なことだ。


「どういうわけか今日ここに来なければならないと思ってな。天のお告げというものだろうか。気まぐれとも」

「……さようでございますか」


 それをフリスがあっけらかんと答える。

 もちろんそんな気まぐれがあるわけがなく。

 俺はマニックとコウヒさんに計画を打ち明けた直後、城へ侵入してフリスの寝室に忍び込み。気持ちよさそうに寝息を立てる国王陛下に夢を見せたのだ。

 建国祭の日に弟の家に行かないと国が滅ぶという夢を。


「うむ、馳走になった」


 結局何事もなく食事が終わり。


「それでは陛下、トラスア様、カレン様。こちらへどうぞ」


 俺は皆を城と街並みが一望できるバルコニーへ。

 いわゆる兄弟の思い出の場所へと案内した。


「おぉ、懐かしい。私達はここでよく遊んだものだ。覚えているか? あのボードゲームを」

「昔は全く陛下に勝てませんでしたなぁ」

「ここでは兄上でよい。それとその言い方は今ならば勝てるということだな?」

「いえいえそのような」

「では、確かめてみてはいかがでしょうか? ちょうどこちらにございます、どうぞ」


 二人が幼い頃によくやっていたというボードゲームを取り出す。ちなみに自腹で購入してきたものだ。

 さすがにトラスアがこれらは全て俺が用意したものだと気付いて「どういうつもりだ?」と訝しんだ目を向けてくる。

 それに対して俺は何も言わずにニッコリと笑った。




 ♦︎♦︎♦︎




「かぁーっ! また負けたぁ! トラスアよ、少しは手加減せよ」

「いやはや、手を抜くなと言ったのは兄上でございませんか」


 それは貴族同士が争って一つしかない王の駒を奪い合うというボードゲームであったが、トラスアが三戦三勝した。

 俺は微動だにせず、カレンはお菓子を貪りながら二人が没頭する様子を見ていた。


「クソッ! もう一回だ! ……と、その前に尿意が」

「あ、あたしも」

「ではカレン、兄上を案内してやってくれ」


 フリスとカレンが用を足しにいき、ちょうどこの場には俺とトラスアだけになった。


「それでアレン君、これはどういうことか説明してもらおうか?」

「革命が成功するにしても失敗するにしても、最後の思い出をと思いまして」

「余計なお世話だ、この後兄上を殺せなくなったらどう責任を取ってくれる」

「殺さなくてもいいのでは? 心の底から憎んでいますか? 違うでしょう?」


 トラスアが目を伏せて黙る。

 二人の態度を見た限り、心の底からいがみ合っているとは到底思えない。むしろ立場を捨てられるのなら、今すぐにでも一緒に暮らしたいと顔に出ていた。


「実の兄を殺す覚悟がお有りですか?」

「…………あるさ。私は同胞達の命を背負っているのだ。勝手な真似はやめてくれ」

「では、俺はもう何も口出ししませんよ」


 あぁもう、馬鹿だなぁ。

 そんな中途半端な覚悟で臨んだら、一生後悔するというのに。


 そこで会話を止めたトラスアはどこか遠くを眺めていたが、二人が戻ってくるとすぐに現実に帰ってきた。

 

