第二十三話 「ママに話してちょうだいな?」

 再び流れ出した毒を封じることには成功した。

 街に滞在している間は日に一度点検と整備をするとして、それ以外に俺のすべき仕事は残っていない。

 戦争を未然に防ぐなんてのは一個人がやることではないからな。


「ねぇアル、今日はどこを案内してくれるの?」


 そう。

 仮とはいえ一児の父となった俺の仕事は、大切な娘を護ることの他にない。

 娘に悪い虫がつかないようにするのだ。


「今日は街の南東部を見て回りましょう!」

「わーい!」


 カレンの隣を歩くは、一見すると親切で誠実で純朴そうな灰目の少年。

 その正体はこの国リボンレイクの王子様である。

 そして何やら前世の記憶、それも自分は大罪人だったという記憶を持っているらしい。


「実は今日は、こんなものを持ってきました」

「なにこれ、この街の地図? もしかしてアルが作ってくれたの?」

「はい、ちょっと夜遅くまでかかってしまいましたけど」

「だから目にクマが……。ありがとう! 大事にするね!」


 今のところは極めて善良な人間のように思えるが、いつ馬脚をあらわしてもおかしくない。

 カレンからの絶対的な信頼を勝ち得てから巣穴へ引き込んで牙を剥くやもしれぬし、俺自身もそういう者に騙された経験がいくつもある。

 幸せな他人を絶望の底へ叩き落とすのが大好きなんだという、捻じ曲がった人間は稀によくいるのだ。個人的統計では三十人に一人程度の割合で存在する。

 だからアル君が絶対にそのような人間ではないと言えるまで、こうやって二人を見守ることに決めた。

 

 しかし、全くと言っていいほど汚点を見せない。


「よぅ、アル坊や。大きくなったのぉ」

「やだなぁビルお爺さん、先週会ったばかりじゃないですか」

「おはようございますアルベール様。その子は彼女さんですか?」

「ちっ、違いますよカーラおばさん! それとアルでいいですってもう!」 

 

 民草の名を一人一人しっかりと覚えていて。

 彼らから直接話を聞いても、


「アルベール様かい? ありゃあ善い人だ。俺が女だったら惚れちまうね」

「あぁ、父上である国王が逝ってしまわれて間もないというのに、気丈に振る舞っておられる」

「俺達がちゃんと働いて支えてやらないとな! 命の一つくらいはくれてやるぜ!」


 出てくるのはアルベール様の善人具合を底上げする噂話や逸話の数々。

 結果として、悪評の一つも聞き出せなかった。

 

 そうして七日ほど二人を見守り続けて、分かったことがいくつか。

 アル君ことアルベール・リボンレイク国王陛下はまさしく善良な人間であり、――カレンに惚れている。

  

「今日はですね……。僕の家に来てみませんか? そこで話したいこともあるので」

「うん! いくいく!」


 相手の父親が全てを見聞きしていることを知らない少年は、大胆にも自宅へと連れ込むつもりだ。

 そして何も知らないカレンと共に街の中央通りを突き進み、とある建物の門前で止まった。


「ここです」

「どれ? どれがアルの家なの?」


 当然ながら、目の前にそびえ立つ白亜の巨大建造物が友達の家だとは思ってもいないカレンは、首を左に右に後ろに振ってどこにあるのかと見回す。


「目の前です」

「何言ってるの? これはお城じゃない」

「はい。この城が僕の家です」


 誰でも知っている。

 絵本しか読めない子供ですら知っている。

 城の家主はそれすなわち王様であることを。


「うそ……でしょ?」

「嘘ではありません」

「だって、そしたらアルは本当に王子様ってことに……」

「とりあえずは中に入ってから、話しましょう?」

 

 何かを決意した目の少年が、カレンの手を少し強引に引っ張っていく。

 この街で最も厳かな門の脇に立つ二人の門衛が、自身より一回りも小さい少年に深く一礼して敬意を示し、当たり前のようにそれが開かれた。


「僕の家へようこそカレン。お菓子も用意してありますよ」

「……」

 

 にんまり顔の国王と物言わぬ少女が入城した後、それはゆっくりと閉じられた。




 ♦♦♦




 屈強な門衛に面と向かって「国王の隣にいた女の子の父親なんです。入れてもらえませんか?」などと言えるわけがないし、仮に言っても即却下及び拘束されてしまうだろう。 

 だからといって行政の要、国の象徴である城に正面切って殴り込むわけにもいかない。 

 いや、何もそれが不可能というわけではない。

 中小国家の城塞など、多少命を削れば簡単に陥落できる。

 できるのだが、それをやってカレンに嫌われたくはないし、刺客を増やしたくもないので、こっそりと侵入することに。


 加えて、入れ替わる相手を探して城の周りを張り付いているのだが、


「うん、彼なら良さそうだ」


 城の三階部分に張り付いて、影に紛れながら中を覗いてようやく見つけた。

 陽の差さぬ部屋で一人、山積みにされた書類と向き合っている若い文官様の姿を。

 

