第二章 通りすがりの革命家

第一話 「いつもの景色」


 ――何かあったら、いつでも僕を頼ってくださいね?


 ついこの間耳にした、心優しき愛弟子の甘言が思い起こされた。

 これは俺の脳味噌が、この状況で最も役に立つ人物を勝手に導き出しただけのことだ。

 だから決して心が弱っているわけではないし、あのように言い返して百年も経たないうちに「不甲斐ない師匠を助けてくれ」などと言えるわけがない。

 ……まぁ、どちらにせよ今は何も言葉を発せはしないのだが。


「これより! 罪人アレン・メーテウスの処刑を執り行う!」


 なぜなら今現在猿轡をかまされ、手足をきつく縛られ、断頭台に体を押さえつけられているのだから。

 そして目に映る台上からの景色と見物に集まった群衆のたしかな熱気が、これが夢ではなく現実であることを教えてくれている。


「執行するにあたり、この者の罪状及び清めの言を読み上げる!」

「そんなもんはいいからはやく首を切り落とせーッ!」

「こーろーせ! こーろーせ!」


 罪人の魂を清めてから六大神の御前に送ってあげようという、大変ありがたいご厚意を邪険にするとはなんたることか。

 だからといって彼らのような一般市民を責めてはいけない。悪趣味とはいえ、こういった見世物で心を落ち着かせ、辛く苦しいことばかりの生活で溜まったモノを少しでも吐き出さなければならないのだ。

 それに少数ではあれど「可哀そうに、きっと濡れ衣を着せられたのだな」「来世では幸せに生きられますように」などといった憐憫や祈りの声もちらほら聞こえてくる。

 それだけで満足できる。


 いいでしょう。

 俺の命の一つや二つはくれてあげましょう。

 だがしかし、

 

「また、この者の娘カレン・メーテウスに対しても同様に刑を執行するものとする!」


 娘の命だけは絶対に渡さん。


「オイ! じっとしていろ!」

「んーっ! んーっ!!」


 今は背中に目をつけていないので見えはしないが、俺同様に拘束されたカレンが必死に声を出そうとして、執行人と群衆に目で訴えながらすぐ後ろに立たされていることだけは分かる。

 幸いこの場に断頭台は一つしかないので、俺の首が落とされるまでは命を保証されているということも。

 

 まったく、どうしてこうなってしまったのか。

 真心の籠っていない清めの言を聞きながら、もう二度と変えることのできない過去に思いを馳せた――




 ♦♦♦




 一国の主に生まれ変わっていた弟子と別れ、北の高原地帯の青草と土を踏み続けて早一月、また一つの国が見えてきた。

 堅牢な城壁と深い堀に囲まれたその都市の規模はリボンレイクよりも明らかに大きく、城壁に囲まれた中にはざっと見積もっただけでも軽く十万を超える命がひしめいているだろう。郊外に住む人々を含めれば二十万に届くやもしれぬ。


「カレンお嬢様、寄っていかれますか?」

「うん。……あとその呼び方はやめてよね」

「この国でもさぞ良縁にありつけるでしょうな。なんたってカレン嬢はあのアルベール王を惚れさせた方なのですから」

「……」


 あの日からしばらく経った今でも、カレンは思い出すだけで耳まで紅潮させている。

 それを観るために三日に一度はこうやってからかうことが習慣となりつつある。


「アレンなんて嫌い! あたし先に行ってるから!」

「ほっほっほ。転ばないように気を付けるのだぞ」


 紅蓮と漆黒の髪を激しく揺らしながら風と共に駆け、みるみるうちに小さくなっていく。

 そうして豆粒程度になるまで距離が空いた。ので、平静を装うのをやめることに。


「ぐっ……ふ、ふぅー…………」

 

 本気の言葉ではないとはいえ、あの子に嫌いと言われると中々に来るものがある。

 重いボディーブローを受けた後のようにジワジワと効いてくるのだ。

 五千年の人生でこのようなことは記憶にない。やはり俺は弱くなってしまった。


「うーん、歳をとると涙もろくなる定命の者を馬鹿にはできないなぁ……」


 どうしたものかと多少真剣に考えつつ、常に豆粒大のカレンを視界に収めつつ小走りでゆくと、いつの間にか足元が若緑から石畳に変わっていた。

 タタタと軽やかな音を立てて石畳の上を走るカレンの真後ろを、一切音を立てずにぴたりと張り付きながら長閑な田園地帯を抜け、城壁内への架け橋を渡る際に「いつからそこにいたの!?」と驚かれ。

