第二十五話 「愛娘と愛弟子」
いやぁ危ない危ない。
死なないどころか誤爆の一つもせずにいられて本当によかった。
それと俺が知らない魔法、つまり封印されていた千年の間に生み出された魔法を使う者がいなくて助かった。
「うーん、そろそろ敗走してもいい頃なんだけどなぁ」
俺と二十人の俺達で、軽く千と五百を転がした。
敵軍の決戦兵器である魔導士達も全て沈黙させた。
それでもまだ、彼らは立ち向かってくる。
「ォオオーッ!!」
「ぬぁアッ!」
「よっ、ぃよっと。はいおやすみ」
客観的に見れば勝てる要素などないのに、大岩に砂をかけて割ろうとするようなものなのに、声を張り上げて斬りかかってくる。
足の震えを武者震いだと自らに言い聞かせて決死の覚悟で突っ込んでくる。
彼らがどれほど士気を高めようと後れを取る気はないが、厄介で骨の折れることには変わりない。
なぜなら俺を戦場へ遣わした主人が、敵であれ味方であれ人が死ぬのを見たくない甘ちゃんであり、不殺の命令を下されやがったのだ。
そのせいで敵に戦意のある内はご丁寧に相手をして、殺さずに絶望と恐怖と植え込んであげるしかなくなった。
それでもあと一つ、劇的な何かがあれば一気に崩せると思うのだけども、そう都合よくはいかないか。
……まさにそんな事を考えた時だ。
――ブォオオオーン、と。
何の前触れもなく敵陣中央より法螺が吹かれ、俺を囲む兵が大きく距離を取って退いた。
そして敵兵らは整列して道を作り、その間を通って都合のいい者がやってきてくれた。
その男は色黒で毛深く、兜の分を差し引いても背丈は優に二メートルを超えている。
「貴殿の武勇、しかと拝見させてもらった!」
そして俺と十歩の距離で止まると、馬をも切れそうな幅広の大剣を背から抜き取って、それを頭上でぐるんぐるんと回してから地面に突き刺した。
「それがしはカーロモンテ公国軍が副将軍、アンドレアス・ロベスなり! 湖の精を名乗る者よ、貴殿に一騎打ちを申し込む!!」
「いいだろう。お相手しよう」
もちろん相手の気が変わる前に即答しておく。
これ以上ないありがたい申し出だからな。
「感謝する。とはいえ手が寂しい者とは戦えん。何か望みはないか? 槍でも弓でも構わぬ」
「なら君の、腰のそれを貸してもらえるかな?」
副将軍殿が腰にかけた剣を指差して言うと、すぐに鞘ごと投げ渡してくれた。
握りと鍔に大鷲の意匠が凝らされていて、鞘から抜きとって現れた剣身は細かな凹凸なく鍛えられた鋼であり、たしかに上物であった。
なんら不足はない。
「それじゃあ、始めようか」
「いざ……、参る――!」
オォと雄叫びを上げ、大剣を胸の前で横一文字に構えながら突進してきた。
この型の場合は、十中八九間合いに入ってからの薙ぎ払いだろう。
類まれなる巨躯と膂力を生かしての横薙ぎは、受ければ体ごと吹き飛ばされるか骨が折れる。
生半可な避け方をすれば相手より大きな隙を作りそこを突かれるだろう。
「実に理にかなっている」
もちろん隙を全く作らない完璧な避け方をして、それから足をひっかけて転ばせることはできる。
できるが、それをしては伝わらない。小さき者が卑怯な戦い方で勝利したと微塵たりとも思わせてはならぬのだ。
絶対に敵わないと分からせるためには、力で押し返さなくては。
「ガァッ!!」
「フッ!」
副将軍の大剣と俺の剣が接するその瞬間に握りに力を籠め、全ての筋力を行使する。
重く鈍い金属音が鳴り、踏ん張った成人男性五人をまとめて吹き飛ばせる程度の衝撃を感じたが、その結果よろめいたのは副将軍の方だった。
「っ!?」
副将軍が目を丸くして飛び退いた。
まぁ、理解できないだろうね。
下手すれば自身の半分の体積しかない男が、全力の一撃を受け止めたというのだから。
「心配しなくてもちゃんと伝わったさ。生まれつきの体躯に驕らず、人より鍛錬していることがね。さぁ、次はどうする?」
