第二十一話 「蘇りし湖」


「はいよっ、冷めないうちに食ってくれ」

「わぁ……!」


 俺とカレンが挟む丸テーブルの上にごんと音を立てて黒光りする土鍋が置かれた。

 宿屋の主人がミトンをはめた手で蓋を取ると、もわっとした湯気が立って充満し、塩気のある匂いが鼻腔をくすぐってくる。


「いただきます」

「いただきますっ!」


 カレンは食前の挨拶を終えてすぐに、土鍋から自分の器に盛ったものをかき込んでいく。

 この国の郷土料理である魚の切り身と根菜を焚き込んだ米飯を、はふはふと熱に苦戦しながら頬張る姿はなんとも愛らしい。

 己が淑女であることを全く意識していない、いつか思い出した時に恥ずかしくなる食べ方を後何年見せてくれるだろうか?


「はひ笑っへふの?」

「ふふ、何でもないよ」


 答えながら俺も器を手に取り、ホカホカの白米と脂の乗った切り身を重ねて口に運ぶ。


「ンッ!?」

「どうひはの?」

「ちょっと、な……」


 それらを噛み締めた瞬間、俺の舌が何か違和感を感じ取った。

 硬いとか臭みがあるとかそういうものではなく、成分的な何かだ。

 そして少なくとも良いものではなかったので、改めて味覚を極限まで研ぎ澄ませてみるが……


「……間違いない」


 ――これは毒だ。

 

「カレン! 今すぐ食べるのを止め……」

「んー、なに?」

「……いや、やはり何でもない」


 カレンの綻んだ顔を見てしまい、それを言い出せなかった。

 このまま変わることなく見続けていたいという気持ちが勝ってしまったのだ。


「どうしたのアレン、食べないの?」

「あ、あぁ。今食べるよ」 


 それに実は毒と言っても微量なもので、何年、何十年と摂取しなければ健康に影響はないと思われる。

 ならばわざわざ伝えて不安にさせる必要はなく、むしろその事実を知ったせいで具合を悪くする可能性だってある。

 知らぬが何とやらというものだ。


「親父さん、この魚はどこで獲れたもので?」


 それでも一応、この料理を出した主人に探りを入れる。


「ん? どこってそりゃあ、この国の魚は全部湖で獲れたものだぜ。新鮮で美味いだろ!?」


 栄養が豊富な湖で育った魚は身もぎっしり詰まっているんだ、と自慢げに語ってくれた。

 その話しぶりからして後ろめたさを感じているとは思えないので、一服盛られたわけではないようだ。

 それなら明日にでも湖を調べにいくとして、今は頭の隅にでも置いておこう。

 

「それで、どうだった? 今日は楽しかったかい?」

「うんっ、すごい楽しかった! 可愛いお店がずらーって並んでる通りがあって! 焼き鳥屋さんの隣にペットの鳥を売ってるお店があったの! それでえっとね、一階も二階も三階もケーキ屋さんの建物があって――」


 嬉々として、歩き見たものをあれよこれよと取り留めもなく語ってくれる。

 俺が全てを知っているとも知らずに。

 

 そのまましばらくカレンを乗せてやってから、尋問を行うことに。


「楽しめたようで何よりだよ。……それで、最低限の約束は守ってくれたかな?」


 その言葉を聞いた瞬間に、笑顔を張り付けたままでカレンの表情が固まった。


「危ない目には遭っていないね? 揉め事に首を突っ込んではいないだろうね?」

「う……うん」

「確固たる力を持たずに、荒くれ者とひと悶着起こしたりはしてないんだね?」

「もしかして……全部知ってて……」

「何の事かな? 俺は一人寂しくカレンの無事を祈っていたよ? ちゃんと俺の言いつけを守ってくれているようにと。人前で魔法を、ましてや聖呪なんかは絶対に使ったりはしないようにと」