 軽く走っただけですでに機嫌を良くしてくれていたので共に橋の向こうへ踏み入った。


 行き交う人のうねりや街並みを注意深く観察しつつ、カレンが口を開く。


「うん、うんうん……。まあまあー、かなぁ」


 俺の仕草を真似て顎に小さな手を当て、まるで世界各地を巡り歩いてきた放浪者のごとき言葉を平然と放った。

 街というものを初めて見知ったのはひと月前だというのに。

 今まさにリボンレイクに訪れた時と同じように目を光らせながら口の両端を上げて、長い耳をぴくぴく震わせ、さらには心拍数まで増加させているというのに。

 

「正直に言うと?」

「すごい! ワクワクする!!」

「素直でよろしい」

「……だから、一人で見に行っちゃダメ?」

「ダメです」


 なんで!? とカレンの口から飛び出てくる前に、今一度じっくりと目に映るものを観察するように言いつけ、それから一つの問いを与えた。


「リボンレイクと何が違う?」

「何が違うって……」

「例えば建築物はどうだ? 店では特異な何かを売っているか?」

「あんまり、変わらないと思うけど」


 色彩などに差はあれど、大本に変わりはない。城も一つだけ、都市の中心にどっしりと鎮座しているだけだ。

 店だってその土地の名産や伝統品以外はどこでも似たり寄ったりのモノを扱っている。


「なら、ヒトはどうだ? リボンレイクでは殆どの人間が輝いていただろう? ここではどう見える?」

「えーっと…………。暗い顔の人が多い……かな」

「そうだ。では、笑っている人間だけを探してくれ。それはどういう人間だ?」


 またいくばくか時間を与え、探させた。


「たぶんだけど、偉かったりお金持ちだったりする人。それと子供」

「その通り」

 

 笑っているのは何も知らない無邪気な子供と、一部の力ある者だけだ。


 リボンレイクとは真逆で行き交う人々の多くが無表情か仏頂面でいる。

 豪奢な装いの貴婦人が歩く道端に物乞いを行う者が座っていて、笑顔で駆けまわる子供を懐かしそうな目で見ている。

 「どうか店の物を買ってくれ、そうでないとやっていけないんだ」と、冷やかし相手にも必死で頭を下げる店主のやつれた姿。

 そのような情景が散見される。


「力ある者の多くが平民以下の人間と働き蟻の違いを説明することができないだろう。……この国に限らずではないがね」


 彼らの多くは当然の権利のように下々の者を虐げるし、虐げられ続けた者はいつか耐えられなくなって暴発する。

 あらゆる土地から人と物が往き来する交易都市を除き、上下の格差が露骨な国は良きとは言えないのだ。


「難しい……だけど、なんとなくわかるかも」

「これは滅多にないのだが、力ある者が皆アルビ……アルベールのような国もあるにはある」

「……?」

「王侯諸侯らが、休日の昼は広場で見ず知らずの子供の相手をし、夜は下町の酒場で漁師と飲み交わす」


 外から攻め入れられる以外に瓦解することがなく、その際は民自らが共に滅びることを選択する。


「いつか自立して定住するのなら、そのような国を探すといい」

「ふんふん、なるほどなるほど……。そういうことね」

「本当に理解できたのかい?」

「半分はわかったってば!」


 俺がカレンを見くびるようにあしらうと、多少ムキになって応えをぶつけてきた。

 うん、半分も理解できれば十分だろう。


「……とまぁ話が逸れてしまったが、目を見れば人が分かる。人を見れば国が分かる」


 故にこの国はあまりよろしくない。油断のできない処だ。

 少なくとも世間知らずな一人娘を放しておくなんて愚かな選択はできないくらいに。


「だから俺はカレンの手を離さない。分かってくれるね?」


 膝をついて目線を合わせ、カレンの小さな手を俺の両手で包み込むように握り、心からの理解を求めた。

 

