第十七話 「流行りの歌を一つ」

 カレンと旅を始めてからおよそ一月は経っただろうか。

 いくつも野を超え、山を越え。

 森を抜け、人里に寄り。

 時折出会うはぐれ魔獣を処理し。

 俺にとってはいつか過ぎた道、少女にとっては初めての土地を、それなりにゆったりと歩み続けた。

 

 そうしてまた一つ、涼やかな風を感じながら小山を越えると……ついにそれが目に入った。


「ねぇアレン! あれでしょ!」


 カレンが初めて見る景色に目を光らせる。

 俺としても千年以上見ていないものだが。


「あぁそうだ。いい眺めだろう?」

「うん!」


 視界の左半分には、のんびりと散歩したら回り終えるのに半日はかかりそうな湖の、その煌めく湖面が青空を映していた。

 最奥にはそれなりの標高を持つ山地が連なっていて。

 その山地のいくらか手前の平地に、主に赤や茶、稀に青や白などを基調とした色鮮やかな瓦屋根が寄り集まっている。

 それも十や二十ではなく、ぱっと見で五千を超える数がひしめき合っていた。


 いわゆる都市というものだ。もしくは小さな国とも。


 中心部には城らしき白亜の巨大建築もあったので、やはり国と言った方がいいかもしれない。

 ほかにも都市全体を分断するように運河が通っているのが見受けられた。流れの開始地点は湖からで、都市を分断した後も東の地平線の向こうまで続いている。


「ねぇアレン! あそこまで走ろうよ!」

「何も逃げるわけじゃないんだからのんびり行こう。到着した後で疲れてもう動けない、なんてことになったら嫌だろう?」

「んん……」


 興奮を露わにしたカレンを鎮めて、のんびり進む。

 全景が見えた丘の上から街まで半分を過ぎた辺りに、街への道と西へ伸びる道の岐路があり。タイミングよくその岐路で、西道からやってきた男性とかち合った。

 平凡な顔つきをした中背栗毛の壮年男性で、やけに身のこなしが軽く、筋骨隆々というわけではないがしっかりと鍛えられた五体を備えている。

 …………またか。


「こんにちは!」


 やはり真っ先に、調子の良いカレンが挨拶をした。

 それに男は作り物の笑みを浮かべて返し、言葉を続ける。


「お二方はあの街へ? ご一緒してもよろしいですか?」

「うん! いいよ!」


 カレンがほとんど俺に喋らせずに勝手に話を進めていく。

 人が多い方が賑やかで楽しいよね! などと何も知らない純粋無垢な顔で宣う。

 はたして同じことを、相手が間者や刺客であると知った後で言えるだろうか?

 いやまぁ、すぐにそれを教えたりはせずに、眼力を養わせるつもりでいるが。


 とりあえずは街の近くまで同行して、カレンに危害を加えないように警戒だけはしておく。

  

「トミッチです。詩を吟じるのを生業としております」

「あたしはカレン、こっちはお父さんのアレン」

「やぁ、はじめまして」


 俺が手を差し出すと、拒むことなく握り返してきた。

 吟遊詩人にしてはよく使いこまれた手をお持ちで。

 さぞやその懐に隠した得物を使うのに役に立つでしょう。

 

「では何か、流行りの歌を一つ頼むよ」


 言いながら銅貨を二枚、俺とカレン二人分の報酬を軽く投げた。

 男はそれを溢すことなく掴み取ってから、背中にかけた縦琴を手に持ち、ポロンと弦を鳴らす。

 

「これより奏でるは、今を生きし英雄譚……」


 心してお聞きあれ、と付け加えてから軽快な調べと共に紡ぎ出す。

 

