第十八話 「最期の輝き」
何度か瞬きをして視力が回復したのを確かめてから、捕縛したそれに近づいて視線と腰を下ろす。
「ご機嫌はいかがですかな?」
「……最悪だよ」
優しく問いかけると、蜘蛛糸に巻かれたような状態のまま、土混じりのツバを吐き捨てた。
特にもがくこともせず、死を受け入れた諦め顔をしている。
「さっさとやれよ」
「まぁまぁ、そう焦らずに。少しだけお喋りしましょうよ。あなたはどこから送られてきたテンノなんです?」
彼らはテンノやスッパなどと呼ばれていて、主に諜報や暗殺、破壊工作なんかの忍び事を担っている。
普通に生きていれば関わり合うことのない存在だが、五千年も生きているとどうしても避けられない。
今回だって、俺の封印が解かれた事をどこからか嗅ぎつけた国や組織が送り込んできた次第だ。
ちなみにカレンと旅を始めてからはこれで四人目となる。
「簡単には口を割らねえぞ? 早く殺せ」
「そうしたいのはやまやまなんだけどねぇ……」
望み通り土に還してあげるか、それこそ雇い主を殺すように暗示をかけてから送り返すのが最善ではあるのだが、
「……ねぇ、ダメだよ? 酷いことしたらダメだからね?」
カレンが目を擦りながらやってきて、またしてもそれを禁じた。
「目は大丈夫かい? ちゃんと見える?」
「うん、大丈夫。それよりもこの人、テンノなのよね? 絶対に殺したりは」
「もちろん分かってますとも。お嬢様の命令は絶対です」
これまでに三度現れたテンノ達にも、ご丁寧に記憶を消したり、記憶を消した上で別の方向へ逃げたと思い込ませた。
だから俺以外は一滴も血を流していない。
この事実を二千年前の俺が知ったら、やれ腕が鈍っただのやれ腑抜けたかだのと大嗤いするだろうな。
「そういうわけで、君に危害は加えられないんだよ。この子に感謝するといい」
「ケッ。んなら今すぐ逃がせよ」
「まぁまぁ」
身の安全を悟り、より一層ふてぶてしくなった男を宥めつける。
明らかにこちらが優位に立っているはずだというのに、下手に出なければならないというのは不思議なものだ。
拷問なんかで吐かせようにも、カレンはそれを許してはくれないだろう。
まぁ、それならそれで説得の方法はあるのだが。
「何も君の主人にお礼をしたいわけじゃないんだ。ただ名前と所属を知っていれば、少しでも避けることができると思ってね。教えてくれよ?」
「知らねえな。早くこれを解けよ」
「別に解いてあげてもいいけど、そうしたらまた、俺を狙いに来るだろう?」
聞かずとも分かることだ。
標的に顔を知られ、取り逃がしたので帰ってきました……なんて失敗が許される裏組織などない。多かれ少なかれ、何かしらの罰を受けるのは言うまでもない。良くて指を一本詰められる、悪くて自分を含めた一族郎党葬られる。
それ故、生きている限りは死に物狂いで何度でも襲ってくるのだ。
「しかしながら次襲われた時に機嫌が悪かったら、正当防衛で君を半分にしてしまうかもしれない。だからといって君も手ぶらでは帰れない。そこで、だ」
私にいい考えがある!