「次は、こうだッ!」
肩への突き、斜め下への振り下ろし、足払い、右腰から左肩への斬り上げ、などと連続した剣撃が繰り出される。
なるべく早く離脱できるように七割程度の力を籠めているようだが、それでも並の兵士に与えられる選択肢は避けるか逸らすかのどちらかしかない。
しかし俺はその全てを受け止めた。
すると副将軍はまたしても雄叫びを上げて大剣を振り上げ、俺の頭蓋を砕こうと振り下ろし。
なのでやむなく左膝をつきながら、柄と刃先をしかと握って振り下ろされた刃を受け止めると、刃と刃の接触部からバチッと火花が散り、右足が少しばかり地に沈んだ。
なるほど。
剣技は通用しないと理解して、純粋な力をもって押し潰すつもりか。
「これならば、どうだァッ……!」
諦めずに剣技だけで戦っていれば万に一つくらいは傷を付けられたかもしれないだろうに。
「くくっ、絶対に力を緩めるなよ?」
「何が可笑しい! ……なぁっ!?」
まずは地についた左膝を上げ、両膝を伸ばして立ち上がり、鍔と鍔とで押し合う。
さらに力を籠め、今度は俺が彼の膝を曲げさせ、地に足を沈ませた。
そうしてさっきまで俺がしていたのと同じ体勢を副将軍がとることに。
「……な、なぜだ!? 一体どんな手品を」
「手品も魔法も使ってはいないさ。純粋な力、つまりはこういうことだ」
剣の握りから右手を離して腰に置いて、半身の構えで押さえつけた。
それでも副将軍の剣が持ち上がることはない。
「たしかに君の筋肉量は俺よりも多い。男としてもその肉体は羨ましい限りだ。だが、その全てを使えていないだろう?」
普遍的で正常な人間には制限がかかっている。
普段は筋肉や骨が壊れることのないように、二、三割程度しか力を出せないようにタガがはめられているのだ。それこそ命の危険が迫った時や火事場くらいにしか外れないように。
それらを意図的に外すことができるのは、特殊な訓練をした者、身体が壊れても困らないまたはそもそも壊れない者、頭のイカれている者のいずれかである。
その中の二つである、特殊な訓練をして、身体が壊れても困らないに該当する俺は自由自在にタガを外すことができる。
人の肉体に許されし力の全てを用いることができるのだ。
「この俺に力比べを挑むにはまだ早かったな」
ごく一部の例外として、聖呪で膂力を増す者や、巨人の魂を持つなどと謳われる異常な筋密度の者もいるが。
まぁ、彼は今のところちょっとばかし身体が大きいだけの、極めて普遍的な人間だ。
「…………ひと思いに、やれ」
「殺しはせん。力の半分でも出せるようになってから、出直してまいれ」
戯言を吐く副将軍の大剣を弾き飛ばし、借りた剣の腹で意識だけを奪うように額を打った。
副将軍の巨体が力無く崩れ落ちると共に、悲鳴混じりのどよめきが起こった。
「あのロベス様を一騎打ちでねじ伏せるだなんて……」
「ば、化け物!!」
「うわぁあああああああっ!!」
ようやく望み通りの展開になってくれた。
命の大切さを悟った下級兵達が、上官らの制止を無視して一斉に逃げ出してくれた。なんならその上官でさえ逃げ出した者もいる。
そうしてあっという間に戦場から軍勢が消え去り、残るは将軍らを含めた複数人の上官と、それらを守る五十弱の精鋭のみとなった。
ので、一旦二十人の俺達を一か所に集めて待機させ、俺一人で将軍の下へ歩を進めた。
「止まれ!」
「止まらんかッ!」
「お断りします」
精鋭と思しき忠実な戦士達が上官を守るべく槍と剣を突き立ててくるが、無視無視。
風と共に彼らの間をすり抜け、すでに馬上より降りていた将軍と顔を合わせた。
その様を見て武器を落とし、唖然とする彼らとは違い、大将軍ボルナ・ルブレフだけが平静な顔をしていた。
「うん、君は間違いなく将軍の器だね。大成するよ」
「……貴殿のような偉大な戦士からの御言葉、恐悦至極に存じます」
「ハハハ、そんな堅くならなくていいって」