「……うん」


 それに対しカレンは嘘偽りのない目でこたえてくれた。


 あぁ、よかった。

 これでまたあの時のようにカレンが危険に晒されることはないだろう。

 きっと、きっと心休まる穏やかで素晴らしい逗留となるだろう。……いや、そのようにするのだ。


「よし、それじゃあ行こう。何か食べたい物でもあれば遠慮なく言うといい。予算の範囲内であればいくらでも好きなものを買ってあげよう」

「あたし今すごく蜂蜜パンが食べたい! そこらへんの屋台に売ってるかな!? 三十個は食べたい!」

「カレンが良い子にしていればきっと売っているだろうよ。それと三十個はもちろん予算の範囲外だ」

「じゃあニ十!」

「多くて十個まで。それ以上はいけません」

「けちんぼ!」

「ケチじゃない!」


 それでも結局は、少し前に教え込んだ交渉術を用いられて十五個も買わされてしまった。

 こんなことのために仕込んだんじゃないんだけどなぁ……。


 だらだらと食べ歩きつつ、竜と虎の飴細工で両手が塞がった状態のカレンに「常に身の回りに注意を払いなさい。おのずと十秒先の未来が視えるようになるのだ」などと説いていると、大通りからちょっとした広場に出た。

 交差点の意味合いも兼ねてあろうその開けた場所で、行き違う人々の後ろからあるものが見えて俺の足を止めた。


「どうしたの? ……ねえねえそれとさ、アレは何なの? ほら、真ん中にあるアレよ」

「なんだと思う?」

「うーん……。何かの台だと思うけど、わかんない」


 広場の中心に噴水や樹木などは生やされておらず、代わりに置かれているそれは俺にとても縁のある物だ。

 それを見ただけで心臓の鼓動が三拍早くなり、身体が少々疼き出す。特に首筋のあたりがヒリヒリする。


「そう、台だ。お父さんは昔、あの台の上でいっつも殺されたものさ」

「へぇ、そうなんだ。殺され……へぇっ!?」

「アレは断頭台と言ってね、悪い人の首をあの上で斬るんだ。こう、スパッとね」


 首に手を当てて横一文字に斬る仕草をしながら言うと、毎度おなじみの苦虫を噛み潰したような表情を見せてくれた。


「あぁ、懐かしいなぁ。お父さんの昔話を聞きたいかい? これに関しては一日では到底話しきれないくらいのネタがあるよ」

「いや……今はちょっと、いいかな……」

「それは残念だ」


 遠まわしに聞きたくないと言われてしまったので、一人頭の中で思い起こして浸かる事に。

 

 ある程度行政が発達し、法と規律のある地域で何かやらかした際にはしばしばあの場所へ連行されたものだ。……まぁ、公開処刑などという野蛮で非生産的な罰則のあること自体が未発達ではないのかという問いはおいといて、だ。

 過去五千年に渡り、盗みを働いた、殺人を犯した、殺されたのに生きている、お偉いさんに歯向かった、国家転覆を目論んだ、世界の半分を陥れた、テンノである、魔人の王である、余所者である、顔が気に入らない、などなど様々な理由――紛れもない事実の場合もあれば、全くのでっち上げの場合もある――で頭と胴体を切り離された。

 断頭台の上では基本身体を固定され、他人に命を握られ、衆目に晒される。

 熱い視線で処刑を見守る民衆らは多くの場合熱狂していて、石や卵、トマトや生ゴミなんかを投げつけてくる日もある。その際は執行人にもいくらか飛び火するので大変申し訳なく思う。

 それにトマトなどの赤い野菜や果物で汚れると、血を出す前から血で汚れたように見えて処刑前後での対比が――


「ふ……ふふふ……」

「ちょっと、何笑ってるの? 気味が悪いんだけど……」

「おっと、すまない。とにかくこれで分かっただろう? 断頭台がこのような場所に設置されているということは、この国では頻繁に処刑が行われているということの証明に他ならない。力無き者が日夜「――あッ!! ちょっとこれ持ってて!」


 突然のことだった。

 カレンが俺の両手に竜と虎の飴細工を掴ませ、右前方へ一直線に駆け出した。


「ん……あァッ!!」

 

 カレンの行く手にはいかにも高貴なる者が乗ってそうな黒塗りの馬車が走っており、さらに馬車の進行先にはゆるく転がるボールとそれを拾いにいく二人の童が。

 馬車の前に見えない壁ができるかボールに突風でも吹きつけるかしない限り、五秒後には童が馬に踏まれ車に轢かれるだろう。

 カレンは俺が言った「未来が視えるように注意を払え」の言葉通りそれを助けに行ったのだ。

 違う! たしかに正しいが、違うのだ!!