と、キッパリ言い切って、食料袋からあるものを取り出した。
それを隣で見ていたカレンがあからさまに嫌な顔をする。
「これが何か、分かるかな?」
形や色合いで言えばイチジクの実やイチゴに似ていて、それらよりも一回り以上大き目で管の付いたものを、男の眼前にそっと置いた。
「なんだ……これ? 何かの動物の心臓、か?」
「その通り。それは俺の心臓さ」
「……は?」
複数の疑問を含んだ声を無視して、血の流れていない心臓に向けて唱える。
「――《
するとドクンドクンと、機能を停止したはずの心臓が鼓動を始めた。
事実血の循環などの機能が働いているわけではなく、それは死んでいる。
ただ一定の間隔で伸縮と拡大を繰り返しているだけだ。
それでもカラクリを知らない者の目を欺くには十分である。
「それを持っていけば褒美を与えられこそすれ、罰を受けるなんてことはないだろうよ。俺の肉体については心臓を残して灰になって消えたとでも言っておきなさい」
そのように助言しながら拘束も解いた。
すぐに服についた砂や土を払いながら、こちらを睨みつつ立ち上がる。
それでも流石に力の差というものを理解したのか、襲ってくる気配はない。
どころか心臓を手に取ったまま停止し、言葉を発することもない。
「ほら、もう行っていいよ」
口を割りそうにないのでさっさと帰ってもらって、次に来るテンノを当てにするつもりだ。
その代わり彼の今後のために、お節介な話でもしてあげよう。
「それと君さ、テンノに向いてないよ。今でも殺した人間の事を覚えていて、後悔しているんだろう?」
「はっ、そんな優しい奴に見えるか?」
俺の言葉は的外れだと、小馬鹿にして笑う。
その際目端をピクッと動かしたのは虚言の色で間違いないので構わず続ける。
「あとはそうさね、幼い頃から苦労してきたね? それでふらっと現れた詩人の歌に心動かされ、励まされでもしたんだね」
「…………なんで、そこまで分かんだよ」
「分かるさ。君の顔にそう書いてある」
そこまで言い及ぶと、絞るような声で認めた。
もちろん男の過去が顔に書かれているわけがないので、これは五千年分の統計を基にした推測。早い話が常人の人生何十回分もの長い間、ヒトと関わり合っていれば嫌でも分かるということだ。
年寄りの標準技能である。
「だからこんな仕事はもうやめてさ、歌と共に生きるといい」
一度きりの短い人生を、心に嘘を吐いたままで終えるのはよろしくない。
そう付け加えると、男はどこか遠い目をして黙り込み。
今度は口に手を当てブツブツと、俺の名前を呟きだした。
「メーテウス、メーテウス…………まさか! 《鏡眼》《モツ抜き》《くさはみ》のメーテウスか!?」
「ご明察。よく知っているねぇ」
その二つ名はどれも二千歳半ば辺りのものだったかな。
いやぁ懐かしい懐かしい。
「どうりで筒抜けってわけかよっ! ……全部作り話だと思ってたんだけどなァ」
あははと、清々しい顔をして笑う。
何ものにも囚われず、無邪気な、青臭い笑顔で。
そうしてひとしきり吐き出した後で、ふぅーと深呼吸をして呼吸を整えてからこちらを向く。
「ありがとよ、良い思い出になった」
「それはよかった」
なんともすっきりとした、冷や水に打たれたような面構えだ。
その顔をしている内は、己に嘘は吐くことはないだろう。
「んじゃ、そろそろ行かせてもらうわ。……それとこれは独り言だけどよ、俺の飼い主はゼルベンジヨの元老院だ」
「あー……。悪いんだけどさ、千年前の国名で言ってくれない?」
正直に言ってくれたのは大変ありがたいのだが、どうやら俺が封印されている間に生まれた国のようで、全く聞き覚えがないのだ。
「そこまで知るかよ、あばよ」
そんな事情など知ったことかと、そっけない態度で明後日の方向へ去っていく。
少しずつその背中が小さくなっていき、ふと、まだ声が届く場所で立ち止まって振り向いて――
「――お前の歌がまた増えるぜ」
それだけを言い残し。
今度こそ振り向くことなく、丘の向こうへ消えて行った。
「……あの人、大丈夫かな」
「さぁ、どうだろう。サクッと処分される可能性だってある。そうならないようにできる限りのことはしたつもりだけどね」
「そんな! 酷い!」
「そうは言っても、彼自身がすでに人を殺めているんだから今更だよ。報いを受けるだけとも言える。すぐに死んで償うか、生きて償うかのどちらかさ。ほら、いくよ」