「やるぞトラスア! 次こそは私が勝つ!」

「これで最後にしましょう兄上。式典の準備もあるのですから」

「おお、もうそんな時間だったか」


 本音を言うならば兄も弟も時間を忘れて共に過ごしたいはずなのに、自身の立場というものがそれを許さない。

 だからせめて今だけは立場を忘れて楽しもうと遊戯に興じ、あんなことがあったなぁこんなことがありましたなぁと幼い頃の話を弾ませる。

 そう、遠い昔の話ばかりを。


「――ねぇ、今の話はしないの?」


 そこをカレンが容赦なく切り込んだ。

 時間が止まったかのように二人の動きがピタリと止まる。 


「そんな昔のことなんかより、今話さなきゃならないことがいっぱいあるでしょ? 悩みとかないの?」

「も、申し訳ありません兄上! 娘は難しい年頃でして」

「……そうか、今の話か」


 焦るトラスアと口ごもるフリスを見て、カレンは軽く溜息を吐いてなおも続ける。


「全部バラしちゃうけどね、あたしはトラスアの娘じゃないの」

「カレン!? いきなり何を言い出すんだ!」

「トラスアはね、アンタが悪い王様だからって革命を起こして殺そうとしてるんだよ? でもあたし、アンタがそこまで悪い人だとは思えないなー」

「なっ……」


 トラスアが絶句する。

 まさかこんなところで全てを曝露されるとは思ってもいなかったようだ。

 彼の兄はというと、まるでそれを知っていたかのように大して驚きもしない。


「兄上! 実は娘は妖魔に憑りつかれておりまして! 今のは全て出鱈目で……!」

「いつか、そんな日が来るとは思っていた」


 フリスは近場に控えている護衛に助けを求めもせず、そっと自身が持つ王の駒をトラスアの前に差し出した。

 やれと言わんばかりに。


「お前になら安心して任せられる」

「兄上……」

「んー、それだとなんか違うんだよねー」


 そしてまたしても、兄弟の感動的な場面をカレンが遮った。


「これをこーやって……アレン、ちょっとやって」

「はい」


 王の駒をひょいと取り、それを折ろうとしたができずに俺に手渡した。

 俺が綺麗に真っ二つに割って返すと、トラスアとフリスの前に一つずつ置いた。


「どっちか一つに決めなくてもいいじゃん。二人で一緒に王様をやれば?」


 それは今まで誰も申し上げなかったであろう言葉だ。

 兄弟で手を取り合って政務を執る。

 極めて簡単なことだが極めて難しくもある。


「仲良いんだからできるでしょ?」

「そう簡単に出来るわけがないだろう。カレン、これ以上余計なことを言うのはやめてくれ」

「あぁ、私も王位に就いたばかりの頃は何度か考えたさ。思えばその時に無理にでも実行していればよかった。時が経てば経つほどしがらみが増え、背負うものが重くのしかかり、自由に身動きが取れなくなる」

「ふーん、バッカみたい」


 いつものようにカレンが吐き捨てる。

 うちの娘は大人のこじれた関係というものが大嫌いなのだ。

 今は理解できないし、大人になったからといって理解したくもないと仰っている。

 あくまでみんなで仲良くしろという自分の信念を押し通すつもりだ。


「カレンといったか。なぜ我々の仲を取り持とうとする? お前はトラスアの部下ではないのか? 一体どちらの味方なのだ?」


 では、ここからが本題だ。

 どうすれば対立する二人を説得以外の方法で繋ぎ合わせることができるか。


「どっちの味方でもないし、そもそも敵だよ? あたしはこの国を乗っ取るためにきたんだもん」


 答えは簡単、共通の敵を作ればいい。


「……はっ、あっはっは! 面白いことを言う娘だ!」

「アレン君? カレンに何か悪い物でも食べさせたのかね?」


 当然二人はそれを冗談か何かだと思っている。

 この世界のほとんどの生き物は目で見たものしか信じないのだ。


「アレン、やりなさい」

「仰せのままに」


 カレンの命令を受け、助走をつけてバルコニーから飛び出して例の言葉を唱える。


「――《我々ト同化セヨメタマ・フォシ》」


 どこからともなく湧いてきた黒い靄が俺の全てを包み込む。

 何も視えない闇の中で肉と骨が混ぜられ引き延ばされ、全く別のものに変えられていく。

 蛹などとはまた違った、この世のものとは思えない奇妙な感覚だ。

 

 その全てが終わって靄が消え去った時、俺の身体は著しく巨大化していて。

 腹の底では炎が燃え滾っていた。

 

「……ま、まさかその姿は」

亜竜ワイバーン……いや、ドラゴン……!?」


 今回は亜竜ではなく、最低でもその三倍もの体格と質量を誇る四爪の魔物となった。

 いつの時代も人々を恐れおののかしてきた正真正銘の怪物、竜である。


 昨晩ちょろっと音速を越える速さで魔界の《竜哭き峰》まで飛んで、心臓を一つ取ってきたのだ。

 実に骨が折れた。もちろん二重の意味で。


「ねぇどう? これがアレンの正体よ」


 足の一踏みでアーチカルゴ像の置かれた小屋を潰し、尾の一振りで屋敷の屋根が瓦解する。そして極めつけに――


「――ゴァアッ!!」


 体内の火袋で生み出した火球を大顎を開けて放射し、城の尖塔の一つ――ちょうどフリスの寝室がある部分――を消し飛ばした。


「ト、トラスアぁっ!」

「あ、兄上ぇ!」


 次の瞬間に自分は死んでいるかもしれないという恐怖に駆られ、お互いの身体を抱き合って震える初老の兄弟。

 そこにカレンがさらなる追い打ちをかける。


「それじゃあ、あたしもやろっかな」


 カレンが二人に不敵な笑みを浮かべ、パチンと指を鳴らす。

 それから少しして、街の至る所で連続して爆発が起きたではないか。

 もちろんそれは城でも起こり、全ての尖塔が破壊されてしまった。

 

「おーほっほっほっ!!」


 菓子をつまみながら四方八方より聞こえてくる悲鳴を嗜み、怯えて身動き一つ取れない兄弟を尻目にあくまで上品に高笑いする。

 

「我が主よ、いかがですか?」

「んー、最高の気分ね! あーでも、ちょっと物足りないかなー。こんな弱っちい国、乗っ取る意味ある?」

「では、今回は見逃してあげましょうか」


 俺はそこで大きく息を吸い、ヒトのものより幾分も大きい発声器官で強い言葉を発する。


「脆弱な人族よ、聞け! 貴様ら下等な種族でも理解できるように我が主の言葉を意訳するとこうだ。『かような小国を落としてもつまらん。故に此度は見逃してやるが我々は必ず戻ってくる。それまでに少しでも国力を高めておけ。私をもっと楽しませろ』」

「なんと……」


 二人はまるでこの世の終わりのような顔をして、俺の言葉を噛み締めて聞く。 


「しかし我が主は一方的な虐殺を望まない方であるから特別に教えてやろう。万一にもこの国が我々に抗う術があるとしたら、貴様ら兄弟が力を合わせる以外にあるまい。それでもくだらぬ内輪揉めをしていたらどうなるか、分かっているだろうな? せいぜい励むのだな!」

「またねー!」


 言いたいことを全て言ってからバルコニーに竜の手を差し出して主を乗せ、飛翔した。




 ♦♦♦




 火を吹きながら都市の上空を飛び回り、全国民に竜の存在を知らしめてから小山の向こうへ降り立って変化を解いた。

 すぐさま付近にある小屋からあらかじめ用意しておいた荷物や服を引っ張り出す。


「大成功だカレン! いぇーい!」

「いぇーいっ!」


 いつでも出立できるように準備を整えてからカレンとハイタッチをして踊り、喜びあう。

 しばらくそうやっていると街の方から早馬がこちらに向かってきた。

 騎乗しているのはマニックとコウヒさんだ。


「お疲れ様ですアレンさん、カレンさん」

「今しがた、フリスとトラスアの旦那は共同統治を決断したってよ」

「ほんと!? いぇーいっ! コウヒちゃんも!」

「い、いぇーい」


 馬から降りた二人にカレンが駆け寄ってハイタッチをする。


「しっかしこうもすんなりいくとはな。さすがは元魔王様とその娘ってところか」

「何を言う、君達の協力があったからこそさ」

 

 マニックとコウヒさんが仲間達に呼びかけて説得し、爆破による人的被害が出ないように人払いや適切な爆破地点を指定してくれて。

 混乱した人々の避難や誘導なども皆で引き受けてくれた。

 彼らがいなかったら多少なりとも死傷者が出ているはずだ。 


「ではそろそろ、追手が来てしまう前に行こうかな」


 あまり多くを語る必要もないし、語らずとも分かっている。

 腹の底を見せあった仲なのだから。


「そんじゃ、これとこれな」


 マニックが金で膨らんだ麻袋と高そうな酒を手に持った。


「何だこれは?」

「報酬に決まってんだろうが。酒は俺からの餞別だ」

「残念だが、俺にそんなものを受け取る資格はない。雇用主に逆らうという契約違反を犯したのだからな。……ま、こっちはもらっておこうかな」


 酒だけを受け取って荷袋にしまい、


「そうそうカレン、アレを」

「はいこれ、あとでトラスアにあげといてね」


 今度は逆にカレンがあるものを取り出してコウヒさんにそっと手渡した。

 俺が命をかけてもぎ取った冠だ。


「……よろしいのですか?」

「うん、あたしにはまだ大きすぎるかな」


 それにこのような上の下程度の冠はカレンにふさわしくない。

 来たる日に俺が最上級の冠を作って載せてあげると決めている。


「それとコウヒさんにはそこの小屋に色々置いてあります。筋肉を収縮させた状態の型と肥大化させた状態の型を一つずつ。防腐処理済みの死体も氷漬けにしてありますのでお早めにどうぞ」

「本当ですか!? ありがとうございます!! 一生大事にさせていただきます!!」

「そ、それは何よりです……」


 コウヒさんの微笑む様は何度か見てきたが、まさかここまで純粋に大喜びができるとは思っていなかった。

 まるで親にオモチャを買ってもらった子供のようだ。


「マニックには……。技術をいくつも教えてやったのだから無しだ」

「へいへい、ありがとうございましたよっと」


 ではまたいつか、と。

 次なる地を求めて歩き出す。

 それでも百歩ほど進んでから振り返り、やはりこちらに手を振り続けている二人にさよならを送る。


「マニックー! 思い切りが大事だよーっ! コウヒちゃんはちょっと鈍感なところがあるからハッキリ言わないとダメだよー! 末永く幸せにねーっ!」

「そうだぞマニック! 次来たときには子供の顔を見せるのだ! 大いに励んで増やすのだーっ!!」

「うるせえーッ! さっさと行っちまえ!! 二度と来るんじゃねえーッ!!」


 遠くからでも分かるくらい尖り顔が赤く染まる。

 だからまだ相棒が決心できていなさそうな三年後にでもこっそり来て、カレンと一緒にからかってやろう。

 そう決意して背を向けた。




《第二章:通りすがりの革命家 完》

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