第三話 「内なる魅力」


 内臓を酸の針で刺されたような激痛によって軽く飛んだ意識を取り戻した時、俺の身体は肩を外さない限り抜け出せないように組み伏せられていて、そして首元には冷たい刃がピタリと突き付けられていた。


「動くな」


 頭の後ろから冷徹な声が発される。任務とあれば殺人も厭わないテンノの声だ。

 少しでも妙な動きをしたら即座に喉を掻っ切られるだろう。


「質問に答えろ。お前は何者だ?」

「何者って、さっきも言ったじゃないか。俺はそこにいるカレンの父親さ」

「トラスアの旦那」


 マニックは俺から答えを聞き出して、その判断を主人に委ねた。


「カレン、この男は本当に君の父親で間違いないのかい?」

「…………うん」


 その流れでトラスアが尋ね、しばらく溜めてからカレンは頷いた。


「これで分かっただろう? ほら、拘束を解いてくれ」

「もう一つ質問だ。どうしてお前は生きている?」

「あぁ、君は俺が処刑されるのを直接見ていたんだったね。一番納得できる答えはそうだねぇ、俺も君と同じテンノだからさ。それも腕利きのね」

「……なるほどな」


 もう尋ねることも無く、トラスアからも放してやれと下されたので俺の拘束は解かれた。

 それで立って見回すとカレンだけが俺から目を背けたままで、どうしてみんなその答えで納得できるの!? という疑問が横顔に表れていた。

 テンノは個々人に差はあれど古今東西多種多様な技能や秘術を修得している。

 殺すことに精通した者もいれば、医者以上に生かすことと生きることが得意な者だっているのだ。

 そのおかげでカレン以外の三人は、俺が殺されたのに生きている理由を幻術か何かを用いて脱出し、そもそも殺されていないと勝手に思い込んでくれたようだ。誰一人として本当に一度死んで蘇ったなどという発想には至っていない。


「ところでその、あれだな。そのままでは娘と顔を合わせられないだろうから、先に服を着た方がいい。マニック、案内を頼む」


 言われるがままにマニックが扉を開けてこっちを向き、


「おい、ついてこい」


 人差し指も用いて俺に告げると、すぐに背を向けて部屋を出て行った。


「では、しばし失礼」


 いまだこちらを見てくれないカレンを一瞥し、優しく扉を閉めた。


 薄暗い地下通路をマニックの三歩後ろをついて歩く。

 こちらに背を向けてはいるものの、最低限の警戒心だけは取り払っていないようだ。


「わりぃな。けっこう強く押さえちまった」

「なに、慣れているさ」


 それでまさか、最初に謝罪をされるとは思ってもいなかったので少し驚いた。

 多少顔の輪郭が尖っていて目つきが悪いだけで、この男も根は善人なのかもしれない。


「この国へは何かの任務で来たのか?」

「いいや、ただの観光だよ。旅の途中でね」

「そうか」


 おそらく俺の言葉を心の底からは信じていないだろうが、それ以上は深く詮索をしてこなかった。


「しかし何度思い出してもアレは首をバッサリやられたとしか考えられねえんだが、一体どんな術を使ったんだ? 魔法か?」

「それはちょっと教えられないかな。一子相伝の術としか」

「じゃあいつか、あの子に伝授するのか?」

「いいや、娘をテンノに仕立て上げるつもりはないよ。カレンには真っ当で平穏な人生を歩んでほしいからね。本当に今はただ、見聞を広めさせるために旅をしているだけさ」

「平穏な人生を歩んでほしいなら、断頭台に乗せたりはしねえと思うけどな」

「…………それも見聞の一つになればと思っている」

「たいした父親だぜ。ずいぶんと教育熱心なようで」


 皮肉たっぷりの褒め言葉を受け取り、後ろ頭を掻いて苦笑いを浮かべる。

 そうして忍ぶ者同士の他愛もない会話を重ねていくうち、俺が悪意や邪心の一つも抱いていないことを感じ取ってもらえ、ある程度は打ち解けることができた。


「ここだ。適当に持っていってくれ」


 いくつもの部屋と通路を通り、目的の部屋へ着いた。

 入口が一つしかないこの部屋には外から運び入れたのか、それとも地下で作って設置したのかどうかが分からないクローゼットが三十を超える数あり、それらが書庫の本棚のように隙間なく並べられていた。