「ふはは、そうであるか。では、名をお伺いしても?」
「あんまし人に言っちゃダメよ?」
この俺はあくまで湖の精であるので、こっそりと耳打ちで名を教えた。
「……まさか、あの!?」
「あ、知ってる? いや、本当にその人かは分からないけど」
「最期の戦でお会いできるとは思ってもみなかった」
「最期? 何言ってんの? 死んで責任を取ろうと思ってんの?」
いけませんよ。
それは最低の逃げです。
自分勝手に縁を断ち切り、悲しみをばら撒く行為を俺は絶対に許しません。
「そもそも今回は相手が悪すぎただけだから、誰も君のせいにする者なんていないよ。頭でっかちな貴族様が葡萄酒片手に文句を申されたのなら、ぶん殴って冠を奪い取ってさしあげろ」
「それはなんとも豪気な」
大将軍はひどく感心したように顎肉をつねり、うなづいた。
そして瞳の中に、生への執着が見られるようになった。
「そんなわけでこれからも頑張ってね。でも、ここには攻めてこないでよ? 次はないからね?」
「承知」
整然とおじぎをしたのち、俺に背を向けて馬上へ飛び乗り。
「では、またいつかの戦場で」
「俺が忘れてなければね。それとリボンレイクはいいところだから、今度は武器を持たずに観光に来てねー!」
国へと引き返す彼らに街の宣伝をして、その姿が消えるまで手を振り続けた。
「……んーっ! 終わったぁーっ!!」
雲に手を伸ばし、肩を回し、ぐぐっと脱力する。
ようやく終わったのだ。
久方ぶりの戦場だったが、誰も死なせずに済んでよかった。
きっとカレンは褒めてくれるだろう。お父さんカッコいい! と俺の胸に抱きついて、ほっぺにチューをしてくれるかもしれない。
そんな妄想をしながら振り向くと、最初に俺が現れた丘上でカレンとアル君がこちらを見ていた。
「おーい! カレンやーい!!」
俺は愛する娘の名を呼びながら、小走りで駆け寄る。
それを大喜びで迎えてくれるものだとばかり思っていたが、少々不満げな顔をしていて。
「あの、何かご不満でしたか? 我が主の望み通り、不殺を貫きましたが」
「……なんで。なんであんな危ないやり方なの? アレンならみんなを眠らせることだってできるでしょ?」
なるほど。
俺の身を案じてくれたというわけか。
「あー、えーっと、そんなぬるいやり方をするとまたすぐに攻められるというか」
「カレン、あなたの父君は出来る限りこの地で戦争が起きないよう、あえてそうしたのです」
「そう! その通り! さすがアル君、分かっているな!」
アル君のフォローの甲斐あって、渋々納得してくれた。
「本当に大丈夫なの? 怪我してない? 一度も死んでない?」
「うん、死んでない死んでない」
足の甲に矢が刺さるなんていう、ちょっとした怪我はしたけどね。
パパは元気です。
そもそも二十の抜け殻を製造するために、自殺して小指一本から蘇るのを二十回も繰り返したじゃないか。今更だとは思うがね。
「とにかくこれで俺とカレンはこの国には居られなくなってしまったから、行くとするよ。そうそうアル君や。あの日言えなかった続きを今、言うべきではないのかな?」
「……ありがとうございます」
何の後腐れも後悔も無いようにと、それを提案して俺は一歩引いた。
カレンとアル君だけの、若き者同士の空間を作ってやることに。
「言えなかった続き? 何の事?」
「三日前、カレンが僕の家に来てくれた時、本当はこれを言うつもりでした。……僕と結婚して妃に、僕のお嫁さんになってくれませんか?」
「えっ……?」
本人だけが予想していなかった突然の告白を受けて石のように固まり。
しばらくして「つまりそういうことなんだよね?」と、確認するような目でこちらを見てきたので、ゆっくりを首を縦に振ってあげた。
「僕ではいけませんか?」
「えっと……そのぉ……」
カレンはまさしく恐慌に陥り、それでもなんとか言葉を絞り出した。