「一枚、二枚、三枚……。あぁ、減らない、減らないよぅ……。しかしやらねば、私がやらねば……」


 風の入らないように閉め切った窓に耳を付けてみると、そんな呻き声じみた独り言が聞こえてくる。

 あぁ、哀れだ。

 助けてあげよう。



「――《レヨシメセヨナンジカワキ》」



 虚ろな瞳の文官様に向けて一つ魔法をかけてから、静かに窓をこじ開けて中に入った。


「進捗、どうですか?」

「はは、終わる気がしませんよ。……っ!? だ、誰だ!? 何処から入ってきた!?」


 可哀想に。

 部外者の侵入に全く気付かないほどにまいっていたとは。

 すぐに楽にしてあげるからな。


「ワタシは湖の妖精です。アナタを助けに来たのです」

「湖の妖精だって? それが私を、助けに……?」


 正常だったらまず信じないような話も、相当疲れているのとかけられた魔法で判断能力が鈍っているのもあって半信半疑でいる。


「アナタが民のため国のために命を削って働いてくれているのを知っています。ですから、今日くらいはワタシが休みを与えましょう」

「休み……ですか? ……ですが、私にはやるべき仕事が」

「よいのです」

「へっ?」

「辛くて、苦しくて、壊れそうになったら、後先考えずに逃げてよいのです」


 分かる、分かるよ。

 少しでも不精を見られてしまうと民草に猛烈な勢いで追い立てられ、そうでなくとも数ある伝承や逸話、先人達の失敗が多すぎるゆえに偏見の目で見られてしまう。

 俺も何度かお役人様になったことがあるからよく分かるさ。

 革命を受けて磔にされた経験だってあるのだから。


 そうならないためにも責任を持って業務をこなすべきだが、滅入ってしまってはだめだろうよ。

 

「人の子よ、おいきなさい。後のことはワタシに任せて、己が道を征くのです」

「で、ですが……」

「真昼間から仕事をほったらかして飲む酒はいいぞぉ? 女の子だって選り取り見取りだぁ……」


 その瞬間、気だるげな瞳がカッと見開き、決意の炎が灯された。

 

「ありがとうございます!!」

「うむ、楽しんでくるのだぞ」


 そこに押し潰されそうになっていた文官様の影は無く、かわりに自由を手にした一人の漢の羽ばたきがあった。

 ちなみにあの魔法の効果は『己の欲望に忠実になる』というもので、全ては自らの意思で選んだものである。

 心を無理矢理捻じ曲げたりするような非人道的なやり方ではない。

 羽根休めしたいと望んでいたから促してあげただけなので、湖の妖精は一切の責任を取りません。


「さて、と」


 予備として置いてあった制服をお借りして、まだ彼の顔と声が鮮明に頭の中に残っているうちに変装することに。

 

「ごきごきごき……っとな」


 鏡の前で顔の骨を折ったり曲げたり縮めたりして変形させ、肉もいい感じに切り取ったり張り付けたりを繰り返して整形する。

 

「あー、あー。……よし、こんなものか」


 長年の暇つぶしで培った声真似技術を用い、それでも足りない部分を埋めるため、喉を裂いて声帯を直接削る。

 長生きしていると他人や動物、さらには風や波に成りすまさなければならない場面がしばしばあるのだ。

 あとでカレンにもやり方を教えてあげよう。もちろん両方共だ。


 そうして出来る限りの変装をした後で、「探さないでください」と書かれた一切れの紙を山積み書類の横に置いて部屋を後にした。

 

