第十三話 「皮肉」
楽団が優美な舞踏曲を奏で、その前の開けた場所で男女がペアを組んで各々楽しそうに踊る。
その中へネルクがカレンの手を引いて強引に入っていくと、まるで潮が引いていくように周りで踊る人々が離れていく。
それもそのはず、ダンス中にぶつかるなどして無礼講の通じない男の気分をわずかなりとも損ねてしまったら、どんな手酷い仕打ちを受けるか分からない。だから一切の邪魔にならないように退くのだ。
「存分に楽しもうぞ!」
当の本人は否定されることなく育ったので、そんなことなど知る由もなく乗り気で踊り始める。
片手でカレンの手を握り、もう片手は背中に回し、ご機嫌に踊る。
一二三、一二三と教科書通りの丁寧なステップを踏む。
ネルクは自分から誘うだけあって一応は嗜んでいると言えるレベルのものを持っていた。
時折小技を決めると、周りの人間が大仰に拍手を送る。
それをお世辞だとは全く思わず、ますます機嫌が良くなってゆく。
後はこの調子で満足するまで躍らせればいいのだが、そう簡単にはいかないよなぁ……。
「どうだ! 楽しかろう!」
「……ええ、そうですわね」
カレンはたとえ嫌悪する相手でも良いものには良い、すごいものにはすごいと素直に喜び称える子なのだが、今はそのような思いが欠片たりとも湧き上がっていない。これっぽっちも楽しめていない。
ネルクがパートナーのことを考えず身勝手な、自分だけが気持ちよくなるためのダンスをしているせいだ。
相手の事を考えられない、いや、考えようともしないお子様そのものである。
ただでさえ自分は大人だから子供の相手をしたくないと公言するカレンにとって、これはとても苛酷で鬱憤の溜まる試練に違いない。
事実目端をぴくぴくさせ、油断したら口から噴き出てしまいそうな罵声をぐっと抑えている。
あぁ、見ていられない。
よいのだカレン、吐き出してもよいのだ。
俺はトラスアに雇われてはいるが、それ以前にカレンの味方だ。
君がどのような選択をしようとも責めはしない。
ようやく曲がゆったりとしたものから転じて速く軽やかなものになり、そこでついにカレンが自らの意志を解き放たんとする。
「そういえばワタクシ、遠方での留学で特に舞踊を学んでまいりましたの」
獰猛な笑みをうっすらと浮かべて話す。
「実はこの緩い踊りには飽き飽きしてまして、あなたもそうでしょう?」
「う……うむぅ……」
ネルクの幼いのだか幼くないのだか分からない顔が少し歪む。
「もしもワタクシについてくることができましたら、すぐにでも婚約いたしますわ。建国祭の日に式をあげましょう!」
「よし! 乗った!」
婚約という言葉を聞いて、不安や迷いを一瞬のうちに消し飛ばして了承した。
……さて、何分持つだろうか?
「では、いきますわよ!」
カレンがまずは小手調べと言わんばかりの素早いステップを繰り出した。
今までネルク主導で繰り出していたものがトン、トン、トン、という欠伸のでそうな速さだったのに対し、カレンのそれはトトトン、トトトン、トトトン、と三倍も速いものだ。
普通なら足がもつれて転んでしまいそうなものを、婚約がかかっているネルクは多少姿勢を崩しながらもなんとか食らいつく。
「うふふ、楽しいですわね」
「そ……そう、だな」
それはまるで蜜を吸うために花の周りを艶やかに舞う蝶や蜂のようで。
フワフワと飛んでいるのを手を伸ばして捕まえようとすると、途端に機敏な動きで逃げ出してしまう。そのように形容できる緩急も織り交ぜている。
「おぉ、なんと美しい」
「それでいて小気味いい」
カレンについていくのに精一杯で次第に苦しい顔になっていくネルクに反比例し、周りで観ている人々の顔は穏やかでうっとりしたものになってゆく。
誰もが魅了されている。
「どうです、ご主人様?」
「……あぁ、アレン君か。よくもこの短期間であそこまで仕上げたものだ。また君達の給料を上げなくてはなるまい」
「いえいえ、誰が教えてもこうなりますよ。あの子は天才ですから」
実は一週間前にトラスアからパーティーがあると告げられ、その日からカレンに淑女修行の一環としてダンスの手解きを始めた。しかしそれに割く時間が特段大きいというわけではなく、むしろ息抜きに行う程度のものでしかなかった。
だというのに、基本の型を教えたそばから使いこなし、さらには自己流のアレンジまで加えるようになってしまった。
そのせいで秘境に住む声を捨てた部族の友愛の踊りに、エルフやドゥーマンに伝わる祭事の舞。はては『トンチラ』と呼ばれる、魔人が戦いの前に行う演舞まで教えることに。
カレンは俺のような粗末な人間とは違って才能に満ち溢れた子であるが、芸術面の才能に関しては俺と同様にこれっぽっちも持っていない。
楽器の扱いは下手、口笛もまともに吹けない、人の似顔絵を描かせたら化け物が生まれる、おまけに村一番の音痴である。それなのに、踊りの才能だけは俺が今まで見てきた者の中でも間違いなく三本指に入る。
「まだまだこれからですわよっ!」
曲調が変わりダンスの内容も変わる。
蝶の舞いと評せる雅なものから、今度は青空の下で野原を駆け回る子犬を彷彿とさせるような、すばしこく活力に満ちた動きでネルクを振り回す。
緩急の緩のないダンスで溜まったモノを放出し続けるカレンは今、とても爽やかで嬉々とした表情をしている。
踊りというのは意思伝達・自己表現の手段でもある。
たとえ言葉の通じない相手でも、踊る事によって分かり合え、自分の気持ちを伝えることはできる。
もちろん歌や絵でもそれは同じ事だが、やはり身体を動かすという点でカレンには相性がいいのだろうか。
そしてついに。
カレンが己を解き放って五分と経たずして、その瞬間が訪れた。
「うぉっとっとと…………へぶっ!!」
意外にも根性を見せて粘っていたネルクだが、さすがにカレンの動きに追いつけず、足をもつれさせて前のめりに転んだ。
それはもうどすんと音がなるくらい盛大に転んだ。
「うぐ、ぐ……」
「あらあら、お怪我はございませんか?」
カレンがしゃがんで手を差し伸べると、ネルクはそれを弾いて立ち上がった。
酷く不機嫌な表情を浮かべたまま無言で直立し、その周りをカレンが一周ぐるっと回る。
「どこも怪我はなさそうでよかったですわ。……というわけで今日は婚約することはできませんが、また次回お誘いくださいませ。それではワタクシ、しばらくお花を摘んで参りますのでこれでシツレイ」
カレンは最後まで淑女然とした足取りを保ったままホールを出ていった。
どうやら興奮やら緊張やらで激しく鼓動する心臓を鎮めにいったようだ。
「……」
一人残されたネルクは転んだせいでデコを赤くしたままで、ぷるぷると唇を震わせながらも何も言わない。
まさかあのネルクが大人になったのかと周りの人々がざわつき出したあたりで、ついに怒声を発した。
「トラスアァーッ!! これはどういうことだ!!」
それはもう親を殺されたような形相をして、足を痛めそうなほどにどすどすと音を出してトラスアに歩み寄り、両手でその胸倉を掴んで揺らした。
「トラスアッ!! 貴様ッ!! 自分が何をしたか分かっているのだろうなッ!? 我に大恥をかかせおってェ!!」
王子である自分のために娘を差し出さず、あまつさえ恥をかかせるということはつまり王権に逆らうつもりなのだなと、いつも用いてきた方法で恫喝する。
しかし七日後には生きるか死ぬかの革命を起こすつもりのトラスアは全く動じず、それどころかすっとぼけた口調で言葉を返した。
「はて、トラスアとはどちら様のことでしょう? 此度は身分の上も下もない無礼講の場であれば、一体どこのだれがすってんころりんしてしまったか見当もつきませぬ。もちろん、自分から名乗っていなければの話ですが」
「なにをぅ……!」
「そういえばあなた様は先ほどご自分を王子だと名乗っておりましたな。もしやあの、第四王子のネルク様でございますかな!? ……いえ失礼、それはあり得ませんな。ネルク様はダンスが大変お得意だという話ですので、年若い娘っ子にいいように遊ばれはしないでしょう」
トラスアの皮肉を聞いてしまった人々は皆、ネルク相手にそこまで言うのはまずいのではと案じながらもやはり堪えることはできずに、クスクスと抑えるように笑い始めた。
小さな笑いは伝播し、他の者達が笑っているなら自分ももう少し大きく笑っても大丈夫だなと各々判断し、すぐに面白可笑しい大笑いに発展した。
「貴様らぁ……!」
笑ってはいけないと分かっていてもそう簡単には止められない。
当然それらがネルクの怒りの炎に油を注ぎ、より一層激しく燃やす。
「静まれ! 黙れッ! 笑うなァアアッ!!」
さすがにそろそろ、壁に飾ってある剣を手に取って斬りかかってきてもおかしくないので、いつでも止められるようにしておく。
……が、どうやら俺がどうこうする必要はなさそうだ。
「――ネルクよ」
細身の男が背後に歩み寄り、諫めつけるように肩にそっと手を置いた。
この国でネルクより地位の高い唯一の人物だ。
「ち、父上!」
「……ふむ、やはり顔色が悪いな。今日はもう帰って休むといい」
「ですが! 奴らは我に歯向かい嘲笑したのです! それはすなわち父上と国にも叛意を抱いているということに他ならない!」
「皆がお前を嘲笑したというのはきっと思い違いだ息子よ。酔いが回って別の物が見えてしまったのだろう」
あくまで酒のせいにすることでネルクのプライドを傷つけないようにして。
決して「貴様は王家の恥だ、さっさと消え失せろ」などと吐き捨てないあたり甘さが滲み出ている。
「しかし! 父う……え……」
なおもネルクが縋ろうとするのを、フリスが冷たい目で睨みつけて突き放した。
これ以上は庇えない。ここまで甘やかしてきた私も悪いが、お前もそろそろ大人になる時間だ。そんな目をしていた。
「分かり、ました……」
それで完全に威勢を削がれ、肩を落として誰にも目もくれず会場を出て行く。
しかし、俺はその様を見てたしかに感じ取った。
沈黙したネルクの腹の底で、怒りなどという枠組みには収まらない怨恨の情が生まれてしまったのを。
それを幾度も目にしてきたし、俺自身も復讐に溺れたことが多々あるからよく分かる。
きっともう、誰にも止められない。
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