第二話 「忘れられない鋭い蹴り」
「さすれば、この者の魂に救いと安らぎのあらんことを――。……構え!」
清めの言が読み終わり、すぐに執行人が斧を振り上げて型をつくる。
後はもうそのまま振り下ろすか、斧を手放すかすれば俺の首が切断されるだろう。
「んんーッ!!」
それを見てカレンが何かを必死に叫ぼうとしている。
『アレンならどうにかできるよね?』の問いに対してニッコリと笑って返したのに、俺がいまだ無抵抗のまま何も行動を起こさないために多少不安になっているようだ。
うん、ちょっとばかし貴重な体験をさせてあげようと思ってね。
罪人として断頭台に上り、普段は味わえない異様な熱気と雰囲気を感じ、斬首というものを間近で観るなんていうのは常人の人生では多くて一度あるかないかだ。それを若いうちに経験しておけば、後の人生できっと役に立つだろう。
なに、心配せずとも首を斬られる感覚までを経験させるつもりはないさ。
俺が新しい頭を生やしたらすぐに拘束を解いて、それから派手に逃げようじゃないか。
十分後には第四王子をぶん殴って、こんな国からはおさらばさ。
「――振り下ろせ!」
小さな風切り音が聞こえて重く冷たい刃がうなじに食い込んだ、まさにその瞬間だった。
俺の頭上で何かが弾けるような音が鳴り、瞬時に辺り一面が眩い光に包まれた。
♦♦♦
目を見開いて最初に見えたものは、目を見開いたままの俺の生首だった。
首受けかごの中で生温かい血を滴らせているそれは、俺がたしかに処刑され、いつものように新品の頭を生やしたという事実を述べていた。
「きゃああああーっ!」
「なんだよ! どうなってんだよこれぇ!!」
そして何やら群衆がひどく騒がしい。
斬首という見世物による熱狂とは違う、怒声と悲鳴が飛び交うまさしく恐慌や混乱と呼ばれるようなものであった。
やれやれ、またしても定命の者に恐怖を植え付けてしまったかなと申し訳なく思いつつ、関節を外し骨を折って拘束から抜け出して見るも、やはり何かがおかしい。
「目が、目がぁあああっ!」
「何も見えねえよぉー!!」
皆一様に目を抑えたり擦ったり、先の見えない暗闇の中にいるかのように周囲に手を伸ばしている。
どうやら俺が蘇ったことに驚いているのではなく、突然視力を奪われたことについて慌てふためいているようだ。
そういえば先ほど、まさに俺の命が断たれる瞬間に原因不明の閃光が起こった気がするが、それのせいだろうか。
とにかく、だ。
誰が助けてくれたかは知らないが、無血で逃げるチャンスは今しかない。さっさとカレンを連れてこんな野蛮な国からはおさらばだ。ほとぼりが冷めた後で助けてくれた何者かにお礼とお辞儀をしにくればよいのだ。
「よしカレン! 逃げるぞ! ……って、あれ?」
言いながらバッと振り返ったが、そこに拘束されていたはずの少女がいない。
姿はもちろん、声も臭いも知覚できない。
(くそっ! やられた!)
