第六話 「次やったらゼツエンだから」

 勝利をもぎ取ったカレンがご機嫌に口ずさむ。


「はっちみっつパンっ! はっちみっつパンっ! はっちみっつパンが三十個!」


 過去の俺がしてしまったことのせいで、今を生きる俺が口止め料を払わなければならなくなった。


 一体俺が何をしたというんだ。

 ドゥーマンの国に攻め入った記憶などかけらたりともないのだ。

 そのような大きな事をしでかしてどうして覚えていない。


「アレン、約束だからね!? 忘れないでよね!?」

「忘れたくても忘れられないよ」

「んふふっ!」


 若者というのはいつだって気楽で羨ましい。

 過去のことで悩む必要も怯える必要もない。輝かしい未来だけを望んでいればよいのだから。

 とはいえよくも、父親に恐喝まがいのことをしてそのような笑顔でいられるものだ。


 しばらくの間ゴーレムが乗っていた台座に腰を掛けて、各々が革命に向けて訓練する様子をぼーっと眺めて。

 軽口の彼が残骸の一割程度を片付け終わったところでマニックが戻ってきた。


「大型新人のお二人さん、そろそろ案内してやるよ」


 この地下王国の案内をしてくれるようだ。


「いくか、カレン」

「うん!」

「新人さん、行ってらっしゃーい! リーダー、ごゆっくりー!」

「おうラトー。お前それ、誰にも手伝ってもらうんじゃねえぞ。全部一人で終わらせろよな」

「げぇっ」 


 笑顔で見送ってくれた彼には、しっかりと言葉で釘が刺された。

 哀れ、ラトー。頑張れ、ラトー。強く生きろ、ラトー。




 ♦♦♦




 マニックの後をついて次から次へと用途別に分かれた施設に顔を出していく。

 

「おーい、新入りを連れてきたぞー!」


 マニックが呼びかけながら次なる扉が開けられると、真っ先に魚醤と油の香ばしい匂いが鼻をついた。

 中々広い空間には丸椅子と長方形のテーブルがいくつも並べられていて、奥には厨房があるので食堂で間違いない。


「あらぁ! 可愛いお嬢ちゃんだこと!」


 食堂の隅のテーブルでだべっていた老若問わずの女性陣が、俺とカレンを見てすぐに駆け寄ってきた。

 新顔が来たからというのもあるが、皆とても明るく、活気に溢れた目をしている。


「めんこいねぇ。出来立てじゃなくて悪いけど、お食べお食べ。お兄さんも」

「これはどうも」

「おいしーっ!」


 そしてその内の一人が皿を持ってきて、有無を言わさず俺とカレンに菓子を掴ませた。

 平たい揚げ餅に魚醤を塗った、噛むとサクサクと音の鳴るものだ。


「やいマニック、この子らを拐かしてきたんじゃないだろうね!?」

「そうだよ! これ以上罪を重ねたら飯を作ってやらないよ!」

「だから新入りって言ってるだろ! おいアレン、なんとか言ってやれ!」

「えぇ、そうなんです……。実は彼に殺されかけて脅されて親子ともども無理矢理……」

「おい! 本当だけど言い方ってもんがあんだろ! いっ、いでででッ!」


 少しぽっちゃりとした貫禄のあるおば様に脛を蹴られ古株のばあ様に耳を引っ張られ、一目でマニックの立場というものを理解できた。

 この光景をラトー君にも見せてあげたい。


「まぁ、無理矢理というのは半分冗談です。革命を終えるまでの間ですがお世話になります、アレンです。よろしくお願いします。こちらは娘のカレン」

「よろしくお願いしますっ!」

「よくできた娘さんねぇ、こちらこそよろしくお願いするわ! ……それでマニック! アンタも同じくらいの歳なんだから、女の一人も作りなさいよ! コウヒちゃんとまだ付き合ってないの!?」

「俺のことはいいだろ! それにあいつとはそんな関係じゃねえよ! ただの仕事仲間だ! ……おい! 違ぇからな!? コウヒに変なこと言うんじゃねえぞ!?」


 俺とカレンからの優しく生温かい目線に気付いたマニックが声を荒げる。

 激しく否定すればするほど真であると自白しているようなものだ。


「あぁ! もう次いくぞ次! こんなクソババア共の巣窟からはおさらばだ!」

「なんですってぇ!?」

「コウヒちゃんに言いつけてやるわよ!」

 

 たまらずマニックは後ろから何か言われても足を止めずにさっさと食堂を出て行った。

 俺はおば様方に一礼してマニックを追うように出て行き、それから少し遅れて両手に揚げ餅を三枚ずつ持ったカレンが隣にきた。


「とにかくどうしようもなく腹が減ったらあそこだ。いつも必ず誰かしらいて何かしら食わせてくれるからよ」

「それはありがたい。それで一応言っておくがカレン、いつでもいくらでも食べてよいというわけではないからな?」

「…………わ、わかってるって!」

 

