第十二話 「なんて声、出してやがる」
おんどりが鳴き出す前に起き上がり、素早く支度を済ませて村を出た。
早朝から歩き始めて優に二時間は経ったが、まだそれほど地面は温まっておらず、風が涼しい。
そんな心地良い風を受けながら野を越え丘を越え、俺達は辿り着いた。魔獣達が湧き出ているとされる場所の入口に。
「この先に、いるのよね」
「おそらくな」
谷、それも峡谷と言った方がいいだろう。
幅は大人十人が横並びで通れるほどだが、高さは大人を二十人重ねてもなお届かない。一般人が上から生身で落ちた場合、間違いなく肉が弾け骨が砕けるだろう。
まぁ今回は底を進むことになるため滑落の心配はないのだが、それでも、
「これは最終確認だが、カレンだけでも来た道を引き返す気はないか? いくら俺がいるとはいえ、安全は保障できない」
いつ落石や岩肌が剥がれて降りかかってくるか分からない。
足場だってゴツゴツした岩や石が転がっていて、不慣れな者にはよろしくない。
そして何よりも、退治予定の魔獣についてだ。
「昨日見た魔猿よりも、強大で凶悪な魔獣がいる可能性が高い」
話を聞いた限りでは、魔獣の襲撃は定期的にあるという。
それも毎回同じ魔獣というわけではなく、
つまりはその一回り以上強い、二爪三爪の魔獣が統制していると考えるのが妥当……
「ちょっと待って! その一爪とか二爪って何?」
「あぁ、魔獣の脅威度や危険度を表したものだよ」
魔獣を大雑把に分類するために『爪』という階級が用いられている。
一爪の魔獣を倒すには平均的な兵士が五人必要だ。
二爪なら五十、三爪なら五百、四爪なら五千、炎龍などの神話的生物が位置づけられる五爪なら最低でも五万人……いや、五爪に至ってはうん十万分の兵力をもってしても討伐できない場合があるのだが。
「ま、今はどう表しているかは分からないけどな。少なくとも千年前はこういう分類をしていたのさ」
「ふぅん」
「とにかくそういうわけで、だ」
この先で待ち受けているであろう魔獣はきっと二爪以上のものだ。
二爪は村一つ程度なら単体で壊滅できるほどの力を持っていて、加えて一爪の魔獣を複数従えているときた。
仮に百人の兵隊さんを送り込んだとしても、百基の墓が生えるだけだ。
そこまで強調して再度引き返すかどうかを問うたが、毅然とした顔で「うん、私も行く」と即答されてしまった。
だけにとどまらず、攻撃魔法を教えてとまでぬかしおった。
「ダメです」
もちろんそれについてはキッパリと拒否する。
「なんでよ!? ちゃんと教えてもらえばすぐに」
「あぁ、できるだろうな。カレンならすぐに。だが今はダメだ」
たしかによほど高等な魔法じゃない限りは、俺の言った通りに復唱するだけで放てるだろう。
しかしながら。
「万が一があったらどうする」
突風が吹きつけた、石が落ちてきた、奇襲を受けた……理由は何でもいいが、魔法を唱えるのに集中している際に予期せぬ出来事に見舞われたらどうする。
全く動揺せずにいられるか? 緊張の糸を張ったままにできるのか?
答えは否だ。
ほぼ確実に魔法は不発、または誤爆する。
それがさらなる焦燥を生み出し、全ては乱れてゆく。
当然彼らはその隙を見逃さない。一瞬のうちに詰め寄り、喉笛に食らいつく。
「……そんなの、滅多にあるわけ」
「あるんだな、それが。こういう死因は本当に多いんだよ。この俺だって稀によくある」
万が一ってのは結構な確率で起こり得るものなんだ。
それこそ時と場合によっては十が一くらいの頻度で起こる。
「でも!」
「おっと、その先は言わなくても分かるぞ。あたしなら大丈夫、だろ?」
「なん、で……」
その言葉を聞いたカレンは目を丸くして驚嘆の表情を浮かべた。
分かるさ。
俺も百度は通った道だからね。
「どうして自分なら大丈夫だと思った? 根拠は何だい?」
カレンは少し渋い顔をして考え込む。
一応そう思った理由は突き止めているのだろう。
だけどきっと、その理由が「なんとなく」や「直感」などの根拠のない自信であるために言い出せないでいるのだ。
「これは四千年の統計によるものだが、真っ当な根拠無しに『自分なら大丈夫だ』と言って突き進んだ者の八割は悲惨な末路を迎えている」
ある者は四肢を持っていかれ、ある者は親族を皆殺しにされ、またある者は檻の中にぶち込まれて何十年にも渡る拷問と実験を受け続けた。
……もちろん最後は俺のことだ。
まだ二百歳にも満たない糞ガキの頃に、ちょっと不死身だからと調子に乗った結果、見事に確保・収容・保護されたのだ。
「だから今回は何もせずに見ていなさい。いつか必ずカレンの力が必要な時は来るから。……分かってくれるかな?」
うん、と。
長い説得の末、カレンはこくりと頷いてくれた。
ので、その頭頂部に軽く手を置いて撫でてやる。
「よしよし、いい子だいい子だ」
「だから子供扱いはしないでよっ!」
♦♦♦
谷底を歩き始めて二千歩は超えただろうか。
目に見えるのはほぼ垂直に切り立った灰色の岩肌と、大小さまざまな石の転がる乾いた地面、それと岩肌に挟まれて蛇のように細長くなった空だけである。
