第二十二話 「毒杯の王」

 俺を持ち上げようとする浮遊感と押さえつけようとする圧を受けながら仄暗い水底を歩む。

 唯一耳に入ってくるのは、ドクンドクンと脈打つ心臓の音色だけ。

 まるで死んでいるかのように静かな、しんとした世界だ。


 そんな世界の何処かで、命を絶やす毒が湧き出ているのだ。

 さらにその一因は俺にあるときた。

 だから責任を持って止めねばならない。


(しかし本当に、この湖だったかな?)


 あの戦いの残滓はどこにも見つからない。

 たしか山の二つ三つを丘に変えたような激しいものであったのだが。

 いやまぁ、二千年近くも昔のこととなれば残ってはいないか。

 当時の事を覚えている者などいるはずもなし、嘘や誇張でべたべたに脚色された言い伝えなんかが残っているだけだ。


 それでも俺は忘れない。


 《毒杯の王》と呼ばれる存在に成り果ててしまった、しかし我が弟子の一人であった者を――




 ♦♦♦




 ある土砂降りの日のことだった。

 敗戦後に全てを略奪され、打ち壊された名も知らぬ街の一角の、瓦礫の山の前で一人泣いていた少年を見つけ、それを拾って弟子とした。

 もちろん同情したからというのもあるが、大成する素質を見出したから育ててみようというのが大きかった。

 後者のような思いが芽生えたのは、この魂に混じったモノのせいでもある。

 

 そんなわけで、俺は哀れな少年を丹精込めて育てた。


「お師匠様!」

「おうアルビンや、もう出来たのかい」


 名はアルビン。

 灰色の暗い髪に灰の目と、見た目からして薄幸な少年だった。

 

「どうですか!?」

「おぉ、見事じゃないか! 流石だな!」

「えへへ」


 そして俺が見込んだ通りの才ある子だった。

 飲み込みが早く、大抵のことを難なくこなし、我慢強くもあったのだ。

 真っ当な道を進めば大成するのは間違いなかった。


 そうして力を汲み続け、齢が二十に達した際に彼の憧れであった騎士団へ入隊させた。


「お師匠……様っ。……その、僕……なんて言えばいいか……」


 様々な感情が混ざり合い、目を潤ませて言葉と鼻水を詰まらせる弟子に別れを告げて。


「それでは最後の課題を与える。いいかアルビン? ……幸せになれ!」

「…………はい!!」


 もう教えることはないと、後は君自身の力で生きていくのだと伝え、俺はまた一人旅を始めた。

 

 何年か経ってから、不殺を信条とした心優しき騎士様がいるという噂話を聞いたので、こっそり立ち寄ってみることにした。

 そこにはたしかに噂通りの優しそうな騎士様がいて、老若男女問わずの民に好かれていた。

 さらに騎士様の側には、お腹を大きくした美人の奥さんがいた。

 ……ので、俺は何も言わずに満足して帰った。決して「弟子のクセに師匠を越えおったな畜生め」などとは欠片たりとも思っていない。


 それからまた何年か経った後、彼の国へ立ち寄ってみたのだが、そこに国は無かった。

 

 いや、あるにはあった。

 アルビンの故郷と同じように崩れた街並みが。

 

「そう、か……」


 言葉が出なかった。

 アルビンにはいくつも強大な力とその用い方を教えて、それを使って試しに俺を殺してみろと百度言おうが、決して首を縦に振らなかった。 

 そんな彼が何百何千も無差別に殺したと聞いた日には、言葉が出ないのも当然だ。


 生き残った者から話を聞くには、心優しき副長様は妻子を殺され、自身も杯に毒を盛られたのだそうだ。それも親友と呼べるほどに信じていた仲間によって。

 そして毒を盛られたというのに強靭な精神と肉体で耐えた後、殺戮を始めたという。


 なぜそのような事態に陥ってしまったかは、すぐに分かった。

 我が愛弟子はとても優秀で、誰よりも純粋で綺麗な心を持っていて、それゆえに裏切られたのだ。


「俺の失態……だな」


 人の醜さ汚さ卑しさを飽きるほど教え込んでおけばよかった。

 しかしながら、この子の清らかな心を濁らせたくないなどという身勝手な我儘がそれをさせなかった。

 僅かな濁りすらも許さなかったせいで、毒沼に溺れてしまった。

 