こればかりはもう仕方のないことで、我々にできるのはせいぜい祈るくらいしかない。
彼の選んだ道筋に幸多からんことを。
「それで、カレンや」
「なに?」
再び都市に向かう道を歩き出してすぐに、カレンを問い詰める。
「今回もまた、気付かなかったのかな?」
「……きっ、きき気付いてたわよっ? ただちょっと、いつ言い出すか迷ってて、その」
苦し紛れの言い訳をしながら、言葉を詰まらせる。
紅い髪のみを指で巻く仕草をする少女の目は泳いでいて、一秒たりとも俺と合わせようとはしない。
「これで四度目」
「つ、つぎは見抜くから!」
一人目のテンノを、昼寝の最中に丁寧に案内してくれたのはカレンである。
それで俺が殺されるのを目の当たりにして、泣きべそをかきながら「次からはちゃんと見抜いて知らせる」と言い出した。
そんな少女の意を汲んで、即刻気付いたとしてもなるべくは知らぬふりをしている次第だ。
あと何十人送り込まれたら気付けるようになるかの成長を見守ろう。
「まぁ、十年は待ってあげるよ」
「一年もかからないってば!」
♦♦♦
「特にこれといった名物はねえが、ここは平和で良い国さ」
「そのようですね」
俺もカレンも両腕を横に広げ、服の上から軽く触られて危険物の有無を確認されている。
都市の入口手前で荷を置いての検問、入国審査の最中である。
目の前には見張塔付きの立派な都市門がそびえ立っているのだが、そもそもの都市回りに防壁や堀などが無く、全方位からの侵入を許すかたちになっている。
来るもの拒まずの無抵抗の姿勢なのか、外敵を作らない国策を取り続けているのかは分からないが、とにかく一定の平和が無ければできないことには違いない。
「……よし、これといって変なモノはねえな。ようこそリボンレイクへ。ゆっくり観ていってくれ」
「どうも」
その代わりと言うべきか、食料袋の中身までも念入りに調べられた。
昨日のうちにアレン肉を食べきっておいて正解だった。
「お嬢ちゃんも楽しんでいってくれよなー!」
「うん、ありがとー!」
最後に銀貨一枚の入国税を支払うと、少々錆が目立つも重厚な落とし格子が上昇し、最上部でガキンと嵌ってから通行を許された。
異邦人に対する突っかかりや入国税の割り増しなどは一切あらず。
カレンが手を振るのを止めるまで、他意の無い笑顔で振り返してくれた。
「うわぁ……!」
都市門から視線を外し前を向いて歩き出したカレンが、首と眼球を八の字に回しながら自然と声を出した。
自身がいた村には三軒とない複層建築が立ち並び、道の奥には白塗りの巨大な宮が鎮座し。
目をつぶって石を投げても誰かに当たるほどに人が密集していて。
足元には色や形の違った石同士をぴったりとはめ込んで均した石畳が敷かれている。
耳には無数の話し声や鼻歌、商売人が客を呼び込む声が入り込み。
食い物屋台から流れてくる甘酸っぱい匂いや塩辛い香りが鼻腔を刺激し、それは歩くだけでころころと変わってゆく。
「ねぇどうしよう。頭がどうにかなりそう」
「ははは」
もちろん城まで続く中央道だからと言うのもあるが、村ではあり得なかった情報量の多さにお困りのようだ。
この状態で少し手を離したらすぐにふらっと消えてしまいそうなので、そうならないようにぎゅっと握っておく。
「どこを見てもキラキラしてて、すごい」
「それが都というものだよ。これでもまだまだ中の下ってところかな? とはいえ少し、不気味だな」
「不気味? 何が?」
「いやぁ、ちょっとね」
目抜き通りを行き交う者は皆、誰も彼も輝いていて。
それこそ明日が来るか分からないから今を精一杯生きている、もっと別の言い方をするなら「星の最期の輝き」のようにも感じられる。
俺が知らないだけで、最近はそういう生き方が流行っているのだろうか?
などとあれこれ考えながら大小様々な通りを小一時間歩き、手頃な宿を見つけ。
そこで食事を、淑女にあるまじき早食いをしたのち表に出て。
「いいかカレン? 危ない場所には行かないようにするんだぞ」
「分かったってば!」
「怪しい人に誘われても」
「ついていかないわよ! はやくはやく!」
「それではこれより――」
餌を目の前にした犬の如くうずうずした少女を、
「好きに回ってきてよし!」
「行ってきまぁーすっ!!」
解き放った。
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