そんな代わり映えのない景色が続いている。
「なんか静かねぇー……。動物の鳴き声一つしないし村とはえらい違い」
「あぁ。魔獣は軒並み出払っているのかもな」
「まっ、そんなのもう関係ないけどね!」
「やけに上機嫌だな」
「そりゃそうよ! 親玉さえ倒せばみんな助かるんだし、アレンも頑張ってるし、あたしも頑張らないと!」
あぁ、そうだ。
仮に全て出払っているとしても所詮は一爪共だ。指導者と帰る場所を失えば互いに争い、散り散りになり、自然に淘汰されてゆく。
……しかし、嫌な空気だ。
カレンは谷に入ったらすぐにでも魔獣が出てくると思い込んでいたようで、それでもまだ何も起こらないために油断し始めている。
訓練と称して、実に優れたバランス感覚で地面の石の上だけを渡るなんて遊びまでしだした。
そういう時が最も――
「――危ないッ!」
咄嗟の判断で地を蹴り、カレンの前に飛び出す。
そしてコンマ一秒と待たずに胸から背中にかけて激痛が。
「えっ……」
「大……丈夫か? ……なんだよ、結構当たるじゃないか」
カレンは無事かと首を回して振り返る。
……あぁ、よかった。
突然背中から尖った石を突き出し、口からも血を噴き出した俺を見て茫然としているだけで、その華奢な身体のどこにも傷は見当たらない。
「な……なにが、どうなって。それにアレン、あたしを庇って……!」
「なんて声、出してやがる」
「だって……だって……!」
「俺は常闇の一党党首、アレン・メーテウスだぞ。これくらい、なんてことはない。それに娘を守るのは父親の仕事だ」
今にも泣きそうな顔をしたカレンに答えてから、俺の胸に突き刺さったそれを思い切り引っこ抜く。
すると熱を帯びた傷口から、樽の栓を抜いたように血が流れ出てくる。
「いやだ! 死んじゃヤダ!」
「…………だから大丈夫だ、この程度じゃ死にはしない」
「えっ?」
頭か心臓を潰すか、身体を真っ二つにでもしない限りは傷口を塞ぎ、欠損した部分を再生できるので死にはしない。
とはいえこのままで放置したら一分もしないうちに気を失い、じきに死ぬだろう。
そうしたら最低でも五秒は身動き一つできない時間ができてしまう。この状況でそれは不味い、非常に不味い……ので、
次なる攻撃を警戒しながらフゥーと、一つ深い呼吸をする。
その間に断線した管を繋ぎ合わせ、抉れた筋繊維を補い、皮と肺に空いた穴を塞ぎ、砕けた骨を真新しくする。
「まさか……大丈夫、なの?」
「あぁ、これで元通りだ……だが、うーん……」
千年間もまともに再生していないせいか、だいぶ鈍ってしまったなぁ。
昔だったら一秒とかからなかったのに。
それこそ戦さ場に身を置いていた時代なら、斬られながら生やし、風穴を空けられた瞬間に塞げていた。
その再生速度から傷一つ付けられないと錯覚されたほどだった。
どうにかしてあの感覚を取り戻さないとならないが、まぁ、今は目先の事に集中しよう。
「カレン、一旦下がっていなさい。……そこの君! そろそろ、出てきたらどうかね!?」
カレンを後ろに隠し、前方の暗い岩陰に声を飛ばす。
言われるがままに暗がりから出てきたのは、でっぷりと肥えた無毛の魔獣だった。
「ほう、小醜鬼くんか」
「あれが、トロール……?」
その名の通り、醜い容貌をした二足歩行の魔獣だ。手には木の棍棒を握っている。
一爪の「
見た目からも、どちらかといえば魔獣というよりは魔人と言った方がいいのかもしれないが、おつむが足りず
それでも加工した石を投げ、棍棒を振り回し、ついでに樹皮を腰に巻いて急所を隠す程度の知力はある。
女騎士でも戦いやすいように配慮してくれているのだろうか?
「昨日のより大きい……。大丈夫なの?」
「まぁ、見ておきなさい」
今しがた俺の肉を抉り風穴を開けた石を両手で携え、醜い巨体に歩み寄っていく。
「いやはや、中々に良い投擲物ですねぇ」
血に塗れたそれを、貴重な宝剣であるかのように見立ててさすり、褒めちぎる。
これを受けて棍棒を構えた醜鬼が少し後退った。
未発達な脳味噌で「なんだこの人間は!? ワケが分からない!」などと考えているのが容易に想像できる。
おそらく後方にいるカレンも似たようなことを考えているだろうが。
「こちらはアナタがお作りになったんですか? 素晴らしい殺傷能力を持つこれを! もう少しで死ぬところでしたよ、えぇ!」
かまわず、ここが演劇の場であるかのように大仰に、身振り手振りを交えて語り掛ける。
そして頭の内が困惑で満たされた時を見計らって、
「アナタは醜鬼の中でも実に…………あぁッ!?」
唐突に彼方を指差す。
それに釣られて俺から視線と意識を外した、その瞬間。
「――セイッ!!」
投擲した。
回転のかかった穂先の如き石は醜鬼の顔目がけ、一直線に伸びてゆく。
一拍遅れてそれに気付いた彼は、迫りくる投擲物を弾くために棍棒を振り上げようとした……が。
「オッ……」
時すでに遅く、眉間には拳大の風穴がぽっかりと空いていた。
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