第二十話 「悪たれ小娘」
男達が極めて古典的な台詞と共に去った後、カレンと少年は向き合った。
「怪我はありませんか?」
その年にしては信じられないほど紳士的な態度で尋ねる。
対するカレンは少し呆気にとられながらも小さく頷いた。
「あぁよかった。それで、僕の名「――そんなことより!!」
ハッと何かを思い出し、少年が名乗るのを遮ると。
そのまま路地の壁際に走り寄り、しゃがみ込んでそれを抱き上げた。
自身の危険を顧みずに救おうとした、小さな猫だ。
すぐに少年も寄り、痛めつけられて放置され、鼓動の小さくなった死にかけのそれを憐れみの瞳で見つめた。
「この子が虐められてて……。どうしようこのままじゃ! 近くに動物のお医者さんは!?」
カレンの訴えを聞いて申し訳なさそうに首を横にふる。
そして、きっとその子は助からないから、せめて静かに看取ってあげませんかと優しい口調で付け加えた。
うん、ウチの娘とは違ってよく出来たお子さんだこと。
「そんなのイヤ! この子は何も悪くないのに!」
しかしながら世界の理不尽さをこれっぽっちも理解していない娘が、駄々をこねるように最善の提案を跳ね除けた。
……そのせいで、少年の口から余計な一言が出てしまうことに。
「神様の奇跡でも起こらない限りは……」
「それだわ!」
案の定カレンがそれを考え付いてしまった。
「セイジュで助けられる!」
「セイジュ……とはあの、聖呪のことでしょうか? まさか、使えるのですか?」
「うん!」
以前、子供の怪我を綺麗さっぱり治したそれを。
それから幾度も安易に使うなと、俺の許可無しに人前では使うなと釘を刺したそれを。
何も意地悪や俺自身が唱えられない妬みからではない。
カレンのためを思って禁止しているのだ。
「たしか、えぇっと…………そうだ!」
聖呪なるものは基本、神の許しを受け、その力を行使しているに過ぎない。
借りたものを使ったからには、いつか必ず納め時が訪れる。
それが現世であれ死後であれ、それこそ来世であれ、借りた分は必ず返さなくてはならないのだ。
「健やかなるは称えたる、康らかなるは誉れたる」
それだけじゃない。
九割方、聖呪使いというのは神職に就いている。
そして豊穣神の信徒が聖呪による治療を収入源としているのは、一般によく知られた話だ。
無償で、それも野良猫に施しを行なった者の存在自体が彼らの食い扶持を減らし、権威を失墜させるおそれがある。
そうでなくとも、暴虐神などの敵対する信徒がカレンの行為を見て勘違いしてしまったら……。
「活ある瞳で星望み、我らが母を微笑ません――」
聖呪ではない魔法についてもだ。
たしかに現代社会での魔法使いへの風当たりは悪くはないとの情報を得ているが、ただの魔法にさえ嫌悪感を示す人間というのはやはり存在する。
逆もまた然りで、カレンの才能に目をつけた国や組織が勧誘もとい誘拐しようとする場合もある。
だから、無闇矢鱈と唱えるなと言っているのに、のにぃ……
「――《
どこからともなく吹き込んだ柔風にカレンの髪が揺れ。
小猫を抱いた手が白く光り輝き、弱き者を優しく照らす。
するとみるみるうちに傷が塞がり、さらには血色も毛並みも良くなっていく。
まさに神の奇跡としか言いようのない所業であった。
そうして快復した猫はカレンの腕から抜けて地に足をつけると、「ナァ」と礼をするように鳴いてみせ、それから雨どいをするすると登って屋根伝いに消えた。
「よかったぁ……!」
すっかり元気になった様を見届けたカレンがほっと胸をなで下ろす。
俺の言いつけなどは頭の片隅にもないようだ。
「一体、何処でそのような力を?」
「え? えっと…………あぁっ!!」
少年にそれを聞かれ、やっと思い出したようだ。
魔法や聖呪を誰に教わったかを聞かれても、それを隠すように言いつけられたことを。
同時に「極力聖呪は使うな」「極力危険な場所には行くな」と言いつけられたことも芋づる式に思い出したのだろう。
「ちゃんと話せば許してくれるよね。そもそもここにはいないしバレたりは……」
流石に不味いと思ったのか、少年を視界から外して顎に手を当て一人ブツブツと呟き出した。
大丈夫だよカレン。
ここにいて、ずっとあなたを見守っていますよ?