「ごめん、なさ「どうして謝ろうとするんだい? 君はちゃんと言いつけを守ったんだ。何も悪いことはしていないだろう?」

「……」


 ごめんよカレン、どうかパパを嫌いにならないでくれ。

 これでも出来る限りの優しさをもって咎めているんだ。


「そうそう、友達はできたかい?」

「……うん」


 カレンとアル君が「また明日」と言って別れるまで、絶対に間違いが起こらないようにと目を離さずにいた。

 なぜなら王侯貴族が権力を笠に着て、気に入った町娘を半ば強引に拐かす。なんて話をよく聞くし、実際にこの目で何度も見てきたからだ。

 しかし、アル君は極めて誠実で、道徳心のある男であった。

 よってそれらは全て杞憂に終わったわけだ。


「カレンが無事に帰ってこれたということは、きっとその友達は良い子なんだろうね。今度紹介しておくれ」

「今度じゃなくて、明日一緒に」

「よせよせ。こんな年寄りのことは忘れて若者同士仲良くやりなさい。そしてカレンに足りないものを学んでくるといい」

「あたしに、足りないもの?」

「そうとも。アル君にあって、カレンにないものだよ」

「あたしになくてアルに……えっ? ちょっと待って、どうしてアレンがアルの名前を? ……まさか!?」


 おっと。

 年のせいか、ついうっかり口が滑ってしまった。

 

「それじゃ、パパは明日朝早くから出かけるから、お先に失礼させてもらうよ」

「ちょっと! 逃げないでよ!」


 焚き込み飯の残りをカレンに任せ、振り返らずに部屋へ戻って微睡んだ。




 ♦♦♦




「ふぅーっ……」


 湖の冷や水を掬ってパシャっと顔面にかける。

 そうすることでいくらか熱が引き、爽快感も増した。


「しっかし、何もなかったなぁ」

 

 明け方から小一時間ほどかけて湖をぐるっと三周。

 距離にして三十キロメートルほどを軽く走り終えたが、これといった悪しきものは見当たらなかった。


 魚介だけでなく、水や泥を含めた湖の全てに微量の毒が混じっているのは確認済みで。

 それでも何者かが意図的に毒を垂れ流したとか、そういった痕跡などがどこにもないのだ。

 今の俺にできるものでは最大限の調査を、悪意を映す魔法なんかも使ってはみたが、それで検知されたのは『悪ガキが湖に小便を注いだ』や『石を投げ入れて水棲生物を驚かした』程度の可愛いものばかりだ。


 要するに湖の外からではなく内側、それこそ水底から毒が湧き出ているのでは?

 ……とまぁ、流石に今はそこまで拘泥して調べる気にはなれないがな。


 とにかくそんなわけで、気分転換に釣りでもすることに。


「んー……」


 水面に垂らした白い糸がゆらゆらと揺れるのを、時の流れを考えずにボーっと見つめる。

 釣りは良い。

 こうやって心が落ち着けるし、釣果でその日の運の良し悪しだって分かる。

 