 後はもう、言い伝えの通りだ。

 俺は変わり果てた弟子の住まう湖へ赴き、力を行使した。


「おシショウ様も、ボクを裏切ル……ノ?」

「俺はお前を裏切らない。ただ、責任を取りに来ただけだよ」


 いくつも禁忌の術を用いたのだろう。

 髪は全て抜け落ち、皮膚は爛れ、体中の穴から毒の体液を垂れ流し、辛うじて以前のままだった灰色の双眸は絶望を湛えていた。

 ついでに背中から四本の触腕が生えていた。


「グふぅッ!? ……知らぬ間にずいぶんと強く、なったな!」

「だけド、おシショウ様、死ななイ。ずるイ」

「それだけが取り柄、なんでなッ!」


 流石は我が弟子というべきか。

 上等な化け物に成り果てていて、まぁ強かった。

 どうにかヒトに戻そうと試みたり、いくらか躊躇したからというのもあるが、八回は殺されてしまったな。


 そうして戦っているうちに、毒杯の王としての肉体が自壊を始めて。


「ボク、どうしテ……こんなアク人に」

「君は悪人なんかじゃない。悪しきはこの、理不尽で混沌とした世界だ」


 俺は戦意を喪失した愛弟子をきつく抱きしめ。


「次こそは、幸せになろうな。次こそは、必ず助けに行くから」

「ごめん、なさイ……。おシショウ、様」


 あぶく立つ毒湖へ墜落し、沈んだ。




 ♦♦♦




(それがたしか、この辺に…………あった)


 息継ぎのための六度の浮上と一度の心臓抜き、時間にして一時間程水底を渡り歩いてようやく発見した。

 愚かな弟子が遺したモノを。


 水底から生えているかのように突き刺さっているは、透き通った水晶らしきもの。

 その中に封じられているは、心臓大の禍々しく毒々しい色合いの霞みがかった球体。

 これは毒杯の王の肉体が崩壊すると共に生み出されたもので、見た目通りの傍迷惑な代物である。

 

 やはり封じ込めの水晶に深い亀裂が出来ていて、そこから毒が漏れ出ていたのだ。

 おそらく誰かが意図的に手を加えたなどではなく、経年劣化によるものだろう。

 いやぁ、よかったよかった。

 あと百年シャバに出るのが遅れていたら、間違いなくこの湖はかつてのあぶく立つ毒湖になっていただろうよ。


 そういうわけで、ささっと修理及び補強をして上がることにするかな――。



「――終わっ、たぁーっ!!」



 水面に浮かび上がってそれを叫んだ。

 ささっと終わらせて上がるはずが、とっくに日は暮れていて半円の月が湖面に映っているではないか!

 俺の血肉を塗り込んで魔力の籠った水晶に変えて亀裂を塞ぎ、塞いだ後は全体にべたべた塗って水晶に変えて分厚くするという単純作業を繰り返し。

 ついでに意匠も凝らしていたらこんなに晩くなってしまったのだ。

 

「まずい!」


 急いで帰らねば。

 お腹を空かせた娘が一人寂しく待っている。

 パパの帰りを待っている!

 このままでは父親失格だ!!