誠心誠意包み隠さず話せば許すかもしれませんよ?
「あの? どうかされましたか?」
「い、今のは違うの、何でもないの! それで、えっとね……セイジュの事は秘密! モクヒケンノコウシ、だから!」
「は、はぁ」
少々取り乱したものの、すぅーと深呼吸した上で改めて少年の眼を真っ直ぐに見て礼をした。
「さっきはその、助けてくれてありがと。あたしはカレン」
「いえ、当然のことをしたまでです。僕はアルベール、気軽にアルと呼んでください」
わざわざ名乗らないだけで家名はきっと大層なものであろうね。
それこそアル君が爵位を持っていてもおかしくはない。
「それで、カレンさんはもしかすると旅行者ですか?」
「うん、そうだよ。それと呼び捨てでいいから」
「やはりそうでしたか。ではカレン、もしよろしければ僕にこの国を案内させてくれませんか?」
早くも少女に心許された少年から、胡散臭いほどに親切な提案が繰り出され。
それはやめておけと俺が念じる間もなく、二つ返事が木霊した。
♦♦♦
カレンとアル君は手を繋ぐまではいかずとも肩を並べ、楽しそうに若者話を弾ませながら歩いていく。
アル君は時折立ち止まってはこの店のオムライスが絶品だの、あそこから見る景色は素晴らしいのだのと、よそ者はまず知らない話を熱く語ってくれている。
その振る舞いに他意はなく、純粋にこの街を気に入ってもらいたいという熱意と歓迎の意が感じられる。
――しかしながら、彼らからはまだ歓迎されていないようだ。
「きゃっ!」
「あら、ごめんなさいね。急いでたのよ」
野菜かごを片手に歩く一般女性、に扮した者がカレンにぶつかって尻もちをつかせた。
今のは暗器の有無を確認するためのものだろう。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だけど。なんか今日はよくぶつかる気がする」
「……すいません」
そしてなぜか、カレンの手を引いて立たせたアル君が申し訳なさそうな顔をする。
「なんでアルが謝るのよ」
「いえ……」
そう。
やはりというべきか、俺がカレンを見守っているのと同じように、アル君を守護する者もまたいるのだ。
ここまで確認できただけでも八人の精鋭が身辺を警戒している。
三歩歩けば届く距離を維持する者もいれば、屋根上を渡って不審物はないかと見張る者もいて。
一見ただの子供であるカレンにさえ、三人が交代して当たりに行っているのだ。
これ程に手厚い警護はたかが貴族の坊ちゃん一人にされるようなものではない。
「それにしてもアルって、なんていうか喋り方とか雰囲気が本で読んだ王子様みたいね」
「いやいやそんな! す、少しばかり父上より厳しく躾けられただけですよ」
「へぇー、そうなんだ」
「そう、そうそうっ。ハハ、アハハハ……」
虚偽の仕草、それも相手に正鵠を射られた際に見られるものだ。
いやー、うちの娘は本当に持っているなぁ。
…………いやほんと、マジ?