 カレンは特に歯向かうこともなく、比較的素直に言いつけを受け入れてくれた。

 ではどうしてもの寂しそうな瞳をしているのか、答えるまでの大きな溜めはなんだったのかとは聞かないであげよう。

 

 今後指定された場所が分からず困ることがないように、余すことなくほぼ全ての施設を見てゆくと。

 工房があり、書庫に劇場に医院に埋葬所に、現在では使われておらず物置と化した市場と銀行などもあり。ここには確かに町と呼べる程度の小規模ながらも国があったことを再確認できた。

 なんでも最盛期には、この地下王国に三千人ものドゥーマンが住んでいたという。


「すごいすごい!」


 俺のちょっとした技や魔法を見た時のようにカレンが手を叩いて驚き喜ぶ。

 だが、この程度では俺を驚かすことはできないぞ。

 このような住まいと施設は五千年の半生でいくつも見てきたし、地下で家畜を養い野菜を栽培して自給自足をこなしていた国に訪れたことだってある。そこには生まれてから一度も空を見たことのない人々だっていたのだ。

 地上のどの国よりも栄えていた地下帝国に住んだことだってある。

 そういった国々と比べると、ここはまだまだ中の上で停滞していると言わざるを得ない。


 そして、特に行き詰まることなく人の出入りのある全てに顔を出し終えた。


「ま、こんくらいで十分だろ。また何かあったら遠慮せずに聞いてくれよ。とにかく俺の仕事はここまでだ――」


 マニックが言い終えたちょうどその時だ。天井の一部が丸い蓋のようにパカリと開いた。

 そこから生ぬるい外気が入り込んでくる。


「メーテウスさん、こちらです」


 さらにマニックの想い人である女性の頭が氷柱のように生え出た。




 ♦♦♦


 


「よっ、と」


 マニックが見ている手前、コウヒが差し出した手を遠慮して自力で地上へ這い出た。


「掴まれカレン」

「んーっ!」


 それからカレンを引っ張り出した。

 あれだけ栄養を摂っているのに軽いのなんの。


「あ! これって何の神様なの?」

「これはアーチカルゴといって、家を作るのが上手い神様だよ」


 地下から出たこの場所は四隅に灯のかけられた小屋の中で、中央にはぽつんと子供の背丈ほどの石像が置かれていた。

 それは右手に鎚を握り、左手で火を踊らせ、もっさりとヒゲを蓄えた筋骨隆々の神像である。

 他の神々が基本若く瑞々しい姿で描写されるのに対して、一人だけ中年の容貌で描かれることが多い哀れな神である。この像も例外ではなく、しっかりと皺まで刻まれていた。


「ご苦労様です、マニック」

「おう」


 俺とカレンが這い出た後、コウヒが地下王国への秘密の蓋を閉じた。

 下にいる彼をねぎらう声音と表情には一切のブレがあらず。仕事仲間以上の感情は持ち合わせていないか、上手く心を閉じているだけのどちらかはまだ断定できない。


(……ねぇ、わかった?)

(まだ分からないなぁ)


 いつものように俺が他人の心を読み取ったと考えたカレンが期待を膨らませて耳打ちしてくるが、しばらくは応えられそうにない。

 感情の制御に長けたテンノの心を読むのは骨が折れるのだ。


「どうかされましたか?」

「な、なんでもないよ!」

「では、こちらへ」


 ギィと音の鳴る古びた木製のドアを開けて先に出て行き、俺とカレンもすぐ後に続いて野外へ出た。


「まぶしっ…………わぁ!」


 しばらく薄暗い地下にいたせいでカレンがギュッと目を瞑る。

 そしてゆっくりと瞼を上げて見えた景色にときめいた。


「大きな家! 大きな庭! すごいすごいっ!」

「あぁ」

 

 カレンは見たままのものを思ったままに声に出して喜び跳ねる。

 ついでに反応の薄い俺の右腕を掴んでぶんぶんと振ってくる。


 門から玄関までの道がやけに長く、これといった派手さはないものの職人の手によって繊細に手入れのされた庭園に挟まれている。池付き社付きのしっとりとしたお庭だ。

 そして道の奥に佇む建築物は、二階中央に広いバルコニーを持つ由緒正しき貴族的お屋敷である。


「そうだねぇ、すごいねぇ」


 まだ俺が百歳未満の頃ならカレンのように嬉々として飛び跳ねていただろうが、今となっては何百年と見慣れた風景の一つでしかない。

 正直これといって心を動かされるものはここにはないのだ、許しておくれ。


「この庭園の設計はトラスア様がされたのです」

「そうなの!?」

「はい」


 カレンの喜ぶ姿を見て、こちらを振り向いてわずかに口角を上げたコウヒが付け加えた。


「ちなみに先ほどの社にあったアーチカルゴ神像、あれもトラスア様が造られました」


 さすがはドゥーマンを先祖に持つだけはある。

 あの神像に身を屈めるつもりは一切ないが、たしかに巧く造られてはいた。

 などと感心していたら、あっという間に扉の前に立っていた。


「では、どうぞお入りください。今日からこちらがあなた方の住居兼職場となります」


 何のためらいもなくコウヒが両開きの扉を開け、我々はお屋敷の中へと足を踏み入れた。


「いいなぁ……!」


 そしてまたしても、小屋から出た時と同じようにカレンが目を輝かせた。


 広々としたエントランスにはちょっとした一軒家なら納まりそうだ。

 この場でまず目に入るものは二階への大階段と、落下させたら大人十人をまとめて圧殺できそうな巨大なシャンデリアがドゥマスク柄の天井から吊り下げられている。

 そして他の空間へと通じるドアを一階と二階合わせて二十も数えられた。頻繁にこの家を訪れているのに間違ったドアを開けてしまう人間もいるだろう。

 