思わず歯を食いしばりつつ、いまだ視力の戻らない群衆の間をすり抜けてこの場を抜け出した。
すぐに背後から「首はあります! ですが体がどこにもありません!」などという不思議な叫びが聞こえてきたが、それは私には関係のないことだ。
「どこだどこだどこだ」
何者かに誘拐されたカレンを探すため、薄暗く埃っぽい路地裏に入り込む。
この辺りにいるであろう動物をすぐに見つけ出さねばならないのだ。
六大神が一柱、契約と調和を司る神バランスシンオベロの聖呪に『他の生物に変化できる』というものがある。
当然のことながら俺は今も昔もその術を用いることはできない。……がしかし齢が千に達したあの日、右も左も分からないクソガキだった頃の俺に不滅の魂を押し付けたアイツがまた別の貌で現れ、そして新たに異質な力を押し付けてきやがったのだ。
「……すまない、いただきます」
台所の換気口から投げ捨てられた生ゴミを漁るネズミの尻尾を掴み上げ、それを噛み殺して飲み込んだ。
「――《
久方ぶりに強い念を籠めてその言葉を唱えると、やはり黒い靄が俺を覆うように立ち込め。
そしてそれが消えた時、世界が巨大化していた。
「チゥ」
正確には巨大化ではなく、俺自身が小さくなっただけである。
ずんぐりむっくりした身体と短い手足、人間とは異なった視野角、そして尻尾を自由自在に動かせる感覚。
間違いなく俺はついさっき食したネズミに成り変わった。
軽く跳躍したり壁を登ったりして体を慣らし、それから踏まれないように人の波を掻い潜りながら急いで断頭台まで戻った。
軽い混乱が起こった後の広場にあの時ほどの人口密度と熱気はなく。
処刑の事後処理がほぼ完了し、ちょうど俺の首が粗布に包まれているところだった。
「しっかし、どうなってんだか。突然光ったと思ったら片方は消えてるわ、もう片方は頭を残して消えてるわでよ。もう十年はこの仕事をしてっけど、こんなことは初めてだぜ」
「もしかしたら……ヒトじゃない、何か恐ろしいものを殺してしまったのかもしれねえな……。呪われるかも……」
「おいやめろよ! 寝れなくなったらどうするんだよ!」
処刑に携わった者達は皆、首を残して消えた本人がすぐそこにネズミの姿でいるとは夢にも思わず、重い足取りで去っていった。
心配しなくても呪わないし枕元にも現れないさ。
俺はそのような些末事で人を呪ったりはしない。
小便をかけられた仕返しに寿命を減らす呪いを、十とそこらの子供相手にかけるようなことはいたしません。
「
野生動物としての神経を研ぎ澄ませ、世界の見方を変える。
人間の目では見えもしないし感じ取れもしないものが細かな粒子となって周囲に浮かびあがってくる。
そこに誰かがいた証、残り香がしるべとなって方々へ伸びていく。
そうして老若男女入り混じった中から唯一エルフ混じりの、純粋な人族とは異なった臭いを見つけ出すことに成功した。
「
そのしるべを辿ってゆけばきっとカレンを見つけることができるだろう。
そう。人の嗅覚で追えないのならば、動物の嗅覚で追えばいいだけのことだ。
しばらく辿り続けたが、路地へ入って通りへ出てすぐに別の路地へ入るという、追手を撒くような移動をしているようだ。
それに加えやはりというべきか、カレン以外の何者かの臭いが纏わりついていた。
「
ようやく臭いの途切れる場所へ来たが、ここには火災か何かで焼け落ちたままの廃屋がいくつも立ち並び、人の気配というものは微塵たりとも感じられない。
何か特徴的な物があるとすれば、地元の人でも存在を忘れているのでないかと思えるほどに寂れてコケむした祠――鎚と火を象った彫り物を見るに、鍛造と建築を司る工匠神アーチカルゴを祀っている――があるだけだ。
祠の周りをぐるぐる回りながら辺りを観察していた時、足音が聞こえた。それは下、つまり地下からだった。
コツンコツンという足音が真下まで近づいてきて止まり、それから今度はコンコンという梯子か何かを登る音が聞こえ。
それから十秒と待たずして、目の前で地面が蓋のように開き、見知らぬ男の頭がひょっこりと生えた。
「……うし、誰もいねえな」
尖った顔の男は目を細めて首を回し、最後に俺と目を合わせてからひとり呟いて地上に出てきた。
……見知らぬ男とは言ったが、その臭いだけは知っている。男の臭いはまさしくカレンを誘拐した者の臭いと同じである。
だから俺は男が今開いたものを閉める前に穴の中へ飛び込んだ。
なんとか一度きりの変化を解かずに侵入でき、ホッと一鳴きしつつ嗅覚と視覚とで周囲を確認する。
地上からの深さが五メートルはくだらないこの空間には壁があり道がある。
石組みの壁には等間隔で灯りが掛けられ、薄暗い中で転ばないように地面も平らにならされている。
ちなみに下水道ではないようだ。下水道は音からしてこの空間の上を流れているはずだ。
ならばこの場所は何のためにあるのだ?