「うん、悪くない」


 時々すれ違う文官や使用人を横目に、内装を観て回る。

 国が滅亡寸前の末期の城なんかは、所々に蜘蛛の巣が張られていたり、塵埃が積もっているものだが、この城においてはそのようなものは一切ない。

 何をモチーフにしたのかよく分からない高級な石像や、名高い画家の絵などといった悪趣味なものを探そうとしても見当たらない。

 無駄に金をかけず、最低限の象徴としての体を保っているのみ。

 爽やかで良き城だ。


「――ねぇアル! アレは何!?」

「ま、待ってくださいカレン!」


 そんな素敵な城内で、きゃあきゃあ言いながら駆け回る少女の姿をすぐに見つけることができた。ので、少し離れて付いていくことに。


「ここに飾ってあるものって!?」

「これはですね、祖父が趣味で集めていたもので」

「何あれカッコいい! 触ってもいい!?」

「え、えぇどうぞ。壊れたら危ないので優しくお願いします」


 カレンは目を光らせ、次から次へと好奇心を掻き立てるものに飛びついていく。

 しかしそうやって周りへの注意がおろそかになるものだから……


「きゃあっ!」

「カレンッ!」


 盆に乗せたティーポットとカップを運んでいる使用人にぶつかり、盛大に服に溢してしまった。


「申し訳ありません! 怪我はございませんか!?」

「火傷はしていませんか!?」

「だ、大丈夫。こっちこそ、ごめんなさい……」

「至急彼女に新品の服を与えてください。それから僕の部屋へ」

「はっ! 仰せのままに!」


 国王陛下の命を受け、言われるがままにカレンは連行されていった。

 その姿が消えてから陛下は自室へ赴いたので、俺はそちらに付いていくことに。

 無言で陛下の自室へご同行し、部屋の隅で待機する。

 流石は国王の居室なだけあって豪奢な部屋だ。

 決してごちゃついてはいないが、寝台にソファに敷き物、鏡台から照明に至るまで、全てが超高級品であると誰が見ても分かるだろう。

 家具の一つや二つで素朴な一軒家と同等の価値があるだろう。

 どれもこれも千歳未満のガキンチョには贅沢すぎる代物だ。


「……ところであの、どうしてあなたはそんなところに? 僕に何か話でも?」

「ハッ! 私は陛下と御友人との間に間違いがあらぬよう見守れとの命を受けた次第です!」

「まっ、間違いなんてありませんよっ!」


 ホントかなぁ?


 君が今日カレンを招待したのは、思いを告げるためであるとおおよそ見当はついているのだ。

 かつて《愛の渡し橋》と持て囃された俺の目を誤魔化せると思うなよ。

 絶対に我が娘に手出しはさせないからな。

 

「どうか、私のことはいないものとお考えください」

「……そうさせてもらいます」


 それから国王陛下の落ち着かない様子をじっと観察していたら、二十分と経たないうちに王家の意匠が凝らされた両開きの戸が叩かれた。


「陛下、御友人をお連れしました」

「どうぞ」


 先程ティーポットを運んでいたのとはまた別の使用人が入室し、その数歩後ろから現れたのは、


「うぅ、なんか落ち着かないなぁ……」

「貴女は、カレン……なのですよね?」

「……うん」


 その容貌を端的に言うならば、麗しの姫または令嬢といったところか。

 普段は乾かして梳かす以外に一切手入れのされていない髪は、首筋が露わになるように上げて纏められ。 

 スリットの入った淡く優しい水色のドレスが華奢な身を包んでいる。

 さらには軽く香水もふりかけられ、薄く化粧もされているようだ。

 天真爛漫な田舎娘が一変、誰もが羨む高貴な淑女へ。


「ゼッタイこんな姿、お父さんに見せられない」

「どうしてです? 今のカレンを見ればきっと喜ばれると思いますが。とてもお似合いですよ?」

「そうかなぁ……? たぶん『クハハ、誰に脅されてそんな恰好をしているのだ?』って笑われると思う」


 アル君は俺が喜ぶと予想し、カレンは声を変えて俺の嘲る姿を真似した。かなり特徴を掴んでいる。

 そして、そのどちらも正解だ。


 娘の晴れ姿を見て喜ばない親などいない。

 俺だったらあらゆる角度から見た肖像画を描き、金の全身像を作るだろう。

 そしてカレンの本質を知っているから「似合わないな、それと顔に米粒がついているぞ」と重ねて笑うだろう。


 兎にも角にも、俺がどんなに頼み込んでも、このような恰好はしてくれないことだけは分かる。

 だから決して忘れることがないように頭の奥底に深く刻んでおこう。

 

「まぁ、腰を下ろしてください」

「うん……あっ! このお菓子あたしが好きなやつ! 食べていいの!?」

「はい、どうぞ」


 そうして二人はいつものように仲睦まじく談笑を続けて、時折ボードゲームなんかもして。

 いつ思いを告げようかとアル君が迷っていたのを、不意にカレンがこじ開けた。


「そういえばさ、話があるって言ってなかったっけ? あれは何だったの?」


 片手にクッキーを掴んだままで、アル君の好意に一切気づいていない愚かな娘が尋ねた。


「話というのは、その……」

「その?」

「……カレンは、この国が好きですか? 気に入りましたか?」

「うん、好きだよ? すごくいいところだと思う」


 それを聞いてアル君は立ち上がり、街を一望できるベランダへ出ると。

 涼し気な顔で景色を眺めてから振り返り、心意を語った。


「僕もこの国と、この国の人々が大好きです。遠い昔に、とある大罪人のせいで一度は滅ぶも蘇ったこの土地を。心から愛し、守ることが僕の努めであり、贖罪なのだと思います」