「そ、それはそれとして、カレンの御両親がどういった方かを聞いても!?」
アル君が何とか注意を逸らそうと捻り出した質問に、俺は深呼吸せざるを得なかった。
それこそ煮えたぎる溶岩の湖を背にして戦う時くらいの覚悟を決めた。
俺としてはなるべく嫌われないように接してきたつもりだが。
もし、
仮に、
万が一に、
明日世界が滅びる程度の確率ではあるが、
実は嫌悪されていたとなれば、この身は塵一つ残さず弾け飛ぶだろう。
「あたし?」
「はい!」
「んー……。あたしのお父さんもね、アルのお父さんと一緒で厳しい人かなー」
くっ、そうだったのか。
全てカレンのためを思うからであって、俺としては厳しくしたつもりはないが、そういうことなら仕方ない。
もっと甘く優しくならねば。
《
「一回言えば分かるのに、あたしを小さな子供扱いして何度も同じことをぶぅぶぅ言ってさー。ヤになっちゃう」
少しばかり肩をすくめて俺への不満点を言い放つ。
すまない、本当にすまない。
同じことを何度も繰り返すのは年寄りの悪い癖だと自覚してはいるんだ。
「それはきっと、カレンのためを思ってでしょうから。どうか嫌いにならないであげてください」
「別に嫌いってわけじゃないけど……」
おぉ……なんという……。ありがとう、ありがとうカレン。
その言葉で一つの命が救われたよ。
「それで、父君はどういったことを生業に?」
「んーとね、あたしが知ってるだけでも料理人に大工に医者に狩人に音楽家に絵描きに曲芸師に――」
俺が就いたことのある職で教えたものを、指を折り曲げながら口に出していく。
「ふふっ、面白い冗談ですね」
あれよこれよと関連性のない職種を挙げていくので、たまらずアル君が止めに入ったが、
「えっ? ……あー…………うん」
「冗談……ですよね?」
まぁ、五千年も生きていれば職業の百個や二百個は増えているものさ。
君のパパと同じ職に身を置いたことだってあるのだから。
そしてアル君の困惑を無視してカレンは続ける。
「あたしの知らないことを何でも知ってて、あたしの言いたいことまで分かってて、すごい人だとは思うんだけど」
そうそう、そんな感じでもっと褒めて褒めて。
「でもやっぱり、頭がおかしいんじゃないかなって思う時が結構あってさ」
はい?
「頭がおかしい、とは?」
「詳しくは言えないけど、普通の人はまずしないような、信じられないことばっかりするの」
なるほど……。
しかし言わせてもらうが、俺は不死者であること以外は極めて普遍的な人間だ。
長年コツコツと鍛錬を積んだおかげで多種多様な技能を習得し、人間の持つ力のほぼ全てを引き出せるようになっただけであり、時機に応じて使っているだけだ。
誰だって時間をかければ同じことができるし、きっとそれらを躊躇わずに用いるだろう。
よってアレン・メーテウスは普通の人間である。以上、閉廷!
「で、では、母君は」
「ママはね、そんなお父さんのせいで出て行っちゃったの」
何という濡れ衣。
……いや、たしかに、今まで散々濡れ衣を着せられ、ありもしない罪を吹っ掛けられてはきたが。
あの自然災害はアレンが引き起こした。
日照り続きで不作なのはメーテウスの仕業じゃ。
飼い猫が行方不明になったのも例の不死者が取って食ったからだ。
賭けで大負けしたのはアイツに運気を奪われたからに決まっている!
などと理不尽や不条理の全てを俺の仕業にされてきたものだ。
それでも今回ばかりは「はいはい、俺のせい俺のせい」などとは言えない。
千年前から一月前まで身動き一つ出来なかったというのに、三年以上前にカレンの両親をどうこう出来るわけがない。流石の俺でも時間を遡るなんて芸当は不可能である。
加えて、だ。
いつの日か妻子ができたとして、彼女らを悲しませて離れ離れにさせはしないと断言できる。
老いて逝くまで絶えることのない幸せをもたらし、最大限の愛を注ぎ続けよう。
文字通りこの身を削ってでも。
「ま、すごく反省したみたいだからあたしはもう許してるけどね。今はママを探して旅をしているの」
「そ、そうだったのですね……」
そういうわけで、澄まし顔でパパの評判を下げる悪たれ小娘には、後でうんと教え込んでやるとしよう。
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