「……まぁ、いいか。カレンを探しながら答えを出すとしよう」
発声器官だけを人間のものに戻し、改めてカレンの跡を追う。
侵入者を惑わすために何本にも枝分かれした複雑な道を進んでいくと、寝室があり、酒蔵があり、食事処があり、風呂があり、多目的の広い空間がいくつもあったりと、とにかく生活に必要なものはほぼ全て揃っていて。
その全てが古いながらも頑丈な造りで、そしてドゥーマンによる建築であると判断できた。
「なるほどなるほど」
それこそ儀式か何かで使う王座らしきものもあったので、この地下空間にはかつてドゥーマンの国があったのだろう。道理で地上にアーチカルゴを祀る祠があるわけだ。
ここが当時から秘密裏にあったのか、それとも地上に住む人間と開放的な交流をしていたのかまでは推測できないがな。
あれやこれやと思い巡らしながらもついに、一つ扉の向こうに人の気配がするところまでやってきた。
この小さな身体では木製の扉を開けることができないので、
「そこに誰かいるのかい? いるなら開けておくれ」
「アレン!? その声はアレンよね!?」
人の声で呼びかけるとすぐに駆け寄ってくる音が聞こえ、扉が開かれた。
もちろん扉を開けた人物は断頭台で生き別れた義理の娘であった。
傷の一つも付いていないようでよかったよかった。
「誰も……いない? 天井にも張り付いていないし……。もしかして勘違いだったのかな」
カレンは扉を開けてくまなく見まわした後、肩を落としながら席へ戻り、はぁぁと大きな溜息を吐いた。
「アレンなら大丈夫、だよね。死んでない……いや、死んじゃったけど、ちゃんと逃げてるはず。……でも、もしかしたら前言ってたみたいに捕まってジンタイジッケンを受けているんじゃ……」
どうしようどうしよう、全部あたしのせいだ。などと深刻な顔で両耳を押さえて自分を責めているのがとても可哀そうに思えた。ので、いちネズミとして慰めてあげよう。
「チゥチゥ」
天井に張り付いたままの状態からテーブルの上に飛び降り、娘の前に出て一鳴き。
「……あら! ネズミさん、こんにちは!」
最悪泣き叫ばれて叩き飛ばされるのも覚悟していたが、さっきまでゴミを漁っていたネズミを全く汚いものだとは思わず、子犬や小猫を見つけたときと同じように喜んでくれた。
「あたしと遊んでくれるの?」
「チゥ」
お望みのとおりカレンの手の上で跳ねたり転がったり踊ったり逆立ちしたり、右腕を伝って右肩へ、右肩を伝って左肩から左腕へ。
中身が俺であると疑われない程度に戯れてやると、少しずつ笑顔を取り戻してくれて。
「あははっ! なにそれーっ!」
ようやくいつもの花のような笑顔が見られるようになった。
うん、年若い少女は笑っている方が良い。特にカレンの無邪気な笑顔は贔屓目無しに、それを見ている周りの人間すらも自然と軽やかな気持ちにさせる素晴らしいものなのだから。
そうしているうちに複数人の足音が近づいてきて、三度扉を叩かれた後にそれは開かれた。
「やぁ、待たせてしまってすまない」
この椅子とテーブルだけが置かれた何の変哲もない部屋に二人の男と一人の女が入り込んできた。
先頭で扉を開けて入ってきた男は先程も目にした、カレンをこの場所まで運んできた尖った輪郭を持つ男だ。年のころは三十を過ぎた辺りくらいで、ほぼ間違いなくテンノだろう。
カレンを一人きりで待たせたことを軽く謝りつつ二番目に入ってきたのは、こげ茶色の毛をピシっとなでつけ、モサっとした顎髭を蓄えた気品ある装いの中年男性。……なのだが、カレンとそう変わらないほどに背丈が低く、巌のようなゴツゴツして濃い顔をしている。
最後に入ってきて扉を閉めたのは、金髪ですらりとした体型の女だ。鋭い目つきの彼女もこの岩髭の護衛であり、腕利きのテンノであると思われる。
「はじめまして、私はトラスア・ダルボだ。気軽にトラスアと呼んでほしい」
トラスアは部下を自身の左右に立たせてカレンの対面に座った。