「全部開けていいの!?」


 半ば興奮状態のカレンが、勝手に一番近くのドアに走り寄って手をかける。


「は、はいどうぞ。カレンさんの見たい場所から案内させていただきます」

「……ウチの娘がすいません。あとでよく言い聞かせておきますので」


 この子は相も変わらず好奇心が人の形をとったような存在であると再認識できた。

 どんな人間の血を受け継いで育てられてきたのか、親の顔をしかと見てみたいものだ。


 それから時間をかけて、この屋敷で働く人々に挨拶して回りながら案内をしてもらい。

 常用の部屋だけでなく地下の酒蔵から屋根裏の物置、本棚の裏の隠し部屋と金庫に至るまでの全てを包み隠さず見せられたので、革命が終わった後で口封じに殺されるのではという不安も生まれた。


 そして最後に通された部屋は俺とカレンが一月の間寝て起きるための私室であるのだが、


「本当にこんなステキな部屋に住んでいいの!?」

「はい、どうぞご自由にお使いください」


 そう、本当に良い部屋なのだ。

 主人の寝室の二つ隣にある部屋の場所といい内装といい、それこそ大事な来客が泊まるために不自由のないよう設計された洒落た部屋で間違いない。

 それほどのものを客人ではなく契約の元で雇われの身である我々が用いて大丈夫なのか?

 長い間この屋敷で仕えている先輩方に生意気な他所者として悪感情を抱かれないだろうか?

 俺だけが嫌われて卵を投げつけられるのはいい。だけどカレンにまでその被害が及んでしまっては……。


「他の住み込みで働いている方々全てに、これと大差ない私室が与えられています。ですのでご心配なく」


 俺の懸念を感じ取ってくれたのか、ベッドの上で転がるカレンを尻目に優しい言葉をかけてくれた。


「それでは準備ができ次第仕事に取り掛かってもらうとして。アレンさん、何ができますか?」

「何ができるかと言われましても……。そうですね、できるかできないかで答えますのでこの屋敷で行われている業務を教えていただければ」

「掃除、洗濯、皿洗い」

「できます、できます、何千枚でも洗います」

「裁縫、調理、警備」

「できます、できます、命を懸けても守ります」

「馬丁、庭師、家屋の点検」

「できます、できます、点検と合わせて修繕・塗装もさせていただきます」

「秘書業……は私の仕事ですし」


 コウヒが切れ長の瞳を細めてどうしたものかと思案する。

 加えて今言ったことは全て本当なのかという疑心も生じているようだ。


「テンノとしてどこにでも潜入できるよう、そして引退した後で困ることのないようにあらゆる事を叩き込まれましたので。師匠曰く『優れたテンノは万に通ず』とのことでして」


 先にそれを言っておくと手をポンと叩いて納得してもらえた。


「ところで……つかぬことをお聞きしますが、年齢は」

「くふふ、ようやく聞いてくれましたか……。漢アレン・メーテウス、ピッチピチの三十四歳子持ちオステンノでぇすっ! キャピピピーンっ!」


 場を盛り上げ少しでも不信感を取り除き信頼を勝ち得るため、三秒でパンツ一枚を残して衣服を脱ぎ去り、煌めく笑顔と関節を外してくねらせたポーズで筋肉を膨らませてそれを答えた。

 もちろん五千百九十歳ほど鯖を読んでいるのは秘密だ。


「…………あの、コウヒさん?」

 

 だのに、どういうわけか、空気がずしりと重く氷のように固まった。

 コウヒは俺と目線を合わせつつもどこか遠くを見て何も発さない。

 これは異常事態だ。千五百年前は仲間内で爆笑必至だったネタが通用していない。ならばさらに時代を逆行して二千年前に流行したあのネタでいこう! 流行は巡るというからきっと通用するはず――


「――ねぇ、お父さん」


 背後から聞こえてきた声は、恋人を刺し殺して心中する覚悟を決めた女の如き重い声で。


 俺は錆びついた歯車染みたぎこちない動作で首を回し、愛する娘の瞳を覗いてみたが……。そこに年相応の純然たる光はなく、魔人の将が持つような……いや、それ以上、人族の最大の敵である魔人の王、魔王と称される者が湛える鈍重な闇が宿っていた。


「次やったらゼツエンだから」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る