「あたしはママとパパを探さなきゃいけないし……それに、アルにはあたしなんかよりも素敵な人が似合うと思うの!」
「父君なら、そちらにいるではありませんか」
「い、いまのはやっぱナシ! と、とにかくあたしは友達としてアルを応援してる! そういうことだからっ、あたしもう行くからっ! じゃあねッ!!」
顔を耳まで真っ赤にしながらも、それだけを一方的に告げ。
それからぴゅーっと風のように向こうへ消えてしまった。
大方予想通りの結果であった。
「はは、フられてしまったな」
「ふふ、そうみたいですね」
思春期の少年は玉砕したというのに特にショックを受けた様子もなく、さも当然であるかのようにくすくすと笑っていた。
大丈夫だよ。
君にはいつかきっと素晴らしい女性が見つかるさ。
「ところで、俺にも何か言いたいことがあるんじゃないかな? アルベール国王陛下……いいや、――我が弟子、アルビンよ」
「お久しぶりです、――お師匠様」
姿形は違えどその灰色の瞳だけは、たしかに俺の知るものであった。
そしてニコリと笑みを浮かべながらふらっと寄ってきて、流れるように体重を預けてきた。
「おいおい、前世の分も合わせたらもう立派な中年だろうが」
「お師匠様からしたらまだまだ赤ん坊ですよ。だから、しばらくこうさせてください」
「……やれやれ、仕方ないな」
俺がそれを許すと、背中に両腕を回してギュッと力を籠めてきた。
まさか、愛娘ではなく愛弟子に抱きつかれるとは微塵たりとも想定していなかったなぁ。
「アルビン、約束は守れているか? 俺は約束通り、君を助けに来たぞ」
「はい、僕は幸せです。あぁでも、いつ裏切られるか分からないので今のところは、ですけど」
「こらこら、笑えない冗談を言うんじゃない」
前世のことを謝罪され、俺はそれを許し、こうして再び出会えたことを喜び笑いあった。
誰もが幸せになるように国を治めるのはとても難しいが、それでもやりがいを感じていると言うアルビンにいくつか助言を与え、それから俺の現状についても隠さず語った。
「……それで、どんな理由で俺が封印されたか知らないか? 些細な手がかりだけでもいい」
「生まれてこの方古い書物を漁り、各地を旅する吟遊詩人の歌からもお師匠様の足跡を探しました。それで分かったのは、お師匠様のものと思しき逸話や伝承が千年前から途切れているということで……。一体何があったのかと……」
「うぅむ……」
特に隠している様子もなく、本当にアルビンは何も知らないみたいだ。
だからそう簡単にいくわけもないかと、自分に言い聞かせることに。
「それじゃあ、カレンとカレンの両親のことは何か分からないか? 強大な力を持った人族とエルフの夫婦を知らないか?」
「聞いたこともないですね……。ただ、一つ言えることがありまして。……ふふふ」
「なんだ?」
えぇ、きっと喜びますよ。ともったいぶってから、その口を開いた。
「この時代には、お師匠様が気に入りそうな強者がうようよいるということです!」
「……ほう!?」
「お師匠様のように一人で大軍をどうにかしたり、それこそ毒杯の王と呼ばれた時の僕を殺せるような剛の者が、話に聞くだけでも両の手と両の足で数え切れないほどいます!」
「それは真か!」
「はい!」
また世界中を旅するのならきっと出会うでしょうから、今度この国に来た時に土産話を聞かせてくださいね。と、ワクワクした顔で言ってくれた。
やはり男の子は何度生まれ変わろうがいくつ歳を重ねようが男の子である。
もちろん俺も興奮したので男の子に違いない。
「では、そろそろ行かないと我が娘がヘソを曲げそうなのでな。いくとするよ」
「何かあったら、いつでも僕を頼ってくださいね?」
「馬鹿者、それはこちらのセリフだ」
《第一章:不死者の帰還 完》
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