「……あたしはカレン」
「カレンか、良い名前だ。……おや、そのネズミは君のお友達かな?」
少しでもカレンの気をよくしようと、わざとらしくおどけた話し方で尋ねた。
「うん、さっき友達になったの」
「それは羨ましい。私もその子と友達になれるだろうか」
「トラスア様、ネズミは疫病をもたらすおそれが」
「よいよい」
不潔だから触るのはよした方がいいと提言する部下を退け、カレンの右肩に乗ったままの俺に手を伸ばしてくる。
皮膚が硬くざらざらとした手の平でしばらく撫でられたが、嫌悪感と危機感から噛みつきたいという野生の本能をなんとか抑えられた。
「ほほ、どうやら私も認めてもらえたようだ」
認めてはいないがな。
どこの馬の骨とも知らぬ男に娘を拉致監禁されて認めるわけがない。
そしてトラスアはしばらくの間、カレンの心をこじ開けるべく取り留めもない会話を弾ませ、俺の警戒した視線には気付かないままでいた。
「それで、どうしてあたしを助けてくれたの?」
根は善い人物なのだろうが、さすがにカレンも胡散臭いと感じたようで。
手放しで懐くことはせず、疑問をぶつけた。
「質問に質問を返すようで悪いが、どうしてカレンは助けてくれたんだ?」
「あたしが、助けた?」
「子供を二人助けたのだろう? マニックからそのように聞いている」
フンスとした顔で右に立つ男を親指で指して言った。
「どうしてって……。助けなきゃいけないと思ったから」
「そう、それが答えだ。私の信条は助け合いでね」
上手い具合にカレンを納得させ、話を続ける。
「カレンのお父さんを助けることができなくて誠に申し訳ないと思っている」
「えっ。あっ、うん……」
テーブルに両手をつけて深々と頭を下げるトラスアを前にしてカレンが少しばかりたじろぐ。
「もう分かっているかもしれないけど、ここはあまり良い国じゃないんだ。非常に多くの人々が昼夜問わず苦しんでいる」
「……うん」
「私は少しでもそのような苦痛を無くそうと仲間たちと一緒に色々やっているんだ。カレン、どうか君も私の仲間になってくれないか? 君のような心の持ち主が必要なんだ。住む家と食べ物はすべて私が用意しよう」
トラスアは立ち上がって右手を前に出し、友好の証として握手を求めた。
このままではきっとカレンはその手を握り返してしまうだろう。
どこまでが嘘でどこまでが本当か分からない勧誘に乗ってしまうだろう。
だから俺はカレンの肩を飛び降りて伸ばされた手の前に二足で立ち塞がり、
「未成年を相手にして、保護者の同意無しに話を進められては困りますな」
ぷっくりと丸いネズミの身体できっぱりと言い放った。
「なっ!?」
「アレン!?」
カレンは少しばかり嬉しそうに驚き、トラスアは目を丸くし、トラスアの二人の護衛は驚きつつも瞬時に隠し持っていた武器を抜いて構えた。
「そう殺気立たないで。武器を収めてくださいな。ただ娘を連れ戻しに来ただけですから」
言いながらテーブルから降りて変化を解くように念じると、すぐに黒い靄が何処からともなく湧き出て俺の身を包み隠し。
それが消えた時、いつも通りの人間の身体に戻っていた。
「うん」
熱い視線を無視しつつ、両手を握って開いてを数度繰り返して特に異常がないかを確認し。
「さぁカレン、一緒に行こう」
我が娘へ向き直って、右手を伸ばした。
しかし。
どういうわけか。
カレンがピクリたりとも動かない。
俺の限りなく無駄のない、人間として生きてゆく上での完成形である肉体を凝視したまま、顔を引きつらせている。
「どうした? 引っ張ってほしいのかい?」
椅子から立たせてほしいのだなと思い、一歩前に出た瞬間――
「――やだァ!! こっち来ないでッ!」
「ヴっ」
カレンと初めて出会った日に受けた、決して忘れられない鋭い蹴りが我が息子に撃ち込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます