第七話 「傷心」
「絶え…………どこでそんな言葉を覚えたんだカレン!?」
「そんなことはいいから、二度としないで」
有無を言わさぬ強い物言いと、常人が直視したら精神を壊してもおかしくないほどの圧を放つ碧い瞳。
無論俺を含めてこれと同等の圧を放てる人物を何人も知ってはいるが、そのほとんどが優に百歳千歳を超える力持ちし者で、ごくまれに四十そこらの才ある若造に見られるだけだ。
つまるところ、成人の儀すら終えていないお子様の出していいものではない。
「わかった?」
俺の心を縛って握り潰すような眼には圧倒的なまでの強制力が。
からかおう逆らおうという気さえ起らなかった。
「はい! 二度といたしません! ……コウヒさん、わたくしめは外壁の点検と修繕に努めてまいりますのでどうかカレンをよろしくお願いいたします」
「あ……はい、分かりました」
部屋を出てからも、木製のドアを貫通してうなじと背中に何かゾッとするような視線を感じた気がした。
♦♦♦
ちょっとした恐怖体験をしてからはや五日、外壁を余程の事がない限りは長持ちするように修繕・塗装を終え、今度は屋根の上で鎚を振い始めた。
鼻歌を奏でながら屋根瓦を叩いて嵌めつつ思い出す。
カレンに恐怖したその日は、食事中も労働後も何一つ言葉を交わしてはくれず、俺が何を呼び掛けても返ってくることはなかった。無視を決め込まれただけでも胃の中身を残らず吐瀉しかねなかったというのに、よもやそれ以上の悲劇が降りかかるとは思ってもいなかったし想像すらしたくなかった。
それはついに夜も更け、一つしかないベッドで横たわるカレンの隣に潜り込もうとした時のこと。
『ねぇ、今日は側で寝てほしくないからそこの床で寝てくれない? ……あー、やっぱりいいや。コウヒちゃんの部屋で寝るからベッド使っていいよ』
酷く冷めた目で一方的に告げられ、本当に部屋を出て行ってしまった。
そのまま朝まで戻ってくることのなかったカレンは知らないだろうが、その夜は一度も寝付けず、あまりのショックとストレスから何度も心不全と発作を起こし、実際に四度死んだのだ。
生きた心地がしなかった。
鷲に肝臓を食われ続けている方がマシだった。
忘却の魔法をかけてしまおうかと何度悩んだことか。
「うぅ……。思い出すだけでも辛い」
朝にはいつも通りの笑顔に……とはなっておらず、きっとコウヒさんが諭してくれたのもあってか同じベッドで寝るのを許してくれたし挨拶だけならしてくれるようになったが、それまでだ。まともに会話をしてくれないという気まずい状態が今の今まで続いている。
あぁ、時の流れがカレンを元通りにするまでの間、誰か俺を再び封印してはくれないだろうか。
不意に背後から、俺以外の何者かが屋根の上に登ってきたのが分かった。
梯子をかけず、音を殺して生身でよじ登ってきたのでよく訓練された暗殺者か何かだろう。
生きる意味を失いつつある俺を殺しにきたんだな。
「好きにやってくれ。抵抗はしない……なんだ、マニックか」
「なんだとはなんだ」
振り向くとそこには角刈り尖り顔で悪人面の男が立っていたが、味方である。
肩から腰に三十枚ほど重ねた瓦を紐でかけ、手には鎚を持っているので俺と同じ仕事をしに来ただけのようだ。
「おいおいどうしたんだよ今にも死にそうな顔してよ。俺でよければ力になるぜ、兄弟」
「俺と君の血は繋がってはいないはずだが」
「トラスアの旦那の下で革命を成功させようってやつは皆、血は繋がってなくとも家族と変わりねえよ。何なら特別に相棒って呼んだ方がいいか?」
「一日金貨三枚で相棒契約をしてやろう」
「勘弁してくれ。釘が買えなくなっちまう」
そこでちょっとした軽口を交わしてマニックの機嫌の良いことを確認して、
「聞いてくれるか、相棒?」
「おうよ、相棒」
多少なりとも気が楽になることを願って苦悩を打ち明けた。
「……と、いうわけだ」
「そりゃどう考えても相棒がワリぃ」
瓦を張り替えながら長々と語った上で即答された。
いっそ清々しいくらいにバッサリと斬られた。
「さっさと地に頭つけて謝ってこいよ……つってもそうか、避けられてるから謝らせてさえくれねえか」
「そう、その通りなんだよ。あぁマニック、俺はどうしたらいいんだ。心臓を鉛で固められたように苦しいんだ……」
昔拷問でドロドロに溶かした鉛を飲まされたことがあるが、それと似たような苦しみを感じている。
もしこれが親離れだとしたら、俺はこの先永遠に苦しみ喘ぎながら生きてゆかなければならないのか?
「まさか、ゴーレムを手玉にとるような腕利きのテンノ様にこんな弱点があったとはなぁ」
全てを無かったことにして石の中に戻りたいとすら考えだした俺に憐れむような呆れたような目を向けつつ、何か閃いたように手をポンと叩いた。
「そんな状態じゃ仕事に身が入らねえだろうし、ちょっくら運動でもして頭をスッキリさせようぜ」
「運動? しかしまだ仕事が」
「いいから来い。後で何か言われたら俺のせいにしとけ」
俺は言われるがままに仕事道具をその場に置き去りにし、逆三角形の頭と背を追った。
♦♦♦
「つーわけで、これよりアレン・メーテウス様が直々にご指導してくださる!」
マニックの軽はずみな言葉を聞いた同志らが揃って感嘆の声を上げた。
地下訓練場の中央に集められた二百を超える人々の視線が全て俺に突き刺さる。
「何がつーわけでだよ、オイ」
当然俺は軽薄な表情をした尖り顔を横目で睨んだ。
「なんだ? 俺は何も嘘は吐いてないぜ? こいつら全員とキッチリ運動してもらうんだからな」
「はー」
まんまと騙された。
運動をするというのに、屋外ではなく地下へ潜った時からおかしいとは思ってはいた。
しかしここまで来てしまったからには後戻りはできない。まだ要人の暗殺ではないだけよしとしよう。
それでも後ほど仕返しに、爆破釘を五本普通の釘とすり替えておいてやろうとは思う。
「……えー、それでは、僭越ながら指導させていただきます」
件のゴーレムが鎮座していた、過去の俺を非難する忌むべき文言が刻まれていた台座に上り、そこで指導を始めることに。
「どうした相棒、そこで娘を怒らせたアレを見せてくれるのか?」
「黙らっしゃい」
さらに五本追加ですり替えてやるからな。
「さて、今から皆さんに行ってもらうことは簡単です。俺をこの台座から追い出してもらいます。最初に成し遂げた者には金貨十枚を差し上げましょう」
淡々と小手調べの内容を告げていくと、またたく間にどよめきが広がった。
「金貨十枚だって!?」
「そこから出すだけでいいんですか!?」
「はい、それだけです。真剣以外であれば何を用いても何人同時にかかってきても構いません。まずは皆さんの力量を見せていただきます」
彼ら自身には何の悪条件もないことを聞いてますますどよめきが大きくなる。
「そうですね、制限時間は一時間としましょう」
まだほとんど全員の理解が追いついていないのを気にせず「始め!」の合図を発した、その瞬間、後方より強く地を蹴る音が耳に入った――
「――死ねオラッ!」
聞き覚えのある声に耳を澄ませながら振り返ると視界の中央に靴の裏が二つ現れ、それがぐんぐん大きくなる。
この飛び蹴りを避けたとしたら後ろにいる同志達が巻き添えになるやもしれず、避けずに台座から弾き出されないよう本気で受け止めたら確実にマニックの脚が壊れる。
きっとマニックの中では、俺が避けずに背後の仲間達を庇って場外へはじき出されると思っているのだろう。さすがテンノ、汚いやり口だ。
「もらったァーッ!!」
だが、それは半分正解で半分不正解だ。
俺は右脚を軸に最小限の動きで回り込んで跳び蹴りの軌道から外れ、
「どっせいッ!」
「ぐァっ!?」
そのまま目の前を通過せんとする男の腹に肘を落とし、石の台座に叩きつけた。
仲間達を庇うし金貨もやらん、ついでにお前の脚も壊さないでおく。
「ぅぁ……相棒。よく、も……」
「貴様の行動に責任を取れ」
「うっ、ぐッ! ……ガハッ!」
並の男であれば悶絶して泣き出すほどの衝撃を受けて、苦痛に顔を歪めながらもすぐに喋れることを感心しつつ、三度踵で踏みつけて眠らせ、それから場外へ蹴り落とした。
もちろん指導の邪魔になるからどかしただけであって、決して仕返しのつもりはない。ないったらない。
五千歳を超す不死者ともなると、そのような矮小な情を抱きはしないのだ。
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