「しょく、ざい……?」


 間の抜けた顔をするカレンに構わず、アル君は話を続ける。

 

「そんな僕に、もう一つ大切なものができました。それはカレン、あなたです」


 そして躊躇うことなく思いを告げた。

 ……が、どうしたものか。

 ウチの馬鹿娘はその言葉を友情の表明として受け取ったようだ。


「あたし? あたしもアルのことは大切だよ?」

「はい、えっと、その……。分かりました、単刀直入に申しましょう」


 はぁ、と溜息を吐き。

 それからふぅ、と深く呼吸をして。

 より一層覚悟を決めた目をして口を開けた。



「カレン、僕と結こ「――陛下ッ!!」



 無情かな。

 アル君の一世一代の告白は、ノックすることなく部屋へ押し入ってきた臣下によって妨げられた。


「お取込み中のところ申し訳ございません! ですがこれを!」

「はぁ……」


 酷く苦い顔をした陛下に、どうか目を通してくださいと一つの書状を差し出した。

 陛下は受け取ったその場でパッと広げて目を通し、そしてピタリと固まった。

 さらにそれが一分近くも続くものだからついにカレンが声をかけた。


「どうしたのアル? 誰からの手紙? それとさっき何て言いたかったの? ケッコ……だっけ?」

「…………すみません、カレン。さっきのことは忘れてください。それと――」


 明日からはもう会えません。

 三日以内にこの国を立ち去って下さい、と。

 

 有無を言わさぬ強い眼差しで言い放ち、臣下と共に部屋を出て行った。

 



 ♦♦♦




 夕食の席になってもカレンの表情は重苦しいままだった。

 湯気立つ食事が目の前にあるというのに、両手は膝の上に置いたまま。


「あらあらどしたのカレンちゃん、そんな顔しちゃ折角の美貌が台無しよぉん? ママに話してちょうだいな?」


 カレンの頭の中に渦巻くものは全て見えているが、それでも何も知らない体で尋ねる。

 ちなみにこういう時はオネエ口調が効果的なのだ。


「……うん」


 そして特にツッコまれることなく、カレンは全てを吐き出してくれた。

 友達の家に招待されて、昨日よりも仲良くなったはずなのに、突然絶交を言い渡されたと。

 やはりというべきか、アル君からの好意には気付いていなかったが。


「あたし、酷いことしちゃったかな……」


 今にも泣き出しそうな顔で「どうして? 分からないよ?」と小さく呟く。 

 わけもわからず自分を責めて、目に涙を滲ませている。


 俺様の愛しい愛しい娘を泣かせおって、許さんぞ小童が。

 せめて理由くらいは言っておくのだ……


 ――君を巻き込みたくない、とな。


「これは全く関係のない話なんだけどね、近々この国は攻め落とされるんだとさ。ちょうど三日後にね」

「戦争……するの?」

「そうさ。それもまず勝てるわけがない戦力差でね。だから巻き込まれないように三日以内にはこの国を出るからね」


 俺の話を聞いて、少し考えてからハッとした表情を浮かべて声を荒げ、懇願しだした。


「待って! それじゃあたしの友達が死んじゃう!」

「そりゃあ死ぬさ。どちらかが生きる代わりにどちらかが死ぬ。それが戦争だもの」

「でも! アレンなら死なない、アレンなら助けられるでしょ!?」


 さすがのカレンでも自力で戦争を止めるのは無理だとわきまえているようで。

 だから俺を頼るという判断は、正しくもあるし間違ってもいる。


「たしかに助けることはできるが、本当にいいのかな?」

「いいって……?」

「テンノの数が倍になるぞ。カレンの命だって狙われるようになるかもしれない」


 どういうわけか封印が解けたことがバレてテンノが送り込まれているというのに、一人で大軍を止めたという話が広がればより一層増えるに決まっている。

 カレンはもう何人とテンノを見てきたのでその恐ろしさを知っている。

 今の自分では撃退することも見抜くことさえもできないと理解している。

 そのことについて俯いて自問自答してから、


「…………それでも、いいよ」

「そうか」


 あたしも頑張るからこの国を、友達を助けて、と。力の籠った瞳で言葉を発した。

 しかし俺はそれに了承することなく、無言で飯を食い続け。


「ふぅー、ごちそうさまでした。……さて、と」


 酷く落ち込んだ顔をしている娘に、キッパリと告げる。


「これ以上こんなところにいられるか! 俺は街を出るぞ!」

「……」

「それで、だ。戦争を止めるにあたり、いくつかカレンにも手伝ってもらうが、よろしいかな?」

「……うんっ!!」

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