第十三話 「二つの琥珀」
生気を失くした巨躯が、力無く崩れ落ちる。
倒れた際にわずかな地響きを起こし、そのまま静止した肉塊と成った。
「うっ……ぷ……」
「カレン、ほら」
「……ありがと」
俺が酔い止めの香草を数枚渡すとそれを鼻につけ、昨日教えたツボを自ら圧し始めた。
「辛いのならすぐにでも燃やすけど、どうする?」
いくら凶悪な魔獣といえど、シルエットだけなら肥えたヒトと変わりないため無理もない。
ただ、体積が大きい故、流れ出る血の量は人なんかとは比べ物にならないが。
「いい。もう大丈夫」
言い切ってから醜鬼の亡骸に近づき、それを見下ろす。
そして首を傾げた。
「これ、魔法は何も使ってないの? 石を投げただけでこうなったの?」
「そうだよ。人は高度な投擲力を持つ数少ない生き物だからね」
人間には獣のような膂力や敏捷性が無い代わりに網を張り、投擲を行い、多種多様な道具を作る能力と知能が備わっている。
そして何よりも、鍛錬をする生き物だ。獣は基本的に鍛錬をしない。
狩りの仕方を親に教わることはあるだろうが、狩りのための脚力を走り込みで鍛えたりはしないし、外敵と戦うための腕力を素振りで身に付けたりなどしない。
この、人にも獣にもなりきれていない醜鬼というのは、なんとも哀れな生き物であるかな。
「少し話が逸れてしまったが、要は魔法に頼らずとも倒せるということだ。それも自分よりも大きな相手を」
「でもアレって、不意打ちでしょ?」
「そうだが、何か問題でも?」
「問題っていうか……すごく卑怯」
「なるほど、卑怯か」
これは持論だが、卑怯という言葉は先手を打った者にのみ適用されると考えている。
あの時何の前触れも宣言もなく、不意打ちを先にかましてきたのは醜鬼の方だ。
俺は不意打ちに対して不意打ちで応え、借りたものを返しただけだ。
それに卑怯な手法を取る者は、自分がされた場合の対処法を知っているものだ。
むしろ相手の土俵で戦ってあげたと言っても過言ではない。
「仮に最初から正々堂々と棍棒で振りかかってきたら、それに応えていたさ。しかしヤツは違った」
それとこれは私情だが、初手で俺ではなくカレンを狙ったのが気に食わない。
いくらおつむが足りないとはいえ、俺とカレンのどちらが強いかは分かるはずだ。
両方を殺すつもりなら、まず先に強い方をどうにかすべきだろう?
その後で弱い方を玩具にして弄ぶのが筋というものだ!
俺の知る醜鬼は不意打ちこそすれ、そこまで気弱ではなかったぞ!?
「え。そんな理由なの?」
「ん? あー……あぁ! もちろん父として、可愛い可愛い娘が危ない目に遭ってムッとしたのもある!」
「……嘘つき」
「…………ほら、いくぞ」
もう少し潔く立ち向かってくれば、俺だけを狙ってくれば、綺麗な顔のままで逝かせてやったというのに。
そんな思いを込めて亡骸を一瞥して、カレンを横に歩みを再開した。
何十歩か進んだ後で、
「あぁ、そうそう」
「なに?」
石の上だけを渡る遊びを止め、辺りを警戒しながら一歩一歩地を踏むようになった少女に一つ大事な言いつけをしておくことに。
ちょうど、少し先にあるものが目に入ったからだ。
「さっきは死なずに済んだが、もしも頭や心臓を貫かれていたら即死だった」
「……アレで生きてるのもおかしいと思うけど」
「それで、だ」
カレンの些細な疑問を無視して話を進める。
「俺が死んだ時は逃げろ。迷わず逃げろ」
「うん?」
「いくら蘇るといってもな、一度死んでから蘇るまでに少し時間がかかるんだ。少なくとも五秒は」
「へぇー……」
さすがの俺でも死んでいる最中は指一つ動かせない。
その間にカレンまで殺されたとなってはたまったもんじゃない。
常人にとって五秒というのは短い時間に思えるが、種族を問わず、一呼吸あれば幾つもの命を刈り取れる強者というのはやはり存在するのだ。
そんな相手を前にして、俺の死に様に動揺して立ち尽くすなんてのは以ての外だ。
だから、
「決して振り向くことなく、決して止まるんじゃないぞ。もしも止まれば……」
そこで一旦言葉を止め、右前方の岩肌を背にしてひっそりと座り込んでいるものを指差した。
「ああなるぞ」
「え? ……っ!」
目を凝らしてそれが何かを理解したカレンが言葉を失う。
そこには全ての肉が削げ落ち、白い骨を剥き出しにした男性が天を仰いでいた。
「死後二年ってところか」
手で触れる距離まで近づき、骨の変色度合に衣類の劣化具合からそう判断した。
男はボロボロに崩れた服に、鋲打ちすらされていない安物の革の胸当てだけを身に着けている。それと大量生産されたであろう粗造のショートソードがすぐ傍に置かれていた。金貨一枚で二本は買える、酒よりも安いものが。
装備が全てというわけではないが、実際そんな急拵えの装備でこの場所に来たということは、家族か恋人なんかを魔獣に奪われでもして、憤りに身を任せて一人乗り込んできたのだろう。
周りの制止も聞かずに。
「だからといって復讐を果たせるわけもなく、下手すれば魔獣に傷一つ付けることすら叶わず殺されたのだろうね」
そこまでを憶測で語りカレンを見やると、不快感や忌避を示した目から憐れみの表情に変じていた。
「少し酷な言い方をするが、この男は何の力も持たない故に死んだ。それと同じで今のカレンに魔獣と戦う力はない」
「……うん」
俺の言葉を噛み締めて、こくりと小さく頷く。
「てなわけで、先程のようなことがあれば迷わずカレンを庇って死ぬから。そうしたらなりふり構わず逃げなさい」
「それはだめ」
そして首を大きく横に振った。
一体何なんだ?
実の子を育てた経験がないのでよく分からないが、これが俗に言う反抗期というものでよろしいか?
「だめ……とは?」
「庇って、生きてよ。どうして死ぬこと前提なの」
「そうは言っても、死ぬときは死ぬしなぁ……。それにどんな酷い死に方をしても、元通りの姿で蘇れるのは何度も見ただろう?」
「それは分かるけど、だからって死んじゃダメ! だめなものはだめなの!!」
「わ、分かった。善処しよう」
こればかりは譲れないという、強い口調で押し切られてしまった。
「いやはやしかし、カレンは本当によく似ているなぁ」
「似ている? 誰に?」
「……あれ、誰だろう?」
全く意識せずに、それこそ半ば反射のように勝手に口が開いたが、一体誰に似ていると思ったのだろうか。
少し記憶を遡ってみても、なにぶん知人友人が多すぎてこれといった者の顔が浮かばない。
まぁ、今はどうでもいいか。
「よし、行こうか」
「うん」
♦♦♦
道中、醜鬼以外にも複数の魔獣と遭遇した。
奇襲こそされなかったが、どれもこれも一爪の、対話の出来ない肉食獣だったので、仕方なしに指を食わせて爆破した。
話で聞いた通りの魔獣全てを確認し、その全てを爆殺した。住処の戦力を軒並み向こうに回している、なんてことはなかった。
そんな血みどろの道を歩き続けてやっと、峡谷の深奥部に到達――
「ここがそうなの?」
「おそらく、ね」
「でも、何もいないじゃない」
ある地点から岩肌と岩肌の間隔、道幅が少しずつ広がってゆき、それからすぐに余裕のある空間に抜け出た。
抜け出たと言っても、垂直な岩肌にぐるっと囲まれていて、上空以外には抜け道・出口はない。
「地下の巣穴とそれに通じる穴なんかは……ないな。とすると……」
感覚を研ぎ澄まし、視野を広くして一帯を観察する。
乾いた地面を見回しても地下に続くような穴は見つからない。というよりもこの空間だけ、今までの谷底よりも数段低くなっている。
それと岩肌のある一面が縦に削られており、昔は滝が流れ落ちていたことを示している。数段低くなっているというのは、元は滝壺だったのだろう。
周囲をぐるっと囲む灰色には、滝の跡とは別に幾つか窪んでいる箇所があって……
「……あっ」
「なに? 何か見つけたの?」
「ほら、あそこ」
じっくりと観察していて、見つけてしまったものを指した。
「……あっ」
カレンもそれを見つけてしまい、俺と全く同じ反応をする。
岩肌に張り付いて擬態する灰色の影。
鉄杭のように頑強で鋭い鉤爪。
大蛇の如き長くてしなる尾は酷く刺々しい。
その顎の開け閉めで、羊程度は容易く呑み込む。
一見すると蜥蜴や鰐を巨大化させただけの動物に見えるが、前腕に備わりしは鉄扉の如き分厚い飛膜。
「アレは紛れもなく、三爪に位する魔獣」
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