 そう思い、脚の筋繊維がブチブチと音を立てて断裂するのも厭わずに、人間の限界速度で走り出した。

 おかけでものの数分もしないうちに宿へたどり着いたのだが、


「おそい! ずっと待ってたんだから!」


 カレンは一人、宿屋の食堂の片隅に座して待っていた。

 最大限に頰を膨らませてご立腹であることを示しながら待っていた。


「本当に申し訳ない」

「どこで何してたの!?」

「湖の底で像を彫っていました」

「なにそれ、わけわかんない! もういい!」


 迷わず正直に答えた結果、余計に怒らせてしまった。

 他のお客さんの視線がちくちくと刺さる。


「ごめんよカレン。お詫びに何でも好きなものを食べていいから」

「ほんとっ!?」

「本当だとも。好きなだけ食べなさい」

「やったぁ!!」


 ので、怒りの感情を全て喜びの感情へと変換させる。

 俺自身もまさかここまで通用するとは予想していなかったが、何はともあれだ。


 そうしてカレンがふざけた数の注文を、具体的にはお品書きに書かれた十種類全ての料理を頼んで、それらの一つ目が届いてから親子の会話を始められた。


「そういえばね! あたしずっとアレンに聞きたいことがあったの!」

「うん、なんだい?」


 とろけるチーズの乗ったグラタンを一口入れて、さらに機嫌を良くしたカレンが問いかけてきた。


「えっとね、前世の記憶を持ってる人って本当にいるの?」

「あー、うん。本当にいるよ。稀にだけどね」

「へぇー、本当なんだぁ」


 全く予想だにしていない質問だったが、とりあえず答えてから蘊蓄を垂れ流しておく。


「今もエルフの間で語り継がれる偉人の一人もそうだよ。たしか名前は……あぁそうそう、フリートといってね――」

 

 その者の前世はエルフではないただの人間、人族であった。

 人族であった時は平凡な町の平凡な家庭に生まれ、他人より学に秀でていたという。

 それでそのまま学者の道を志したものの、三十半ばで流行り病に倒れてしまった。


 エルフなどの長寿な種族は基本、急がず焦らずの心でゆったりと時間を浪費するものだが、フリートには人族として時間感覚があった。

 だから他のエルフがのんびりと暮らしている間も、一秒たりとも無駄にせんと必死こいて鍛錬と研究に励み、強大な力を得ることができたのだ。

 彼とは二十年ほど一緒に旅をした憶えがある。

 どこぞの秘境へ潜って、新種の薬草を見つけたりしたものだ。


 そして彼は寿命で八百二十九歳の人生を終える際に、次はもっと長生きする生き物に生まれ変わりたいと言っていた。


「そんなわけで、今はもしかしたら龍にでも生まれ変わっているんじゃないかな?」

「ほへぇ……」


 本当にそんなことがあるんだぁとカレンが感心する。


「ところで、どうして急にそんなことを聞きたくなったんだい?」

「あたしの友達が言ってたんだけどさ、前世の記憶があるんだって」

「ほう、それは珍しい」


 なるほどアル君がか。

 それなりの地位や才をもって生まれる者には、それなりの由縁があったりするものだが、そうか。

 

「その子の前世は何だって?」

「それがさー、詳しくは言いたくないらしいんだけど、とびっきり悪いヒトなんだって。あたしの友達……アルっていうんだけど、すごく優しい人なんだよ? おかしいでしょ?」

「なら、それはカレンをからかっているだけなんだろうよ」

「アルはそんなことしないもん!」


 だろうね。

 そんなよく分からない嘘を吐く理由もないだろうし、おそらく本当であろう。前世の記憶があると勝手に思い込んでいる、なんて可能性もあるが。

 しかしあの、誠実で純粋で優しさに溢れたアル君が極悪人とな?

 一体どんな大罪を犯したのか見当もつかないなぁ。

 

「アレンは今日何を……って、そういえばさっきワケわかんないこと言ってたわね」

「心休まる一日だったよ。軽く三十キロほど走って気持ちいい汗をかいて、ぽかぽか陽気の下でのんびりと釣りをして、それから冷たい湖の底で半日かけて騎士様の像を彫ってさ。色々な種類の魚が寄ってきてさ、俺の腹の肉を齧り取っていくんだよ」

「あー、えっと…………うん。アレンが何を言ってるのか、あたしにはまだ分からないや」


 カレンはそれ以上何も聞こうとはしなかった。

 やれやれ、お子様にはまだ早い話だったかな?

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