 そしてそのどれを開けてもきちんとサイズ分けされた衣類が収まっていた。


「百姓のボロに貴婦人のドレス、さらには近衛の軍服まであるときたか。一体君達は何をしようとしているんだか。演劇をするつもりではないんだろう?」

「ま、そういう話は戻ってからトラスアの旦那に聞いてくれや」




 ♦♦♦




 マニックが扉を三度叩き、ただいま戻りましたと扉の向こうに告げる。

 すぐに入れと答えが返ってきて、扉を開けた。


「ただいまカレン、そろそろ俺と目を合わせてくれないかな」


 俺が部屋に入る前からそっぽを向いたままのカレンに呼びかける。


「本当に服を着たの?」

「着たとも着たとも」

「あたし以外にだけ服を着ているように見せる魔法か何かを使ってない? 嘘だったらずっと口をきかないから」

「むむ……」


 そこまで言われるといくらか不安がこみ上げてくる。

 最愛の娘にずっと口をきいてもらえない未来を想像したらわずかに吐き気もこみ上げてくる。


「マニック、俺以外には見えなくなる魔法がこの服にかけられていたりは……」

「あるわけねえだろ」

「だそうだ」


 やっとこさカレンがこちらを振り向き、疑るような視線で足元から頭の先までを見上げて、それからようやく元通りの顔を取り戻してくれた。


「ただいま、カレン」

「…………おかえり」


 その言葉を交わした瞬間、長らく離れ離れになっていた時間は終わりを迎えた。

 断頭台で頭部と同じように引き離されてから一時間も経っていないはずだが、俺にはとても長く感じたのだ。


「では、無事に感動の再会も済ませたところで、そろそろ本題に入ろうじゃないか」


 カレンが『無事』という言葉に若干の違和感を感じたのを横目で見つつ、用意された椅子に座ろうとした瞬間だった。


「お待ちください」


 透き通って聴き取りやすい、比較的低音な女性の声が俺の着席を止めた。


「どうした? コウヒ君」

「トラスア様、今一度彼の身体を調べてもよろしいでしょうか? マニックの雑なやり方だけでは不安ですので」

「雑で悪かったな」

「アレンさん、よろしいですかな?」

「ええ、構いません」


 主人と俺の両人からの許可を得た瞬間、コウヒの眼の奥が喜びの感情で輝き、心拍数も大いに上昇した。

 実は彼女は、俺が人の姿に戻ったその時からずっとうずうずしていたのだ。

 それから一時たりとも俺の身体から目を離すことはなかった。

 

「……では、失礼します」


 ささっと目の前にきて服の上から俺の肩に触れた瞬間、コウヒの心拍数がさらに二十上昇した。

 無表情の面をほとんど崩さずにはいるが、多少息が荒くなった。


「ふむ……ふむ……」


 まずは肩から腕を、俺がカレンにやったとしたら嫌悪感を持たれてしまうほどにねっとりと鼻息荒く触って揉んでゆく。

 塗装屋が隙間なくペンキを塗っていくように、暗器の仕込ませようのない部位まで満遍なく『検査しょうみ』してゆく。

 それを見たマニックが同情の目をこちらに向けてくれた。


 目の前で昂ぶる女性の話しぶりと態度からして、普段はトラスアの秘書でもしているのだろう。

 それで周りからは氷の仮面などに例えられる冷静沈着でお堅い人間なはずだ。……普段は、だが。


「信じられない。まるで何百、いえ、何千年と研磨したような……」


 その氷の仮面も半分以上溶けつつある中で、ますます自分一人の世界へ潜り込んでゆく。


「これこそまさに人体の極致に他ならないわ。一体、どのような鍛錬を積み重ねればここまで……。もっと、もっとしっかりと触っておかないと……」


 さすがに歯止めが効かなくなり、このままでは身包みを剥がされてカレンに本格的に嫌われてしまうかもしれない。

 そしてついに上着のボタンに手をかけたところでトラスアが大きく咳払いをし、暴走気味の部下を制しに入った。


「コウヒ君? 大丈夫かね?」

「…………ハッ! 申し訳ございませんっ! つい検査に没頭してしまい」

「それで何か異常は? ないなら戻りなさい」


 強めの口調で諫められて半ば飛び退るように元の立ち位置に戻り、そして一呼吸で平静と氷の仮面を取り戻した。

 スッと切り替えができるあたりさすがはよく訓練されたテンノであると言わざるを得まい。


 しかしながら、だ。


『あの、アレン様? もしよければ今夜、私と食事でも』


 まだ諦めてはいないらしく、テンノの間でしばしば用いられる瞬きによる言葉で誘われた。

 恋愛感情とは少し違うが、惚れられたということで間違いないだろう。もっと俗な言い方をするなら、身体目当てというものだ。


『あはは……。考えておきます』


 ちなみに少し前にこの会話方法を修得したカレンも見ていて。

 自身に向けられる好意には疎い子であるがこれには気付いたようで、口を半開きにして唖然とした表情をしていた。

 嘘でしょ、信じられない。といった言葉が顔に浮き出ている。


『どうだカレン、これが内なる魅力だ。お父さんは脱いだらすごいのだよ』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る