 ちなみに釣り道具については、わざわざ買いに行くのも面倒だったので自作した。

 脚から適当に抜き取った神経で糸を作り、釣り針は踵骨を削ったものだ。

 釣り針につける餌は叩きにして細かく刻んだアレン肉。

 全て安心安全な自家生産の一品物である。


 そうして座り込んで景色の一部になっていると、一人の男がふらっと訪れた。


「隣、よろしいですかの」

「ええ、どうぞ」


 後ろに流した白髪を束ねた老齢の男性で、それでも耄碌した痴呆老人といった雰囲気は全く無く、その瞳は力強い光を湛えている。

 彼もまた道具一式を地面に下ろしてから、俺と同じように釣り糸を垂らして座り込んだ。


「いい天気ですのう」

「絶好の釣り日和ですねぇ」


 陽の光によって煌めく湖面を眺めながらお決まりのやり取りをする。


「お兄さんは旅の御仁で?」

「はい、ちょうど昨日この街へ着いたばかりでして」


 ピチョン、と小魚が飛び跳ねた。


「若き旅人の目に、この国はどのように映ってますかのう」

「良い処だと思います。人々はとても親切で活気があって、なんとも居心地が良い」

「ほっほっ。それはよかった」


 顔をくしゃっと縮めて笑う老人と横並びに語らいながら、昼なかまで釣り糸を垂らし続けた。

 そうして話していて、老人はわざわざ身分を明かさないだけで何がしかの有識者であることが、言葉の選び方や品性から容易に分かった。

 平時は教鞭をとってたりでもするのだろう。


「では、そろそろこれで」


 一通り満喫したので、釣果を束ねて立ち去ろうとしたのだが、そこで引き留められた。


「それを持ち帰って食すのはよした方が」

「はて、どうしてです?」

「ちょっと、のぉ……」


 おそらく俺が昨日カレンに対して思ったのと同じ理由で、それを言っていいのか分からずに口ごもってしまった。


「もしかして、湖の毒について何かご存知で?」

「なっ!?」


 どうしてそれをと呟くも、そこまで知れているなら隠す必要もないかのぅと納得して、残りを教えてくれた。


「知り合いの学者殿が言うには、年々毒の含有量が増加しているのじゃと」

 

 早くて二十年後には魚介を数キロ食しただけで死に至るようになり。

 湖の水を飲み水としては活用できなくなるという。

 

「ところでこれは思い違いかもしれませんがね、この国の人々には毒以外にも何か気がかりがあるのでは?」

「どうしてそうお思いで?」

「余りにも活力に満ち溢れていると思いましてね。言うならば余命宣告を受け入れて、残りの命を激しく燃やそうとしている人間のそれだ」

「……こりゃたまげた。そこまで見抜いておったとは」


 いくら毒で生活がままならなくなるとはいえ、何十年も先のことを酷く思い煩う……なんてのは一般人のすることじゃないからな。

 彼らは基本的には目の前の事、近い未来の自分を見据えて生きている。

 遠い将来については時折思い出したかのように考える程度で、それに縛られた生き方をする者はそういない。


「周りにいくつも血気盛んな国が、日夜領土を広げんと干戈を交えているようなのがおりまして」

「あぁ、なるほど」


 静かな湖面と山脈のすぐ向こうでは今まさに、無数の陣営が入り乱れて怒号を上げているのかもしれない。

 この国はそれらを避けて上手くやっているようだが、いつ宣戦布告、侵攻宣言をされてもおかしくない。

 それこそ明日にでもだ。


「仮に外敵が攻め込んできた場合、この国には防壁も堀もない。民を守る術がないと」

「左様」


 もしかすると他国が迂闊に攻め込まないような抑止力たる何かがあるのかもしれないが、そんなものはまずないだろう。


「このリボンレイクはいわば砂上の楼閣、風前の灯火」

「首元に死神の鎌をかけられた状態」


 近いうちに滅びを迎えることになっている。


「見事に詰んでいますねぇ」


 俺の言葉に老人は渋い顔をして頷いた。

 

「それでも、昔にも似たような危機に瀕して、それを乗り越えたのでは? なんたって《蘇りし湖リボンレイク》と名付けられるくらいですし」

「うむ。この地の言い伝えにはの――」


 遠い昔、まだ国は出来ておらず、湖の周辺には小さな村落だけが点在していた頃。

 何処からか《毒杯の王》と呼ばれる邪悪で醜悪な存在が来りて。

 彼の者は常にその身から毒と瘴気をまき散らし、肥沃な湖を我が物にして住み着いた。

 そのせいで毒に耐性の無い人間は住めなくなり、荒廃し、死んだ土地となってしまったのだ。


 誰も毒杯の王を討てず、汚染を食い止めることもできずにますます荒廃が拡大せんとしていた時だった。


 何処からか《掃除屋》を名乗る男が現れたという。

 男はこの土地の人々から受けた恩を返しにきたと、借りたものを返すためにやってきたと口にした。

 そして何より、愚かな弟子を救うのだと。


「えぇっと……。その結末はもしかすると、両者は激しい戦いの末に水底へ沈み、毒が浄化されて土地が生き返った……では?」

「まさにその通りじゃが、ご存知であったか」

「ご存知というか、なんというか……」


 当事者です。

 湖を浄化して蘇らせたのもわたしです。

 などとはさすがに言えないし、言っても信じてもらえないだろう。


「兎にも角にも全て合点がいきましたので、私はこれで。またいつか語らいましょう」

「うむ、またいつか。それで、これから何処へ?」


 俺のような見ず知らずの異邦人に諸々を話してくれたことについて一礼をして、軽く微笑んだ。


「――ちょっくら素潜りをして参ります」

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