第十九話 「超古典的な捨て台詞」

 少女は鎖を外された獣の如き勢いをもって走り出す。


「夕暮れ時には帰ってくるんだぞー!」

「分かったー!!」 


 その小さな体で雑踏の隙間を縫うようにして、瞬く間に紛れて消えてしまった。


「やはり、若さは荒波であるか」


 しっかり手を握っておいて正解だったと改めて思わされた。

 いつの時代も若人の好奇心と衝動を抑え込むのは骨が折れる。

 ちょっと目を離した隙に暴走してしまうことが多々ある。


「――《セヨシメセヨナンジアルジ》」


 あらかじめ預かっておいたキキョウの髪留めに糸を括りつけて人探しの魔法をかけ、その導きに従って歩く。

 たしかに自由行動を許可したが、それを監視しないなどとは一言も言っていない。

 他人の子供を預かっているのだ。

 何があっても大丈夫なように見守るのは当然の責任である。




 ♦♦♦




 初めにカレンが飛び込んだのは、この国で最も活気づいていて往来の激しい、城まで続く中央通りである。

 雑居建築が隙間なく立ち並び、数多の露店や大道芸人が激しく自己主張をする色彩豊かな繁華街を、人の流れに乗りながらも本能と好奇心の赴くままに駆け巡る。

 

 露店に並んで綿菓子を買い、宝飾店の煌びやかな装飾品や土産屋の物珍しげな工芸品に目を輝かせ。

 また別の露店で油の滴るベーコン串焼きを手にして頬張り、流行りの占いを受けてやけに上機嫌になったと思ったら、今度は甘く香ばしい蜜塗りパンを両手持ち。

 なんともまぁ、年相応の女の子らしい金の使い方だ。

 ……いや、少し食べ過ぎではあるかもしれないが。


「ほら! 可愛い嬢ちゃんにはもう一つサービスだ!」

「ほんと!? ありがと!」


 それに、ほとんどの露店で何かしら買った以上のものを貰うため、腹を破裂させないか心配である。

 最大の懸念は、長耳だからと石を投げられたり忌避されたりするということであったが、今のところはそういった感情を持つ者は一人もいないようだ。

 長耳などの異種族は見つけ次第処刑及び晒し首が一般的だった時代や都市をいくつも見てきた。

 ここが寛容な国であってくれて何よりである。


「綺麗……。中も見たいなぁー……」


 都を横断する運河に架かる橋を渡り、最奥に位置する白塗りの巨大建造物――湖面に映る姿が美しいと評判の泡沫城――にしばらく見惚れて。

 その後で中央通りから西の二番通りへ、二番通りから三番通りへと順繰りに観ていく。

 ……全く、大した休憩も取らずに元気なことで。


 通りの数字が大きくなっていくにつれ中央通りや二、三番通りほどの活気は無くなり、いよいよ人も疎らになってゆく。

 そこでカレンは逆に人気の無い、路地裏や暗所に刺激を探し始めた。

 子供はよく、何の根拠もなしにこういった場所には誰も見つけていない宝があるのでは、と考えつく。

 もちろんあるわけがないのに、あったとしても大概はよろしくないものだというのに。


 そして露店などが一切見当たらない八番通りの、とある路地裏に入り込んだカレンの足が止まった。


「……っ」


 何かを目にして言葉を失っている。


 ほとんど光の差し込まない、薄暗い路地の奥で三人の若者達がしゃがみこみ、彼らの足元にはぐったりと蹲っている小猫が一匹。

 そのボロ雑巾のようになったものを、なおも男達は棒で小突いたり蹴って裏返したりして愉しんでいる。

 今の所は辛うじて息があるが、このままではじきに逝くだろう。

 もちろん小猫に同情はするが、我々には無関係の他人事なのでさっさと離れるのが利口な立ち回りであるのだ……が。


「ちょっとアンタ達! 何やってるのよ!!」


 やはりというべきか、カレンはそれを黙って見過ごすなどとは欠片たりとも考えていなかったようで、力強く声を飛ばしてしまった。

 ……危険な場所に行くなとも、危ない人に関わるなとも釘を刺したのになぁ。


「あー?」

「なんだ嬢ちゃん、オレらと遊びてぇのか?」

「よぉ、こっち来いよぉ」


 田舎者で世間知らずな、可愛らしい少女の存在が認知された。

 すぐにおぼつかない足取りの男が近づいて手を差し出したが、カレンはそれをパシリと叩いて三歩下がった。


「弱いものいじめなんかして、ダサイって言ってるの! それと酒臭いから寄らないで!」


 ナチュラルに煽っているのか、それとも猫から意識を逸らさせるためかは知らないが、おかげで三人の澱んだ目が揃ってカレンを睨みつける。


「ッんだとコイツ……!」

「なぁ、俺達が怖くねぇのか?」

「この前見た亜竜に比べたら、アンタ達なんか怖くないわよ!」


 相手に恐怖を悟らせない声色で啖呵を切っていく。

 しかし口でそうは言っても、やはり身体の方は正直で。

 視力を上げてカレンの脚部を注視すると、僅かに震えているのが確認できる。

 