「東の島の生まれにて、幼き頃より武に通ず。十ならずして岩を割り、十五の夏に竜を討つ。

 その者の名はケイ、勇者ケイ」


 勇者ケイ、か。知らない名前だな。

 そしてその称号に恥じぬ力だ。

 俺が竜を初めて単独で倒したのはたしか二百半ばの頃だったから、これは凄いことだ。


「弱きを助け、悪しきを穿つ。天真爛漫天衣無縫、真正直なるそのさがで、二人の英傑仲間とす。

 暴食の大杖ミロシュ、憤怒の剛拳グリゴール――」


 三人の冒険や成し遂げた偉業などがつらつらと、頭に残りやすいように歌われ。

 しばらくのちに転調して、歌の山場に。

 三年前にあったという、俺の知る限りでは三百八十二回目の魔人との大戦に突入した。

 ……こいつらいつも戦争してんな。


「北方の魔界より大軍攻め来り、数多のしかばね踏み越えて、勇者ら戦場駆け抜ける。百の魔獣、千の魔人を斬り倒し、将の元へと辿り着く。

 笑い顔とも怒り顔とも取れる面構え。魔界の四将が一人、黒騎士アンディ」


 これまた知らない名前だ。

 千年前の四将とは代替わりしてしまったか。


「英雄同士向かい合い、手出し無用の一騎打ち。火花飛び散る風裂ける、誰ぞ寄ること許されぬ――」


 二人を中心に暴風が逆巻き唸り、砂と塵、血と汗とが舞い散ったという。

 そして嵐が過ぎ去った後で相手の首を持っていたのは勇者だった……がしかし、首だけのそれに呪いをかけられ、戦争終結後に勇者一行は姿を消して行方知らずに。


「あぁ、我らは望み続けん。かの者達の帰還を」


 最後に優しく弦をつま弾き、譚が結ばれた。

 流れるように、ご清聴ありがとうございましたと一礼。


「すごいっ! すごいよかった!」


 カレンが軽く飛び跳ねながら手をパチパチと叩く。

 もちろん俺も惜しみなく拍手を送る。

 見事に引き込まれた、文句なしの歌いっぷりだ。

 君は一人前であると、最古の吟遊詩人が太鼓判を押そう。


「いやぁ、こなれてますねぇ。詩人大学は卒業されたんですか?」

「はい、十年ほど前に」

「なるほど」


 意外にもその言葉には嘘が混じっていなかった。

 実は俺様はその大学の設立者の一人なのだ。だから卒業生が汚れ仕事をしていると聞いてとても悲しいのだ。……などと言えないのがもどかしい。

 

「生まれはどちらで? 都ではどんなものが流行っているんです? 実は我々は南の田舎村の生まれで、色々と疎くて」

「そうだったんですか。今の流行りと言えばですね――」


 何の変哲もない吟遊詩人という役を固めていて、どうも尻尾を見せる気がないので、現代世界の情勢や流行りなんかを聞き出しながらゆるりと街を目指す。

 そうして街の全景を視界に収めきれない距離まで来て、結局カレンはこれっぽっちも気付いた素振りを見せなかった。

 まぁ無理もない。彼の演技は完璧だったからね。よく頑張っていると思うよ。

 八百歳くらいの俺だったら騙せていたんじゃないかな?


 ……ではそろそろ、楽にしてさしあげよう。 


「そういえば、ずっと気になっていたことがありましてね」


 お聞きしてもよろしいですか、と尋ねると。

 えぇ、どうしました? と、あくまで顔色一つ変えずに返してきたので、躊躇いなく一手を打つ。


「懐と、靴の裏に隠した刃物はいつ使うんです?」

「な……」


 これまでトミッチ君は俺達と淀みなく言葉を交わしていたが、初めてそれを詰まらせた。

 もちろん一秒とせずに元通りに直したが、その僅かな時間に見せた焦燥と不安を見逃しはしない。 


「おやぁ? どうか、しましたか?」


 ぽかんとしたカレンをよそに、俺は畳みかける。

 加えて先程彼が見せたのとはまた違う作り物の、口角を上げに上げ切ったとびきりの笑顔を見せつけてやる。


「…………」


 彼の中では、カレンも俺も完璧に騙せたと思っていたのだろう。

 だからこそ、唐突な鎌かけに引っかかるのだ。

 テンノたるもの、仕留めるまでは常に看破されているかもしれないという心持ちであれ。


「ではまず、所属を教えてくれますかね?」

「ふッ!」


 俺の質問に答えず、後ろに跳んで距離を取りながら、裾から抜き取ったものをそのまま飛ばしてくる。

 投げナイフだ。

 俺の顔目がけ真っ直ぐに飛んできたそれを右手の甲で受けると同時に、カレンが小さな悲鳴をあげた。


「まんまと食らうとは、馬鹿め!」 

「とするとこれは、毒かい?」

「あぁそうさ、すぐに全身に回って死ぬ猛毒さ。まさか使うことになるとは思わなかったがよ」


 トミッチ君の口調がぶっきら棒なものに変わり、すでに勝った気でいるようだ。

 そんな悪い子には、見せてあげよう。


「教えてくれてありがとう……よっ!」


 踵で地を蹴って一瞬で詰め寄り、懐の得物を奪い取る。


「ッ!?」


 そしてそれを持ち主の喉元に突き刺す……なんて野蛮な真似はせず、


「ぐっ」


 俺自身の右肘関節に刃を食い込ませ、切り落とした。


 それを見た彼は驚嘆の表情を浮かべる。

 同時にある程度事態を掴んだカレンが後方で「げぇっ」と蛙の鳴き声を真似した。


「おー、いてて……」

「お前正気か!?」

「あぁ、正気だとも。毒で死なずに済むんだから」


 解毒剤や聖呪で治すことのできない、または間に合わないような状況下においてはこれが一番なのだ。


「それに腕の一本や二本斬り落としても、ほら。また生やせるしね」

「こ、こんな化け物が相手だなんて聞いてねぇぞ! あのクソジジイ共が!」

「きゃあっ!」


 隠すことなく自身を送り込んだ者への愚痴を吐きながら、玉のような何かを真下に投げつけ。

 それは地面に触れた瞬間に眩い光を放出し、俺とカレンの視界を奪った。

 暗部の者御用達の光り玉で間違いない。

 いやはや眩しい眩しい。目の前が真っ白で何も見えないや。


「だから簡単に逃げられるとでも? ……そこだな、《ムスベヨカラグサ》」


 舌打ちをして跳ね返ってきた音を元にして視る、いわゆる反響定位エコーロケーションを用いて男の居場所を特定、捕縛の魔法を唱える。

 すぐにどさっと倒れる音がしたので、上手くいったようだ。

 なにも視覚が奪われたからといって、聴覚や触覚まで機能しなくなったわけではないのだ。

 

 そして視力が元通りになり、首から下を繭のように緑で包まれて動けないでいる男の姿が目に入った。

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