 

「カレンーッ!!」


 不特定多数に見られているのも構わずに肉体を酷使し、すでに子供達を庇う体勢のカレンと馬車の間に飛び込んで、


「ハァッ!」


 両手に持った小さな竜と虎と、俺の瞳とをもって二頭の馬を急停止させる。具体的には『止まらなければ馬刺しにする』という明確な殺意をお馬さんに感じ取らせた。

 そのおかげで背後にいるカレンと子供らには傷一つ付かなかったが……


「くぉらぁ! 我を誰と心得ておるのだぁ! 我こそは第四王子ネルク・ラトロンであるぞ!!」


 威厳ある凝った衣装を身に着け、齢も三十を過ぎているはずなのに、ひどく幼い顔つきと甲高い声をした人物。

 恐らく急停止した反動で頭かどこかをぶつけ、激しい怒りに駆られた第四王子その人が自己紹介と共に馬車より降り立った。

 ……しかしまたしても王子様と邂逅するとは、さすがカレンとしか言いようがない。まぁ、今回の王子様はアルビンとは違い、見てくれも中身もあまりよろしくはないがね。


「おいお前! 何があったのだ!」

「へ、へい……」


 俺達が逃げ出さないで陛下の姿をまじまじと見ている間に、ことの顛末を御者に聞き出し。

 それから今度は余裕の表情で薄ら笑いを浮かべ、こう言い放った。


「つまり貴様らは我を暗殺し、あまつさえ国家転覆まで目論んだに違いない! よって死罪!!」


 全くの免罪である。

 全くの免罪ではあるが、この言葉を聞いて呆れはするものの拍子抜けする者は周りを見回してもカレンの他にいなかった。

 つまりはこの国ではこれがまかり通っているということだ。


「……ちょっと! 何言ってるのよ!? 頭おかしいんじゃないの!!」


 当然すぐにカレンが異議を立てた。


「あたしにだって王様の友達はいるけどこんなバカげたことは絶対に言わないわよ! 第四王子だかなんだか知らないけど、バカなこと言ってんじゃないわよ!」


 カレンが猛烈な勢いでまくしたてるので、民衆に紛れたネルク陛下の護衛達が酷く殺気立つ。

 それでもバカバカ言われている当の本人は、怒りを見せず余裕しゃくしゃくの表情を崩さない。

 何かしらの名案を持っているようだ。


「亜人のわりに面白いことをいいよる。……ならばいいだろう、貴様らはどこへでも好きに行くがいい」

「当然よ! ……ほら、一緒にいこう? お父さんとお母さんはどこにいるの?」


 カレンが二人の子供に手を差し伸べて引っ張り上げた直後、ネルクが詰めの一手を打った。


「おい、何をしている! そこの二匹のガキは断頭台送りだぞ?」

「はぁー!?」

「元はと言えばこやつらが馬車の前でうろうろしていたのが悪いのだろうが。馬車は急には止まれないのだ! そんなことも分からんのか!?」


 こればかりは正しい。

 何度正式に裁判をしようとも、子供らに非があるという判決が下るだろう。

 ただ、その場合は賠償金をいくらか払う程度が当たり前で、檻にぶち込まれたりそれこそ死罪に当たるなんてことはまずありえない。


「それともなんだ。哀れなガキ共の代わりに貴様らがあそこへ上るか? ん?」


 ネルクはニタニタと邪な笑みを浮かべて返答を待つ。

 俺と並んで子供達を隠すように隣に来ていたカレンを見ると、それはまあなんとも悔しさともどかしさを上手い具合に配合した顔をしていた。


「カレン、こればっかりは両方は取れないぞ」

「……わかってる」


 子供達を見捨てて去るか、俺とカレンが仲良く処刑されるかの二つに一つだ。

 前者を選んだ場合は酷く後悔して自己嫌悪に陥るだろうから、すぐにこの都市に滞在していた記憶すらも消し去ってあげよう。

 …………実はヘイワ的手段とボウリョク的手段のどちらを使っても切り抜けられるのは秘密だ。それをしてしまってはカレンの成長を阻害することになる。何でもかんでも人に頼るような生き方をしてほしくない。


 そして、長いようで短い潜考を終えてカレンの下した決断は、


「わかったわ! あたしたちが代わりになるわよ!」


 俺が予想していたものと一言一句違わなかった。

 宣言した後でこちらを見て『アレンならどうにかできるよね?』と目で語ってきたところまでも予想の範囲内であった。

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