第十五話 「大人ってほんと汚い」
マニックが行方知らずとなってから二日が経った日の朝。
革命の準備はほとんど完了しているので、カレンと街をぶらぶらして親子の休日を満喫しようかと思い立った時だった。
逆にカレンから「今日は一日中あたしに付き合って!」と誘われた。それもなんだかとてもワクワクしている様子で。
きっと素晴らしいプランがあるのだろう。
「して、どこへ何をしに行くんだい?」
「地下を探検するわ! お宝があたしを呼んでいるの!」
「はい、解散」
「なんでよっ!?」
俺は深く溜息を吐いた。
「昨日読み終えた冒険活劇を、夢の中でも見たかね?」
「なんでわかるのよ!?」
「お子様の考えることなど手に取るように分かるわい」
カレンは年不相応に賢く大人勝りなチカラを持ってはいるが、年相応に愚かで夢見がちで馬鹿げたことが大好きである。
それが良いことか悪いことかはともかくとして。
毎度毎度振り回されるこちらの身が持たない。というか実際カレンの思いつきが原因となって何度も死んでいる。
「ならいいもん! あたし一人で行くから!」
「――《
「ちょっと!? ドアを凍らせないでよ! 出してってば!」
「こんな天気の良い日には部屋でゆっくりするのが一番さ。お父さんの昔話ならいくらでもしてあげるからな! 聞いているだけでワクワクドキドキして心臓の鼓動が速くなること間違いなしだ!」
「それはワクワクドキドキじゃなくて血生臭い実体験を想像して怖くなるからでしょ!? ……とにかく! 今日は部屋でじっとしてるんじゃなくて冒険がしたいのっ! あたしやることやってるじゃん! 頑張ってお嬢様してるじゃん! だからいいでしょ!!」
止めようとすればするほどカレンは加熱していく。
「はぁー……」
俺は先ほどよりもさらに深く長く溜息を吐いた。
どうやら父親初心者の俺には、思春期と反抗期真っ盛りな娘の説得は不可能みたいだ。
「なら、いつもみたいにじゃんけんで勝てたなら付き合ってあげよう」
「やだ! アレンが絶対勝つもん! あたしの筋肉の動きを見て何を出すか読めるんでしょ!? マニックに教えてもらったんだから!」
相棒め……。よくも、よくもやってくれたな。
カレンを抑える大切な手段の一つをよくも奪ってくれたな。
後で貴様の大切な何かを奪ってやるからな。
「わかったわかった。それならコイントスはどうだ? 三回連続で表を出せたら地の底でも世界の果てでもついていこう」
「それならいいけど……」
カレンの了承を得たので財布から硬貨を一枚出して渡した。
「ちょっと待って。絶対にコインが裏返る魔法とか、かけてないよね?」
「…………よくぞ見抜いたな賢き娘よ。不死者ポイントを贈呈だ」
「大人ってほんと汚い」
「カレンを試したのさ。……ほら、こっちはちゃんとしたやつだ。ためしに投げてみるといい」
今度こそと別のコインを投げ渡す。
当然まだ俺の事を疑っているカレンはすぐに試した。
それで四回投げて、裏を三連続で出してからようやく表を出した。
「おやおや、ずいぶんと出目が悪いようだが? 今日は珍しくツイていない日なのかな?」
「まだ練習だから!」
何もカレンの運勢が悪いというわけではなく、誰だってこうなる。
実は四回投げたら三回は裏が出る具合にコインの一部を重くしたのだ。
絶対に表が出ない魔法はかけないと約束したが、表が出にくい魔法をかけていないとは一言たりとも言っていない。
「くくく、自信がないのならじゃんけんにしてもいいんだぞ?」
「やるわけないでしょ!」
とにかくこれで三回連続表が出るようなことはまずないだろう。
単純計算で六十四分の一の確率しかないのだから。
「さて、そろそろ練習はいいんじゃないか?」
俺が促すとカレンは両手でコインをぎゅっと包み、それから人差し指の上に乗せて二度深呼吸をし。
「えいっ!」
掛け声と共に親指でピンと弾いた。
手前に着地したコインがくるくると回る様を二人でジッと眺める。
次第に回転が弱まって倒れ、豊穣神ファテイルの柔らかく微笑む肖像が描かれた面が上を向いた。
「やった!」
「むむ……」
まだ、まだ焦る必要はない。
たかが四分の一を当てただけだ。
「いけっ!」
カレンが先ほどと同じ仕方で念じてコインを飛ばす。
今度は接地したその場で回転せず、走行中に外れた車輪のように転がっていってベッドの足に当たって倒れた。
そしてまたしても、女神が笑っていた。
「よしっ! もう一回!」
「ぐ……」
練習では二連続で表を出していないのに、まさか本番で成功させるとは思わなかった。
だが、さすがに三連続は六十四分の一だ。俺だったら百度やってもきっと成功しないと自信を持って言える確率だ。例をあげるなら腹を刺されても臓器と臓器の隙間を通って軽傷で済むくらいのものだ。
だから次で失敗する、失敗してくれ!
当たり前が当たり前に起こってくれ!
「いくよ?」
「……うむ」
ピンッという澄んだ音を出してそれは弾かれた。
コインは先ほどのように転がりはせずにその場で回転を始める。
無音で、しかし命を吹き込まれたかのようにやけに粘り強く回り続ける。
「……っ」
俺もカレンも固唾を飲んで見守る。
時間は一投目とさして変わらないはずだが、一秒一秒がとても長く感じる。
それでもついに回転が弱々しくなって止まり、傾いた。
微笑む女神は地に向かってキスをしようとしている。
「――きて!」
俺が勝ちを確信して口角を上げた、その瞬間だった。
カレンの呼びかけに答えるようにヒュウッと音がした。
そよ風が気持ちいいからと開けていた窓から、はやてが吹き込んできたのだ。
「待っ……」
俺が反射で声を出した時にはすでに、床を舐めるはずだった女神が心地よさそうに天を見上げて寝そべっていた。
「…………た……」
「ぃやったぁあああーっ!!」
落胆する俺をよそにカレンが狂喜乱舞する。
「やったやった! あたしの勝ちっ!」
「なぜ……。一体どうして……」
カレンが魔法で風を吹かせた? ……いや、そんなことはない。人より顔に出やすく嘘を一度も隠し通せたことのないカレンに、ズルをしたという後ろめたい感情は浮き出ていない。そもそもこの子は不正を好まない。
つまり、紛れもなく偶然によるものだ。
「ふふん! 正義は勝つのよ!」
俺がコインに細工をして悪に堕ちた瞬間から、敗北は確定していたと。
それともなんだ、これも神罰とやらか?
貴様らが祝福する小娘に俺がちっとばかし汚い手を用いただけで大変お怒りであられるか?
さんざ貴様らの息のかかった者共に苦汁を飲まされてきたというのに、こんなところでまで俺を苦しめるというのか?
「次も何かあったらこれで決めよーね!」
次からは「やだ! カレンが絶対勝つもん! 幸運を引き寄せて何でも思い通りにするんでしょ!」と断固拒否してやる。
いつか六大神をぶん殴る際の回数を追加すると共に、固く心に誓った。
♦♦♦
「というわけでコウヒさん、よろしくお願いします誠に申し訳ありません心よりお詫びいたします」
「よろしくね!」
「こらカレン! ちゃんとおじぎをするのだ! コウヒさんは我々と違って忙しいのに付き合ってくれるんだぞ!」
「いえいえ、お二人には返しきれない恩がありますので。私に出来ることであればいくらでも力添えさせていただきます」
地下を探検するにあたって、ほぼ全ての構造を把握しているコウヒさんに案内役を頼むことにした。
二人でカレンを見守ればより確実であるし、立ち入り禁止の場所に踏み入れてしまいそうな際に止めてもらうためでもある。
「それじゃ、しゅっぱつしんこーっ!!」
よく寝てよく食べたおかげで疲労の欠片もないカレンが薄暗い中を速足で歩き、そこから十数歩下がったところで俺とコウヒさんが並んで見守る形となった。
(本当にすいませんねコウヒさん。俺の身体でよければ後でいくらでもお貸ししますので)
(…………よろしいのですか?)
(はい。調べるなり型を取るなり好きにしてください。なんなら秘伝の鍛錬法も教えますよ)
(そんなことまで……! それでは私も、カレンさんに満足してもらえるように誠心誠意務めさせていただきます!)
ちょっとした密約を交わすと、すぐにコウヒさんは小走りでカレンの隣について任務に取りかかる。
「ねぇコウヒちゃん、お宝の眠ってそうな場所を知らない?」
「古の住民が遺した貴重品などはほとんど回収されているはずですが、もしかしたらまだどこかに隠されているかもしれません」
「ほんと!?」
「はい! 必ずや見つけましょう!」
本人のいないところではしばしば《氷の仮面》などと称されるお堅い人だが、今は年頃の女性らしい穏やかでかつ活力に満ちた笑みを浮かべている。
コウヒさんは同性だからというのもあるがカレンとは比較的仲が良く、ある面に関しては俺よりも信用されているところもある。これが存外くやしいのだ。
彼女との会話は事務的なものが大半であったのでそこまで深く分析できてはいないが、一般的に言う「素敵なひと」で間違いない。肉体のこととなると多少おかしくなる部分もあるが、それでもマニックが惚れるのは理解できる。
俺の見立てが正しければ、コウヒさんは悪い人ではない。
実直で冷静で優秀なテンノで、それでいて情もある。
「この階層は隅から隅まで調べ尽くされているので、さらに下に行きましょうか」
「うん!」
人となりが遠いようで近い二人が仄暗い地下に明るさをばら撒いてゆく――。
「……うーん、この階はもうないかなぁ」
「ん? なんだこれは?」
何の収穫もなく二層での探索を終えて三層へと降りる際、階段の壁に手を差し込めそうな窪みを見つけた。
手に持ったランタンでよく照らしてみると、その窪みを長方形に囲んだ部分だけ微妙に感触と色彩が周りの壁と違う。窪みに手をかけて少し押すと、向こう側が空洞で窪みの周りを押して開けられそうな感覚が返ってきた。
隠し扉で間違いない。
「なにこれ! アレンすごい! よく気付いたね!」
「フフフ」
二人が俺の存在を半分忘れて探索に没頭しているをただ見守っていたわけじゃない。
宝を見つけて少しでもカレンの好意を得るために、実は二人よりも注意深く調べていたのだ。
「コウヒさん、これは開けてもよろしいものですか?」
「ええっと、この先はたしか墓室ですね。どうしますかカレンさん?」
「墓室って……」
「もしかしたら、高価な指輪や装飾を着けたままの遺体は残っているかもしれません」
「それをとったら泥棒じゃない! 次いくよ次!」
なるべく早くこの場から離れようと、カレンはさっさと階段を降りていった。
……しかし、こんなところに墓所……ねぇ?
それにどういうわけか、コウヒさんからは何かを隠し通そうという意志を感じ取れた。
「まぁ、気にすることでもないか」
一抹の不安を振り払い。
俺は少しずれた隠し扉を引いて元通りにしてから、やはり間を空けて二人の後を追った。
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