「なら、身体で分からせてやらねぇとな?」

「だなァ」


 三人は顔を見合わせ、それから下卑た笑みを浮かべてカレンに向き直る。

 そして男の一人がジリジリとにじり寄り、少女の細腕を掴もうと手を伸ばす――


「――触ら、ないでッ!!」


 男の手が柔肌に触れるすんでのところで、しっかりと溜めを作った上での蹴り上げが放たれ、


「おぶっ……」


 カレンの並外れたバランス感覚を主軸とした、ブレのない鋭い一撃が男の息子を強襲し、食らった本人も理解できないままに崩れ落ちた。

 見事なり。

 そして、お大事に。


「は、はやくその人を連れてどっかいったら?」


 実戦でアレをしたのは初めてなのだろう。

 カレン自身も戸惑いながら残りの二人に立ち去ることを提案する。


 ……それで「はい分かりました」となるようであれば、世界は極めて平穏なわけで。


「この餓鬼ッ!」

「コイツがやられた分も痛めつけて、ひん剥いてやっからなぁ!?」

 

 二人は余計に殺気立ち、それぞれポケットとベルトから折りたたみ式のナイフを抜き取った。

 当然こうなるのは目に見えていたが、やはり不味い状況だ。


 ある程度無手での武術を嗜んでいる者が、武器を持ったド素人を相手にあっさり負けるなんて事例は何度も見聞きした。

 ただでさえ武器持ちが有利だというのに、二人が相手、さらに体格だって劣っているとなると、余程腕に覚えがあるか場慣れしていない限りはまず無傷ではすまない。

 まだ安物で切れ味が悪く、刃渡りの短いものであっただけマシではあるが。

 

 さぁ我が子よ、どうやって切り抜ける?

 

「ふ、二人まとめて相手してあげるわよ……!」


 まぁ、虚勢を張り続けるしかないだろうね。

 ここで素直に謝るなんて性根ではないし、仮に謝っても許されるわけがない。

 今のカレンに残された最善策は所持品をなりふり構わず投げて爆発させることだが、この状況でそれが出来るほど冷静な子なら、そもそもこの場にはいない。

 要するに首を突っ込んでしまった時点でほぼ詰んでいたのだ。


「おい、俺達の相手・・をしてくれるってよ」

「そりゃあいいな、是非ともお手合わせ・・・・・してもらおうぜぇ?」


 ようやく二人もカレンの虚勢に気付いたようだ。

 これからすぐに組み伏せられて、気の済むまでお相手させられるだろう。

 さすがにそれは見過ごせないので、そろそろ介入させてもらうがね。

 彼らを追い払った後で、「あたし一人でなんとかできたもん!」だのなんだのと涙目で言い訳する未来が視え――



「――そこまでです!!」



 俺が颯爽と間に割り込もうとした、その寸前。

 男達の背後、九番通りの方より制止の一声が飛んできた。

 この場の雰囲気とは似合わない、凛としていて瑞々しい少年の声だ。


「ここで、何をしているのですか?」


 突然現れた少年が自身よりも頭一つ分は大きく、怒気を露わにした男二人に平然と尋ねながら、カレンを庇うように間に入っていく。


 年のころはカレンとそう変わらない、灰色の寂れた外套に半身を包んだ平民……のフリをした高貴な家の子だな。

 いかにも庶民然とした装いをしているが、その所作の一つ一つに隠し切れない品性が見て取れる。暗い服と髪色をしていようがこの俺の目は誤魔化せん。

 それこそ顔立ちと眼差しからして、上に立つことを宿命づけられた者特有のそれだ。


「あぁ!? てめえには関係ねえだろ、すっこんでろ!」

「男として、僕は黙って見過ごせません。そちらこそ、その刃物をしまってはいただけませんか? まずは落ち着いて話し合いましょう」


 少年は柔らかくも毅然とした態度で男を説得し、カレンを庇うつもりでいる。

 ……うん、将来は良き為政者になるだろうね、間違いない。

 

「男だってんなら、力づくで止めてみせろよッ!」


 そうとも知らずに男の片方が距離を詰め、逆手で持ったナイフを少年の頭上に振り下ろす……が、


「セイッ!」


 少年はそれを避けながら懐に入り込み、振り下ろしの勢いを利用するように男の肩と肘を掴み、ほとんど力を使わずに自分より一回り以上大きなそれを宙に浮かせた。

 よく鍛錬された、綺麗な背負い投げだ。


「ぐっ……」


 一瞬の出来事に、受け身も取らずに背中から落ちた男が苦しそうに呻く。


「野郎! よくもやりやがったな!」


 起き上がれずに苦しむ仲間の姿を見た男が怒りに身を任せ、ナイフを腰に構えながらの突進を繰り出す。

 そしてまたしてもだ。

 常人にはまず対処できないそれを、十五に満たないと思われる少年がいとも簡単に足払いで転がしてしまった。

 

「これでもまだやりますか?」

 

 息一つ上げず、極めて穏やかな声音で退去を勧める。


「クソっ」

「ちく、しょう……」


 目の前に立ち塞がる少年は無手であったこと。

 転がされたのに追撃の一つもされなかったこと。

 そして何よりも、身に感じる痛みでしかと力の差を理解したようで。


「今日はこれくらいで勘弁してやらぁ!」

「お、覚えてやがれ!」


 よろよろと立ち上がった二人は未だ意識が飛んだままの仲間を引きずり、最低限のプライドだけを守る超古典的な捨て台詞を吐いて逃げていった。

 ……流石の俺でも、それを見聞きして笑いを堪えるのに大変苦労したのは言うまでもない。

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